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2017年06月24日

『人間 吉田茂』塩澤実信著 光人社



戦後の日本の宰相として吉田茂の評価は高い。政治家の本を今はほとんど読まないが、好んで読んだ時期があった。古本として再読した本が、本著である。吉田茂は、外務官僚で、戦後総理大臣になった時は、67歳であった。年齢的にも、政党人でもなかった、吉田茂が、宰相になることは、敗戦後という特殊事情があった。公職追放によって、首相候補が次々に資格を失い、吉田茂に白羽の矢が立ったのである。
吉田茂の実父は、高知の政治家であったが、吉田茂は、生まれて間もなくに吉田家の養子になり、養父が実業家で成功し、40台の若さで無くなったため、11歳で、今日で50億円という莫大な遺産を引き継いだ。大磯に旧吉田邸があるが、それも遺産の一つである。その遺産は、一代で使い果たしたというから凄い。
A級戦犯として絞首刑になった広田弘毅も外務官僚であったが、開戦前に首相になったことが、吉田との政治家としての明暗を分けた。ただ、吉田茂は、一貫して親英、親米で多くの政界の要人との人脈も築いていた。三国同盟には終始反対であり、松岡洋介とは考えを異にしていた。開戦後も、終戦工作をする気骨もあった。投獄されたこともあった。こうしてみると、吉田茂が戦後の日本の舵取りを任されたのも納得がいくのである。
著書のタイトルが、人間吉田茂となっているが、なるほどと思わせる、数々のエピソードが紹介されている。二つ三つ拾ってみる。いずれも機智とユーモアが感じられる。一つは、昭和天皇に冬の日「吉田は寒くないかね」と声をかけられ「吉田は懐が暖かいので寒くございません」と答えた。陛下が、分かりかねていると、侍従長の説明で、大笑いされたという。さらに、選挙演説などは嫌いで、得意でもなかったが、これも冬の日に演説していた時の話である。吉田茂は、外套を纏って演説を始めた。聴衆から「マントくらいは脱げ」と声がかかると、「これは街頭(がいとう)演説である」と応じた。最後は、吉田茂は富士山が好きで晩年は、富士の見える大磯で暮らしたが、英国王女夫妻が訪ねてこられた時に「富士山の頂上はいつも雲がかかっていて、姿が見られないのは残念です」と言うと、吉田は、「富士は自分より美しい人に眺められると、はにかんで顔を隠すのです」と応えたという。
  

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2017年06月13日

『増補版 上野三碑を読む』 熊倉浩靖著 雄山閣 1800円(税別)



著者から、新著を贈呈された。増補版とある。それにしても、前著の出版から日が経っていない。内容も深化している。そして、著者のテーマである『上野三碑』は、世界記憶遺産の登録に向けて進展しているようだ。地味なテーマだが、歴史的、文化的側面を考えると、重要なテーマに違いない。
前著にない項目に、碑の書体を取り上げている。文字の内容は、もちろん研究中心に置かれて当然だが、あらためて、三碑の書体を眺めて見ると味わい深いものがある。漢字の普及の黎明期に、地方にあって、これほどの個性的な文字が石に刻まれたことは、驚きである。中国の宋の時代には、「石刻遺訓」が知られているが、石に刻まれた文字は、長く残ることに加え、刻んだ人の気持ちも、人柄も伝えられることを実感した。著者の、碑の研究の時間を越えた探求は続くが、実際に碑を訪ねてみたいと思う。山上碑と金井沢碑は近そうなのでハイキングコースになりそうである。著者の住まいに近いので、時間が許すなら、ガイドしていただきたいものである。
  

