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2014年01月31日

心に浮かぶ歌・句・そして詩136 (後藤静香『権威』より)

「春の海」
おおらかに、ゆるやかに
音なくうねる春の海
いつもこんな心でいたい
やわらかく、あたたかく
ひかり流れる春の海
いつもこんな心でいたい
おおいなる平和のすがた
ゆたかなる恵みのおもい
げにも貴き黙示かな
  後藤静香『権威』より
 
 与謝蕪村の句に「春の海ひねもすのたりのたりかな」の名句がある。春の海からは、心の平安、平和な世の中が連想される。後藤静香は、東京師範学校を卒業後教師になったが、数学を教えていたらしい。しかし詩才にも恵まれていたようだ。奥の細道を鑑賞した文章を見た時もその印象が強かった。
  

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2014年01月30日

心に浮かぶ歌・句・そして詩135(後藤静香『権威』より)

「ぬれた心」

ぬれた若葉に朝日があたる
かがやき出ずる光彩よ
ぬれた苗床に種をまく
もえ出ずる生命よ
涙にぬれたまなこにのみ
自然が見える
人間が見える
本当の人生が見える
ぬれたる胸にいだかれて
か弱い若芽ものびてゆく

後藤静香『権威』より

後藤静香(1884-1971)は、大正から昭和にかけて活躍した社会教育家である。彼の著した『権威』は、長い期間に渡り再版され、多くの人々に読まれた。その詩とも、教訓集とも言える言葉を暗誦したり、社是に掲げる人もいる。戦前は、100万を超える読者があったが、戦後は「知る人ぞ知る」という感じの著書になった。
 最近、知人の研究図書で知ったのだが、『権威』は、GHQによって戦後没収の憂き目に逢っている。現在あまり読まれていないのは、そのことも、影響しているのだろうが、深く味わうと、心に沁みて来るものがある。
  

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2014年01月29日

心に浮かぶ歌・句・そして詩134(青春の詩)

「青春の詩」 サムエル・ウルマン作   邦訳 岡田義夫
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、孤疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
いわく
「驚異への愛慕心」、「空にきらめく星辰(せいしん)」、「その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)」、「事に処する剛毅な挑戦」、「小児の如く求めてやまぬ探求心、人生への歓喜と興味」。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、 そして偉大の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え。悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽(おお)いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、
神の憐れみを乞うるほかはなくなる。

この詩を紹介してくださった人は、地域に開業医として90を近くして現役でいらっしゃった先生である。医師会報に書かれたエッセイの写しをいただいたのである。今から10年近く前のことなので、良い詩だなあと思いながら年齢的に実感はなかった。
しばらく時がたち、あるゴルフ場の浴室の入り口にこの詩が掛けられてあった。今度は少し実感が湧いた。余生というものはなく、また隠居生活という事もなく、健康で心がこのようであれば、若さを失わず済むかもしれない。かのマッカサー元帥もこの詩が痛く気に入っていたらしい。問題は、実行できるかである。
  

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2014年01月28日

心に浮かぶ歌・句・そして詩133(敬天愛人)

天に事(つか)うる心
「凡そ事を作(な)すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。

 南州遺訓(西郷隆盛が遺した言葉)の中に「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」というのがある。この遺訓は、言志録のこの項を教訓とした。
西郷南州が良く揮豪した「敬天愛人」の由来もここから発していると考えてよい。
佐藤一斎『言志録』5より
  

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2014年01月27日

心に浮かぶ歌・句・そして詩132

書を著して後世に残す
「(前略)撰著以て諸れを後に遺すに如くは莫(な)し。此れ即ち死して死せざるなり」

 本を書くことは悪いことではないが、費用もかかることだし、高齢になって自叙伝を書いてみようというのが、作家ではない一般人の良くすることである。ただ、あえて本など残そうなどという人は本来まれである。
 儒教を始めた孔子もしかりであるが、キリストや釈迦といった大宗教家は、著作を残したわけではない。弟子という人々が師の言動を忠実に書き遺したとされる。書を書き遺すことが人生の要諦ではないとも言える。
 私事になるが、若い時は、作家志望という大それたことは、考えなかったが、新聞社の学芸部の取材記者になれたらという希望を持ったことがある。希望は叶えられなかったが、職場で広報誌の編集や社史の編集を担当することができた。本来書くことが好きだったのである。40代後半、旅をするようになって、紀行まがいの「旅日記」を書くようになり、友人知己に小冊子にして配った。最近は、もっぱらブログに記事を載せている。佐藤先生のような大家ではないから、後世に遺すなどという代物では決してない。
佐藤一斎『言志耋録』229より
  

