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2013年07月10日

『福祉を廻る識者の声』59(武 邦保)

貧しい人々は幸です              武 邦保
 「そこでイエスは『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話始められた」。(「ルカによる福音書」四・二一)
 天の神の愛は、地の民に注ぎます。では、地の民とは誰でしょうか。農民や都市勤労者であったり、外国籍の人たちであったことが引用区の発信源、旧約聖書(エズラ記三・三 九・一、二)から伺えます。新約聖書の方では、「無学で普通の人」(使徒、四・十三)ペテロ、ヨハネたちを指しているようです。その立場で記者ルカは、(モーセ宗教の律法執行官)の人達から軽視されるイエスの直弟子たちを描きます。
 この弟子たちは、空腹だったので「律法」を破り、麦の穂を摘み、それを手でもんで食べていたのです。「なんたる恥知らず―」と律法執行官は指導者イエスに訴えたことでしょう。けれども、イエスは、ユダヤ人の大先輩、ダビデとその従者たちが麦の穂にまさる神殿の供えもの(パン)を食していた故事を引いて役人に対決されました。そして名言をはきました。「―人の子は安息日(律法の日)の主である」(ルカ六・五)と。
 わたしたちは、いつも何かを求めています。食事や介助の愛の手だけではありません。それでもなお満たされないより大きなマナ(天からの食べもの、愛)です。自分が淋しく、つらく、飢え渇いていればいるほどこれを強烈に求めます。「友よ、パンを三つ貸して下さい」(十一・六)と願う真夜中の旅行者に、イエスは力強く答えるのです。「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる」(十一・九)と。
 なぜならば、その人は自分の貧しさ(プトーコス)を自覚して、貧しき者とて正直に振舞ったのです。虚勢はないのです。この貧しさは単にお金の貧しさ(ペネース)ではない。立ちつくし、うずくまる弱き我の自覚なのです。「貧しい者が、福音を聞かされている」(マタイ十一・五)
 生きんとす この荒き地に 主イエスたたかれ歩くわれのその先   久仁人
 
武 邦保(たけくにやす)。一九三三年、群馬県生まれ。前橋高校卒。同志社女子大学学芸学部教授。京都西大路教会牧師兼務。                         (平成十年・冬号)


自己責任                  (平成十年・冬号)
低金利、経済低迷が長く続いている。株価は上らず、円安傾向にある。そんな中、証券会社の大手の山一證券が〝自主廃業〟に追い込まれた。戦後最大の倒産と言われた。従業員七五〇〇人、負債は三兆円を越えた。組織が大きければ大丈夫ということは言えなくなった。
金融の自由化は、大蔵省を始めとする行政の統制経済的要素との決別である。信賞必罰、自己責任が問われる。規制緩和が行われる一方、自己規制が求められる時代になった。無統制の結果秩序が乱れ、社会が混乱すれば、また統制の時代がやってくる。
 一月、関東は二度の大雪にみまわれた。積もった雪を道路に投げ出す人がいたが、このセンスでは困る。環境保全のために、ゴミの分類の収集が進められているが、こうしたことができての規制緩和である。一方では官僚と金融界との接待云々。大臣の辞任。うんざりする。(翁)
  

Posted by okina-ogi at 05:41Comments(0)日常・雑感

2013年07月09日

『福祉を廻る識者の声』58(近石真介)

似たもの同志                 近石真介
 最近、老人ホームの職員の方々と役者とは似ている事に気がつきました。ホームのご老人達とその家族、そして職員の生活を描いた〝そしてあなたに逢えた〟の上演に向けて再三私達劇団東演の皆が新生会をお訪ねし、原慶子さんを始め、鈴木育三さん、長坂寿也さん、その他職員の皆さんのお話、仕事ぶりにふれて思ったのです。それは共に「人間が好きだ」という事です。
 「優れた役者は優れた観察者であり、人間に対する鋭く、深く、繊細な観察力を持っている。その観察力が、この世の中何もかもが入っている人間、こいつが好きで好きでたまらない所から生まれたものならば、間違いなく優れた役者だ」と、ある高名な演出家は言っています。役者の仕事は戯曲の中に描かれた人間を頭だけでなく自分の肉体を使い立ち上らせることであり、体で理解する事が求められるだけに〝人間を全身で受け入れる〟〝人間好き〟ということがとても大切なのです。
 私達にご老人達の過去を、現在をそして様々なエピソードを話してくれた時、ひとりの老人の言動について夢中になって議論し、喜んだり悩んだりしている時の職員の人達は、一世紀近く生きてきた、この世の中の何もかもが入っている老人が好きで好きでたまらない役者の様に見え、更に次の名セリフを全身で理解出来る名優の様にも見えたののです。
 『人間、こいつはどでかいものだ。この世の中の何もかもが中に入っている。一切の始めと終りがこの中にある。だから人間を哀れんだり、妙な同情でいやしたり軽蔑したりしちゃいけねえ!人間はお前が考えている以上に高尚なものなんだ!もっと人間を大切にしなくちゃいけねえ人間!こいつは素晴らしいや!人間の為に乾杯しようじゃないか』(M・ゴーリキー作「どん底」三幕。前科者で浮浪人サーチンのセリフより)
 最後に、似た者同志の明日を祝して乾杯!
 
