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2019年03月09日

俳句鑑賞(水原秋櫻子選)

梅の花が咲き始め、春到来という季節になった。田畑の土も春雨に湿って、日に照らされているのを見ると春の気分になる。
   春の土人の情緒に触れてくる
という句を作ったことがあるが、歳時記を見て赤面した。春の土という季語がそう意味なのである。感性は正しいが、季語を説明したのでは俳句にならない。水原秋櫻子が、『俳句のつくり方』で最初に解説している句は
   かたまって薄き光の菫かな     渡辺水巴
芭蕉が山路で目にしたのも薄き菫だった。なにやらゆかしという感慨を述べているが、上句は近代俳句の写生句である。かたまって咲く菫に薄き光と表現したところが春らしさを感じさせる。どちらも名句だと思う。
  

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2019年02月09日

御堀端の風景

 
  
  高崎の城址公園の御堀端を歩いていたら、数羽の小鳥が桜の枝にとまっているのを見た。野鳥についての知識がないので、雀ではないことがわかるが名前を確定することができない。2羽は飛び去り1羽が堀の水を飲んだ。桜の枝が池の面に近く垂れ下がってくちばしが届いたのである。ほんのわずかの時間のできごとである。俳句にしたいと思うが、冬の鳥とするしかない。灰色で細身の鳥、仲間と一緒に行動する鳥だったというスケッチで色づけができていない。
  冬鳥が枝ををつかって御堀の水を飲む。これを削って俳句にしたい。いつか、できるかもしれない。それで良い。無理に作るほどの感動や驚きの風景でもないから。
  

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2019年02月08日

『落語教師』 蛭川幸茂著

 大河ドラマ「いだてん」は毎週欠かさず見ている。BSで6時から放映しているので2回見ることもある。人物が躍動している。ビートたけしも味を出している。このドラマの世界から旧制高校を連想した。長野県には、松本高校があった。今も、県(あがた)の森公園に建物が保存されていて、パネルなどで当時の様子がわかるようになっている。コーヒーも飲める。7年前位に息子の運転で見学したことがあった。そこに、置かれていた本が、この本である。値段がついていないので、非売品だと思ったが、1000円くらいで購入できた。「落語教師」というタイトルに関心をもった。
読んでみると、実に面白い。最近書棚からとりだして「いだてん」と同じように2回読んだ。自伝というのは、読者を意識するもので、評伝のほうがまだましかと思うのだが、赤裸々な内容に引き込まれる。自慢話もあるが失敗談もある。普通自慢話は面白くないのだが、この人の真心が伝わってくるのである。蛭川さんは、東京帝大の数学科を卒業したら、船頭にでもなろうと本気で考えていた。神経衰弱と家が貧しいことも無関係でなかった。松本高校への就職は、主任教授の紹介だった。北杜夫の推薦文がある。
 「これほど天衣無縫な人生の記録も少ないであろう。蛭さんは旧制松本高校の名物教授であった。旧制高校の消滅と共に、村の小学校のせんせいとなり、その教え子が大学に入るまで見守り世話する道程は、今の世の形ばかりの教育とはまったく異なる。ベラボーに面白く、破天荒なこの記録は、世の教師や学生やその親たちに、目を洗う気持を起こさせるに違いない。常に青春を呼び寄せる、ひたむきで野性的な純粋な魂がじかに伝わってくるからだ」
北杜夫も辻邦生も蛭さんの教え子である
。  

