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2017年10月14日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)5

当時の募金趣意書が残っていた。原案は、田原さんが書いた。一部、理事長が加筆している。
 (軽費老人ホームB型設立趣旨書)
 「ついこの間まで人生五十年と言われていたものが、今や七十五歳となり、殆どの方が老人になるまで生きられる時代になりました。これはまことに喜ばしいことですが、言い換えれば二十五歳から働き始めて五十五歳の停年まで三十年間働いた後、この三分の二の長さのある二十年間という長い老年期があることになるのです。この期間を如何にすごしてゆくかということは人生の重大問題と言えないでしょうか。この期間は『子供が面倒見てくれるから』という漠然とした考えは、身体の自由がきかなくなった時、家族から見放されてしまうという結果になりかねない。これは、私達が永年お年寄りの世話をしてきた結果得た多くの実情なのです。
(中略)
(軽費老人ホームB型に生活すら方々が)健康で生きがいのある生活をして一日でも長生きをして頂くための付帯施設として諸設備を完備した福祉サービスセンターを同時に計画したわけであります。『終わりよければ全てよし』人生の幸・不幸は老年期にあると言っても良いでしょう。
(以下略)」
として、募金を呼びかけているのである。
さらに話は、現在の有料施設に及ぶ。
「この健康型の有料老人ホームの入居者が、さらに一時金を負担しなくて入れる介護施設があると良い。介護保険の負担金も含め、十五万円程度の月額負担で入れる有料施設があればね」
という話題になった。
「あなたが希望すれば最後までお世話します」
という法人の理念に沿っていないというのである。
  

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2017年10月13日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)4

「僕は、この保養所の患者だったんです。一年近く療養したかな。その施設が白雲寮(昭和二十五年完成)だったと思います」
田原さんは、療養の後、少し保養所のお手伝いをして、郷里に帰り、再就職を考えていたが、保養所の経理の仕事を頼まれ、正式に従業員になった。患者から職員にというケースが多かった。そこからは、家族的な親密な人間関係が生まれる。
 田原さんは、二十年程財団法人となって医療施設として発展していくこの組織の事務に係り、創設者である理事長の経営を支えた。昭和五十年には、創立から二十年近くになった社会福祉法人の総合事務所の事務長に就任した。社会福祉法人の理事長は、財団法人の理事長が兼務したが、結核撲滅の使命を終え、老人問題に情熱を傾けていた。新任事務長に、大きな事業が待ち構えていた。
 軽費老人ホームと有料老人ホーム、食堂を兼ねた高齢者の健康研修センターの建設である。この施設群は、利用料の補助はない有料の老人施設の先駆けである。最初に構想されたのは、年金で入居できる施設で、ウィーンで視察した施設がヒントになった。軽費B型で建設の補助があった。ところが、オイルショックと呼ばれた時代、建築資材も急騰し、建築の予算が組めなくなった。この時、どのような判断に迫られたのかを田原さんに聞いてみた。
 「東京に出て、諸事情でこの事業を断念することの説明会を開催した。資金の不足が明らかだったから。でも、説明会に集まった人たちから中止しないでほしいという声が強く、募金して資金を責任を持って集めるからという声に押され建設が始まった」
「自己資金として募金が集まったのですか」
「いや集まらなかったのです」
「建設会社に支払いはできたのですか」
「大阪の会社で、関東に進出すると言う理由で、安く工事を引き受けてくれたり、工事費の支払いも猶予してくれたのです。そうした幸運が無ければ実現していません」
軽費老人ホームに続き、有料老人ホームの建築は、予約希望者が待機しており予定通り建設できた。さらに、食堂部分として高年者開発センターを船舶振興会の補助で落成することができたのである。健康で介護が必要ではない施設群が誕生した。昭和五十一年のことである。
  

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2017年10月12日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)3