近石真介(ちかいししんすけ)。一九三一年、東京都生まれ。早稲田大学文学部中退。劇団東演主宰。テレビのナレーション、声優としても活躍。夫人は脚本家。          (平成九年・秋号)


胡弓                    (平成九年・秋号)
胡弓は、中国の代表的な民族楽器である。中国では、京劇で使われたり、庶民が弾くことも珍しくない。〝胡〟は、中国の人たちにとって西方の人の意味を持つ。今から約一五〇〇年前に、シルクロードを渡ってきたペルシャ人が伝えたというのが定説である。夜は恐ろしい程に静寂で、荒涼とした砂漠の中を、故郷を遠く離れて孤独な旅を続けなければならない人々にとって胡弓の音は、心をいやしてくれたに違いない。
東京紀伊国屋ホールで演じられた、劇団東演の「そして、あなたに逢えた」を観劇した後の余韻としてふと胡弓が浮かんできた。痴呆症のお年寄りの世界を見つめてきた近石綏子さんの優しさと、深い個人史を持ったお年寄りの心の世界は、長い時を経て深遠な音色を生む胡弓を連想させる。近石さんの〝痴呆の心〟を求めた旅は長いだけに、深い感動を観客に与えている。(翁)
  

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2013年07月08日

『福祉を廻る識者の声』57(桜井美国)

物語のある企業は強い             桜井美国
 平成の長期に亙る不況の下で企業は四苦八苦しています。景気はゆるやかに回復基調にあると経済企画庁から発表されていますが、実感はわきません。それでも過去最高の利益を計上している会社も出てきていますし、他方赤字続きの会社もあります。このように同じ業種でも業績に格段の差がついています。これは経営の仕方の問題かも知れませんが、私はある講演会で面白い事を聞きました。それは「物語のある会社は強い」という言葉でした。この講演での「物語」とはその会社の歴史の中で、他人に聞いて貰える出来事ということです。楽しい事もつらい事も数多くあるのですが、その中でも聞いている人に感動を与えられるような物語が語れる企業は正に強力だということです。当社(桜井グラフィックシステムズ)昨年五十周年を迎えました。五十年の間には数々のドラマがありました。昭和三十年代にいち早く海外へ進出した事、四十年代に起こった労働争議、五十年代の技術革新、六十年代から平成に入ってのめまぐるしい変化への対応など語る話はたくさんあります。
 今年四十周年を迎えられた新生会も、私が知るだけでも幾つものドラマがありました。多くは、苦しいものだったかもしれません。結核療養所時代の榛名荘に私も十八カ月御世話になりました。もう四十五年も前の事ですが、他の記憶よりも鮮明に思い出す事が出来ます。榛名荘創設以来この六十年間に生まれた数々の物語は戦前、戦後を通じて新生会の歴史そのものです。原理事長様は健康や生活に恵まれない人々に尽力されてこられましたが、語り尽くせないほどの物語をお持ちのはずです。近く榛名の地を訪問して原先生に物語を語って頂こうと思っています。

桜井美国(さくらいよしくに)。一九三四年、東京都生まれ。早稲田大学卒。㈱桜井グラフィックシステムズ代表取締役社長。新生会後援会副会長。新生会理事。          (平成九年・夏号)


懐かしさ                  (平成九年・夏号)
めぐり来て梅懐かしき匂いかな 石風
懐かしさとは、不思議な情緒だと思う。過去が懐かしいということはどういうことだろうか。鮭が放流した川に戻ってくるのは、匂いのためだという話を聞いたことがある。匂いは、人にとっても古い記憶の一つに違いない。詩人三好達治に
日本よ、海の中には母がいる。
フランスよ、母の中には海がある。
という意味の詩がある。フランス語では海も母もメールである。生命の発生の起源は海にあり、命を育む母の胎内のそれも海の成分に似ている。
 桜が丘三ホームは生まれたばかりである。設計者の建築家原公朗氏は時を経て成長できるような建物を設計の哲学としていると話していたが、その意を汲んで職員は手をかけ、想いを寄せたい。一途な愛の実践が懐かしさの源となる。
(翁)
  