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2019年02月07日

「俳句のこころ」阿波野青畝著 角川書店

著者は、耳に障害(難聴)がありながら、アララギを主催する高浜虚子に見出され、山口誓子や水原秋桜子、高野素十と同様に高弟になった人である。奈良県の出身で
   塔見えて躑躅燃えたつ山路かな
   さみだれのあまだればかり浮御堂
   葛城の山懐に寝釈迦かな
などの句がある。師である虚子に写生に関して異論を唱えたことがある。写生より写実、写生に主観が入ることの肯定である。「春風夏雨」は、岡潔の著書である。岡の言うところに共感して
「つまり自然はこころの働きでわかるのである。だから自分のこころを、受け入れるべく美しく至純な状態にもってゆきたい念願になって。句を作るときの写生は、外部に対立しないで、自分のものである自然を情緒であたたかく包もうとする働きのことである」と。そして、たゆまない美の追求であり、悠久への誘いがある。作句の喜びなのである。
  

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2019年02月02日

「宿命に生き宿命に挑む」 橋本五郎著 藤原書店 2600円(税別)



  久しく読書慾がなくなって、雑誌を拾い読みする程度だったが、定期的に高崎駅の中にある書店に行くようになって、この本を手にするようになった。今までも作家の本を読んで来たが、新聞記者出身のものが良いという感覚を持っている。直木賞作家から国民的作家になった司馬遼太郎は産経新聞の学芸部の記者だった。歴史小説もだいぶ読んだが、紀行文が面白かった。そのせいか、二番煎じのような紀行文を少冊子にして友人知己に読んでもらった。
  昔、「天声人語」を読んで、新聞記者の知識と見識に驚いたことがある。我が家は毎日新聞だから「余録」だが、最初に読むようにしている。政治記者のコラムも面白い。故人にのなった、岩見隆夫の「近聞遠見」も時の政治家の取材からの人物評が面白かった。高邁な思想より政治家の人柄を巧みに調べてスケッチしている。御用学者でないところも良い。
  橋本五郎は、読売新聞の記者だった。コメンテーターとしてテレビにも出演している。柔和な人柄から、核心をついた発言に、感心することが多い。著書もあるだろうと思ったが、調べて見る気持ちがわかなかった。本屋で、まえがきを読み、索引を見て購読することにした。その中で、ジャーナリストとの3要件あげている。「健全な相対主義」・「適度な懐疑心」・「鳥の目と虫の目」である。まだ、半分も読んでいないが期待どおりの本である。
  

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2019年01月21日

天地人

  大河ドラマ「西郷どん」も終了した。最終回は、敬天愛人だった。西郷さんが好んで揮毫した言葉でもあり、人生観である。天を敬い、人を愛する。実行できる人は稀である。だから、目標でも良い。「天地人」という言葉がある。人は天の下、地の上に生きている。秋に結婚した二人がいた。花向けのつもりで俳句を贈った。
      天地人黄菊白菊出会う時
 菊花展に行くと、三本に幹を仕立て、大輪を咲かせる鉢が多く出品されている。花の高さが違うようになっている。高いのが天ということになるののだろう。白菊もあり黄菊もある。ひらがなが一つという句も珍しい。
  

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2019年01月20日

俳句鑑賞

 丘の上にある我が家からは、榛名山が連なっているのが見える。日常目にしているがなかなか句にならなかった。春になると、麓から若葉が頂きを目指し、やがて靑山になる。山が若葉になった時、「山笑う」という季語があるが、この場合、「萌える」を使い
    頂きを目指し木の葉の萌え出づる
としたが写生文のようで深みがない。
  季節が夏を過ぎると、頂から紅葉が始まる。秋の季語で「山粧う」がある。
    麓にも紅く装う峰の使者
装う峰で季語としているが、問題ないか自信がない。麓でもまばらに紅葉する木があっって、麓の紅葉の先駆けになっている。それは、頂からの使者だと感じたのである。この句のほうが、ロマンチックな感じするが、技巧的匂いがしなくもない。
  