創立から三十年を経過したこの財団法人の航空写真が、「三十年史」の見開きの最初にある。この写真には、創立当時の一部建物は除き、ほとんどの建物が残っている。三十年間、あらゆる方面の資金を得て増改築をしてきた歴史が映し出されている。創立当時の敷地から県道安中榛名湖線を越えて、榛名山側に用地を拡大し、戦後立てられた病棟に加え、財団法人から枝分かれした社会福祉法人の高齢者施設も立ち並んでいる。県道の舗装の真新しさが印象的で、この先には、この財団の経営者の一人が、重度の障害者の施設を建設した。皇太子夫妻が、この施設を訪問されたのは舗装完成後であった。
 この航空写真よく観てみよう。県道の左側が結核保養所の発祥地であり、戦前から建てられた建物が残されている。しかし、財団法人の建物は、全て社会福祉法人に寄付され、養老施設(養護老人ホーム)の建物になっている。ただ、准看護学校の建物は、財団所有であり、報公館は、職員住宅になっている。
 県道の右側を見てみよう。宗教施設としての教会と、修道院の建物があるのが眼を引く。キリスト教の経営理念が基本にあることがわかる。昭和三十二年に設立された社会福祉法人の事業として、日本で第一号となった軽費老人ホームと昭和四十四年に建築された特別養護老人ホームの真新しい平屋の鉄筋の建物がある。隣接して、社会福祉法人の本部事務所がある。その北側に、保養所の直系の財団法人の病院群があるが、本院は木造の建物になっている。事務棟に隣接してバルナバ寮(昭和二十六年完成)があり、榛名山に向かって廊下が延び、聖母寮(昭和二十七年完成)、フランシス寮(昭和三十一年完成)が繋がっている。そのさらに北側に二階建ての鉄筋のリハビリテーションの病棟(昭和四十二年完成)が見える。建物だけを見てみると、結核保養所から病院へと歩みを進めた財団法人は、老人福祉のための社会福祉法人に比重を移したように見える。
田原さんの思い出を追ってみよう。

  

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2017年10月10日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)2

この保養所は、昭和二十五年に財団法人として認められる。昭和十三年から財団認可の年までを旧約聖書の創世記としよう。保養所の建物の歴史である。緑野寮でたった一人の住宅棟から保養所は、スタートした。次に新生寮が落成。定員十二名になった。昭和十五年には、従業員宿舎、調理場、食堂として報公館が完成。さらに寄贈者による八坪の療養棟が完成。昭和十六年からは、太平洋戦争で増床計画は頓挫したが、高原寮の寄贈があった。
 戦後間もなく、政府は結核撲滅五か年計画を立てた。国の補助金を使い、増床することにした。補助金は、建築費の二分の一と決められていた。残りは、自己資金である。療養する患者さんの利用料から捻出するだけでは足りない。浄財も募ることになる。政府系金融機関からの借入れが必要になる。そのため、建築を自前で行うことにした。従業員の中に、建築士の資格を持つ者もおり、大工経験のある者もいた。そのため、ほとんど補助金以外の費用が必要なく完成した。これは、おかしいと会計検査院の指摘することになった。正直に事情を話し、自前の部分の経費を算出し、支出資料を提出したところ
「法律上は、五万円の返還金が必要」
と言われたが、結局は返還せずに済んだ。不正がなかったからである。
この、国の補助金を使い、建てられた木造の病棟は、南向きで病棟の間には、銀杏の木その他の落葉樹が植えられていた。小さい時に、病棟を見舞った記憶もある。高原のサナトリウムという感じがあり、白衣の看護師さんの清潔さを印象的に覚えている。外来棟で火傷の治療をしたこともあった。中学生だった気がする。

  

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2017年10月06日

『暗黒日記』清沢洌著 岩波文庫


1942年の12月9日(日米開戦の1年目の翌日)から書き始め、終戦の年1945年の5月5日で終わっている。空襲が激しい中、江戸、東京の大火の歴史を綴っている。戦争を煽ったジャーナリストの代表格として徳富蘇峰をあげている。戦争遂行者、東条英機の太鼓もちとまで言っている。軍人では、末次信正、政治家では中野正剛、右翼では頭山満、笹川良一などの名前をあげて批判している。逆に交友があった人物として、芦田均、吉田茂、広田弘毅、石橋湛山、緒方竹虎の名前がしきりに登場する。小林一三、藤山愛一郎などの財界人、正宗白鳥、長谷川如是閑とは親しい関係にあったようだ。とにかく人脈が広い。経済的にも恵まれており、軽井沢に別荘を所有し、戦時中でもゴルフを楽しんでいた。アメリカに長く住んでいたから、合理主義であった。それよりも、自由主義と平和主義は筋金入りで、軍人や官僚の形式主義や封建主義を嫌っていた。戦時中は、言論界から政府権力に警戒され、遠ざけられていた。この日記は、日本の敗戦を意識、戦後をどうするか、そのための資料として書き残そうと考えたのである。清沢洌も愛国者であったのである。皇室への崇拝は、徳富蘇峰と同じであるが、戦後の象徴天皇観がある。亡くなったのが55歳と若い。
  

