☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2017年09月12日

この母にこの子あり(2017年9月)

 いつかはとは思いつつ、野口英世の生家を訪ねることができた。青春十八切符が一回分残り、思案していると猪苗代の広々とした田園と磐梯山が浮かんできた。野口英世にあこがれたというより、野口英世を生んだ風土への関心が強かったのである。同じことは、信州の安曇野にも言える。言葉では説明できないが何故か惹かれる土地なのである。野口英世は、偉人としての伝記が広く読まれている。千円札は野口英世の肖像が使われて久しい。その知名度は高い。上野の東京国立博物館に行く途中、森の中にある博士の像の前を良く通る。
 青春十八切符の有効期限の最終日、九月十日の天気は、快晴に近かった。信越本線の群馬八幡駅を六時三十三分に経ち、高崎で高崎線に乗り換え。高崎弁当の限定の「朝粥」を口にできたのは幸運である。朝七時の販売で直ぐに売れきれると言う幻の弁当とも言われている。大宮で乗り換え、東北本線で宇都宮へ。快速電車でそれほど時間はかからない。これからが大変である。宇都宮駅の乗り換え、黒磯駅の乗り換えは、慌しい。帰りは、帰宅時間も考え、郡山から大宮までは新幹線を利用することにした。郡山から目的地の猪苗代駅は磐越西線の会津行きである。沿線の風景は、磐梯熱海を過ぎ、猪苗代湖方面には、収穫が近い稲田が広がっている。休耕地には、蕎麦が植えられ白い花が見事である。会津磐梯山の雄姿が眼に入る。山の形が変わるほど大爆発が、野口英世が十一歳の時にあった。そんな活火山には見えない宝の山である。宝の山には、三説あるとタクシーの運転手さんから聴いたが、麓に広がる美田を生んでいることがふさわしいと思った。爆発によってもたらされた鉄資源もまんざら嘘ではないが、磐梯山と猪苗代湖に挟まれた田園地帯は、かけがえがないと思った。
 猪苗代の駅は小さく、駅前も簡素で商店街はない。数台タクシーが停まっているが、青春十八切符の旅のため、タクシーの利用には抵抗がある。バス停を覗くと、十分後の野口英世記念館行きのバスがあった。帰りの時間もわかったが、見学時間を考え、猪苗代駅に帰る手段はタクシーにすることにした。経費削減が全てではない。おかげで、「会津磐梯山は宝の山よ」の意味を教えてもらえたのだから。運賃は、野口英世が二枚で足りた。磐梯山と田園が移る場所に車を停めてもらい、薄も入れて撮影することができた。
 記念館の横に、野口英世の生家が保存されている。幼児の時に大火傷をした囲炉裏もあった。今にも囲炉裏に向おうとする清作の人形があった。床柱には、「志を得ざれば、再び此地を踏まず」が刻まれている。そして、記念館には母シカの手紙があった。このあたりが、『偉人野口英世』の記憶である。母親のシカは英世にとっては、慈母であり、
終生心の支えだったことは、知られている。記念館に『野口博士とその母』という本があった。野口シカ伝と言ってよい。美談が散りばめられ過ぎている感があるが、「野口英世にこの母あり」である。この母にこの子ありと言い換えてもよい。
 野口シカは、嘉永六年の生まれとある。黒船来航の年である。生まれて直ぐに、両親は家から出て、祖母に育てられたと書いてある。父母恋しい、淋しい幼年期を過ごしたのである。しかし、シカは、近所の人々が感心するほどの賢く、健気で勤勉な子供であった。八歳から家の貧しさを凌ぐために奉公に出ている。もちろん学校には行けず無学であった。後年、ひらがなを覚え、息子の帰国を嘆願した手紙は、名文として有名になった。
 二十歳の時、婿養子を迎え、野口英世を含み、三人の子供を生んだ。英世の姉が家を継いだが、貧農であった。野口英世の父親は、大酒のみで、仕事も好きではなかったと書いてあるだけで影が薄い。家の厄介者で、母親だけが野口英世を偉人たらしめたという書きぶりなのである。『野口シカ伝』だから仕方がないかもしれない。
 野口英世と言う人は、努力家で寸暇を惜しんで勉強したことにより、世界的な医学者になることができたのは事実である。明治から昭和にかけこうした人物が、子供たちの手本になる生き方として、教科書にも取り上げられた。戦後になっても、人類に貢献した野口英世の実績は変わらない。教科書で子供たちに知らされていない、野口英世の人間模様が、もう四半世紀前にもなるが、映画化された。「遠き落日」である。人から借りたお金を浪費する、堕落してもおかしくない野口英世が描かれている。まるで、父親譲りの性癖もあったのである。
 資料館に展示されていたが、野口英世の趣味は多く、将棋や囲碁には熱中したようだ。海外に長くいたのでチェスもできたらしい。浪花節も趣味だったと言うから驚く。油絵は画家に学び、素人離れしている。信仰心が強く、ひたすら息子の出世を願い、体にむちを打って家計を支えた母の血ではない。父親は、酒飲みではあったが、人の良い憎めない人物だったらしい。野口英世には、渡航する前に婚約した女性がいた。目的が渡航するための資金を工面するためだというから偉人らしくない。しかも、相手から婚約を破断するのを待ち、お金も返さなかったらしい。そのような面もあったが、つぎのような言葉は、この旅で彼に学んだことである。
「過去は変えることも出来ないし、変えようとも思わない。人生で変える事ができるのは、自分と未来だけだ」
「人の人生の幸せも、災いも自分が作るもの、周りの人間も、周りの状況も、自分が作り出した影と知るべきである」
後者には、説明が要る。野口英世の才能を愛し、援助した人物はかけがえのない人間である。小林栄、血脇守之助といった人物である。人類の幸福のために研究したことが美しいのである。
  