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2013年07月07日

『福祉を廻る識者の声』56(原 公朗)

頭脳と心                   原 公朗
 コンピューターが世界を大きく変えようとしています。産業革命以上の影響を人類に与えることでしょう。手工業から機械工業へと生産手段が急変した産業革命が人間生活の広い分野に大きな利便を提供しました。しかし、その反面、高性能の兵器により大量殺戮を生み出した、悲しむべき事実があります。このことは、科学を誤った方向に利用した「こころ」の問題と考えます。人間に宿る「頭脳」を「科学と文明」に心を「文化と芸術」に置き換えてみましょう。
 「頭脳」は文明や科学をめざましく発展進歩させて来ました。現在の一瞬をとらえても、電化製品から宇宙船まで数え切れない程多量です。
 一方、「心」は人類が社会を形成し、文化や芸術に目覚めた時代から発達や進歩といった概念の対象ではありませんでした。戦国時代の諸子百家の思想は、現代でも読み継がれていますし、同時代のソクラテスの刑死に立ち会ったプラトンやクリトンの悲しみが臨場感を持って迫ります。また、アクロポリスのバルテノン神殿は廃墟ですが、見る人に大きな感動を与えています。いずれも二千三百年以上前の出来事です。文化や芸術に比べ、当時の科学や技術は現代生活に役立つことは皆無に近いでしょう。
 インターネットに代表される情報化社会は、「頭脳」と「心」の均衡があってこそ健全な社会の発展と呼べるのではないでしょうか。高性能のテレビから絶え間なく流れ出る今日の映像は、はたして、この高度な装備に似合う内容であるのか甚だ疑問です。更に情報化が進行するに従って人相互の接触が希薄となり、「心」を見失った人類が増加するのではないかと心配です。
 現代社会は「知識」を吸収し能率を上げることについては極めて便利です。しかし、この「知識」や「科学技術」を使いこなす最も大切な「心」と「知恵」については、その認識が充分でないのが現代の特質と思えます。来るべき情報化社会が産業革命の轍を踏まぬよう心掛けるべきでしょう。
 
原 公朗(はらきみあき)。原建築設計事務所代表。早稲田大学理工学部卒。桜が丘三ホーム設計。北海道旭川市出身。                            (平成九年・春号)

石刻遺訓                  (平成九年・春号)
桜が丘三ホーム(誠の園・穏和の園・桜の園)が完成した。ケアの理念、福祉文化から福祉芸術へ。居室は個室は、共有空間のゆとりは、ジョージが丘三ホームを凌ぐ。完成記念式は、〝桜が丘芸術ホール〟で行われることになった。
二月、中国では経済の近代化を進めた鄧小平氏が死去したが、天安門事件にみられるように民主化は実現されないようだ。古く宗王朝は、武官より文官(進士)が優遇され、文化、芸術が華開いた時代である。書、絵画、陶器など今日の中国の至宝ともいうべき作品は、多くこの時代に生れた。宗の太祖趙匡胤は、〝石刻遺訓〟を残し、歴代皇帝に伝えた。「士大夫(行政官)を言論を理由として殺してはならない」という平易なものである。言わば言論の自由の保証である。創造的活動である芸術、ゆとりある豊かさの背景に心、思想の自由がある。
(翁)
  

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2013年07月07日

『福祉を廻る識者の声』55(原 慶子)