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2014年01月26日

心に浮かぶ歌・句・そして詩131

人には与えよ
「人の物を我に乞うをば、厭(いと)うこと勿れ。我の物を人に乞うをば、厭(いと)う可(べ)し」

 一見矛盾しているような言葉だが、広く世に知られている「春風接人、秋霜自粛」の言葉と合わせて考えると理解できる。与えることは、財力に余裕もあり、まして友人が困っていたりすれば、当然のようにできる行為だが、自分には、厳しくしているのは、財力も少しは余裕を持っておけということだろうか。
 物質的なことではなく、与えることは、その人の心を豊かにするのも事実である。人が喜ぶことができることを喜べるというのも大事な心の働きである。私の友人に、身辺整理を始めた人がいる。新品同様の物が多く、私のところに何度かに分けて宅急便で送ってきた。こちらから乞うたわけではないが、有効に使っているというと本当に喜んでいる。捨てればごみになるだけで、誰かの役に立つことが嬉しいのである。財力のない人ではないからできるということだけではない。
 しかし、友人間のお金の貸し借りはなるべくならしないほうが良い。特に返済の見込みのない額は、お互いに心の負担になるものである。真の友人であれば、返金を考えず、あげたと割り切れば良い。
佐藤一斎『言志後録』221より
  

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2014年01月25日

心に浮かぶ歌・句・そして詩130

聖人の情
「聖人は万物に順(したが)いて情なし。情なきに非(あら)ざるなり。万物の情を以って情と為すのみ」

 古代ギリシャ人は、心の働きを「知・情・意」に分けて考えた。この働きの中で、一番深く大事なのが「情」だと言った人物がいる。数学者、岡潔である。その「情」の中で、一番奥底にあるのが「真情」だと言い、思索と自らの人生の歩みと重ねながら、晩年に至り、言葉で説明しようとした。世には出なかったが、その著書の名前は、『春雨の曲』である。存命中に、何らかの出会いがあり、故人になって後も、その考えに共感する人達の目に触れることができる。幕末の一級の儒者、佐藤一斎でも「万物の情」というだけにとどまっているが、その存在は否定していない。「造化の心」ということか。
佐藤一斎『言志後録』115より
  

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2014年01月24日

心に浮かぶ歌・句・そして詩129

晩年自警の詩

晩年学ぶ莫れ少年の人を
節輒(すなわ)ち荒頽(こうたい)して多く身を誤る
悟り得たり秋冬黄爛(こうらん)の際
一時の光景陽春に似たるを
頒白誰か憐む遅暮の人
自ら知る三戒の修身にあるを
看るを要す、枯樹閑花発(ひら)くも
也(ま)た是れ枝頭一刻の春なるを
名訳がある。
 「年をとってからは、若い者の真似をしなさるな。そんなことをすると、身体の調子がくずれて身を誤るわい。今は丁度、秋から冬にかけて木の葉が黄ばんだ頃で、一時、一寸小春日に似ているなと悟ったよ。白髪まじりの老い先短い老人なんか誰が憐れむものか。三つの戒めというものは一生涯の戒めであることがわかったよ。良く見なさい、枯れかかった樹に狂い咲きの花が咲いたとて、これはほんの一瞬間、枝の先に春がのぞいたようなものだわい」
 詩の書き出しに「人は50をすぎてから、春心が再び動くことがある」と書いている。春心とは、性欲のことである。気が若いのは良いが、老体とのバランスを考えないといけない。精神の向上は死ぬまで続く。暴走老人と言われた石原慎太郎氏も元気だが、曽野綾子さんもしばらくぶりでテレビで拝見したがお若く、頭脳明晰なのには驚かされる。
佐藤一斎『言志後録』149より
  

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2014年01月23日

心に浮かぶ歌・句・そして詩128(フランクリンの徳目)