Posted by okina-ogi at 17:44Comments(0)旅行記

2017年09月09日

青春18切符の活用


夏に発行された青春18切符を活用して宇都宮に行った。市内散策と名物餃子を食べる日帰り小旅行である。朝高崎を経ち、両毛線で小山に行き、乗り換えて宇都宮で下車。帰りは、大宮で乗り換え高崎に夕方着く。通常の乗車券だと5000円近くになる。綴りにはなっていないが1回分が2370円だから半額で旅行が出来たことになる。お得である。ところが、一人欠席者が出て、1回分が残ってしまった。身内や友達にプレゼントしても良いと思ったが、有効期間も迫っていて使ってもらえない。自分で使うしかあるまいと考え考えたのが以下のコースと青春切符の活用法である。ルール違反にはならない。
往路は、高崎7:04―8:19大宮8:27-9:29宇都宮9:32-10:22黒磯10:27―11:30郡山11:39-12:25猪苗代
野口英世記念館と生家を訪ねます。目的地に3時間滞在。温泉も含めます。
そう考えて、帰路は、猪苗代14:42-15:01磐梯熱海16:02―16:19郡山。ここまでが青春18切符。
郡山で大宮までの東北新幹線の自由席特急券と乗車券と家族のお土産を買います。
郡山17:30-18:22大宮
ここで在来線に乗り換え青春18切符が使えます大宮18:47-19:59高崎。
高崎で下車しても24時までは使えるので、切符は記念品になります。
自宅に戻る最終バス20:30に間に合います。
旅行日は、明日9月10日日曜日。有効期間の最終日。若い時なら全区間青春18切符だが、無理はしません。鉄道の実質費用は、8310円也。
  

Posted by okina-ogi at 15:17Comments(0)日常・雑感

2017年09月07日

映画「関ヶ原」鑑賞



天下分け目の戦い。西軍は石田三成。東軍は徳川家康。勝利したのは徳川家康だった。原作は司馬遼太郎の小説である。その文章の一部がナレーションで流れていた。関ヶ原は、新幹線で通り過ぎることが多いが、在来線で現地に行ったことがある。資料館があって、その戦いの様子をパノラマで解説していた。両軍の布陣した位置が示されているが、この地図を見た日本陸軍の指導に当たったメッケルは、西軍の勝ちと断定したほど攻めるのに有利な場所に布陣している。資料館から少し歩くと、笹尾山の石田三成の陣地に旗がたなびいていたのを覚えている。この戦いで敗れた西軍で必死に戦ったのは、石田三成はもちろん、大谷吉継、宇喜多秀家、小西行長であった。あらためて人物を知ることができたが、宇喜多秀家のように逃亡し、80歳以上の人生を生きたケースがあったのには、驚いた。石田三成も逃亡したが捕縛され斬首されている。島左近も石田三成の配下で勇猛に戦ったが戦死している。その軍が取り囲まれ、槍で刺されて殺されていく場面は、悲惨というより残酷すぎる。ワーテルローの映画でフランス軍が包囲され次々に銃殺される場面を思い出した、救護場でも容赦なく殺戮があったし、苦悶して倒れている兵士も止めを刺されて行く光景も辛い。政権を得るためにこうした戦争による殺戮があった時代について考えさせられた。
  

Posted by okina-ogi at 17:23Comments(0)日常・雑感

2017年08月31日

『定年後』 楠本新著 中央公論



フェースブックの友人の紹介本である。こうしたタイトルの本は、人それぞれの人生観があってあまり関心がないのだが、さらっと読んでみることにした。帯に、大事なのは、健康?お金?孤独です。と書いてあったのが気になって購入することになった。孤独感は、大事な問題である。前向きに生きられなくなったらつまらない。お金があっても。
退職鬱ということはある。経済も、人間関係も組織に依存していたのだから、その環境から急に外れれば、精神的に落ち込むことは十分考えられる。定年と言う制度はわかっていても、無意識に気がめいってくることはあるのである。理性的には割り切れない世界である。定年後の生き方は、この本が強調しているように、前から準備しておくことだというのは、共感する。俳句に「去年今年貫く棒の如きもの」(高浜虚子)というのがある。定年前も定年後も節目を意識しないほうが良い。要は「宮仕え」を辞めるのである。自分のペースで生きられるのだということである。社会的動物ではありますが。
  