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2017年05月24日

『第二芸術』 桑原武夫著 講談社学術文庫

20代で俳句を創る習慣ができたので、桑原武夫の俳句の「第二芸術論」とは何かに眼を通してみたいと思っていた。リタイヤしたら比重をかけて俳句に取り組んでみようかと思い、この書を読むことになった。
桑原武夫といえば、文化勲章を受章するほど名高い文化人であり、大学者であった人物である。終戦の翌年、『世界』の11月号に発表している。それほど長い論文(?)ではない。多くの俳人が、反論を試みなかったというが、それが正解だったかもしれない。「毀誉は、他人の主張」それほど目くじらを立てる内容でもない。桑原武夫大先生は、デュ―イのプラグマティズムが肌に合うようだ。それに俳句はお好きではないというより関心が薄いようである。心の世界は深く、短い俳句にその世界を表現することができるということを想像しにくいと考えて居られるようだ。
  

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2017年05月19日

『山本健吉俳句読本』角川文化振興財団編 角川書店

第一巻 俳句とは何かを久しぶりに読んだ。全五巻あるが、蔵書はこの一巻だけである。山本健吉は、著名な文芸評論家であり、近代の俳句の評論の第一人者といっても良い。文芸評論家といえば、小林秀雄もいる。巷の読書好きでは、内容が難しく、読み進めるのに苦労する点では共通している。
山本健吉の本は、我が家に何冊かあるが、そのきっかけを作ったのは、数学者の岡潔の愛読書だったからだということである。正確に言えば、岡潔のご息女の本棚に、大事に保管されていたからである。本は、芭蕉に関する評論だったと思うが、書名は思い出せない。
山本健吉の本を通じて、芭蕉の世界を岡潔は調べたという方が正しいかもしれない。山本健吉は、自分では俳句を作らないが、俳句の鑑賞には、力量がある。
 戦後、桑原武夫の『第二芸術―現代俳句について―』によって、俳句は、その存在基盤を脅かされたことがあった。俳句が、文芸でもなく、ただの趣味、道楽であれば、日本文化の一つの分野を失うことになる。「俳句とは何か」を語り、その窮状を救った評論とも言える。蛇足だが、山本健吉、小林秀雄、岡潔は、共に文化勲章を受章している。
  

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2017年05月11日

『勝負師の妻』 藤原モト著 角川書店

勝負師とは、囲碁棋士の藤沢秀行のことである。妻から見た、藤沢秀行の生き様は凄まじい。半世紀、夫婦であり続けたことが奇跡である。アルコール中毒、暴言、出奔、ギャンブルによる借金。それに加えて複数の愛人に子供を生ませている。夫婦間の落ち度は、一方的に藤沢秀行にある。
人間には忍耐と寛容があっても自ずから限界がある。藤沢夫妻が結婚したのは、戦後間もない頃だが、一般常識では、確実に離婚である。男の子3人に恵まれたが、子がカスガイになっていない。藤沢秀行は、晩年になって勲三等を叙勲しているが、本人ももらいたと思っていなかったのだから、妻が栄誉にあづかるべきだったかもしれない。
藤沢秀行の妻が、最後まで夫を見限らなかったのは、囲碁を愛し、若手棋士の育成、囲碁界の発展に無欲な情熱を傾ける姿だったと思う。
  

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2017年05月06日

『やってみなはれ みとくんなはれ』開高健 山口瞳共著 新潮文庫



開高健は、芥川賞作家、山口瞳は、直木賞作家である。この二人が、サントリーの宣伝部に籍を置いた時期があった。もともと、サントリーは、社名を寿屋といった時代から、広告には力を入れていた。
この二人が、創業者である鳥井信次郎を熱く語っている。二代目の社長佐治敬三もやり手経営者で、二人の作家の宣伝部での活動と重なっている。父親が成し遂げられなかった、ビールの開発、販売に成功している。
何といっても、日本にウイスキーが普及していく歴史を知ることができる。鳥井信次郎の執念も伝わってくるが、運もあった。大坂商人としての才覚もあったが、本のタイトルになっている「やってみなはれ」というチャレンジ精神がサントリーの今日を築いてきたと言える。最近は、ウイスキーが我が家の晩酌に加わることになった。先日友人が泊まっていったので大いにウイスキーを堪能した。
  

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2017年05月03日

『碁打秀行』  藤原秀行著 日本経済新聞社 1500円(税込み)