ベースの相違                 原 慶子
 昨年の秋、約五年ぶりにヨーロッパを訪れた。訪問先はオランダのデンハーグに近いハウダの町にある高齢者コミュニティとスウェーデンは森と湖の町レークサンドとストックホルム。
 両国の共通点は社会のベースにギリシャ哲学の民主主義とキリスト教の愛の精神が統合されていることである。もう一方でスウェーデンは、広い国土と少ない人口という条件を生かして森と湖に囲まれた自然環境をとても大切にしている。オランダは狭い国土と高い人口密度という決して恵まれているとは言えない自然条件を生かして、広大な牧場が国中に点在する緑の豊富な国である。スウェーデンでもオランダでも社会福祉に従事する多くの人々と対話を重ねたが、各々仕事に対する哲学と生活のバックボーンがはっきりしており、大変さわやかな会話ができたことはなによりも喜ばしいことであった。
 帰国後しばらくしてから、厚生省の事務次官と埼玉県の社会福祉法人の補助金をめぐる汚職問題が発覚し、大変不愉快な気持を味わされた。また、数年前よりドイツ方式とアメリカ方式の模倣とも言える公的介護保険が関係者の間で取り沙汰されている。
 日本の社会福祉制度も表向きには欧米の民主国家の形態に近づいてきてはいるが、制度を培っているベースが欧米とは全く違っているので、実際に運用する段階でその異質性が露呈されてしまう。日本の社会には民主主義も個人主義も確立されていない。国家機関(政治家・官僚)の根底を支配しているのは律令制以来の封建主義と官僚優位主義である。そして社会の根底には物神性とも言える物質主義が横たわっている。
 十日ばかりの短い旅であったが、今回はスウェーデンとオランダそして日本社会のベースの相違を適切に感じさせられた。相違を一口に言うなら、本当の神を信ずる社会と物という神に依存している国とも言えるし、思想に培われた市民社会と哲学不在の国民社会と言える。
 年頭に当ってあらためて
 「世界の平和を祈り、日本に暮らす人々に本当の謙虚さと愛の心が芽生えますように。今年も読者のみなさん一人一人がすこやかに過ごされますように   (平成九年・冬号)


通達                    (平成九年・冬号)
 計画から二十数年、悲願だった県道横断歩道橋工事が着手された。群馬県の共同募金会を通じ、中央競馬馬主社会福祉財団に申請していたが、十月末に助成が決定した。
新生会は、県道安中・榛名湖線によって、敷地が東西に分割されている。近年県道西側に、梅香ハイツ、榛名春光園が建設され、平成九年度に向けて桜が丘三ホームが竣工を目指している。東西の比重は、西側にむしろ傾いている。敷地をつなぐ歩道橋は、高齢者の交通安全に欠かせない存在となろう。加えて、広く地域の方々に利用していただき、公共の福祉に寄与できると思う。
本来、歩道橋の建設は、行政の仕事。民間が設置するのを許可するのは特例だという。その意味では、当局の理解には感謝申し上げたい。しかし、民と官の歩道橋の高さが違うというのは何とも不思議である。官=4.7m、民=5.5m。「通達」だからでは、納得がいかない。(翁)
  

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2013年07月06日

『福祉を廻る識者の声』54(橋本 宰)

ただ人は情けあれ               橋本 宰
 いきなり個人的な話になるが、私もいつの間にか還暦を迎えることとなった。ふだん若い大学生を相手にしているせいか、五十代になっても自分の老いなど殆ど意識しないまま毎日を過ごしてきたように思う。
 ところが、思いがけなくもゼミの卒業生の皆さんから還暦を祝っていただいた。当日は全国から、また卒業生の皆さんから還暦を祝っていただいた。当日は全国から、また卒業以来二十数年以上一度も音信のなかった方々まで集まって下さり、生涯の中で最も嬉しい日となった。その御礼をしたためようとして、どういうわけか、次ぎの歌がふと浮かんだ。
 ただ人は情けあれ 朝顔の花の上なる 露の世に 「閑吟集」
 歌の世界にはまったく門外漢であるが、何かの書物で読んで心に残っていたこの室町期の歌が自然に出てきた。卒業生の皆さんからいただいた暖かい気持やいたわりが埋れかけていた心の琴線にふれたからであろう。
 今、心理学の世界でもソーシャル・サポートの研究が盛んになり、私も若い研究者と一緒に取組んでいる。もっとも私たちの研究は大学生やその両親を対象に日常生活の中でのサポートを取り上げている。福祉関係の人から見れば、どこか違和感があるかもしれない。それはともかくとして、研究の中味はさまざまな人間関係の中で得ている。または困った時に得られるであろうサポートの内容や程度を調査し、それらのサポートが精神的健康やストレスの緩和にどのような効果をもつかを明らかにする目的でなされている。そのため多様な形で集められた大量のデーターから解析される結果は複雑になる一方である。そして、これからもその作業を続けなければならないであろう。
 しかしながら、データーの山に満足し、〝ただ人は情けあれ〟の歌にこめられた人間としての最も大切な心情を忘れるなら、サポート研究をする資格もなくなるであろう。還暦を迎え、サポート研究の原点を教えられた気がする。
 
 橋本 宰(はしもとつかさ)。一九三六年生まれ。同志社大学卒。同大学院を経て、現在同志社大学文学部教授。心理学専攻。京都市在住。                   (平成八年・秋号)