Posted by okina-ogi at 14:59Comments(0)書評

2017年08月26日

九州北岸を行く(平戸、武雄温泉編・2017年8月)

唐津からJR九州で平戸に向かう。宿泊はしないが、二日目の目的地である。長崎と平戸は、同県であるが共鳴する響きがある。キリスト教と南蛮貿易である。九州北岸を行くとしたタイトルは、福岡から唐津、伊万里、松浦、平戸への移動を意識している。最初の予定では、帰路も伊万里に戻り武雄温泉駅に行くコースになっていたのである。伊万里からたびら平戸口までは、JRではなく、松浦鉄道になっている。元々は、JRであったが、第三セクターの経営になっている。JRの民営化になって、不採算路線は、こうした形で残っているケースが多い。松浦鉄道は、佐世保と有田間を運行している。


途中通過した松浦は、漁業が盛んだが、古くは、松浦水軍が拠点を置いていた。平戸の藩主も松浦氏である。その系図は詳しくは知らない。
 たびら平戸口は、日本西端の駅である。小さな駅である。乗車券をワンマンカーの運転手に渡し、改札口を抜けると売店の前の長椅子に猫が寝ていた。この猫は帰りにも同じ場所から動かないでいた。平戸は島であって、平戸桟橋を路線バスで渡った。市街地までは橋を渡りそれほど遠くない。平戸で最初に訪ねたのは、フランシスコ・ザビエル記念聖堂である。寺院と教会の見える観光スポットがある。本当にこの坂からは、お寺と教会が重なって見える。ザビエルは、鹿児島に上陸し、山口や京都へ布教に行くが、平戸も三度訪ねている。藩主が、ポルトガルとの貿易に前向きだったことと無関係ではない。藩主松浦氏は、自らキリシタン大名には、ならなかったがキリスト教の布教は許した。多くの宣教師が伝道活動をして信者も全島に広がっていった。隠れキリシタンの歴史を経て、今も教会があり信者がいる。カソリック教徒が多い。
 

やがて、貿易の相手は、オランダに移っていく。近年になって、オランダ商館が復元され、建物が港の海べりに建っている。この白亜の洋館は、当時の平戸の人を驚かせたに違いない。島原の乱などがあり、キリスト教の布教に熱心なポルトガルは去り、オランダは、平戸を去り長崎の出島で貿易を許された。短い、平戸滞在であったが、オランダ通りという町並みで、ちゃんぽんをご馳走になった。イギリス人、ウイリアムアダムス(三浦按人)や吉田松陰ゆかりの地は訪ねられなかったが、松浦資料館で鄭成功が紹介されていた。近松の浄瑠璃にもなった国姓爺は、平戸の生まれである。たびら平戸口に戻り、佐世保経由で二日目の宿、武雄温泉を目指す。
 

武雄温泉に宿をとったのは、有田焼で知られる有田の町に近いからである。佐世保線の駅だが特急が停まる。ホテルにチェックインし、共同浴場に向かう。ここには、唐津出身の明治大正の建築家辰野金吾が設計した楼門がある。門をくぐると何種類からの共同浴場があって、元湯に入ることにした。入湯料は四百円だが、翌朝ホテルから三百円の優待券があることを知った。湯の温度は高いが、源泉の温度を下げ、入り分け出来るよう
に湯船が区切られている。二回目の朝風呂は、長湯ができた。


 日の出ともに早起きをして、再度元湯に入るために街を散策する。ホテルと元湯と正三角形の(?)一画の距離に武雄神社がある。歩いて十五分ほどである。神社を参拝するのが目的ではなく。神社の裏山に樹齢三千年の御神木がある。これは見るべき価値があると思ったのである。何せ紀元前からの樹木である。有史より古い生命体である。楠である。本殿の横の鳥居くぐり、よく整備された通路を行く。道の脇には紅葉が植わり、やがて竹林と杉林があり、その先に広々とした場所があって、ご神体は一部の幹は朽ちているが、朝日を浴びて聳えていた。木の近くまでは寄ることができない。神々しいとは、こういう雰囲気を言うのだと思った。神が宿っていても不思議ではない。ザビエル先生に感想を求めたら、無神論者と言われるに違いない。この旅の圧巻だったかもしれない。有田焼のことは、語るに及ばず、贅沢な客用皿として家に宅急便で送ることにした。もちろんお土産も含んでいる。元々陶器への趣味もない。生活用品として使えれば良いのである。有田は、秀吉の朝鮮出兵がらみの訪問である。
  