フランクリンの13の徳目
①節制②沈黙③規律④決断⑤倹約⑥勤勉⑦誠実⑧正義⑨節度⑩清潔⑪平静⑫純潔⑬謙譲
それぞれにフランクリンの説明が書かれているのだが、どれ一つとして身に着いたものがないのが、凡人の悲しいところ。勤勉、誠実、節度、謙譲あたりは心がけて見たいことであるが、節制、規律、清潔などは徳目にしたところで「豚に真珠」である。一つだけ、フランクリンの解説を紹介しておく。純潔について。「性交は、健康、または子孫のためにのみ行い、必ずこれがためになまくらになるなかれ。(以下略)」今のところ、これくらいのことなら守れている。
  

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2014年01月22日

心に浮かぶ歌・句・そして詩127

独立自信
「士は独立自信を貴(たっと)ぶ。熱に依(よ)り炎に附くの念起こすべからず」

 慶応義塾の創始者福澤諭吉は、在野の人であり「独立自尊」という気概を持っていた。人に頼らず、自分の道は自分で切り開く。こういう生き方は誰もができる分けではない。志がはっきりしている人にはできる。同じ、明治の教育家である新島襄もそうした一人だ。組織にあって、自分の考えを通さず、上司に媚び、従順に従うことは処世術でもあるから一概には責められない。しかし善悪無視して、見ぬふりすることは良くない。コンプライアンス(法令遵守)の働かないようなことは、まずい。さらにまずいのは、権限を持つものが、従順を強要するように、強権をふるうことである。北朝鮮の今回の粛清は、まさにそれであって、独立自信の士は生まれて来なくなるが、亀裂ができた時、志を持った人々により、一気に大洪水に至ること必定である。
  

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2014年01月21日

心に浮かぶ歌・句・そして詩126

花―已むを得ずして発するもの
「已むを得ざるに薄(せま)りて、而(しか)る後に諸(これ)を外に発する者は花なり」

儒者らしい花の観察眼である。花は切り花にもなるが、咲いている時が美しいと誰もが思う。「今が花だ」という時は、最盛期を指している。しかし、花は、やむを得ず咲くのだという。蕾のままではいられない。
「秘すれば花なり」という有名な世阿弥の言葉も想起させる。花は美しいが、何か秘められた習性があるから美しいと感じるのかも知れない。
佐藤一斎『言志録』92より
  

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2014年01月20日

「文教の町安中の礎―明君 板倉勝明―」

 1月19日(日)に安中市にある「ふるさと学習館」で、幕末の安中藩主で明君と言われた板倉勝明(かつあきら)公の業績についての講演会があった。講師は、安中市文化財調査委員の淡路博和氏。新島学園の教員であった方である。
 この講演で感心したのは、氏が地道に安中に残る古文書を調べ、板倉勝明の業績を実証していることである。特に興味深かったのは、当時の農民の実情である。かなり苦しい生活を強いられたことを年貢や、本百姓の減少などの安中領内にあったある村の家に残る古文書を資料として説明された。米は、作柄によって毎年変化するが、板倉勝明は、調査の手間も省略し「定免」とした。その率が高かったことから、農民を苦しめた結果にならなかったかと講師は指摘したが、農民に対する救済制度を講じていることから、領民に配慮がなかったとは言えないという。農民は、米以外にも納税義務があり、畑については貨幣で支払うことになっていて、こちらは毎年ほとんど変わっていない。
 板倉勝明の主な業績を挙げると、種痘を日本に伝えられた翌年には実施していること。高名な学者の論文を出版したこと。安中の文教の礎を築いた人と言われる由縁である。新島襄は藩主に選ばれて、蘭学を学ぶことができた。明治になって、この殿様が明君であったことを文章に残している。「安中教員と館林巡査」ということが、明治以後群馬県内で言われるようになったのも、板倉勝明の文教政策によること大であった。48歳で亡くなったが、病中にあっても領民のことを思い、「視民如傷」という言葉を残している。漢文が良くできた殿様であったらしい。「甘雨」、「節山」の号を持っていた。節山は、妙義山のことである。
 「ふるさと学習館」では、「我が郷土の文学者」の企画展が2月3日まで開催されている。
  