卆寿                    (平成八年・秋号)
 原正男理事長の誕生日は八月十五日。理事長の話によると、母上が朝おはぎを食べてにわかに産気づき、午前八時頃に生れたのだという。それから九十年、卆寿を迎えた。
 「結核をして若くして死ぬわけだったのが九十年も生かしてもらいました」と誕生日のその日、事務所に挨拶にこられた。また、「僕は本当に神様に愛されていると思う」というのも誕生日の原理事長のコメントである。
人間は〝生きている〟というのと〝生かされている〟と感じるのでは雲泥の差がある。古来、東洋では大自然を主宰する存在があって、それを造化と呼んだ。〝造化とは大自然の善意である〟といったのは数学者岡潔博士である。基督教の神も人を生かす存在である。原理事長は、神様から選ばれた人かもしれない。(翁)
  

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2013年07月05日

『福祉を廻る識者の声』53(小倉襄二)

 〝福祉と記憶・情報〟のこと          小倉襄二
 いま、福祉の現場にとって、この奔流のような情報の隘出の意味するものがどこまでも視(み)えているのか、私はこの点に関心があります。市民福祉情報という領域は、日々のマスコミにその量、質にわたって拡充しています。私にはやや過剰とさえ思えます。福祉の現場としては、この情報をそれぞれに選択とか選別する必要があり、このあたりがあまり留意されていないと考えています。
 私は、福祉の現場には、〝用の美〟というか、柳宗悦の民芸運動が唱えたような手づくりのたしかな手ごたえが基点として在ると主張したことがあります。私自身、いま、情報化のなかで、霊脳(まことにイヤな語感)的マルチメディアとか、パソコンとかインターネットなどには全くの無縁(自分では操作しないしできない)人間です。その意味ではもはや過去の人かとの自嘲もあります。しかし、霊脳的機材のシステムはあくまでなにかを効率的に伝える手続きでしょう。それがわかっていてもこの凄まじく精微な機材のシステムはその情報の伝え方を介して私たちの思考や、そして感性までを絡めとリ、枠組み固着していくのではないでしょうか。司馬遼太郎氏や池波正太郎氏の手書き原稿をとても美しいと思いました。ワープロはくっきりとして無機的で私のいう〝用の美〟はありません。
 ミラン・クンデラというチェコの作家は、〝なにを措いても記憶しつづけること。それが無力に近い民衆が権力に対抗できる唯一の手段〟と語ったそうです。私は福祉の現場がかかわり、サービスを供給する当事者にとってこの人々の記憶、その内奥に秘め、忘じ難く、そこには感性もかさねて生の支えともなっているものより添っていく仕事だと考えています。本来の顛倒のないようなとりくみのためのシステム、とくに情報の処理、選択が求められています。福祉の現場では記憶へのたしかめと配慮が軸であって情報のあくまで手段にすぎません。福祉と人権といったことの保障もこの世紀末に生きる人々の歴史とその記憶の処からあらためて視るべきだと思います。
 
 小倉譲二(おぐらじょうじ)。一九二六年京都生まれ。同志社大学文学部教授。新島学園理事。『社会状況としての福祉』(法律文化社)他著書多数。 (平成八年・夏号)

柔軟な思考                 (平成八年・夏号)
 囲碁、将棋の趣味を持つ高齢者は多い。囲碁はインテリ層、将棋は庶民といった時代は過ぎて、すっかり大衆化した感がある。コンピューターソフトの普及、テレビ放映のおかげである。
 将棋界では、スーパースターが誕生している。その棋士は羽生善治である。谷川王将からタイトルを奪って七冠を独占した。棋力伯仲するプロの間では奇跡に近いといわれる。多才棋士で有名な米長九段が評して〝羽生は天与の華〟といった。誠に名言である。女優の畠田理恵さんと結ばれて八冠を獲得したという人もいる。六月には名人も防衛している。
頂点に立てば人は守勢になるものである。しかし羽生名人はまだ二十五歳、勝負より棋理の追求を全面に出す。〝求道心〟などと言わないところが良い。一つの戦法に固守することもなく思考も柔軟である。人柄もいたってさわやかな現代青年である。(翁)
 
  