Posted by okina-ogi at 09:04Comments(0)旅行記

2017年08月25日

九州北岸を行く(唐津編)

 六十五歳の誕生日を迎えるにあたり、小旅行を思い立った。八月六日から八月九日まで三泊四日の旅で、出発の日は広島、帰着の日は長崎の原爆の投下の日でもある。羽田、福岡の空港を往復する切符は、全日空のマイレージのポイントがたまり、無料で航空券が予約できたことも大きい。空と陸から慰霊をしたいと思ったからである。けれども、迷走台風が九州に接近し、その影響も考え、二週間後八月二十日に延期し、日程も一日短縮した。長崎の訪問は諦めることにした。慰霊の旅の見返りというわけではないが、長い間の喫煙の習慣を絶つことにした。旅から帰り、この紀行を書いている現在、禁煙は守られている。紀行に書くほどのことではない私事ではある。
 福岡市から列車で一時間あまりの距離に唐津市がある。県境を越え、佐賀県である。唐津市街地から烏賊料理で知られる呼子の港の近くに巨大な城跡が残っている。豊臣秀吉が晩年、ここに名護屋城を築き、朝鮮半島への侵攻の拠点とした。長い年月に風化したがその城の痕跡はしっかり残っている。近くの県立資料館の説明によれば、大坂城に次ぐ城郭の広さがある。天守閣があった場所からは、天気が良ければ対馬の島影も見ることができるという。
 

城跡には、大木が茂り蝉の鳴き声がしきりである。
太閤の 城跡とやら 蝉時雨
文禄・慶長の役という二度に渡る戦役は、秀吉の死によって終結した。朝鮮半島はもちろん、明の国を領土にしようとする野望は実現しなかった。このことが、豊臣政権の衰退滅亡を早めたとされる。名護屋城の周辺には、全国の有力大名が陣を置き、数年間ではあるがにわか城下町が出現したのである、多くの陣跡が発掘され確定されている。徳川家康も二か所に陣を置いているが、配下の兵士は海を渡っていない。
 この無謀ともいえる戦役は、多くの悲哀を生んだに違いない。明らかな侵略戦争である。四半世紀くらい前、慶州の近くにある仏国寺を訪ねたことがあった。案内してくれた韓国の人が、秀吉のことを責めていた。
 古寺に 悲話あり秋の 雨しとど
悲話の内容は忘れたが、恨みが五百年以上も国民の中に残ることを思い知らされて、心は暗くなった。この韓国人は女性であり、日本人青年に嫁ぐことになっていたからである。二人の仲人役として韓国に行った時の思い出である。
 話は飛ぶが、有田焼を創始したのは、朝鮮半島人である。有田にはこの人の碑があるという。李参平。文禄・慶長の役によって、多くの朝鮮人が日本に連れてこられたが、李参平のような優秀な陶工も含まれていた。伊万里焼は江戸期に海外に渡り、莫大な富を生むことになった。今も古伊万里といわれ貴重な価値がある。李参平は、有田の恩人であるが、今も子孫が窯を守っているらしい。旅の最後に訪ねることにしている。
 名護屋城址と唐津市街地の移動手段は、バスである。沢のような場所に稲田があるが驚いたことにもう収穫されている田もあった。友人が同行するわけだったが、こちらの日程の変更でかなわず、そのかわり割烹料理の店を予約してくれた。その店の名前は「天山」である。名前の由来は、唐津の地酒である。暑い地方の日本酒は、発酵が早まるためか製造に限界があるようだ。ホテルのチェックインを済ませ店に直行。店はホテルの隣にあった。
 予約した時間、店には客がいない。最後まで、たった一人の客となった。旅先でこんな経験は始めてである。カウンターに座り、店の主人と会話してみるが、多弁ではないが、短い言葉の中に含蓄のある内容に只者ではない雰囲気を感じた。老夫婦で店を開いている。生粋の佐賀人である。


 「佐賀モンの歩いた後に草が残らない」
しばらく聞かないでいた言葉である。佐賀の人の勤勉さを行っているのである。佐賀の乱の話になった。
 「こちらでは(乱)とは言わない。(役)というんです」江藤新平は、偉人であり。佐賀の乱は、義挙なのである。
話が進むうちに、ご主人は料理人だけではなく、多趣味な人だということがわかった。
カウンターの上に飾ってあった版画は、ご主人の作品であり、「唐津くんち」を描いている。食器やぐい飲みなどの唐津焼も自作である。無口なご主人の変わりに奥さんが教えてくれた。
「唐津くんち」は、秋祭りである。さまざまな曳山が街を練り歩くのだという。版画はその模様を教えている。話が弾み、地酒「天山」をしこたま飲んだ。二人予約にならなかった返礼のつもりもある。
  

