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2016年10月15日

『夫婦のルール』三浦朱門×曾野綾子 講談社 900円(税別)



旅先(小樽)で購入した。小樽の町をゆっくり散策できないので、この街にしかないような書物はないかと、駅前にあった紀伊国屋書店に立ち寄った時に、目に留まったのである。三浦朱門90歳、曾野綾子85歳と表紙に書いてある。それにしては、お若い。文庫本で車内でも気軽に読めそうである。夫婦の会話である。
両氏とも長寿で、作家であり、三浦朱門は文化庁長官、曾野綾子は、日本船舶振興会(日本財団)の会長を歴任した名士でもある。2人のご意見を素直に拝聴することにした。この夫婦にしても山あり谷ありだと思った。順風満帆ということでもない。他人と自分を比較しても、同じ条件ではないのだから意味はない。辛辣にも聞こえるような内容もあるが、言葉尻を捕らえて反論する気は起こらなかった。
本の中でも少し触れていたが、30年前に三浦朱門の母君が、私の勤める老人施設を利用されていたことがあった。三浦朱門は、文化庁長官になられた頃でお話する機会は少なかったが、曾野綾子は、こまめに面会に来られ、署名入りの本もくださった。御2人に共通しているのは、著名人らしくない気さくな人柄だった印象である。気楽に、法人の広報誌に寄稿していただいた。高齢夫妻のメッセージ、心に留めることにした。
  

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2016年10月08日

『数学する人生』 森田真生著 新潮社 1600円(税別)



著者は、この著によって小林秀雄賞を受賞した。数学という学問分野は、あまりにも深遠な世界と感じるのが世の多くの人の印象であろう。内容は、専門的で、基礎がないので到底理解は出来ないのだが。著者が伝えようとするところは、感じられるのである。数学は、見えない世界の法則を記号や言葉で表現する学問だということである。
人間の心の世界も似ている。見えない世界があり、そこにも法則がある。そのことを晩年追求したのが、岡潔という数学者である。そのプロセスを、著者はなるべく平易に、他者が分かるように書き綴っている。
40年近く、岡潔の世界を見つめてきたが、この著に触れて「ああそうなのか」と思うところが多い。分かったということではない。音楽や絵画が好きになるように、ますますその感じが強くなると言ったほうが正しい。著者の今後の研究活動や新刊書に注目したいと思う。
  

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2016年09月27日

『魂の退社』 稲垣えみ子著 東洋経済 1400円(税別)



知人の紹介で読んだ。著者は、朝日新聞の記者で編集委員の経歴がある。独立してフリーライターになることは、珍しくない。タイトルに惹かれた。彼女の魂が、組織を離れて生きることを望んだのであるが、その結果、彼女が痛切に感じたのは、日本は会社社会だという発見である。「猿は、木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちればただの人」というある代議士の言葉を思い出した。ただ、違うのは出処進退を自分で決めたことである。だから後悔してはいないのだが、その落差が大きいのに驚いているのである。
なるほど、そういうものかと思う事例が、詳しく紹介されている。その中に社会保険の切り替えがある。医療保険、年金保険。雇用保険は、彼女のような退職では失業給付はもらいにくいとも書いている。雇用保険は、次の会社に就職することが前提の保険だと言うことからも、日本が会社社会だと感じたと言う。
巷を見れば、全国津々浦々に、コンビニができ。田舎にも大きなスーパーが進出し、お弁当屋さんもチェーン店である。個人経営のお店が姿を消しつつある。雇われ人になって生活する人が多くなっているのもこの流れである。
定年退職も自主退職ではないが、会社から離れることには違いない。想像はしているが、大いに参考になった。何よりも共感するのは、自分の魂にふさわしい生き方をするという点である。社会から孤立するのではなく、会社の論理で生きない生き方である。そのためにも彼女のような能力がないものにとっては、年金が経済基盤になる。加えて、規模は小さくとも農業経営もまんざら捨てたものではない。
  

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2016年09月24日

現代語訳『古事記』 福永武彦訳 河出文庫 840円(税別)