1993年発行である。日本経済新聞に連載された、私の履歴書をもとにしている。学生時代からの友人で静岡大学教授のS君が定年で退官するのを記念して、関東学院の教授であるSさんが将棋の大会を企画した。Sさんの友人に将棋のアマチュア強豪がいるというので対局することになったのである。会場は、Sさんの研究室。そこにあったのがこの本。Sさんは、大の将棋愛好家であるが、なぜか囲碁の棋士の本があった。遠方からわざわざ訪ねてくれたとこの本を頂戴した。
『野垂れ死に』という藤原秀行の本を読んでいるので、彼の生き様は知っている。あらためて読んで見ると、破天荒な人生である。生まれた時から驚きである。父親は69歳、母親23歳の時の子供である。父親は、江戸時代の生まれである。
飲む、打つ、買うという無頼な人生過ごしたが、彼を慕う人は多かった。傍からは不健全な生き方に見えるが、憎めないのである。囲碁に対しては真摯であり、囲碁を終生愛した。普通、50歳を過ぎれば、タイトルなどは獲れないものだが、秀行(シュウコウ)先生は、棋聖位6連覇の偉業を為した。アルコール中毒を克服しての勝利でもある。晩年は、ガンとも闘った。書の古典を開き、多才な面を見せた。著のタイトルも彼の文字になっている。奥様が書いた本もある。勝負師の妻は、どんなことを書いているのだろう。
  

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2017年04月28日

『美酒一代』 杉森久英 毎日新聞社



昭和41年が初版である。写真は、新潮文庫から出版されたものである。サントリーの創始者鳥井信次郎伝である。現在、日本経済新聞に「琥珀の夢」が連載されている。執筆しているのは伊集院静である。鳥井信次郎の生涯を小説化している。
NHKの朝ドラで、竹鶴政孝を主人公にした番組「マッサン」で日本でのウイスキーの歴史に関心を持った。余市まで工場見学に行った。このドラマにも、鳥井信次郎が登場する。サントリーの山崎工場で実際にウイスキーを製造したのは、竹鶴政孝であったが、経営者は、鳥井信次郎である。学生時代、京都にいたので工場を見学したことがある。
ウイスキーは、本場スコットランド以外で製造するのは、至難とされた。事業としても経営が困難と考えられていた。彼の周囲の実業家や、会社の経営者からの反対もあったが、苦難を経てやり遂げることになる。夢を現実にしたのも凄いが、金儲けだけの実業家だけではなく、社会貢献もしている。サントリーは今日でも一流企業である。同族会社であるが、一族以外から社長が生まれ、世間からも注目されている。
  

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2017年04月26日

『ルポ税金地獄』 朝日新聞経済部 文春新書 780円(税別)



フェイスブックの友人から紹介された本。ほとんど、日常税金のことは、無意識に過ごしているが、世の中、税金を無視しては生きられない。過度な関心は、我が人生観ではないが、基本的なことは知っておこうと思って読んでみた。
本を読み進めていくと、新潟県湯沢町のリゾート開発に触れている。テーマになっているのは固定資産税である。市区町村に入る税金で湯沢町の税収になる。馬鹿にならない金額である。マンションの所有者が払うが、定住している人は少ない。税金を滞納している人も多く、問題になっている。今年退官したが、財政学が専門だった友人の名前が出ていたのには驚いた。先年、リゾートマンションに一緒に泊まったことがあった。
30年ぶりに家を新築し、固定資産税と向き合った。市役所に行って、固定資産台帳の写しももらった。4月は、無料で見られる。良く見れば、課税の内容もわかる。土地の評価額は、将来の相続税の元になる。こちらは、国税になる。意識すれば意識するほど、生活のあらゆるところに税金が掛けられている。この本とは別に、税の基本的な仕組みを学ぶために、ファイナンシャルプランナーの通信講座を学んでいる。「タックスプランニング」という科目がある。
  