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2014年01月18日

大往生

 1月18日の早朝、104歳の方が、老人施設で亡くなった。吉澤みつさんという。健康型の老人施設に入居された時は、70の半ばだったから、30年をほぼ施設で過ごしたことになる。太宰治ゆかりの人で、前東京都知事の猪瀬直樹が取材に来たこともある。太宰治ゆかりの人というだけでなく、100歳を超えても、文章を書き続けた随筆家でもあった。陸奥新報という郷土の新聞に回想録を連載し、1月21日には『銀の鎖』という書名で出版の予定だった。亡くなる前日まで、周囲の人と会話ができたという。知的能力は最後まで衰えなかった。まさに大往生である。
 吉澤さんについては、拙ブログ2012年10月18日の記事として紹介文を掲載した。その日は103歳の誕生日だった。ご冥福をお祈り申し上げます
  

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2014年01月18日

小野田寛郎さんの死を悼む

 1月17日に小野田寛郎さんが亡くなったという報道がなされた。死因は肺炎で、91歳であった。2009年の9月、水上温泉のホテルで講演を聞き、その後控室で直接お話しする機会があった。記念写真も残っている。奥様の町枝さんを同伴されていた。二人は、夫婦であり、戦友でもあるとおっしゃっていた。講演の内容は、拙ブログの2012年8月8日に掲載した。
 小野田さんの経歴は、広く世に紹介されているが、講演の中で語られたのは、演題のとおり、「人は一人では生きられない」ということであって、30年の間ジャングルでどうして生きていたかということは、思い出したくもない辛い体験だったということである。平和の時代であっても、人を思いやる心の大切さを、小野田自然塾を主宰して子供達に伝えようとされたことは尊い。
 小野田さんの陸軍中野学校の友人で、末次一郎さんという人がいたが、日本青年奉仕協会の会長時代、ボランティアの受け入れでお話しする機会があった。最後の国士と言われ、文芸春秋などに取り上げられた人物である。戦争体験が強烈であったからだろうが、平和の時代であっても命がけの人生を生きた印象で共通している。しかし、お会いした時の、穏やかな人柄と笑顔がまた共通している。ご冥福をお祈り申し上げます。
  

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2014年01月17日

心に浮かぶ歌・句・そして詩125

大利よりは小利に動かされ易し
「爵録(しゃくろく)を辞するは易く、小利に動かされざるは難し」

この言葉をそのまま当てはめて良いような事件があった。猪瀬東京都知事の辞任である。作家としても実力があり、政策に対しても実行力があった。借用したという5000万円は、庶民にとっては高額なものであるが、猪瀬知事にとっては、小額、つまり小利だったと言える。選挙にはお金がかかるだろうが、いかにもこの借用はまずかった。猪瀬さんは、悪い人ではないと思うが、思慮が足りなかったと言われても仕方がない。この辞任劇、攻めの強い将棋の棋士が受けに回った途端詰まされてしまったという感じもする。
佐藤一斎『言志録』66より
  

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2014年01月16日

心に浮かぶ歌・句・そして詩124

大志と遠慮
「真に大志有る者は、克(よ)く小物を勤め、真に遠慮有る者は、細事を忽(ゆるがせ)にせず」

物事は、日々の積み重ねの中に成就すると言っている。なかなか成就したものは少ないが、非才ながら「継続は力なり」と思って、小志、近慮であっても地味な努力をしたい。先日、中学時代の友人と再会し、初めてラウンドしたが実に上手い。スコアも天と地というほどの差が出た。彼曰く、「回数の違い。このコース300回以上廻っているからね」。このコースの会員で、シングルプレイヤーとのこと。会員ボードに彼の名があり、ハンデは、7とある。コースも熟知している。加えて、ゴルフが好きだという事。才能もあるだろうが、好きだから継続できている。
佐藤一斎『言志録』27より
  

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2014年01月15日

心に浮かぶ歌・句・そして詩123

造化の跡
「静に造化(ぞうか)の跡(あと)を観(み)るに皆な其の事無き所に行われる」

 造化という言葉を現代人はほとんど使わない。大数学者であった岡潔先生は、「造化とは、大自然の善意」と言った。至言だと思う。
 言志四録を見ると、造化は、「創造化育」という熟語に語源があるらしい。それはともかく、造化は人知れず働いている。このことを自覚するかしないかとでは人生の生き方が変わってくる。自然の恵みの多い風土に住んでいる日本人ならば、仏や神の存在を信じるという前に、造化の存在を意識したい。
   佐藤一斎『言志録』17より
  