Posted by okina-ogi at 17:19Comments(0)旅行記

2017年08月18日

映画「麦秋」鑑賞



8月17日、高崎城址のお壕に近い、高崎電気館で、小津安二郎監督の作品「麦秋」を観た。高崎電気館は、映画館としては、廃業して久しいが、建物が高崎市に寄付されたのを契機に、市が映画会を企画したのである。作品といい、上映場所と言い、まるで青年時代に戻った感じがした。しかし、高崎電気館のあたりは、すっかり人出が少なくなっている。近くの中華料理の店で夕食を済ませ高崎電気館へ。
入場者も10名そこそこ。これでは、経営として成り立たないが、問題は映画の内容である。松竹映画だったのである。松竹の富士山も懐かしい。配役が紹介される。皆鬼籍の人である。主演の原節子も数年前に亡くなっている。
舞台は、北鎌倉の原節子(紀子)の兄夫婦の家である。父親夫婦、紀子も同居している。そこに、奈良から紀子の父親の兄が訪ねて来ている。紀子の甥2人は、小学生である。毎日の暮らしの人間模様が淡々と描かれている。戦後間もない頃の鎌倉や、江ノ島が映し出されている。そうした自然描写と、バックに流れるメロディーが心に響く。
紀子の結婚の問題がテーマになっているが、親子兄弟が皆心配しているのは今以上だが、本人の意思が一番決めてなのは、今も昔も変わらない。紀子は、子連れの戦争で無くなった兄の友達の勤務医に嫁ぐことを決める。勤め先の上司から紹介された縁談は、断った。
友達の淡島千景(アヤ)がからかう。夫になる兄の友達は秋田に赴任することになっている。都会育ちの紀子が秋田弁を話す様が信じられないというのだが、二人の会話が見事な秋田弁になっているのである。少ない観客から笑い声が漏れた。
映画「麦秋」のタイトルの象徴的場面は最後にあった。奈良の旧家の前に一面の麦畑が広がっている。カラーではないので麦秋の色は、想像しなければならない。それよりも、旧家のバックの山は、すぐ耳成山とわかった。すばらしい日本の風景である。とつとつと語られる老夫婦の嫁送りの会話も良い。しかり、名作である。
  

Posted by okina-ogi at 10:50Comments(0)日常・雑感

2017年08月15日

映画「麦秋」

小津安二郎監督の映画が、終戦記念日を前後して上映されるという新聞記事を見た。上映場所は、高崎市柳川町にある「高崎電気館」。そんな映画館があっただろうかと捜してみると「天華堂」という本屋さんの近くである。最近は、車社会になったこともあるのか、街中商店街が淋しい限りである。しかし、このあたりは、高校時代の懐かしい思い出が詰まっている。
映画「麦秋」は、小津作品として名作らしいが、見ていない。1951年の上映というから生まれる前である。白黒のフイルムで、時代を感じさせる。仕事が終わったら、路線バスを使って観に行こうかと思ったが、駐車場も近くにあるようだ。7時からの上映なので近くの古くからの食堂があったらそこで腹ごしらえをしても良い。ちょっとした、過去帰りの体験が出来そうである。
  

Posted by okina-ogi at 11:23Comments(0)日常・雑感

2017年08月10日

『戦う石橋湛山』半藤一利著 東洋経済新報社



1995年に出版された。半藤一利は、文芸春秋の元編集長で、退職後は歴史小説、評論を書くようになった。漱石の孫を妻にもつ。石橋湛山は、第55代内閣総理大臣で、就任後病気になったために短命内閣であった。石橋の後総理になったのが、岸信介である。
石橋湛山という人物は、戦後の政治家としてではなく、大正から終戦までの言論人としてみると偉大な人物と言ってよい。彼の唱えた「小日本主義」が政治の流れとなっていたら、日本は不幸な戦争をしないで済んだかもしれない。満州、台湾、朝鮮、樺太の利権を手放せと言ったのである。帝国主義はやがてなくなり、小国は独立することを、人道的、経済学的な面から見通していた。
先の戦争を、非難するのは簡単だが、その時代にあって一貫して主張した言行一致の人生は尊敬するに値する。この本を読んだためか、法人の理事を辞めている。今振り返るとそれでよかったと思う。ただ、言論的批判はしていない。資金的根拠と運営的継続性のない企画には、賛同できなかっただけである。
  