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2019年01月16日

芭蕉晩年の句を考える




芭蕉が亡くなったのは大坂御堂筋にあっった、弟子の家だっった。近辺を散策し、石碑でもあるか探してみたがついとわからなかった。芭蕉がこの地に来たのは、弟子の 仲違いのためだっったといわれている。体調を崩し、病床に伏すようになる。下痢がひどく、死を意識するようになる。結果的に、辞世の句なっったが最後の句は多くの人知るように
      旅に病んで夢は枯野を駆巡る
であるが、死ぬほどではないが体調を崩したときに、脳裏に過去の情景や近い将来のやらねばならぬ課題が消えては浮かぶのは、体験するところである。季語が「枯野」としたところが芭蕉の人生観である。人生は、死へ向かう旅であると。
この句前に詠んだのが
     秋深き隣は何をする人ぞ
であるが、後世の俳人が、寂しさを感じたが。見も知らない人に想いを寄せたと感じた人もいる。私は後者である。人生は旅で、多くの旅をして紀行を書いているからである。
  

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2018年01月04日

アレキサンダーの征服領地の広さの秘密

20歳から、父親の暗殺と言う悲劇から、マケドニアの王位につき、10数年でインドの一部領域、エジプトを含め、ローマ帝国も為しえなかった東方の征服ができたのは、奇跡と言って良いのだが、統率した精鋭部隊の実力と、アレキサンダーのリーダーシップ。いわゆる、日本式に言えば「我は諸子の先頭にあり」という戦い方。そのために、何度も傷ついて命拾いをする。そのアレキサンダーを守る親衛隊が優秀だった。ペルシャの大軍に何度も勝てたのは、ペルシャ王が今川義元のような御仁と言ったら言い過ぎかもしれないが、決断の無さと、勇気の無さに助けられる。そして、ペルシャの内政をまかされた地方官をそのままとりこんだこと。但し、税収や軍事は任せなかった。それと、もっとも賢明だったのは宗教に寛容だったことであった。本国の政治を負かされた、父親世代の忠臣がいたことも見落とすことはできない。  

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2018年01月02日

アレキサンダー大王(塩野七生『ギリシア人の物語』より)

塩野七生は、『ローマ人の物語』を、長らくライフワークにして書いてきたが、ここ数年は、『ギリシア人の物語』を年に一度のペースで書いている。3年目である。どうも、あとがきらしいエッセイを読むと、歴史大作はこれで終了という感じである。『ローマ人の物語』からの読者からすると、最後は、物足りない感じがする。一人の若者の英雄伝になっている。33歳という年齢で、これだけの大征服を成し遂げたことは、世界史の軌跡に違いない。都市国家ギリシアが衰退した後に、同じギリシアであるが、マケドニアという小国、しかも王国から20歳のアレキサンダーは、東征を開始したのである。父親が基礎を築いたとはいえ、兵力も財力も十分であったわけではない。歴史のブラックホールという感じがする。
  

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2017年12月23日

『ギリシャ人の物語』 塩野七生著



明日から読みます。青春切符で浜松へ。車内読書です。読みきれるでしょう。  

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2017年12月16日

下山の風景

 五木寛之の『孤独のすすめ』の中に「下山の醍醐味」という章があった。新鮮な響きを感じた。一休さんではないが、『わけ昇る麓の道は異となれど同じ高嶺の月を見るかな」と思い、人生は上り詰める旅だと思っていた。肉体は、衰えるのだが、心のようなものは向上するかとも今も思っている。特に「情」の働きは。私事になるが、40代後半から旅日記を書くようになった。振り返って読んでみると懐かしい。その時の心情が髣髴されてくるからだ。年寄りの特権として思い出が沢山出来るといった、友人の心理学者の言葉は若いときに聞いているが当たっている。下山の風景がそれであろう。頂上には、至っていなくても、かなり標高が高いところに来ている。足元に注意しながら、天候にも気をつけて、下山の風景を楽しみたいと思う。一緒に下山してくれる人がいたら最高だろう。男女問わずである。  

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2017年12月13日

『孤独のすすめ』 五木寛之 中公新書 740円(税別)

 