本棚にある本は、一度は眼を通しているが、思いついて再読している。大分整理したつもりではいるが、なかなか処分しきれないでいる。堀辰雄記念館を訪ね、交友のあった人物の作家の名前が記憶に残り、ふと本棚を眺めていたらこの本が眼に入った。
古書として買った本ではない。2009年の発行のものである。古事記には、若いときから関心があって、読んでいるが断片的に理解しているに過ぎない。古い友人に神職の仕事に就いている人がいて、『真情』という冊子を長く発行し、その中で古事記の解説を連載している。それを頼りに、古事記の世界を思いつくままに覗いている。
ここ20年、日本全国への旅を意識してするようになった。そこで意識するのは神社の存在である。そこに祀られている神様は、実に神話の時代の神様が多いのである。かように、日本人は、古い神々に畏敬の念を持っていた。この本は、現代語訳であるから平易な文章で読み易い。
今年の年末には、九州に行こうと思っている。友人にも遭う目的があるが、福岡県の宗像市にある宗像大社を参拝しようと思っている。ここに祀られている神様は女神である。この神様のことも古事記に書かれている。あまりの多くの神様が古事記には登場するので、記憶しきれず、関心の対象から外れてしまう場合が多い。この大社の神様も例外ではない。
  

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2016年09月08日

映画「動乱」

帰宅して、テレビのスイッチを入れると高倉健と吉永小百合が眼に入る。2人とも若い。タイトルはすぐに思いつかなかったが、2・26事件の首謀者の一人である青年将校とその妻を描いた物語で、はるか昔に映画館で見た記憶がある。調べてみると、1980年の上映である。軍人によるクーデターだが、成功はしなかった。その真相や、この事件に対する是非については、多くの書物が書かれており、言及しない。
ただ、昭和天皇がこの事件では、断固たる姿勢をとったことは、ほぼ確かな歴史的事実になっている。現在、『昭和天皇実録』が暫時出版されている。事件のあった昭和11年は、第7巻に収録されている。2月26日を見てみると、さすがに記述が多い。天皇が起床したのは6時20分とある。最初に事件の内容を伝えたのは、侍従とある。その後、宮内大臣、侍従武官長に相次ぎ報告を受ける。本書では、「謁を賜う」という表現である。
「早期終息」の意志を最初から示しているのがわかる。午前中には、内大臣斎藤実の死亡を確認し、鈴木貫太郎侍従長は重傷だが生存を確認している。侍医を派遣し、スープを賜うという記事が印象的である。侍従長に対するひとかどならぬ昭和天皇の想いがよくわかる。午後8時には、内務大臣が総理大臣代理となり、午前零時には戒厳令の勅令に署名している。徹底的な鎮圧を望まれ、午前1時45分に就寝されている。「御格子になる」という表現である。
  

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2016年09月07日

『潜行三千里』辻正信著



新書版である。ベストセラーになった本の復刻版である。最近新聞広告でよく紹介されているので、読んでみようと思った。辻正信と言えば、関東軍や大本営の参謀として知られている。終戦後、東南アジアや中国大陸に潜伏し、帰国し国会議員になった人物である。その後、東南アジヤを再訪し、後方不明になったことでも知られている。
逃亡記として読むと体験談でもあり、文章力もあって臨場感を生んでいる。参謀としての機転、大胆さ、情報分析、決断の的確さなど随所に見られ、スリリングで面白い読み物になっている。終戦後のアジアは、独立運動も絡み、不安定な世情だということがわかる。蒋介石の国民党軍が、辻の力を借りようとしたこともうなづける。
私の大叔父は、終戦後少佐を最後とし、1年近くベトナムに残った体験談を話してくれたことがあった。治安維持に、日本の軍隊が必要だったのである。戦犯になる可能性がない点では、辻正信と違っていたが。瀬島龍三も大本営の参謀でシベリヤに抑留され、日本に戻り実業家となり、中曽根政権で行政改革に手腕を振るっている。末次一郎は、陸軍中野学校の出身で、戦後も政治の影になって活躍した人物である。評価は別にして、国士という感じがする。


『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた男』も並行して読んでみた。なるほど、迫力のある人物である。東条英機とは馬が合わなかった。
  