Posted by okina-ogi at 11:34Comments(0)書評

2017年08月05日

禁煙チャレンジ


禁煙に何度かチャレンジしているが、タバコはやめられないでいる。海外旅行などは、断煙しているが、国に戻れば喫煙者になる。喫煙が健康に悪いという指摘から、社会が禁煙の方向に向いて動いている。受動喫煙の問題が大きい。他人の迷惑になることは、原則しない主義である。
旅行に行く機会が多く、飛行機に搭乗する時のチェックなど煩わしく感じている。久しぶりに札幌に行った時、市内にタバコが吸える場所がほとんどなかった。日本の代表的観光地である京都も同じようなことが言える。友人と喫煙できる部屋に泊まったが、どうぞ吸ってと言われても気がひける。できたら、禁煙したいと思った。
8月になってポストに「介護保険証」と「年金請求書」が立て続けに届いた。65歳の誕生日をきっかけに禁煙してみることにした。今日が5日目である。なんとか、禁煙できている。こう考えたのである。年金生活者になれば、収入は減る。タバコは結構高い。1ヶ月1万円以上かかる。そのかわり、月に2回ゴルフをしよう。最近は、1人予約という方法がある。家の近くには、幸運なことにゴルフ場が多い。どちらかと言えば、知的な禁煙だが長続きするか。
  

Posted by okina-ogi at 09:42Comments(0)日常・雑感

2017年08月02日

台風迷走



7月の21日に、南鳥島付近で発生した台風5号は、2週間近く経つのに太平洋上にあって西北にゆっくり向かっている。勢力も強く、温度の高い海上を移動しているので、衰えがない。気象庁も今後の進路を確定できないでいる。
以前から旅行の計画を立てていて、8月6日の昼に福岡空港に到着する便を予約してある。微妙になってきた。変更するなら3日前である。ホテルの予約の変更もあるからだ。マイレージの予約変更は、初めての経験である。
  

Posted by okina-ogi at 16:07Comments(0)日常・雑感

2017年07月29日

一期一会(?)のゴルフ

ゴルフと言うスポーツは、イギリスで生まれた。会員制で特定の人としかプレーができない。今もメンバー、ビジターと受付で区分されている。通常4人でのプレーになるが、料金は、割り増しになるが、2人でも可能である。さすがに、一人では予約ができない。そう思っていたら、インターネット予約だが、「1人予約」というのがある。但し、「2人予約」にならないと成立しない。
この場合、相手は未知の人である。ゴルフの習慣からすれば、違和感があるのだが、人との出会いは、何かのきっかけである。ご縁ということで、その後のお付き合いができることもあるかもしれないが、同じ趣味のゴルフを楽しみましょうということである。
とは言え、緊張感もあったのか、クラブ1本の忘れ物をした。次のゴルフの時に気付き、ゴルフ場に連絡したら保管してもらえていた。忘れられないゴルフ体験になった。こうした一期一会のようなゴルフも慣れれば気にならなくなるだろう。平日にプレーができる、リタイヤした、高齢者にとっては、ラッキーな制度かもしれない。
  

Posted by okina-ogi at 15:58Comments(0)日常・雑感

2017年07月25日

『韓のくに紀行』 司馬遼太郎著 朝日文芸文庫



日本と朝鮮半島の関係は、古来より密接な関係がある。日韓併合があって依頼、感情的にしっくり行かない関係になっている。仏教伝来も朝鮮半島経由だったし、古代の先進的技術は、半島から流れて来たと言って良い。
65歳になった節目に、九州旅行を思い立った。唐津から伊万里、有田、平戸を旅先に選んだ。佐世保、長崎は候補地からはずした。時間的余裕がないということもあるが、九州北岸の地に絞った。その中に、前から一度訪ねてみたかった、歴史的遺跡がある。豊臣秀吉が、朝鮮出兵の前線基地として築いた名護屋城跡である。
文禄・慶長の役というが、適当な文献がない。遠い過去の歴史を学術的に調べて見るつもりはない。書棚を眺めていたら、この本が眼に留まった。目次を見ると、文禄・慶長の役に触れている箇所がある。その中で、「降倭」という文字に関心が留まった。秀吉軍の中で降伏した兵士が、朝鮮に留まり朝鮮人として生きた。佐賀の焼き物のルーツは、朝鮮人の陶工だということもある。不幸な歴史から生まれた異国に生きた人たちに関心が向いた。司馬遼太郎の『街道を行く』シリーズは全巻読んだわけではないが、久しぶりに司馬節の文章に触れた。夏の旅の良い参考文献になりそうである。紀行文を書いてみたい。
  

Posted by okina-ogi at 11:22Comments(0)書評

2017年07月08日

『菜根譚』 洪自誠著

社会事業家であった、後藤靜香の全集で、この本の存在を知った。最近、蔵書の整理をしていたらこの本が出てきた。少しは読んでいたのだろうが、あらためて読んでみた。1996年の版で徳間書店から出版されたものだ。口語文の訳本である。
洪自誠は、明王朝時代の人である。日本では、織豊時代から徳川の時代に移る頃の人である。官吏であったかもしれないが定かではない。江戸時代の後期になって、前田藩の儒者が紹介し広く読まれるようになった。学術書ではないが、短い処世訓が並んでいる。なるほどと思う指摘が多い。文も短い。著者の倫理観は、中国の古来からの宗教的、道徳的要素が背景にあるが、現世で得た経験知でもある。
日本の政治家や実業家の愛読書になっているらしい。田中角栄、松下幸之助といった人達である。「手柄は人にやれ。泥は自らかぶれ。敵を減らせ」などと角さんは言っていたが、手本はこの本だったのだろう。松下幸之助の『一日一話』にも当然反映されている。実行できるかは別として、口ずさむだけでご利益があるかもしれない。無欲、向上心、謙譲という資質があれば申し分がない。
  