青春、朱夏、白秋、玄冬。学生期、家住期、林住期、遊行期。作家、五木寛之は、人生を区分して考えるのがお好きなようだ。人によって節目はあると思うが参考にしている。幕末の志士で吉田松陰は、30歳も満たない人生を終えたが、短くも長くも人の人生には四季があると言った。彼の場合は、刑死であったが、そう思いつつ人生を終えた。『留魂録』を残した。
 五木寛之は、85歳である。あのふさふさとした髪とダンディーな顔は、とうてい85歳と言う歳を感じさせない。玄冬、遊行期真っ只中と言って差し支えない。しかし、文章を読む限り林住期という感じがする。『青春の門』続編も書いているらしい。好きな作家の一人である。大いに先人訓としてご高説拝聴したい。
  

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2017年12月12日

『投資なんかおやめなさい』 荻原博子著 新潮新書 760円(税別)



 良くテレビでお見かけする女性。家計の遣り繰りなどに庶民の味方というスタイルが印象的。苗字が同じなので関心もあったっが、本を購入して読むほどののことはなかった。タイトルが刺激的だったので、久しぶりに新書を書店で買った。経歴を見ると、出身が長野県である。長野県には荻原と言う苗字が多い。
 通読した印象は、ちょっと極端すぎはしませんかということである。銀行などでめったにお金を借りたことはないが、何にか取引でもするときは、手数料がかかる。住宅ローンでお世話になったことはあったが、繰上げ返済して銀行に借金はない。今、銀行は、融資で利益を稼げない状況になっているのはよくわかる。投資向けの商品を進めていることも事実である。確かに手数料は高い。
 ならば、自分で良く調べて商品を購入したら良い。投資信託、株式などでは、インターネットで証券会社に講座を開けば購入することが出来る、手数料は安い。ただ、自己判断が原則。『投資も少しはやって御覧なさい』くらいの本も書いてみてはいかがでしょう。
ただ、こういう事はいえる。働く、あるいは、労働した分は減らない。サラリーと言ったら良いのか。商売はお金が増えるとは言い切れない。/span>  

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2017年11月29日

『水原秋櫻子全集』第20巻

古典研究1という内容になっていて、与謝蕪村の句が季節に分類されて鑑賞されている。知らない句がほとんどであるが、春の句に、「よき人を宿す小家や朧月」というのがあった。選者である秋櫻子は、ありふれた句として高い評価を与えていない。一昨年から、離れを作って一人暮らしが始まった。と言っても子供や、元飼い猫も訪ねて来るので、庵にもなっていない。来客用の和室があって、いつも使わないでいる。何人か泊まっていただいている。春の来客ならこの句がぴったりなのだが。
旅をした中でできた句がある「長旅の果ては朧月夜なり」
  

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2017年11月21日

『宮沢賢治』 佐藤隆房著 富山房

宮沢賢治の伝記だが、初版は昭和17年である。宮沢賢治が亡くなったのは、昭和8年なので、草野心平らの評価、尽力により世に知られるようになった頃なので、この本が元になり、後の宮沢賢治の人物像が固定し、また賢治論が深まれていったと思われる。37歳という短い人生であったが、深さがあり、4次元的という広がりがある。
40年近い宮仕え(老人福祉)を終え、農民になる時、宮沢賢治に学ぶことが多いに違いない。農学の基礎はないが、大地の恵みに感謝できる感性は、兼業であったために継続して残っていると思う。童話は書きたいが、紀行を基軸としたエッセイは、かけるかもしれない。
  

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2017年10月28日

『一葉舟』岡潔著 角川ソフィア文庫

「閑雲野鶴空濶く 風に嘯く身はひとり
月を湖上に砕きては ゆくへ波間の舟ひと葉
ゆふべ暮鐘に誘はれて 問ふは山寺の松の風」
土井晩翠の『天地有情』の「星落秋風五丈原」の一節である。舟ひと葉を引用して『一葉舟』として本のタイトルにした。その気分は、いかに。
一方、旧約聖書の「創世記」にノアの方舟の話が出てくる。このイメージの違いはなんであろうかと考えてしまった。