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2016年09月06日

『安曇野(五部)』臼井吉見著 筑摩書房

完結編。とにかく大作であった。新宿中村屋の相馬夫妻を主人公に据えたのも良かったが、安曇野を一躍有名にした功績は大きい。安曇野と言う場所が好きなったことは、無論なのだが、信州という隣接県の県民性に興味を抱いた。内陸にあって、高山に囲まれた地形や風土も傍から見れば魅力的である。特に春の季節は、何ともいえない自然がある。5月の連休は、自然と信州に足が向く。
相馬夫妻の死を持って小説は大団円とならない。突然「僕」が登場し、戦中戦後の体験談を交えた臼井史観が繰り広げられる。著名な学者や作家が登場する。小説『安曇野』からすれば蛇足のような感じもする。
  

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2016年08月23日

『一商人として』相馬愛蔵著 岩波書店



古書での購入になった。昭和25年の秋の出版になっている。本はかなり黄ばんでいるが、文字を読むのには問題がない。定価は150円になっている。当時の値段である。出版社は、岩波書店で、初版発行の時、店主の岩波茂雄が推薦文を書き、著者があとがきに載せている。相馬愛蔵も、岩波茂雄も郷里は信州である。
 臼井吉見の小説『安曇野』の種本でもある。素人夫妻が始めた、新宿中村屋の数々のエピソードが綴られている。商売に道徳があり、繁盛した理由も納得できる。働く職員もやりがいを持てる職場になっている。売り方も筋を通し、バーゲンセールなどはしない。通常販売で、できるだけ良いものを安く売る手法である。また、商品も新たに工夫し、研究することをおこたらない。
 同じ、長野県伊那市にある寒天の製造会社である、伊那食品工業に似ている。年輪経営なのである。職員を大事にし、地域にも貢献している。新宿中村屋は、今も株式会社として経営されている。創立者の創業の精神も引き継がれてている。
  

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2016年08月20日

『安曇野(四部)』臼井吉見著 筑摩書房



夏の暑さと、資格試験の時期で、すっかり筆不精になってしまっている。7月末の安倍川の花火の感想以来、拙ブログもそのままになっている。小説『安曇野』も四部まで読了した。四部は、大東亜戦争の終戦で終わっている。たまたま、古本で『安曇野』の単行本が全五巻揃い、安く売り出されていたので購入した。文庫本の1巻は、我が家に避暑?に来た友人に謹呈し、大作に望んだのだが、なかなか先に読み進めない。
読書する人間側の心境にもよるが、明治、大正、昭和の政治、経済、文化、思想を多くの歴史上の人物を登場させて語っている臼井吉実の評論家的態度のためだと感じた。その人物の立ち居地や思想で歴史観は変わっていくのは、当然である。2人の人物を挙げてみたい。
一人は、清沢洌である。安曇野の農民に生まれ、同郷の教育者井口喜源治の研成義塾に学び、体一つで渡米し学問を修め、帰国後ジャーナリスト、評論家として活躍した人物である。終戦の年に55歳の若さで亡くなったが、自由主義平和論者と呼ばれるように、戦前、異質ともいえる言論人であった。思想的には、戦後、首相になった石橋湛山に近い。先の大戦は、無謀な戦争であり、日本の敗北を予言していた。作者、臼井吉見も郷土の先輩言論人として尊敬している節がある。
もう一人は、ビハリ・ボースである。新宿中村屋のインドカリーは、この人の発案ということは知られているが、インド独立運動の志士という面は影が薄くなっている。日本に亡命し、右翼の大立者遠山満や5・15事件で暗殺された犬養毅らとの関係を持った人物である。相馬愛蔵、相馬黒光夫妻の長女を嫁にもらい子供までなしている。ボースも戦時中に亡くなる。チャンドラ・ボースと紛らわしいが共にインド独立運動に命を掛けた生涯では一致している。ビハリ・ボースからすると、日本の連合軍、とりわけイギリスとの戦いは、天佑と思えた。インドの独立はイギリスからの独立を意味していたからである。日本にとって、悪名高きインパール作戦も、インド側からすれば起死回生の作戦だったようだ。この戦いのことは、ビルマの竪琴のモデルになった童話作家武者一雄さんの著書にも綴られている。実際に作戦に参加した人の体験談も聞いている。
第五部は、小説というより臼井吉見の独白のようなかたちになっているらしい。病の後遺症の身で、後世に書き残そうとした執念のような内容になっているのだろうか。第五部については、改めて感想を書いてみたいと思う。
  

