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2019年09月29日

俳句自選(金木犀)



我が家には、樹齢が10年を超える、金木犀がある。
その独特な香りは数十メートル先でもわかる。
この金木犀の花の香りで秋の到来を感じる。
花が咲いている期間は短く、その香りも消えてしまう。
ベランダに腰掛けて本を読んでいたら、秋風にのって良い香りがしてきた。
秋風もさわやかで、振り返ると、金木犀が咲いている。
花は咲き始めで小さい。

何の香と振り返え見れば金木犀
  

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2019年09月26日

俳句自選(秋明菊)



群馬県川場村に、吉祥寺という古刹がある。
寺は山裾にあるのだが境内は広く、庭には季節にあった花が植えられ、鑑賞することができる。
大きな池もあって枯山水の風情も素晴らしい。
友人たちとハイキングのつもりで立ち寄ったのだが、この寺がメインだった。
ある程度、俳句に親しむ人間にとって植物の名前は知っているつもりだが、今まで目にしたことのない白い花が咲いていた。
        
      秋明菊古刹の庭に咲き揺れる

同行した友人に名前を教えてもらったのだが、一変にこの花が好きになった。今は、家の庭に白と紫の花を咲かせている。
  

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2019年09月08日

「近代の秀句」水原秋櫻子より(鮠)



私の俳句の師である秋池百峰先生は、村上鬼城の句を評して、豪速球の投手だと言った。蒼古の趣きがあるとも言った。高崎市の公園に句碑もあって、群馬を代表する俳人である。もともとは鳥取の人で士族である。群馬に移り子沢山の鬼城は代書屋、今で言う行政書士のような仕事をしていた。生活は貧しかった。利根川の支流の烏川の近くに住んでいて、川辺を散策することもあった。構想の大きい(大自然を詠む)俳句を信条とする鬼城にも繊細な句もある。
     
鮠(はえ)釣りの夕日に流す細江かな

鮠はハヤ、ハヨ、ウグイなどと呼ばれ、鬼城の時代は多くいた。日が暮れるまで、釣り糸を垂れるだけ魚も多く釣れるのだろう。繰り返し繰り返しを上流に釣り糸のついた竿を投げる。鬼城も足を止めてみている。釣り人は一人ではない。連れた場面も見たに違いない。
囮鮎流して水のあな清し    飯田蛇笏
という句もある。
  

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2019年09月02日

俳句自選(百日紅)

 

家を新築し、造園業の友人のアドバイスを受け、玄関方面は和風に、庭は洋風にした。
築山というほどではないが、石を使い風呂場から見ると気持ちの良い眺めができた。
榛名山も借景になっている。
築山の前は車1台が止められるスペースがあり、その横を歩道にした。
銀杏の木は枝を詰めて、ノウゼンカズラを植え、銀杏に絡ませようと思ったが、友人は木槿と百日紅を植えた。
木槿は植樹の翌年には花をつけたが、百日紅は木も成長しない。
けれども3年目には見事に花をつけた。
驚いたのは、枝が伸び、家との間にアーチができた。
この調子だと屋根まで届くのも時間の問題だ。
  百日紅主驚く枝の伸び
  

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2019年09月01日

俳句自薦(蜻蛉)



  9月になった。梅雨のような曇の日が続いているが、暑い日が戻るだろう。
9月は暦の上では秋である。
雑草に穂が出て、刈り取らないと翌年が大変である。
そんな草むらから虫の音も聞こえてきて秋の実感がしてくる。
秋といえば蜻蛉である。
赤とんぼなどは童謡の題材になっている。
家の庭は芝生なっていて、刈り込みに手間がかかる。
作業が終わり芝生に置いた石の上に腰掛けてると、数匹の虫が頭の上を飛び交っている。
「もしかして蜂?」。
テラスの軒の下に巣ができている。
除去したいが、素人には難しい。
スズメバチではないのでそのままにしている。
よく見ると蜂ではない。
飛び方でわかる。
         秋茜行きつ戻りつ陽を浴びて
  

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2019年08月19日

年賀の俳句

 ここ数年、年賀はがきには自分の俳句を書き送っている。その年の新年の俳句は不可能である。以前に作ったものになる。
    御下りも亦良き朝の道すがら

正月の句は少ないので、冬と春の句なら、年賀状の句として違和感はないだろう。
12月に作ったものにすれば良い。今は、8月だが、元号も変わった。
  令和なる安けき年始祈るらん
ご挨拶文のようだが、年賀状そのものが挨拶状だから、許していただくことにする。
  

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2019年08月02日

俳句自選(蜩)