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2017年10月05日

映画『晩春』小津安二郎監督 松竹映画



高崎の古い映画館で、『麦秋』(小津安二郎監督)を見てから、小津作品を見たいと思うようになった。子供に相談したら、DVDをレンタルして、自宅のテレビで見られるというので、早速見たのが、『晩春』である。あれあれと思ったのが、『麦秋』と同様に、北鎌倉駅が映し出されている。昭和24年の作品で、終戦直後でもあり、空襲を免れた、鎌倉は、古きよき日本の風景が残っていたから、ロケ地になったことは納得できる。原作は、広津和郎の小説『父と娘』である。淡々と語られる、親子の会話。家の中の風景。鎌倉の風景。現代人が見れば、眠気を誘う構成である。しかし何ともいえない情感が漂っている。父親は、娘の結婚を心配する。娘は、父親の一人暮らしを心配する。父親の嘘が決定的になり、娘は結婚することを決める。嘘とは、後妻を貰うという話である。能を鑑賞する場面と帰り道を父娘が歩く場面が、記憶に残る。父役の笠智衆と娘役の原節子のコンビである。次は、『東京物語』を観ることにする。
  

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2017年10月04日

ある結核保養所の歩み(建築の歴史)1

「風立ちぬ、いざ生きめやも」という堀辰雄の小説に出てくる言葉であるが、結核と言う病気は、死をいつも意識しつ不安な心境を心に宿すことになる。堀辰雄がこの小説を軽井沢で書き上げたのは、昭和十二年の十二月であった。その翌年の昭和十三年の十月に榛名山の南麓に結核保養所が生まれた。
 小説『風立ちぬ』で若き女性が療養するサナトリウムも高原にあった。結核菌の感染も考え、患者が清涼な空気を吸える環境として高原は、結核保養所に適した場所と考えられていた。時は流れ、この榛名山麓の保養所は病院となり、高齢者の施設を併設している。高齢者には、やがて訪れる死も意識され、結核とは違うが「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉を意識させる。こうしてみると、安心して暮らせる住環境を八十年近い今も提供し続けているのである。
 あえて名前を出さないのだが、この結核保養所を創設した人物は、結核体験者であった。数年にわたる結核の療養を親族の愛に支えられ、見事回復し、同じ病気に苦しむ人々のための保養所を始めたのである。感染を恐れる周囲住民の反対、生活の糧になる水の確保にも苦しんだ。法制度も十分ではなく、経営が大変だったことは、昭和四十四年に発刊された法人の「三十年史」から読み取れる。
 創立者は、既に他界し、創立の当時を知る人は、ほとんどいない。戦後間もない頃に、従業員となり、保養所から枝分かれした、社会福祉法人が経営する有料の施設の入居者になっている九十歳を過ぎた方の思い出の中に結核撲滅のために働いた人々の奮闘を垣間見ることにした。取材する関係で、田原さんとしておこう。もちろん、偽名である。ご本人に不都合な体験を聞くわけではないが。
  