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2016年07月16日

『新宿中村屋 相馬黒光』宇佐美承著 集英社



臼井吉見の長編小説と併行して、相馬黒光女史の関連図書を読み始めている。著者は、朝日新聞の社会部の記者だった。取材記事でもあるが、相馬黒光も自伝を残しており、そこからの引用が多い。写真がふんだんに使われ興味深く読める。
若い時から学問に目覚め、西洋文化にも触れ、旧来の日本女性から抜け出している。それに加えて強烈な個性が時代の群を抜いている。田舎暮らしができなかった女性でもある。作家になろうとした夢はかなえられなかったが、名だたる文人や芸術家、宗教家、思想家、言論人との交友関係は、驚くばかりである。
しかも、新宿中村屋という個性的な店を経営した実業家でもある。今日でも新宿中村屋の商品は、多くの人に愛されている。東京に出たら立ち寄りたい店の一つになっている。店内に一級の芸術作品が置かれていることもこの店ならではである。
この女性を伴侶として生きた、相馬愛蔵という人の人間の器の大きさも見逃すことはできない。容姿だけでない、女性に対する魅力があることは、本の中での記述に現われている。男と女の組み合わせで、ダイナミックなドラマが生まれることに驚くばかりである。
  

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2016年07月07日

『安曇野(第1巻)』 臼井吉見著 ちくま文庫



この本は、我が家の書棚にない。地域の開業医の先生からお借りして読んだのである。全部で5巻になっている。全巻読むのに1ヶ月くらいかかった記憶がある。朝、夜、休日の時間を割いての読書だったが、すっかり「安曇野」という場所が好きになった。友人を誘ったり、個人で何度も足を運んでいる。
明治、大正、昭和の歴史にも触れることができるが、新宿中村屋を創業した相馬愛蔵、黒光夫妻の交友関係が描かれており、芸術家が多い。とりわけ、荻原守衛は、安曇野の出身で関心を持った。碌山美術館は、味わい深かった。『安曇野』に登場する人物のゆかりの地を訪ねて旅をしたこともある。
碌山美術館を訪ねたおり、『臼井吉見の「安曇野」を歩く』という本を眼にした。同じ発想を持つものだと、購入した。取材記事なので面白い。こちらは、単行本で全3巻である。臼井吉見は、『安曇野』を書き上げるのに10年かかっている。この本も数年がかりである。
今回、あえて1巻だけを購入して読むことになった。東北を旅したとき、仙台駅で古本市があり、初版の『安曇野』の単行本全5巻が売られていた。荷物になることも考え、購入しなかったが、残念なことをしたという後悔の念がある。再度読み返しても良い本である。
  

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2016年07月05日

『心の対話 岡潔・林房雄』日本ソノサービス



昭和43年の出版である。絶版になっていて、古書でしか読むことができないようである。この本を手にしたのは、20数年前である。社会教育家の後藤静香のご子息の後藤潔さんの別荘にあった本棚から譲っていただいたものである。当時も絶版だったと思う。最近は、対談者である岡潔の本が再販されるようになったが、岡潔の没後、著作は出版されず古書で読むことしかできなかった。
林房雄も忘れられた文学者に近い。戦前、左翼から右翼に転向した作家として知られ、この時期、三島由紀夫との親交があった人である。三島事件は昭和44年だから、この本が出版されたのは、その前年である。学生運動が盛んだった時代である。高校生の時代で、政治に関心はなかった。
対談するくらいだから、2人に共感する意識があることは、当然である。日本人の心のあり方について多くを語っている。もっぱら岡潔は、日本人の心に言及している。林房雄は、政治や経済に触れている。こちらは、岡潔が聞き役になっている。改めて読んで新鮮だったのは、岡潔が経済立国を強調している点である。岡潔は、自分の経済は眼中にない人だが、国の経済は心配していたのである。先生らしいと感心した。
一方、林房雄だが、右翼と言われるほど民族主義者ではなさそうである。公明党の母体である創価学会にも寛容である。さらに、西洋文化は、物質文明だから悪いとも言わない。自民党の歴代首相(佐藤総理まで)も愛国者であり、金権政治家とも言わない。日本国憲法の成立と批判的な見解もある。
  