30度を超える暑い日が続いている。
上州名物の雷、夕立もして、すっかり梅雨が開けたことを知らせている。
そして、長い間地下で過ごした蝉たちも鳴きはじめた。
なかでも蜩の鳴き声?は、梅雨明けにふさわしい。
しかも、夕方のものが良い。遠い昔から鳴いている感じがする。
暑気払いに、焼き肉でビールも美味しい。
    
    蜩の宴深まる中にあり
  

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2019年07月21日

俳句自選(蝉)

  中曽根康弘元総理の菩提寺は、高崎市の里見の光明寺にあって、句碑がある。
 昏れてなお命の限り蝉時雨
政治家らしい句だと思った。
光明寺は、また、茶道の千家の先祖の奥津城があることでも知られている。
参道の脇に伝教大師の像もある。
古く格式のある天台宗の寺である。
  

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2019年07月12日

俳句自選(飯盛山)

 長男の運転で会津に行ったことがある。
戊辰戦争で、会津藩は悲劇の藩になった。
白虎隊として未成年も戦いに加わり、城が炎上していると思い込み隊士は、自らの命を絶った。
その飯盛山に行き、慰霊した。季節は、夏だった。
白虎とはこの世におらず夏木立
墓碑並ぶ会津は緑深き中
  

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2019年07月10日

俳句自選(夏木立)



  京都の宇治といえば、平等院が有名だが、宇治川の対岸に、宇治上神社がある。
神社の古い建築様式を残しており、世界遺産になっいる。
祭られているのは、中央が応神天皇。右側が仁徳天皇。
そして左側が菟道稚郎子命である。
父である応神天皇に皇位を継ぐように遺言されていたが、辞退し、異母兄である仁徳天皇に譲った。
兄も皇位を父の遺志として知っていたので受けようとしなかった。
皇位が空位となっては困るとと思い、菟道稚郎子命は命を自ら絶たれてしまった。
近くには、御子の稜もある。
    父君も兄君もいて夏木立
  

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2019年07月04日

俳句自選(遠雷)



遠雷は、夏の季語である。
遠雷というタイトルで曲があった。
映画もあるようだ。
今はパソコンで聞いたり見たりすることができる。
音楽だけでも一度聞いてみようと思う。
子供の頃養蚕農家だったので畑に桑を切りに行った思い出がある。
桑には実があって、「どどめ」と呼んで食べた思い出もある。
今は、養蚕農家もすっかり減って桑畑をみることも少ない。
     夏蚕(なつご)飼う人もあるらし桑畑
畑で刈った桑は、リヤカーに乗せて運ぶのだが、遠くの空に黒雲が見え、雷の音がする。
親子で家路を急ぐが、木々の揺れるのがなんとも気持ち悪い。
    遠雷にあたりの木々の騒ぎおり




  

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2019年07月03日

俳句自選(緑陰)

鎌倉といえば鶴岡八幡宮に参拝するのがお決まりである。
創建の頃からの銀杏の木が倒れたのは、残念だが新しく銀杏の木が植えられたが、どれほど成長したか見ていない。
友人数人と鎌倉に行ったのは古い銀杏があった時だから10年以上前のことである。
鎌倉幕府が倒れ、室町幕府に移る間に、南北朝の時代があった。
足利尊氏に対し後醍醐天皇が対立した。
天皇の御子に護良親王がいる。
征夷大将軍となって足利軍と戦いに破れ、洞窟のような場所に幽閉され、命を落とされた。
     緑陰に洞なお暗し鎌倉宮
鎌倉宮は明治天皇が創建した。
  

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2019年06月30日

俳句自選(我が家の夏椿)

 

 夏椿の句は以前にも紹介した。我家の庭は芝生になっていて中央に夏椿が植わっている。ベランダに腰掛けて読書をしていると、ぽと、ぽとと夏椿の花が落ちる。芝を刈った後なので、落ちる花がとりわけ目に入る。翌日、夏椿の根元を見ると、夏椿の花が装うように散っている。儚く散るからこその慰めのような気がした。
    
    夏椿己が根元を飾りおり
  

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2019年06月29日

俳句自選(夏雲)



荒海や佐渡に横たう天の川
紀行文『奥の細道』に出てくる、芭蕉の句である。
佐渡に渡りたかったに違いないが、荒海では如何せん無理である。
現代では、佐渡汽船があって簡単に島に渡ることができる。
良寛さんや美味しい海産物があり、幾度となく出雲崎や寺泊に足を運んだ。
良寛さんの生き方に感ずることがあり、2度良寛記念館を訪ねている。
出雲崎の良寛さんの屋敷があったところに像があり、佐渡に向かって座っている。
母親は佐渡の人である。
「海は荒海向こうは佐渡よ・・・・・・・」山田耕筰の詞も人口に膾炙している。