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2013年07月05日

心に浮かぶ歌・句・そして詩120

「ほたる」作詞 井上 赳 作曲 下総 睆一

蛍のたるのやどは 川ばた柳
柳おぼろに 夕やみ寄せて
川のめだかが 夢見る頃は
ほ ほ ほたるが 灯をともす

川風そよぐ 柳もそよぐ
そよぐ柳に 蛍がゆれて
山の三日月 かくれる頃は
ほ ほ ほたるが 飛んで出る

川原のおもは 五月のやみ夜
かなたこなたに 友よび集い
むれて蛍の 大まり小まり
ほ ほ ほたるが 飛んで行く

久しぶりに蛍を見た。それも実家の裏を流れる川である。昔の環境とは違っているが、子供の頃遊んだ風景が連想できる。このあたりに、鯉を養殖する池があったが、放置され、すっかり湿地帯になっている。誰かが繁殖させたわけでもなく、自然と蛍が戻って来たのだと妹が話してくれた。ここには、この童謡にあるように柳はない。
映像の次元を超えて蛍飛ぶ
という句を20代に作った時、俳句の先生に褒められたのだが、自信作ではない。
今なら
映像の次元をくぐり蛍飛ぶ
としたい。
  

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2013年07月04日

心に浮かぶ歌・句・そして詩119



「うさぎとかめ」
童話が童謡になった。「うさぎとかめ」の話は、子供の頃から日本昔話だと思っていた。この童話を童謡として作詞したのは、石原和三郎であり、他にも「金太郎」、「花咲爺」、「だいこくさま」、「うらしまたろう」などがあるからである。古くから、日本に伝えられた話だが、イソップ物語が元になっている。
石原和三郎は、群馬県の出身であり、群馬師範(群馬大学教育学部)を卒業し、多くの童謡を作詞している。その詞に曲を付けたのは、鳥取県出身で、東京音楽学校(東京芸大音楽科)を卒業した田村虎蔵である。
プロ野球の選手やプロゴルファーが多額の報酬をもらったあと事業投資に失敗、成績も落ちて収入が少なく借金返済に苦しんでいるなどという話を聞くとこの「うさぎとかめ」の話を思い出す。社会福祉事業も、民間から寄付を求め、恵まれない人々を救済してきた。
寄付金の使途が明確だから人々は浄財を投じることになる。しかし、今日、社会福祉には、公的保険が使われるようになっている。「かめさん」の精神で着実な経営を行うことを求められている。
  

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2013年07月03日

『福祉を廻る識者の声』52(嶋田啓一郎)

老いのわが部屋               嶋田啓一郎
 今年八十六歳、心臓病や肺炎など色々の病気を患って、天上に召される日の近いのを心に期するこの頃、わが身の老いを慰める部屋構えを整えて、その日を静かに待つ想いです。部屋の入口の金属のタブレットには、愛誦の英詩。
Christ is the Head of this house the Unseen Guest at every meal.
Silent Listener at every conversation.
 (キリストはこの家の主人/食事ごとの見えざるまろうど/凡ての語らいの無言の聴き手)
 キリストがわが家、而して私自身を支配し給うこの大安心が、常住座臥、生死苦悩の身を支えています。仏教徒が念仏三昧の生活に法悦の境地を体験されているように、私は聖書の「もはやわれに生くる非ず、キリストわがうちにありて生くるなり」(ガラテア人への手紙Ⅱ20)を心に念じつつ、死への不安を克服しているのです。
 壁に掲げる短冊に、私の学生時代に歌を習った宮崎白蓮夫人の「大自然の力のまえに人の子は何を想わむただ祈るべき」の一首。生命激動の瞬間、パウロの祈りに似た安らぎを実感するのです。
 キリストのゲッセマネの祷りの彫刻に並んで、ヘレン・ケラーがサリバン夫人と手話の大型写真を掲げています。三重苦のケラーのいとも和やかな表情は、緑内障と難聴に苦労する私には、格別の励ましの意味をもっています。
 キリスト者としての私の居間が、仏像や金文字の般若心経の額を置くのは、似つかわしくないと評されるかも知れませぬが、無量寿の象徴としてこれを贈られた仏教学の友人の友情をこの上なく大切にしたいのです。
 社会福祉学の研究に携わった長い生涯ですが、これらの文章や彫刻は、四六時、簡潔、
明澄、かつ荘厳にわが身を慰め励まし、老いの境遇に底知れぬ平安を体験するよすがとなっていることを思う齢のこの頃であります。
 
嶋田啓一郎(しまだけいいちろう)。一九三五年同志社大学文学部卒。同志社大学名誉教授。厚生省中央福祉審議会委員。京都府向日市在住。                  (平成八年・春号)


エリート                  (平成八年・春号)
〝住専〟問題で官僚、とりわけ大蔵省に国民の批判が向けられている。また、住専の大口出資者であり〝母体行〟を代表とする銀行の責任が問われている。大蔵省、銀行は資本主義社会を機能させる中枢である。大蔵官僚、銀行員はエリート。いわゆる頭の良い人である。
国民の勤労努力の結果生み出された〝公金〟を国民の生活向上のために運用するのがこの人達の役目であろう。税金を徴収し、預金を集めてその運用の失敗を税金で処理しよとは何事かと国民が怒るのは当然である。
一つの提案をしたい。天下りや関連会社のへの再就職という慣習はやめて、社会福祉法人へ役員として〝故郷に錦を飾る〟ことです。監事などは適任でしょう。ただし、役員は原則無報酬、借入金の保証人にもなっていただきます。もちろん、高額な退職金もございません。(翁)
  