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2016年06月28日

『円仁唐代中国への旅』 エドウィン・O・ライシャワー(訳書) 講談社学術文庫



円仁、慈覚大師に旅行記がある。『入唐求法巡礼行記』であるが、円仁に関心を持ち、研究した人物は、ライシャワー駐日大使である。その訳書がこの本である。50代から全国を意識して旅をするようになってから、古人の紀行文に関心を寄せるようになった。東北を旅するときに、慈覚大師の創建の寺が多いことに気付いた。山寺、瑞巌寺、毛越寺などがそうだった。円仁については、さほどの知識は持ち合わせてはいなかったが、調べてみると下野(現在の栃木県)の出身だということに親近感が湧いてきた。仏教が、民間に広まる平安時代の人である。隣県の上野(群馬県)も仏教が広まり、鑑真の弟子もいた。
円仁は、最澄の弟子となり、僧としての資質を認められる。そして、遣唐使として中国大陸に9年間という長きに渡り足をとどめることになる。仏教の聖地を訪ねたりして、唐の時代の中国を旅して記録として残したのが、『入唐求法巡礼行記』である。マルコポーロの『東方見聞録』よりも知られてはないが、記事の内容の正確さを、ライシャワーは、評価している。
中国の仏教は、唐の時代が最盛期だという感じがする。円仁が帰国する直前に、仏教の大弾圧があった。円仁も巻き込まれたが、帰国を果たすことができた。帰国後、円仁は、朝廷に重く用いられ、慈覚大師の称号を受けることになる。師の最澄が伝教大師、空海が弘法大師の称号を朝廷から贈られるのは、その後のことである。
  

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2016年06月18日

『我が家の昭和平成史Ⅱ』塚本哲也著 文芸春秋企画出版部 4000円(税込み)



別冊のⅡを読み終えた。1と合わせて4000円のセット価格になっている。上下2段の構成になっていて、活字も小さく、ページ数も多いので、普通の単行本を4,5冊読んだ気分になった。パソコンを使い、自由が利く左手、それも人差し指1本でよく書き上げたと感心した。
男有り女ありけり神の春
自分の句に、句ともいえない一句を思い出した。
素晴らし2人3脚の著者夫妻の歩みは、感動的というより崇高である。御二人の信仰する神に導かれているように感じられるのである。妻が先に脳出血となり、後を追うように著者も脳出血になり、自由が利く足は夫婦で2本になったのである。こうした表現は、不敬とわかっているが、他者から見れば理想的な夫婦愛が綴られている。
新聞記者の体感した、戦後の中欧の歴史は、眼から鱗がとれるという感じがしたし、ヨーロッパの政治の複雑さ、とりわけ外交は、常に戦争の危機回避の手段として、緊張感があることを知った。またヨーロッパを旅したいと思った。その良きガイドブックにもなっている。自然の豊かな風土も魅力的である。
老後の孤独、とりわけ妻に先立たれた寂しさも素直に書かれている。悲しい時は悲しいと思えばよいという神父の助言や、モーツァルトが死を意識しながら名曲を創作していた話。老年期の死生観も述べている。施設の看護師が、病院に居残り、夫へのメッセージを妻の無言ながら「感謝」の想いがあったことを確認し、著者に伝える箇所を読んだ時、久しぶりに涙するところとなった。
  

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2016年06月15日

『我が家の昭和平成史Ⅰ』塚本哲也著 文芸春秋企画出版部 4000円(税込み)