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2017年04月18日

『風蘭』 岡潔著 角川ソフィア文庫 821円



岡潔のエッセイが最初に出たのは『春宵十話』であった。自ら執筆したと言うのではなく、口述筆記によるものであった。次に出版された『風蘭』も口述筆記による。昭和52年2月に、友人に誘われて、奈良の自宅の一室でお会いし、話を聞く機会があった。強烈な印象として残り、岡潔の書籍を求めたが、当時ほとんどの書が絶版になっていて購入することができなかった。古本屋の店頭を探したが見当たらなかった。
出版から50年近くなって、復刻版が出るようになった。『風蘭』もそうである。日本の将来への心配、とりわけ教育の問題が語られている。良い子を育てるにはどうしたらよいか、自分の孫の生い立ちを調べながら、大自然の働き{造化}があることを確信していく。今回の春雨忌で、この本に登場する洋一さんに初めてお会いした。明るいお人柄で良いご家族を築いている。禅僧と母親の話、飼い猫ミルとの別れの話は、心に残る。
  

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2017年03月21日

「私の履歴書」



日本経済新聞を購読してから長いが、「私の履歴書」欄は、一面より先に読むことにしている。月に一人の人物が紹介される。3月は、美術収集家のジョー・プライスである。1月がカルロス・ゴーンだったので、今年になって二人目の外国人の登場である。近年になって、江戸期の画家、若冲の展示会が好評を博している。若冲ブームを引き起こしたのは、プライスの収集が大いに貢献している。
外国の人が、日本の、しかも江戸時代の日本画の虜になるのも驚きだが、記事を読むうちに納得がいった。プライスは、自然に対する関心が若いときから強かった。しかも、帝国ホテルの設計者として知られる、ライトとの出会いもあった。
美術品を収集するには、財力も必要である。彼の父は、パイプラインを建設する会社で財を成したことが大きい。兄とともにその会社で働き、美術品の購入できる資金は、遺産だけではなかった。彼は、美術品だけではなく、伴侶も日本から手に入れている。当然親日家である。親日家というよりは、高齢になって日本に国籍を移した日本文学の研究者、ドナルド・キーンは「私の履歴書」に紹介されていない。文化勲章受章者でもある。94歳の高齢でもあることだから、早く登場させてもらいたいと思う。
  

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2017年03月02日

バルテノン神殿と彫刻群



ギリシアのアテネ市のアクロポリスの丘に建つバルテノン神殿は、今から2500年前の建築物だというから驚く。その設計の技術が、この時代に確立されていたことや、写実的な彫刻が施された神殿だったという、芸術性も驚異的である。その巨大さから見て莫大な資金と長い月日が費やされたことは、想像に難くない。
この時代、珍しくアテネは平和な時代であった。古代の民主主義も確立し、ペリクレスという有能なリーダーがアテネをリードしていた。建築もアテネの市民の賛成の元に進められていたから問題視するところはない。ところが、その資金は、税金や市民の寄付もあったと思うが、本来ならば、国の防衛のため使うべきお金だった。
デロス同盟の各ポリスの拠出金は、アテネが管理していた。いざとなれば、軍船を作り、戦いになれば軍事費になるお金である。使途からすれば、流用である。拠出したポリスの了解をとったかは、疑わしい。
彫刻群は、大英博物館に展示されている。波風彫刻群と呼ばれている。創作したのは、フィディアスと伝えられているが、バルテノン神殿建築の総指揮をとった人物とも言われている。
  