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2013年07月02日

『福祉を廻る識者の声』51(コロムビア・ライト)

笑いは人生の潤滑油です       コロムビア・ライト
 人間色々、人生いろいろと言いますが、健康はただ一つですね。喋る商売人(タレント)が声を失ったのでは洒落(しゃれ)にもなりませんね。私も喉頭ガンで声帯を除(と)り、約四年になりますが、食道発声と言う独特の発声法で話術を回復できました。人間の体って大したものです。コンピューターが一億五千の細胞云々(データーうんぬん)と言われますが、万物の霊長の人間はナントナント二百億以上の細胞が蓄積されていると言う!神様は凄い生物を作ってくれましたね。でもその生物も最近では心が無くなり、モノ、カネ、イロばかり。細かく分析すると、殺人、恐喝、強盗、スリ、いじめ、詐欺、果ては宗教の癌、オーム真理教など、どうなっているんですか、神国日本?これらの関係者は、一度喉頭ガンに患(かか)れば良いと思ってます。声を出す苦労でそんな悪事に心を奪われるような余裕?はないと思います。政治家の失言も続出。健康?で声が自由に出るからペラペラ喋ってしまうのです。これを喋ったら相手の方は?言い過ぎたかな?こんな気持が有れば対話は百パーセントうまく行きます。人間和の心が必要ですね。そこで私がいかにして相手の方に好意を以って頂けるか?を考えたのです。私には人を笑わせる得意なテクニックが有ったのです。声を取り戻してからこの笑いが大変と役だったのです。笑いって素晴らしいですね。榛名の山々の桜を見て
A・「桜が綺麗ですね」B・「ハイ満開で私の鼻と同じですよ」A・「アハハ::」必ず笑ってくれます。新生会の食堂で。A・「このおそばおいしいわね!」B・「そばでも良く噛むと長生きしますよ!」A・「ナゼ?」B・「ツルツル(鶴々)カメカメ(亀々)ツルカメは長寿の象徴ですよ!」洒落も笑いになるのです。
 笑いという字は、竹がすくすくと育ち天まで届くので(笑)と言う字が出来たそうです。微笑、爆笑、談笑と明るい笑いも有りますが、今流行の笑いは、嘲笑(アザケリ)、冷笑(ヒヤカシ)、陰笑(ワルグチ)。こんな笑いはいけませんね。心に太陽を!唇に言葉を、巷に笑いを::。
 コロムビア・ライト。本名鳥屋二郎。一九二七年、東京青山生まれ。コロムビアトップ・ライトのコンビで活躍。著書に「いきてりゃこそ」など。                (平成八年・冬号)

結核と癌                  (平成八年・冬号)
 結核保養施設榛名荘にコロムビアライトさんは、療養生活を送ったことがある。今から約五十年前の事である。当時を振り返り、原正男理事長(その頃は荘長)は、「宴会でもあると漫談をやったり、器用な芸を見せたりした青年がいて、それがライト君だったんだね」と話す。
コロムビアトップ・ライトとして漫才コンビで一世を風靡したライトさんの笑いの素質が結核療養所時代から芽生えていた。トップさんが、政界に転出してから、マスコミに登場することが少なくなったが、平成三年に喉頭癌を患い声帯を摘出した。結核と癌。死と対峙するような病気に二度も出合い、今回は結果的にライトさんの生命というべき声を失った。しかし、食道発声法で会話を取り戻し、全国各地を講演に飛び回り、忙しい毎日を送っている。
逆境に立ったとき、ユーモアを失わず陽に生きる。まさしくライトである。(翁)
  

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2013年07月01日

心に浮かぶ歌・句・そして詩118

心に浮かぶ歌・句・そして詩118
「憾(うらみ)」作曲 滝廉太郎
 
 あまりにも若い死であった。24歳にも満たない。この曲は、死の数か月前の作品だという。憾みの意味は、恨みではない。政治家が良く使う言葉に「遺憾」があるが、無念であるという意味である。病にならなければ、もっと多くの曲を作れたのにという気持ちは、よくわかる。3分程の短い曲だが、繰り返し奏でられる旋律に、廉太郎の「憾み」がこもっている。最後の一音は、絶叫のように聞こえる。嗚呼!
 滝廉太郎の父は、岡藩の家老だった人。明治政府に出仕し、大久保利通や伊藤博文の右腕になった有能な官吏である。13年前に、大分の竹田に行った時に生家を訪ねた。その時の紀行文を抜粋する。