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2017年09月26日

禁煙のその後

8月1日から始めた禁煙は、継続している。もう2か月近くなる。こんな長い禁煙は初めてである。何となく吸いたいと思う瞬間もあった。友人が目の前でタバコを吸っている時。お酒を飲んで気分が明るくなった時。食後。旅先で喫煙できる部屋に泊った時。朝目覚めた時等々。『やめたんだから』と心の中で呟くだけで吸わないで済んでいる。
もうひとつは、ゴルフの費用の捻出のこと。8月は2回、9月は4回ゴルフを決行。費用が安かったので何とか予算の範囲に収まっている。ところが、原因不明の肩こりというか、背中が重い感じに悩まされるようになった。9月末になって、何ともいえない不快感は薄らいできたが、何かをやめることへの言い知れない不安から来る欝症状ではないか疑うようになった。こういうところは、心理学を齧った専門馬鹿の思いつきだと思いたい。ただ、何かに執着しているということだが、退職を決意したことが原因していることに気付いた。何か未練もあり不安がないと言ったら嘘になる。
やめなければ始まらないこともあると考えたい。自分にあったことをやるしかない。お金、健康も大事だが、孤独になるという心から離れるようにする。
  

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2017年09月09日

青春18切符の活用


夏に発行された青春18切符を活用して宇都宮に行った。市内散策と名物餃子を食べる日帰り小旅行である。朝高崎を経ち、両毛線で小山に行き、乗り換えて宇都宮で下車。帰りは、大宮で乗り換え高崎に夕方着く。通常の乗車券だと5000円近くになる。綴りにはなっていないが1回分が2370円だから半額で旅行が出来たことになる。お得である。ところが、一人欠席者が出て、1回分が残ってしまった。身内や友達にプレゼントしても良いと思ったが、有効期間も迫っていて使ってもらえない。自分で使うしかあるまいと考え考えたのが以下のコースと青春切符の活用法である。ルール違反にはならない。
往路は、高崎7:04―8:19大宮8:27-9:29宇都宮9:32-10:22黒磯10:27―11:30郡山11:39-12:25猪苗代
野口英世記念館と生家を訪ねます。目的地に3時間滞在。温泉も含めます。
そう考えて、帰路は、猪苗代14:42-15:01磐梯熱海16:02―16:19郡山。ここまでが青春18切符。
郡山で大宮までの東北新幹線の自由席特急券と乗車券と家族のお土産を買います。
郡山17:30-18:22大宮
ここで在来線に乗り換え青春18切符が使えます大宮18:47-19:59高崎。
高崎で下車しても24時までは使えるので、切符は記念品になります。
自宅に戻る最終バス20:30に間に合います。
旅行日は、明日9月10日日曜日。有効期間の最終日。若い時なら全区間青春18切符だが、無理はしません。鉄道の実質費用は、8310円也。
  

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2017年09月07日

映画「関ヶ原」鑑賞



天下分け目の戦い。西軍は石田三成。東軍は徳川家康。勝利したのは徳川家康だった。原作は司馬遼太郎の小説である。その文章の一部がナレーションで流れていた。関ヶ原は、新幹線で通り過ぎることが多いが、在来線で現地に行ったことがある。資料館があって、その戦いの様子をパノラマで解説していた。両軍の布陣した位置が示されているが、この地図を見た日本陸軍の指導に当たったメッケルは、西軍の勝ちと断定したほど攻めるのに有利な場所に布陣している。資料館から少し歩くと、笹尾山の石田三成の陣地に旗がたなびいていたのを覚えている。この戦いで敗れた西軍で必死に戦ったのは、石田三成はもちろん、大谷吉継、宇喜多秀家、小西行長であった。あらためて人物を知ることができたが、宇喜多秀家のように逃亡し、80歳以上の人生を生きたケースがあったのには、驚いた。石田三成も逃亡したが捕縛され斬首されている。島左近も石田三成の配下で勇猛に戦ったが戦死している。その軍が取り囲まれ、槍で刺されて殺されていく場面は、悲惨というより残酷すぎる。ワーテルローの映画でフランス軍が包囲され次々に銃殺される場面を思い出した、救護場でも容赦なく殺戮があったし、苦悶して倒れている兵士も止めを刺されて行く光景も辛い。政権を得るためにこうした戦争による殺戮があった時代について考えさせられた。
  