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2017年02月23日

「デロス同盟」と「ペロポネソス同盟」



古代ギリシアの安保同盟のようなものであるが、両者とも同じギリシア人の同盟というところが特殊である。なぜそのようになったのかは、「デロス同盟」の盟主アテネと「ペロポネソス同盟」の盟主スパルタの政治形態の違いのようである。アテネは、民主政治、スパルタは僭主政治だったことも一つの理由になるが、アテネは、通商によって国力を養い、スパルタは軍事力を誇示した。その力を背景に、この同盟によって平和のバランスを長く保ったのである。
今日のギリシアの国土を見ると、多くの島々と半島で占められ、国土もそれほど肥沃ではなく、貿易や、海運を立国の礎にしなければ成り立たないように見える。古代とそれほど変わってはいないように思える。
ギリシア人が、都市連合国家になろうとしたことは、古代にはなかったが、強国ペルシャとの戦いでは、一緒に戦った。良く侵略から防衛できたと思う。再び侵略を受けないように各都市国家が結んだ条約が「デロス同盟」と「ペロポネソス同盟」だったのである。二つの同盟に分かれたことにより、やがては「ペロポネソス戦役」というギリシア人同士の長期的な戦争の後、アテネは衰弱する。同じギリシア人の国、マケドニア王国にやがてアレキサンダー大王が登場する。
  

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2017年02月08日

『キリストの誕生』遠藤周作著 新潮文庫



映画「沈黙」に刺激され、以前読んだ『キリストの誕生』を再読した。あらためて、キリスト教の布教の苦難を確認した。ユダヤ教から派生した宗教でもあるが、ユダヤ教徒からの迫害もあった。その象徴がエルサレムの神殿であり割礼である。選民思想の縛りや、戒律も障害になっている。パウロのように異教徒に伝道することに、生前のイエスを知るペテロを代表とする教団の反対もあった。そうしたことを乗り越えて、今日、キリスト教が世界の3大宗教になったのは、イエス(人)がキリスト(神)になる過程である。
キリストの一番弟子と言われるペテロは、イエスの思いを深く知る人間であるが、保身をはかるが、最後は、殉教する。バチカンは、彼の墓の上に建てられたといわれている。
始めは、キリスト教徒を迫害したパウロは、キリスト教徒になり不屈の精神で、異教徒にキリスト教を伝える。彼もローマで殉教したと伝えられている。
 死を恐れず、教えを守り、死にいたる殉教が、キリスト教の確信に近い行為になっているが、そうさせるのがイエスの愛の思想だと言える。罪なく十字架にかかったことは、犠牲であり、人類の最大の愛の行為になっている。人は弱く、そのことをイエスは理解してくれると思うから神と信じることができる。遠藤周作のキリスト教観は、日本人的だと思った。
  

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2017年01月25日

『神々の微笑』 芥川龍之介作品

遠藤周作の『沈黙』に深くこの作品が関係しているようである。短編だからすぐ読めるが、内容は、重い。芥川龍之介は、キリスト教を題材にした小説を多く書いたことで知られている。キリスト教に惹かれるところがあったのは事実であろう。自殺した時、枕元に聖書が置かれていたことも無関係ではないだろう。
 結論的には断定しているわけではないが、日本ではキリスト教の神も八百万の神には勝てないと老人に言わせている。天岩戸開きを思わせる場面も描いている。そして、日本に伝道に来た神父に憂鬱な気分を持たせ、その原因が、日本の風景の美しさであったり、得体の知れない雰囲気(霊的なもの)だと語らせている。
 自殺することは、キリスト教では許されないが、芥川は、キリスト教に救いを求めていたが、自分の体に染み付いていたともいうべき、日本人的な体質を脱ぎ捨てることができなかったのかもしれない。その他の作品を読んでいないので言い過ぎになっているかとも思うが。
  