1巻2巻に別れ、およそ1000頁の大作である。副題がついている。「がん医師とその妻、ピアニストと新聞記者の四重奏」。著者は、元毎日新聞記者である。ヨーロッパに駐在した期間が長く、妻がピアニストでもあったこともあり、オーストリアの歴史、風土、文化に詳しい。ハプスブルグ帝国のゆかりの人物をテーマにした著作も多い。
縁あって、私の勤務する有料施設にご夫婦して入居された。平成15年のことである。ご夫婦共に、脳出血を患い、退院後著者が、大腿骨を骨折し、歩行が不自由になったのを機に、終の棲家を有料施設に選んだのである。その理由は、ご本人に確かめたわけではないが、岳父である癌の放射線医療の権威で、国立がんセンター総長だった塚本憲甫の親族が、同じ法人が経営する施設を利用していたことと無関係ではない。私が、勤めた30年以上前に塚本憲甫の姉君が入居されていた。品のある柔和なお人柄の御仁だった。
著者が施設に入居した翌年、最愛の妻であり、著名なピアニストであったルリ子さんが亡くなった。そうした悲しみの中、大作『マリー・ルイーゼ―ナポレオンの皇妃からパルマ公国女王へ』(文芸春秋)を半身麻痺が残る不自由な体でパソコンを駆使して書き上げた。更に、『メッテルニヒ―危機と混迷を乗り切った保守政治家』(文芸春秋)を出版し、今回の著作が3作目になる。文筆家とは言え、尊敬に値する。
タイトルから想像するに、自伝のような趣があるが、以前『ガンと戦った昭和史』の作品を読み、新聞記者の取材能力を感じていたし、著者の目から見た昭和、平成史を興味深く読めると思った。第1巻を読了したところだが、期待通りである。東西冷戦、ベルリンの壁、プラハの春など身近に取材したその時代の様相が生々しく記載されている。そして妻と共に見たウイーンやチロルの美しい自然などは、2度オーストリアに行った思い出と重なり懐かしく思った。何よりも素晴らしいと思ったのは、ご両親と言い、妻と言い素晴らしい家庭を持った点である。そこから、生まれる交友関係もうらやましいかぎりである。文学、音楽、学問、政治、経済に深く触れ、見事に昭和、平成史を綴っている。第2巻が楽しみだが、「冬の旅」であるだけにシューベルトの曲のように人生哲学が書かれているような気がしてならない。読み終えて、その感想を書いてみたいと思う
  

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2016年06月04日

『カラスの補習授業』 松原始著 雷鳥社 1600円(税別)



専門書は、自分が専門にしている分野ならば、共通言語もあり理解できるものだが、門外漢には難解そのものである。それよりも目を通す気にもならないものだ。
難しいことを分かりやすく説明するのは理解する側よりさらに難しいことに違いない。カラスという身近な鳥に関心を持つ人なら是非一読してほしい。関心の薄い人間が読んでも引き込まれる文章である。カラスについての生物学的研究の土台の上に記述しているので、立派な専門書である。この点も、丁寧に解説してくれている。
『カラスの教科書』の続編であるが、ユーモラスなカラスの漫画チックな絵も随所に登場し、授業をリラックスさせてくれる。著者が書いているのは対照的に写実的なもので、画家のスケッチと言ってもおかしくない。
今回の圧巻は、著者が京都大学の大学院の時代の研究風景である。京都の町を、東奔西走駆け回り、駆け回り調査する風景である。大学は、京都で過ごしたこともあり、ついつい自分がカラスを追いかけている錯覚を起こした。ハシブトカラスとハシボソカラスの行動の違いが良く分かる。著者にとっては、カラスは、普通名詞ではなく固有名詞になっている。
  

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2016年05月28日

雑誌『サライ』 小学館 700円



今年は、宮沢賢治生誕120年の年にあたる。賢治に関わる企画が目に付く。『サライ』6月号に、宮沢賢治の特集が載っている。普段買わない雑誌だが、購入して読んだ。正直、宮沢賢治の詩や、童話を深く理解できていないが、その生き方になぜか惹かれるのである。宗教学者の山折哲雄が、宮沢賢治の世界を鋭く解説している。有名な『雨ニモマケズ』についてである。
賢治が思いつくままに書き付けた、手帳の写真が載っている。最後には、日蓮宗のお題目が書かれている。37歳で亡くなる2年前に書かれたというが、病弱な身に迫る死を意識しながらの生き様が素直に表現されている。
農学校の教師でもあり、科学的な素養があった人であるが、命に対する深いいたわりの心が強い。社会に対し、人に対し、動物に対し、植物に対し、石に対し、宇宙に対し広がっていく。賢治の世界が、4次元的といわれる所以である。山折哲雄は、賢治が「風」に関心を持っていることを指摘している。アニミズムの世界にも通ずるという。この点に痛く共感した。
これは余談であるが、賢治はベジタリアンだったと指摘している人がいる。同じ6月号の特集で「肉で長生き」が載っている。なんとも、皮肉な組み合わせになっている。
  