佐渡のあるあたり夏雲かかるのみ
  

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2019年06月27日

俳句自選(梅の実)

   6月は、梅の収穫の時期でもある。
群馬県は、生産量が県別で、和歌山県についで多い。
梅の木の枝の間に頭を入れて採るのだが、青い梅だと、葉の色と区別がつかず、なれないうちは収穫するのが大変だ。
天気も6月は晴れ間も少ない日が多い、
自然と梅もぎは、上を向いて作業するので、空の様子が気になる。
      梅をもぐ空の青さの定まらず
  

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2019年06月25日

俳句自選(枇杷)



小学生低学年の時だったと思う。
家の裏側に枇杷の木があった。
子供の背より高くどうしても取れない。
子供の知恵では、ただ見上げるばかりである。
年上の近所の子供が来て、良い方法を教えてくれた。
竹竿の先を割って、そこに棒を挟み、枇杷の枝をひねると簡単に竹竿の先に挟まった。
なんとも言えない喜びと美味さに、新居の庭に枇杷を植えた。
毎年たくさん実をつけるが子どもたちはとって食べようとしない。
お金を出せば美味しい果物は食べられる。
でも、苦労して採った思い出と味はわからないだろう。
       枇杷の実や幼き頃の空の色
  

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2019年06月22日

俳句自選(青葉・鯉のぼり)



長崎は、原爆の悲劇を思い浮かべるが、風光明媚で史跡もあり3度訪ねている。
彫刻家の北村西望の作品は、爆心地に近く威厳があった。
    四季を座す今は青葉の平和像
近くには、浦上の聖人と言われた永井隆博士の如己堂や、浦上天主堂がある。
藤山一郎が唄った歌謡曲「長崎の鐘」を小声で歌いながら散策した。
青空を見上げながら涙が頬を伝わって落ちた。
亀山社中に両馬を訪ねた。今はもう取り壊されてない。
風頭公園という高台に、竜馬の像があって長崎の港を見つめている。
近くに鯉のぼりが泳いでいた。
    鯉のぼり竜馬の像と海を見る
  

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2019年06月21日

俳句自選(薫風)

旅好きで、全国各地に足を伸ばした。


山下清画伯のように放浪癖に近い旅もあった。
日本の全県に目的を持って踏み入れようと考えたのは50歳を過ぎてからである。
その時、訪ねたことのない県は、4県だった。
沖縄県、秋田県、徳島県、そして宮崎県である。
最後に残った宮崎県には友だちがいるわけではない。
わざわざ高い旅費を使って行くほどのこともないと考えたが、職場の人が良いところがありますよと教えてくれたのが、西都原古墳群である。さいとばると読む。
宮崎市からバスで行った。
まるで、奈良の明日香のようなところだった。
説明書きを見ると、神武天皇以前の神代の時代の痕跡と推測される。
    西都原神代の声を薫風(かぜ)に聞く
古墳群だけ見るのも物足りないと思い、平和の塔も訪ねた。
戦前に建てられたもので、八紘一宇と書かれている。
敗戦のとき占領軍が撤去しろと言わなかったのが不思議である。
  

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2019年06月18日

俳句自選(夏椿)



我が家の前庭は芝になっていて、中央には夏椿が植わっていて、白い花が次々に咲いている。
枝に咲いている期間は短かく、何か儚い感じがする。
植樹してくれた植木屋さんが、「沙羅は芝生に合う」と言っていたので、お釈迦様が悟りお開いたという、祇園精舎の沙羅かと思ったが違う。
日本では茶花として重宝しているようだ。
夏椿の花の散り方を哀れと感じるか、潔いと感じるか、どちらもあってよいのだが、65歳近くになって俳句にした。
行蔵という文字もあり夏椿
行蔵は、出処進退の意味である。
  

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2019年05月21日

俳句自選(春雨)

もう春雨という季節ではないが、しっとりした感じが春雨にはある。
「春雨じゃ、濡れて行こう」と一言言ってみたくなる気持ちもよく分かる。
春雨を詠んだ句は多いが、なんと言っても芭蕉の
   春雨や蓬を伸ばす草の道
だろう。生命の息吹、それを助ける恵みの雨である。
 京都には、たくさんの寺があるが禅宗の寺が多い。
京都駅から歩いて行ける距離に東福寺がある。
藤原氏ゆかりの寺である。一度訪ねたことがある。
春雨が降っていた。
   春雨を梢に宿し東福寺
雨粒が梢から落ちないのでそう思ったのだろう。
  

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