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2014年01月14日

「積極的無常観」のすすめ

「積極的無常観」のすすめ
 1月12日の讀賣新聞朝刊の「地球を読む」覧に劇作家の山崎正和氏が、このタイトルで考えを述べている。室町中期以降は、戦乱の時代で世の無常を感じる人が多かった。戦後の日本は、大きな紛争に巻き込まれることもなく、まして戦争もしていない。失われた20年などと言っているが、飢餓で死ぬような社会ではない。
私も50になった頃、過去を振り返り、行く末を考えた時、人生は、つくづく「無常」だと思うようになった。同じ状態はなく常に変化している。職場の肩書などは、人が決めたこと。首相ですら短期間に変わる。そういうものに執着するのは意味がない。
 人は、懐かしさと喜びの世界に生きていると言った先人がいる。幼子の眼は、懐かしそうな眼をしているとも。一人の人間の一生が始まる前には多くの人々の過去がある。後世の人に、あるいは周囲の人に懐かしく思い出さられるような生き方をしたいと思う。
 現在は、予測困難な時代だとも山崎氏は言う。いつの時代だって、将来は予測困難なものである。人間の死は、若者、年寄り隔てなく、必ず将来訪れる。若ものだって無常観を持ってもおかしくない。くよくよせず、前向きに行きたい。無為に時間を過ごすことのないようにしたい。加えて、人とのご縁は大事にしたい。
 今朝、大学時代の友人が大阪で亡くなったという知らせが届いた。有りし日の思い出を浮かべつつ冥福を祈りたい。今年も年賀状のやりとりができたのはせめての救いである。
  

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2014年01月13日

『言志四録』(一)言志録 佐藤一斎著

『言志四録』(一)言志録 佐藤一斎著 
川上正光全訳注  講談社学術文庫 1000円(税別)
 

 古本市で発見。まさか、こんな所で出会うなんてという感じ。著者は、幕末に亡くなった儒者で、『言志四録』は、戦前はともかく、戦後は出版されず著者の名は、忘れ去られたと言って良い。天下の岩波文庫も再版していない。佐藤一斎は、佐久間象山の師でもあるが、西郷隆盛が熟読した著書として、どのような内容か関心を持っていた。この本を世に出したのは、川上正光氏の功績である。略歴を見ると、東京工業大学の学長という立派すぎる履歴の人物である。大学も同校で、専門が電気工学というから驚く。氏の人生訓として佐藤一斎は特別の存在のようである。
 佐藤一斎の生きた時代と現在は、あまりにも違っているが、人生いかに生きるかということは、共通の課題になっている。儒者という立場ではあるが、含蓄のある言葉が並んでいる。さらに、佐藤一斎は88歳という長寿であり、思考も衰えなかった。いかに、有言実行の人であったことが想像できるのである。彼の門下からは、幕末から明治の政治を動かした俊材を輩出している。横井小楠もその一人である。
  

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2014年01月11日

法律門外漢のたわごと(遺族基礎年金)

法律門外漢のたわごと(遺族基礎年金)
 今年の4月から、父子家庭にも遺族基礎年金が支給されるようになるという記事が、1月11日の各社新聞の朝刊に載っています。国民年金制度を見て不思議に思っていたのは、どうして、父子家庭には支給されないかということでした。
 支給の要件の詳細については、触れませんが、高校卒業前の子供を残し、奥さんに先立たれれば、その配偶者の経済的負担も大変だと思います。母子家庭よりも収入の道はあるかも知れませんがそういう問題ではありません。遺族基礎年金は、子供が成人されれば支給されないことになっているので、国民年金からの支出の額は、それほどの金額にはならないはずです。
 新聞による説明を見ると、3号被保険者やパートの妻が亡くなっても支給されることになるようです。サラリーマンの妻は、生活の支え手ではないという考え方があったからです。ところが、3号被保険者には妻の扶養の夫もおり、母子家庭にも支給されないケースが出て来るということになります。いずれにしても、遺族基礎年金が父子家庭にも支給されることになることには賛成です。遅きに過ぎたという感じがします。
  

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