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2017年08月18日

映画「麦秋」鑑賞



8月17日、高崎城址のお壕に近い、高崎電気館で、小津安二郎監督の作品「麦秋」を観た。高崎電気館は、映画館としては、廃業して久しいが、建物が高崎市に寄付されたのを契機に、市が映画会を企画したのである。作品といい、上映場所と言い、まるで青年時代に戻った感じがした。しかし、高崎電気館のあたりは、すっかり人出が少なくなっている。近くの中華料理の店で夕食を済ませ高崎電気館へ。
入場者も10名そこそこ。これでは、経営として成り立たないが、問題は映画の内容である。松竹映画だったのである。松竹の富士山も懐かしい。配役が紹介される。皆鬼籍の人である。主演の原節子も数年前に亡くなっている。
舞台は、北鎌倉の原節子(紀子)の兄夫婦の家である。父親夫婦、紀子も同居している。そこに、奈良から紀子の父親の兄が訪ねて来ている。紀子の甥2人は、小学生である。毎日の暮らしの人間模様が淡々と描かれている。戦後間もない頃の鎌倉や、江ノ島が映し出されている。そうした自然描写と、バックに流れるメロディーが心に響く。
紀子の結婚の問題がテーマになっているが、親子兄弟が皆心配しているのは今以上だが、本人の意思が一番決めてなのは、今も昔も変わらない。紀子は、子連れの戦争で無くなった兄の友達の勤務医に嫁ぐことを決める。勤め先の上司から紹介された縁談は、断った。
友達の淡島千景(アヤ)がからかう。夫になる兄の友達は秋田に赴任することになっている。都会育ちの紀子が秋田弁を話す様が信じられないというのだが、二人の会話が見事な秋田弁になっているのである。少ない観客から笑い声が漏れた。
映画「麦秋」のタイトルの象徴的場面は最後にあった。奈良の旧家の前に一面の麦畑が広がっている。カラーではないので麦秋の色は、想像しなければならない。それよりも、旧家のバックの山は、すぐ耳成山とわかった。すばらしい日本の風景である。とつとつと語られる老夫婦の嫁送りの会話も良い。しかり、名作である。
  

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2017年08月15日

映画「麦秋」

小津安二郎監督の映画が、終戦記念日を前後して上映されるという新聞記事を見た。上映場所は、高崎市柳川町にある「高崎電気館」。そんな映画館があっただろうかと捜してみると「天華堂」という本屋さんの近くである。最近は、車社会になったこともあるのか、街中商店街が淋しい限りである。しかし、このあたりは、高校時代の懐かしい思い出が詰まっている。
映画「麦秋」は、小津作品として名作らしいが、見ていない。1951年の上映というから生まれる前である。白黒のフイルムで、時代を感じさせる。仕事が終わったら、路線バスを使って観に行こうかと思ったが、駐車場も近くにあるようだ。7時からの上映なので近くの古くからの食堂があったらそこで腹ごしらえをしても良い。ちょっとした、過去帰りの体験が出来そうである。
  

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2017年08月05日

禁煙チャレンジ


禁煙に何度かチャレンジしているが、タバコはやめられないでいる。海外旅行などは、断煙しているが、国に戻れば喫煙者になる。喫煙が健康に悪いという指摘から、社会が禁煙の方向に向いて動いている。受動喫煙の問題が大きい。他人の迷惑になることは、原則しない主義である。
旅行に行く機会が多く、飛行機に搭乗する時のチェックなど煩わしく感じている。久しぶりに札幌に行った時、市内にタバコが吸える場所がほとんどなかった。日本の代表的観光地である京都も同じようなことが言える。友人と喫煙できる部屋に泊まったが、どうぞ吸ってと言われても気がひける。できたら、禁煙したいと思った。
8月になってポストに「介護保険証」と「年金請求書」が立て続けに届いた。65歳の誕生日をきっかけに禁煙してみることにした。今日が5日目である。なんとか、禁煙できている。こう考えたのである。年金生活者になれば、収入は減る。タバコは結構高い。1ヶ月1万円以上かかる。そのかわり、月に2回ゴルフをしよう。最近は、1人予約という方法がある。家の近くには、幸運なことにゴルフ場が多い。どちらかと言えば、知的な禁煙だが長続きするか。
  

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2017年08月02日

台風迷走



7月の21日に、南鳥島付近で発生した台風5号は、2週間近く経つのに太平洋上にあって西北にゆっくり向かっている。勢力も強く、温度の高い海上を移動しているので、衰えがない。気象庁も今後の進路を確定できないでいる。
以前から旅行の計画を立てていて、8月6日の昼に福岡空港に到着する便を予約してある。微妙になってきた。変更するなら3日前である。ホテルの予約の変更もあるからだ。マイレージの予約変更は、初めての経験である。
  