Posted by okina-ogi at 10:13Comments(0)書評

2017年06月24日

『人間 吉田茂』塩澤実信著 光人社



戦後の日本の宰相として吉田茂の評価は高い。政治家の本を今はほとんど読まないが、好んで読んだ時期があった。古本として再読した本が、本著である。吉田茂は、外務官僚で、戦後総理大臣になった時は、67歳であった。年齢的にも、政党人でもなかった、吉田茂が、宰相になることは、敗戦後という特殊事情があった。公職追放によって、首相候補が次々に資格を失い、吉田茂に白羽の矢が立ったのである。
吉田茂の実父は、高知の政治家であったが、吉田茂は、生まれて間もなくに吉田家の養子になり、養父が実業家で成功し、40台の若さで無くなったため、11歳で、今日で50億円という莫大な遺産を引き継いだ。大磯に旧吉田邸があるが、それも遺産の一つである。その遺産は、一代で使い果たしたというから凄い。
A級戦犯として絞首刑になった広田弘毅も外務官僚であったが、開戦前に首相になったことが、吉田との政治家としての明暗を分けた。ただ、吉田茂は、一貫して親英、親米で多くの政界の要人との人脈も築いていた。三国同盟には終始反対であり、松岡洋介とは考えを異にしていた。開戦後も、終戦工作をする気骨もあった。投獄されたこともあった。こうしてみると、吉田茂が戦後の日本の舵取りを任されたのも納得がいくのである。
著書のタイトルが、人間吉田茂となっているが、なるほどと思わせる、数々のエピソードが紹介されている。二つ三つ拾ってみる。いずれも機智とユーモアが感じられる。一つは、昭和天皇に冬の日「吉田は寒くないかね」と声をかけられ「吉田は懐が暖かいので寒くございません」と答えた。陛下が、分かりかねていると、侍従長の説明で、大笑いされたという。さらに、選挙演説などは嫌いで、得意でもなかったが、これも冬の日に演説していた時の話である。吉田茂は、外套を纏って演説を始めた。聴衆から「マントくらいは脱げ」と声がかかると、「これは街頭(がいとう)演説である」と応じた。最後は、吉田茂は富士山が好きで晩年は、富士の見える大磯で暮らしたが、英国王女夫妻が訪ねてこられた時に「富士山の頂上はいつも雲がかかっていて、姿が見られないのは残念です」と言うと、吉田は、「富士は自分より美しい人に眺められると、はにかんで顔を隠すのです」と応えたという。
  

Posted by okina-ogi at 14:38Comments(0)書評

2017年06月20日

妙義ふるさと美術館



現在、富岡市の市立美術館になっているが、平成の市町村合併の前に建設され開館している。当時は、妙義町であった。妙義山を背景にした高台にあって眺望が良い。近くには、日帰り天然温泉もあり、ちょっとした寛ぎのゾーンになっている。
館内には、妙義山を描いた作品が並んでいる。四季を描いていて見事である。「妙義山を描く絵画展」が企画され、第35回の会を重ねている。地味ながら、こうした行政の文化活動は、評価してよい。維持管理に税金は使われているが、必要経費と考えて良い。
昭和から、平成に移る時、竹下内閣でふるさと創生事業として、全国の市町村に1億円が配られたことがあった。使い道は、市町村が考えることになっていて、使途も問わないことになっていた。榛名町は、町民に事業の案を募集した。私も募集に応じたが、知るか知らずか、妙義町の発想が根底にあった。榛名山を描いてもらい、審査に通った作品を町が所有し、美術館建設は後回しにしても良いから、優秀作品を公立の建物に飾り、小中学校には巡回展示したらどうかという案だった。賛成が2票あったと、町の広報誌にあったが、結果的には公園整備に一億円は使われた。米百俵のように、時間をかけた文化事業に投資するのは、勇気がいるのかも知れない。
  

Posted by okina-ogi at 11:19Comments(0)日常・雑感

2017年06月13日

『増補版 上野三碑を読む』 熊倉浩靖著 雄山閣 1800円(税別)