  

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2017年10月26日

『鴎外の坂』 森まゆみ 中公文庫 895円+税



久しぶりに谷中から千駄木、本郷あたりを散策した。東京は、坂が多いと聞いていたが実感できた。特に森鴎外の自邸観潮楼のあった団子坂は舗装されているが、急坂だということがわかる。観潮楼は、燃えてないが、その跡地にモダンな文京区立の森鴎外記念館が建っている。うっかりすると通り過ぎてしまう記念館らしからぬ外観をしている。
作家の森まゆみの本は、一冊読んでいる。大正3美人の一人とされる、林きむ子を紹介した本である。森鴎外の住んでいた近くに生まれ、この界隈の土地に愛着を持った作品が多いことを知った。鴎外について書かれているが、津和野から明治の初めに家族と東京に出てきたのは、墨田区で鴎外の家が御殿医だったために、藩主の亀井邸に移り住んだのだという。江戸時代からの老舗、長命寺桜餅が近くにある。その後、町医として千住に父親が開業し、その後千駄木の借家に住む。後に夏目漱石も住んだ家で、今日、明治村に保存されている。鴎外を通して明治の東京が浮かんでくるような本になっている。

  

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2017年10月14日

『白秋愛唱歌集』藤田圭雄編 岩波文庫



北原白秋の詩は、曲となり、多くの人々に親しまれている。童謡もあり、歌謡曲もあり、歌曲もあり幅広い。好きな曲が多い。拙ブログの「心に浮かぶ歌」にも紹介している。重複するが、あらためて取り上げてみる。歌と作曲者を紹介する。
「空に真赤な」(陸軍抜刀隊の歌)陸軍軍楽隊
「曼珠沙華」山田耕筰
「城ヶ島の雨」梁田貞
「さすらいの唄」中山晋平
「芭蕉」小松耕輔
「ちゃっきり節」町田嘉章
「帰去来」信時潔
「ちんちん千鳥」近衛秀麿
「揺籠のうた」草川信
「砂山」山田耕筰「砂山」中山晋平
「すかんぽの咲く頃」山田耕筰
「秋の野」団伊玖麿
  

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2017年10月07日

『人間中野正剛』 緒方竹虎著 中央文庫



一昨日、清沢洌の『暗黒日記』を読了したばかり。昨夜、寝る前に本棚に眼をやると、この本が眼に留まった。清沢洌とは、思想、信条もかけ離れた人物だが、気になっていた。本棚にあるのだから、少しは読んだのかもしれないと思いつつベッドに入りページを開いた。緒方竹虎と竹馬の友なのか、そして福岡県の人なのかということが頭に残り、書き出しの部分だけ読んで寝た。
太平洋戦争は、避けられなかった戦争かというのがここ数年の、関心になっていて、それなりの文献を調べている。清沢洌は政治家ではないが、石橋湛山、緒方竹虎、中野正剛は、言論人から政治家になった。中野正剛は戦争推進者だったのか。三国同盟に賛成し、ヒットラーやムッソリーニに会っているところから国粋主義、軍国主義、ファシズムに近い思想を持った人物なのかという視点は、この本から断定できない。
タイトルが人間中野正剛であり、政治家中野正剛ではないのである。中野正剛の妻は三宅雪嶺の娘である。よき家庭を築き子供にも恵まれたが、長男は、山で滑落死し、妻には先立たれ、自身も医学的ミスで片足を切除していることを知った。そうした点では苦難の人生になっている。何とも強烈なのは、東條英機を批判し、現職の議員ながら逮捕、拘束され自宅に戻った後自刃していることである。
中野正剛の尊敬する人物が、西郷隆盛、大塩平八郎だという。共に陽明学を深く学んだ歴史的人物である。知行合一の思想。このあたりが、中野正剛という人の核なのかと納得した読後感である。
  

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