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2017年01月21日

『失敗の本質』 共著 中公文庫



小池東京都知事の座右の書らしい。財界人でこの本に関心を寄せている人もいる。副題として、日本軍の組織的研究となっている。軍隊と企業は、その目的は異なるが組織という点においては同じである。小池知事が言うようには負けてはいけないのである。日本航空や、多額の損失を出して企業の存続が危惧されている東芝のようになってはいけないのである。組織の失敗は何から生まれるのか。
本著が分析した日本軍の戦いの中で、六つのケースを取り上げている。①ノモンハン事件②ミッドウェー作戦③ガタルカナル作戦④インパール作戦⑤レイテ海戦⑥沖縄戦である。
このうち、③と⑤どのように戦われたかは知らず、特にガタルカナル島がソロモン諸島にあることを知った。日本から随分と離れている。伯父が、ニューギニアで戦病死しているので南方の戦争には関心があったが、悲惨な戦いだと聞いて知るのを避けていたこともある。
 本の内容から、負け戦を分析するぐらいなら、負ける戦をなぜしたのかを研究したほうが良いと考えていたら、そのことも最初に書いてある。そのことを分かった上で、あえて戦いの失敗を日本軍という組織に眼を向け分析しているのである。いろいろな指摘があるなかで、「主観的で「帰納的」な戦略策定―空気の支配」というのがあった。これだなという感じがした。一方、演繹的という言葉がある。客観的と言うか、冷めた判断である。日本人の良さでもあるが、情に流され易いのである。情報や状況の冷静な分析は、アメリカが優っていた。もちろん、国力の違いがあり、力のあるものに戦いを挑んでも勝つ見込みは少ない。孫子の兵法というのがあった。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」亡くなった大叔父は陸軍少佐で終戦を迎えたが、「先の大戦は無謀な戦いであった。戦争を国際紛争の解決手段にすべきではない」という言葉を残し、この孫子の言葉を引用していた。
  

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2017年01月19日

『足るを知る生き方』神沢杜口「翁草」に学ぶ 立川昭二著 講談社



神沢杜口は、江戸時代中期(1710~1795)の人。京都に住んだ。40歳で与力を娘婿に譲り、隠居の身になった。それから45年、85歳まで生きた。多趣味多才の人で、俳人与謝蕪村とも親交があった。蕪村の墓は、左京区の金福寺にある。
『翁草』を書いたことで知られるが、世に広く流布したわけではないので、後世神沢杜口を知る人は少ない。『翁草』は、定年退職後、それも老齢期の随想集とも言っても良い。日常雑感でもあるが、人生訓としても良い深い思索から生まれた文章もある。また、神沢杜口が79歳の時に発生した京都の天明の大火は、取材記事であり、焼失した地図も残し、今日の貴重な歴史資料になっている。
当時、神沢杜口が見聞きしたエピソードが綴られていて興味深い。江戸時代にタイムスリップした感じがする。森鴎外の小説『高瀬舟』は、『翁草』の記述からヒントを得たものである。安楽死がテーマになっている。『興津弥五右衛門の遺書』も同じで、こちらは、乃木将軍の自刃に刺激され『殉死』がテーマになっている。
現代、リタイアしてからの老年期の過ごし方は、人さまざまであって良いが、神沢杜口の行き方は、実に参考になった。彼ほどの趣味や才能はないが、共感するところが多い。俳句、将棋(神沢杜口は囲碁)、随想を書くこと等。意識してそうなったのではないが、拙著の紀行文に『翁草』がある。これも、時代を超えたご縁かもしれない。しかし、江戸時代にあって85歳の長寿を全うしたのは凄い。
  

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2017年01月18日

『悪党芭蕉』 嵐山光三郎著 新潮社 1500円(税別)



署名が、凄い。芭蕉と言えば俳聖。求道者的なイメージもある。俳句を通じて、日本人の精神生活を豊かにした功労者だと思うし、現代なら文化勲章を受章してもおかしくない人物である。
冒頭、芥川龍之介と正岡子規の芭蕉批判が出てくる。龍之介は、芭蕉は「大山師」だと言い、子規は、芭蕉の句は、悪句駄句が大半だと酷評している。後世、芭蕉の句碑や廟を建立する輩の気が知れぬと憤慨している。
問題は、芭蕉の作品。俳句、連句、紀行文、日記である。やはり、後世にゆるぎない文学的地位を占めていると思う。とりわけ、連句については良い勉強になった。心の交流というものの味が少し分かったような気がする。親しい友人たちと連句をした経験があるが、蕉門の深さと真剣さは、群を抜いていると思った。芭蕉門下は、豪商であったり、武士であったり、医師であったり生活に余力のあるインテリ層が多い。そうした人々の経済的支援の元に生活していたことになる。長期の旅をして、紀行文が書けたのもうなずける。連句を纏めて出版し、紀行文も世に出した。大坂御堂筋で客死するが、体調が悪いのに出かけて行ったのもプロデューサーとしての仕事だったとも言える。
芭蕉の「ひとたらし」の能力は相当なものだが、俳句の魅力を伝える資質は、カリスマ的であったと思う。
  