著者から、新著を贈呈された。増補版とある。それにしても、前著の出版から日が経っていない。内容も深化している。そして、著者のテーマである『上野三碑』は、世界記憶遺産の登録に向けて進展しているようだ。地味なテーマだが、歴史的、文化的側面を考えると、重要なテーマに違いない。
前著にない項目に、碑の書体を取り上げている。文字の内容は、もちろん研究中心に置かれて当然だが、あらためて、三碑の書体を眺めて見ると味わい深いものがある。漢字の普及の黎明期に、地方にあって、これほどの個性的な文字が石に刻まれたことは、驚きである。中国の宋の時代には、「石刻遺訓」が知られているが、石に刻まれた文字は、長く残ることに加え、刻んだ人の気持ちも、人柄も伝えられることを実感した。著者の、碑の研究の時間を越えた探求は続くが、実際に碑を訪ねてみたいと思う。山上碑と金井沢碑は近そうなのでハイキングコースになりそうである。著者の住まいに近いので、時間が許すなら、ガイドしていただきたいものである。
  

Posted by okina-ogi at 11:58Comments(0)書評

2017年06月07日

三方良しの精神



梅雨前線が近づく中、今は梅の収穫の最盛期である。梅の産地としては、和歌山県が知られているが、群馬も梅の産地である。榛名山麓の南面も梅林が広がっている。我が家も、兼業ではあるが梅農家である。青物なので、出荷は、販路がないと大変である。市場に出荷すれば良いのだが、市場までは距離がある。
農協には加入せず、小さな梅組合に加入して、共同出荷している。食品会社が、産地の近くに漬け梅工場建てて久しい。主な出荷場所になっている。他にも漬け梅業者があり、出荷している。ただ、価格もまちまちで、選果した梅の大きさに違いがあり、どこを選ぶか迷うことになるが、基本的には、業者の納品依頼にあわせることになる。そこで痛感するのは、生産者は価格を決められないということである。中には、生産者に過度な要求をする業者もある。依頼条件に合わせて出荷したところ、受け付けない業者もある。泣く泣く生産者は、規格外ということで安く納品することになる。個人であれば、これを限りにお付き合いしなくとも良いが、組合となればそうも行かない。しかし、信頼関係が第一なのは、どこの世界でも基本である。悪徳業者のレッテルは貼っていないが、こうした業者は淘汰されるに違いない。三方良しの精神が大事である。生産者、買い手、消費者の三者にとって。
  

Posted by okina-ogi at 11:11Comments(0)日常・雑感

2017年05月25日

心の壁

アメリカのトランプ大統領が、メキシコからの不法移民を防ぐために、メキシコ国境に壁を造ると発言すると、ローマ法王は
「壁を造ろうとばかり考える人は、それがなんであれ、橋を架けようと考えない人は、キリスト教徒ではない」
と釘をさした。
それに対して
「バチカンは、100パーセント巨大な壁で囲まれているではないか」
とトランプ陣営から反論があった。
数年前、バチカンを観光で見学したが、入場の時のチェックは大変厳しかった。カソリック教徒の総本山であれば、当然とも思った。
トランプ大統領も、万里の長城より長い壁を本当に造ろうと考えているのかは疑問である。お金が準備できない可能性が大である。
ローマ法王とトランプ大統領が会談し、親和的な雰囲気の中でに終了したようだ。
橋を架けると言えば
「我太平洋の橋とならん」
と言った、新渡戸稲造の言葉を思い出す。高邁な精神から出た言葉である。
キリスト教徒であっても、時には必要上物質的な壁を造っても良いが、異教徒には、心を開かないという心の壁は造ってほしくない。教徒でない人から見れば、よく言えばファミリィー的だが、風通しが悪い印象がある。教義は狭義になりやすい。その点、お伊勢さんなどは解放的である。ただ神域はある。京都御所の塀もその程度のものである。
心の壁を造らないためには、知を働かすよりは、情を働かすことだと思うのだが、最近の世界の天気マークを見ると情(晴れ)の国より知(曇りや雨)の国が多くなっているように見える。日本は、本来情の国である。
  

Posted by okina-ogi at 15:45Comments(0)日常・雑感

2017年05月24日

『第二芸術』 桑原武夫著 講談社学術文庫

20代で俳句を創る習慣ができたので、桑原武夫の俳句の「第二芸術論」とは何かに眼を通してみたいと思っていた。リタイヤしたら比重をかけて俳句に取り組んでみようかと思い、この書を読むことになった。
桑原武夫といえば、文化勲章を受章するほど名高い文化人であり、大学者であった人物である。終戦の翌年、『世界』の11月号に発表している。それほど長い論文(?)ではない。多くの俳人が、反論を試みなかったというが、それが正解だったかもしれない。「毀誉は、他人の主張」それほど目くじらを立てる内容でもない。桑原武夫大先生は、デュ―イのプラグマティズムが肌に合うようだ。それに俳句はお好きではないというより関心が薄いようである。心の世界は深く、短い俳句にその世界を表現することができるということを想像しにくいと考えて居られるようだ。
  

Posted by okina-ogi at 17:14Comments(0)書評