「荒城の月」、「花」などの作曲で知られる滝廉太郎は、竹田市の生まれである。生家が記念館として残されている。滝廉太郎の生涯は24年に満たないが、不滅の名作を残した。滝家からは建築家も出ている。廉太郎の叔父で、滝大吉という。明治の建築史に名前が出てくる人物である。
 荒城の君旧宅に初音きく
鶯の鳴き方は、春浅くまだ上手くない。やがて、聞き惚れるほどの美声に変わるのも時間の問題である。荒城の君とは廉太郎のことだが、荒城とはこれから訪ねようとしている岡城址のことである。「荒城の月」の作詞は土井晩翠で仙台の人である。伊達政宗がかつて君臨した青葉城をイメージして晩翠は、詞を作ったのかもしれない。二人は、留学中にテムズ川の船の中で会ったといわれている。既に廉太郎は、病を得て帰国するが、再会することはなかった。 拙著『春の雲』より
  

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2013年07月01日

『福祉を廻る識者の声』50(竹田 真)

ヤコブの祝福                 竹田 真
創世記の終り、ヤコブが年老いて目もかすんできたとき、息子ヨセフは祝福を受けるために二人の孫をつれてくる。長男はマナセ、弟はエフライム。古代イスラエルで祝福ということは、父祖からの機能を実体的に伝授されるものと理解され、それは後から絶対に撤回出来ない効力を持っていた。また右手は効き手で左手より強力と信じられた。そこでヨセフはヤコブに向って左側にマナセを、右側にエフライムを坐らせた。長男が勝れた権威を授与されるのが当然の秩序だからである。
ところがどういうわけか、ヤコブは腕を交差して祝福を執行しようとする。このままでは弟の方が右手で祝福されることになり、勝れたカリスマを付与」されてしまう。目はかすみ頭は呆けてしまったヤコブがこの厳粛な時にとんでもないことをするものだ、ヨセフは「父上、そうではありません。これが長男ですから、右手はこれらの頭において下さい」と慌てて止めようとする。
 その時ヤコブは答える、「いや分かっている、わが子よ、私には分かっている」とヨセフの制止を振り切って祝福を強行する。ヤコブの呆けた頭脳の働きはエジプトの総理大臣までなった息子ヨセフの聡明な頭脳を超えていた。たしかにイスラエルの歴史では初期のころからエフライム部族はマナセ部族を凌駕して活躍した。ヤコブの行為はその歴史を反映している。ヤコブの行為はその歴史を反映している。ヤコブの呆けた頭脳は、旧約の歴史に認められる神の摂理を洞察していた。しかしヨセフの知性の知性でもヤコブの行為はおろかな言動としか理解されなかった。これは現代に至るまで知性のみを重視する人間の問題である。「痴呆」とか「呆け」という用語は老化した頭脳の価値を無視した言い方である。
 呆け状態の頭脳は、通常の人間の知性では把握困難な霊的領域の事柄を把握する能力に冴えを発揮することがあるようだ。老いたヤコブは、息子の思惑など無視して、神の心を洞察してそれを執行したのである。
 
竹田真(たけだまこと)。一九三〇年生まれ。立教大学卒業後、聖公会神学院を経て米国ユニオン神学校に留学。聖公会神学院校長を歴任。現在、東京教区主教          (平成七年・秋号)


大樹の陰                  (平成七年・秋号)
炎天の大樹の陰は心地好く
終戦の日、新生会理事長は、八十九歳の誕生日を迎えた。戦争から平和へと変わる日が誕生日というのも、平和主義者の理事長にとってふさわしく思える。
理事長は、〝先生〟と誰からも呼ばれているが、職員にとっては、畏敬というより敬愛の気持ちが強い。それに、理事長が職員を叱責する場面を見たことがない。とにかく原正男という人は心が広い。そして想いが深い。まさに大樹である。
「かの人に一日接すれば一日の愛。日を重ねるほど、共に行動せざるを得ない」とある人をして言わせた南州翁。〝敬天愛人〟は、翁のよく揮亳するところであったが、理事長もまた然り。「先生のためなら」と思って働く職員も多い。
この秋、原理事長に〝毎日社会福祉顕彰〟が贈られた。広く世の人に理事長の功績が認められることは嬉しい。(翁)
  

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