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2017年01月12日

『芭蕉紀行』 嵐山光三郎著 新潮文庫



古典を読むのに限るが、ガイドブックのような本も悪くはない。著者の感性もあるが、芭蕉の旅の状況を良く調べている。著者は、若いときからの旅好きで、芭蕉への思い入れもある。旅は酔狂だけでできるものではないから、旅費の工面や、旅の企画は、芭蕉一人ではできなかったことがわかる。『奥の細道』などはまさにそうであって、同行した曾良の役割は大きい。
嵐山光三郎は、作家であるが雑誌の編集などを手がけた苦労人である。編集者は、本が売れるかどうかを考えなければならない。そうした経験が、俳聖芭蕉の違った面を浮き彫りにしてくれる。『奥の細道』も読者を意識して、ただの紀行文ではなく、虚構の部分も盛り込まれていると言う。
『西行と清盛』という彼の著作があるが、面白く読んだ記憶がある。蔵書にするほど繰り返して読む本ではないと思ったから、友人にプレゼントしてしまって手元にはない。その本の中で、西行がみちのくを旅したかどうかは疑問だと書いていたように思う。また、西行が出家したのは、政争に巻き込まれることを避けたという指摘である。この本にも、人間くさい芭蕉の一面を書いているが、それはそれで面白い。
弟子の杜国との関係は、そうなのという感じがするが、渥美半島には行ってみようかなと思わせてくれた。杜国の没した地であるだけでなく「椰子の実」の歌の誕生の地でもあるからだ。旅には、旅情が必要だ。
  

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2016年12月17日

『海は甦える』第5部 江藤淳 文春文庫


『海は甦える』は、大作であった。5部を読了。最終巻に当たる5部は、政治家としての山本権兵衛を描いている。桂内閣の後を受けて内閣総理大臣となった。時代は、大正になっている。ちなみに、歴代総理大臣の中で、通算して最も長く内閣総理大臣を務めたのは桂太郎であった。しかも、長州閥であった。もはや、そういう言い方は死語になっているが、安倍総理も長州出身である。プーチン大統領を招いた長門市が選挙地盤である。
当時、元老がいて、長州閥には、山県有朋や井上馨がいた。薩摩閥は、松方正義、大山巌がいた。西園寺公望もいたが公家の出身である。元老が、天皇に総理大臣を推薦する形になっていた。山本内閣のスタートは順調に見えたが、海軍における汚職事件が明らかになり、予算も成立せず総辞職に追い込まれている。
山本内閣を支えていたのは、政友会という政党で、伊藤博文が初代総裁となって設立した政党であった。平民宰相と言われた原敬が、党の実力者として内務大臣として入閣して山本権兵衛を支えた。政局を見るのに鋭く、弁論にも長けた政治家として描かれている。
原敬は、後に総理大臣になるが、東京駅で暗殺されている。
 尾崎行雄、犬養毅といった政治かも登場し、帝国議会での質疑も詳しく書かれている。速記録として残っているのだろうが、当時の弁舌は、格調が高い。文語調でもある。時たま野次も出てくるのだが、『ヒヤヒヤ』は、どんなニヤンスかと気になった。議長との丁々発止もなかなかの醍醐味がある。
 大正2年の国家予算を見ると、軍事予算が3分の1である。陸軍と海軍の予算の取り合いも激しい。この小説の始まりは、海軍を国防の要にしようという国家観であった。陸は山県有朋であり、海は山本権兵衛であってその両巨頭の争いにも見える。大隈内閣になって、山本権兵衛は、予備役になり、海軍からも去ることになった。
  

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