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2016年05月10日

『農民画家」ミレーの真実』井出洋一郎著 NHK出版新書 820円(税別)



東京国立博物館で開催されている「黒田清輝展」で購入した。黒田清輝に関する図書がなかったからである。ミレーと黒田清輝との関係があるのではないかというのが購入の動機でもある。読了後、その記述はなかったのであるが、黒田清輝が渡仏した前のフランス画壇を知ることができた。
著者は、ミレーの絵画、人物に詳しい。ミレーの絵画を所蔵することで知られている山梨県立美術館の学芸員として勤務した職歴がある。ミレーの絵は、日本人には、人気がある。清貧、敬虔、農民画家というイメージが定着している。偉人という評価もある。それは、表層的な見方であるというのが著者の見解である。
ミレーの農民を描いた絵画は、フランスの片田舎、バルビゾン村で描かれたものが多い。バルビゾン派と呼ばれる画家と住まいを同じくして描いたものである。中でも、とりわけテオドール・ルソーは、最も心を許し、影響を受けた画家である。
バルビゾン派には、日本ではあまり知られていないが、コンスタン・トロワイヨンという画家がいる。牛を始めとして野外の動物を好んで描いている。古くからの友人で、故人となったが、河野喬という人は、トロワイヨンに魅せられ、図録まで自費出版して紹介している。何とも心癒される絵なのである。
ミレーに戻るが、代表的な作品である「晩鐘」、「落穂拾い」、「種を蒔く人」は、彼の人物評価が変わろうと名画であることは間違いない。
  

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2016年04月23日

『上野三碑を読む』熊倉浩靖著 雄山閣 1480円(税別)



上野三碑が世界記憶遺産の推薦リストに選ばれたという記事を新聞で見た時、意外と早いという印象があった。この運動に関わっている著者のシンポジウムに参加したのは、昨年の春のことである。こちらが知らないだけで、地道に運動は続けられていたのである。
上野三碑は、高崎市のごくごく近い場所に固まるように立っている。しかも著者の住まいに近いのである。古代史の研究者であり、郷土群馬をテーマにしている著者にとってやりがいのある課題になっている。
高崎の俳人、村上鬼城の句で
生きかはり死にかはりて打つ田かな
というのがある。高崎周辺の農家は、畑に桑を植え、田には稲と麦を植えた。この句は、冬を越す麦を農民が土に根付かせる情景を詠んでいる。榛名山や遠くに赤城山も見える田園風景が浮かんでくる。振り返れば、上野三碑のある落葉した木々のある里山もある。人の歴史も長いが、「生き変わり死に変わり」して世代交代し、記録、記憶に残るだけである。しかし、上野三碑は、当時の姿をとどめているのである。榛名や赤城の山々のように。加えて、当時刻まれた文字が消えずに残っている。そういうことに、著者は何よりも感動しているのである。
その文字を読み解くことによって、碑を残した人の心や、当時の社会を想像し、理解することができる。まさに、上野三碑は、古代への貴重な窓になっている。現在、上野三碑は、建物の中に保存され、我々はその建物の窓から碑を眺めることになるが、本著は、碑文を丁寧に、繰り返し、繰り返し読めるように解説している。教科書のようである。この本を持って、日帰りで歩いて見て廻ることも可能かもしれない。今は、若葉の季節である。山も笑っている。
  

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2016年04月22日

『古代史再検証 蘇我氏とは何か』宝島社 1000円(税別)



友人から「上野三碑」について書いた著書を贈呈され、古代史への関心が湧いてきた。近くのコンビニ行った時、この本が目に留まった。蘇我氏について検証している。稲目から入鹿まで4代、人物は、皆凛々しく描かれている。想像画には違いないが、それにも刺激されて購入した。写真や関係図がふんだんに載っている。
大学を卒業して間もない頃、古代史を彷彿させる明日香村を歩いた。青葉の季節だったと思う。爽やかな印象として記憶に残っている。甘樫丘にも登った。このあたりに、蘇我蝦夷、入鹿父子が大邸宅を構えていたと伝えられている。大化の改新の舞台になった板蓋宮跡や川原寺跡、蘇我馬子の墓と言われている石舞台も訪ねている。
石舞台あたり昭和の緑濃き
今度は、平成の緑の中をじっくりと歩きたいと思った。
  

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