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2017年07月29日

一期一会(?)のゴルフ

ゴルフと言うスポーツは、イギリスで生まれた。会員制で特定の人としかプレーができない。今もメンバー、ビジターと受付で区分されている。通常4人でのプレーになるが、料金は、割り増しになるが、2人でも可能である。さすがに、一人では予約ができない。そう思っていたら、インターネット予約だが、「1人予約」というのがある。但し、「2人予約」にならないと成立しない。
この場合、相手は未知の人である。ゴルフの習慣からすれば、違和感があるのだが、人との出会いは、何かのきっかけである。ご縁ということで、その後のお付き合いができることもあるかもしれないが、同じ趣味のゴルフを楽しみましょうということである。
とは言え、緊張感もあったのか、クラブ1本の忘れ物をした。次のゴルフの時に気付き、ゴルフ場に連絡したら保管してもらえていた。忘れられないゴルフ体験になった。こうした一期一会のようなゴルフも慣れれば気にならなくなるだろう。平日にプレーができる、リタイヤした、高齢者にとっては、ラッキーな制度かもしれない。
  

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2017年06月20日

妙義ふるさと美術館



現在、富岡市の市立美術館になっているが、平成の市町村合併の前に建設され開館している。当時は、妙義町であった。妙義山を背景にした高台にあって眺望が良い。近くには、日帰り天然温泉もあり、ちょっとした寛ぎのゾーンになっている。
館内には、妙義山を描いた作品が並んでいる。四季を描いていて見事である。「妙義山を描く絵画展」が企画され、第35回の会を重ねている。地味ながら、こうした行政の文化活動は、評価してよい。維持管理に税金は使われているが、必要経費と考えて良い。
昭和から、平成に移る時、竹下内閣でふるさと創生事業として、全国の市町村に1億円が配られたことがあった。使い道は、市町村が考えることになっていて、使途も問わないことになっていた。榛名町は、町民に事業の案を募集した。私も募集に応じたが、知るか知らずか、妙義町の発想が根底にあった。榛名山を描いてもらい、審査に通った作品を町が所有し、美術館建設は後回しにしても良いから、優秀作品を公立の建物に飾り、小中学校には巡回展示したらどうかという案だった。賛成が2票あったと、町の広報誌にあったが、結果的には公園整備に一億円は使われた。米百俵のように、時間をかけた文化事業に投資するのは、勇気がいるのかも知れない。
  

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2017年06月07日

三方良しの精神



梅雨前線が近づく中、今は梅の収穫の最盛期である。梅の産地としては、和歌山県が知られているが、群馬も梅の産地である。榛名山麓の南面も梅林が広がっている。我が家も、兼業ではあるが梅農家である。青物なので、出荷は、販路がないと大変である。市場に出荷すれば良いのだが、市場までは距離がある。
農協には加入せず、小さな梅組合に加入して、共同出荷している。食品会社が、産地の近くに漬け梅工場建てて久しい。主な出荷場所になっている。他にも漬け梅業者があり、出荷している。ただ、価格もまちまちで、選果した梅の大きさに違いがあり、どこを選ぶか迷うことになるが、基本的には、業者の納品依頼にあわせることになる。そこで痛感するのは、生産者は価格を決められないということである。中には、生産者に過度な要求をする業者もある。依頼条件に合わせて出荷したところ、受け付けない業者もある。泣く泣く生産者は、規格外ということで安く納品することになる。個人であれば、これを限りにお付き合いしなくとも良いが、組合となればそうも行かない。しかし、信頼関係が第一なのは、どこの世界でも基本である。悪徳業者のレッテルは貼っていないが、こうした業者は淘汰されるに違いない。三方良しの精神が大事である。生産者、買い手、消費者の三者にとって。
  

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2017年05月25日

心の壁

アメリカのトランプ大統領が、メキシコからの不法移民を防ぐために、メキシコ国境に壁を造ると発言すると、ローマ法王は
「壁を造ろうとばかり考える人は、それがなんであれ、橋を架けようと考えない人は、キリスト教徒ではない」
と釘をさした。
それに対して
「バチカンは、100パーセント巨大な壁で囲まれているではないか」
とトランプ陣営から反論があった。
数年前、バチカンを観光で見学したが、入場の時のチェックは大変厳しかった。カソリック教徒の総本山であれば、当然とも思った。
トランプ大統領も、万里の長城より長い壁を本当に造ろうと考えているのかは疑問である。お金が準備できない可能性が大である。
ローマ法王とトランプ大統領が会談し、親和的な雰囲気の中でに終了したようだ。
橋を架けると言えば
「我太平洋の橋とならん」
と言った、新渡戸稲造の言葉を思い出す。高邁な精神から出た言葉である。
キリスト教徒であっても、時には必要上物質的な壁を造っても良いが、異教徒には、心を開かないという心の壁は造ってほしくない。教徒でない人から見れば、よく言えばファミリィー的だが、風通しが悪い印象がある。教義は狭義になりやすい。その点、お伊勢さんなどは解放的である。ただ神域はある。京都御所の塀もその程度のものである。
心の壁を造らないためには、知を働かすよりは、情を働かすことだと思うのだが、最近の世界の天気マークを見ると情(晴れ)の国より知(曇りや雨)の国が多くなっているように見える。日本は、本来情の国である。
  

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2017年05月23日

群馬テレビ見学




群馬テレビに勤務する友人の紹介で、前橋市にある群馬テレビを見学した。群馬県を対象地域にした、テレビ放送事業を行っており、設立されたのは昭和45年である。出資者は、群馬県、前橋市や、群馬県内の民間企業である。設立当時の建物なのでエレベーターはない。屋上には電波塔が立っていて、榛名山にある送信所と送受信をしている。普段は、関係者以外立ち入り禁止の場所のようだ。アンテナは、確かに榛名山に向けられている。
予約の午前10時前に玄関から入ろうとすると、ドアがロックされている。入り口脇にある内線電話で来訪を告げると、職員がドアを開けてくれた。このあたりが、テレビ局の特殊性だと思った。不特定多数の人間が簡単に出入りできるようにはなっていない。
応接間に通され、友人から資料を貰い、説明を聞いてから、建物内を見学させてもらった。放送機器がいっぱいあって、実際には見たことがないが、原子力発電所の制御室のようである。ニュース番組の収録をしていない時間帯であったので、スタッフの人に撮影を案内してもらった。照明器具、カメラが備えられている。キャスターの席に座らせてもらい、出演気分にしたって記念写真を取らせてもらった。
見学の感想を求められたが、「勉強になりました」という平凡な感想しか言えなかったが、これからは、地元のテレビ局の番組を見てみようかという気になった。敷島公園のバラ園が近いので、薔薇を鑑賞して帰宅についたのだが、三十度を超える暑さに、「花よりカキ氷」となってしまった。家で群馬テレビを見ると、ニュース番組があり、バックは、今日座った場所であり、バラ園も取材されていた。
  

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2017年05月17日

とろろ汁



高級なのか質素な食べ物なのか、さてや健康食なのか。有料老人ホームの食堂で昼食を食べているので、ときたまとろろ汁が出る。麦飯ご飯に山芋を擦って出汁で溶いたものをかけるのだから「麦とろご飯」という言い方が正しいのかもしれない。
静岡に友人がいて、美味しい「麦とろご飯」の食べられる店に連れていってもらったことがある。丁子屋という店で、江戸時代から続く老舗だという。良く調べてみると、広重の東海道53次の浮世絵に描かれている。安倍川を越えて山間にある小さな店である。鞠子宿の中にあった。
梅若菜まりこの宿のとろろ汁


芭蕉の句である。昨日、たまたま山本健吉の俳句読本を読んでいたら、この句に出会ったのである。有名な句なのであろうが、芭蕉を良く調
べているわけではないので、初めて知った句と言って良い。良い句だなと思う。弟子に宛てた、挨拶句と説明にはある。梅と若菜の季語を重ねてよろしくないなどとは思わない。秋に掘りあげた山芋は、この時期でも十分保存が聞く。美味しいかもしれないと思う。
  

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