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2014年03月31日

法律門外漢のたわごと(宿直手当)

宿直というのは、拘束されるものの労働ではありません。労働基準監督署の許可を受けておく必要があります。事業所に待機させるのですから、当然手当が必要になります。宿直勤務に関係する職員の一日の賃金の平均の3分の1以上であれば良いことになっています。
宿直の後は、通常勤務になることが多く、手当をもらってもできればしたくないと考える職員が多いようです。しかし、職員である限り当番制になるのもいたしかたないのですが、定年後などの高齢職員は体力的にも辛いものがあります。給与が減額されても、できれば宿直から離れたいというのが正直な気持ちです。良く考えると、高年齢者雇用継続給付金というのがあって、宿直に入らない分は賃金低下があればそちらから支給されるのです。こういう仕組みを知っていれば、退職後の職員は、健康的配慮として宿直からはずしてもらっても良いと思うのですが。その分は、若い世代の収入にまわるわけですから。ただし、宿直は、週一回が原則になっています。
  

Posted by okina-ogi at 10:03Comments(0)日常・雑感

2014年03月30日

日本でいちばん大切にしたい会社』 坂本光司著 あさ出版 1400円+税



  著者は、法政大学大学院教授。友人である静岡大学教授に紹介されて買って読んでみた。坂本教授とは面識があって共感するところがあるのだろう。
 坂本教授は、全国の会社を取材して、その中から「日本でいちばん大切にしたい会社」を紹介している。この本では5社が載っている。その中に伊那食品工業があったのには驚いた。40年以上も増収増益を続けた会社で寒天製造をしている会社である。創業者の書いた『年輪経営』を読んでいたく感動したことがある。
 他社4社はどんな会社かと言うと、日本理化学工業。従業員の7割が障害者を雇用している会社。チョークを作っている。中村ブレイス。義肢装具の会社。石見銀山に近いが、会社は過疎地にある。柳月。北海道十勝にあるお菓子の会社。杉山フルーツ。静岡富士市にあって果物を販売している。
 それぞれの会社に物語がある。社会に共存し、職員が楽しく働き、経営が長続きしている。儲け主義ではない。不断の経営努力もあるが、職員を大事にして良い商品を生みだしている。会社は、社会の公器であることが実感できる会社である。読んでいると目がしら熱くなる個所も多い。
  

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2014年03月29日

ゴルフ場の売却




 ゴルフ場を経営する大手企業のアコ―ディアが所有するゴルフ場の大半を1000億円以上で売却するという報道がなされている。このことは、何を意味しているのか。震災があって低迷した時期もあったが、収支をみると赤字ではない。ゴルフ場は、プレーをするためには、なくてはならない基本的な財産のはずだが、その所有権を人手に渡すということが思いつかない。不要になった不動産を手放すのとはわけが違う。
 会社の説明を良く読んだわけではないが、将来ゴルフ人口は減るので、今から所有するゴルフ場を手放し、売却した資金で経営を堅実にするためだという。しかも、引き続き売却したゴルフ場の経営は譲渡先から委託されて継続するのだという。
 ゴルフ場を開設するまでは、土地の購入から開発まで大きな資金がかかっている。多くの人が会員権を買い、銀行も融資した。しかし経営が行き詰まり、アコ―ディアやPGMといった会社がゴルフ場を買い、効率化や大規模経営によって、維持してきている。
 ゴルフボールの新品は、高いということを数日前に書いた。最初のゴルフ場の会員券も高かった。今回のこの報道で、最初に投資した人の負担のことを考えた。
  

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2014年03月28日

良寛さんにまつわる話(6)「いたずらがき」

 相馬御風『良寛さま』に書かれているエピソードを拾って紹介したい。皆有名なものばかりで、いまさらという感じがすると思うが。タイトルはそのまま借用する。
 良寛さんが日頃お付き合いのある村の金持ちが、当時日本一の画家と言われた円山応挙の絵を百両で買った。良寛さんは、無性にその絵が見たくなり、その金持ちに頼み込んで絵を見させてもらうことができた。
 絵に見入っている内になんともいい気分になり、その絵の上のあいたところに、自分の好きな文句をかいてしまった。我に返った良寛さんは、「これは大変なことをしてしまった」と家に逃げ帰ってしまう。もちろん絵の所有者は、憤慨したが、良寛さんだから許してあげようということになった。自画自賛ではなく、自画他賛ということになった。今日になっては、大変な家宝になっている。当代一流の画家と書家のコラボレーションになった。
  

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2014年03月27日

良寛さんにまつわる話(5)「殿さまのお使い」

良寛さんを高僧として認める殿さまがいた。長岡藩主の牧野忠精(ただはる)である。幕府の老中を務めた英君だったが、良寛さんを城に近い寺の住職になってほしいと思い、家老を五合庵に使わせたが、次の句に思いを込めて辞退した。
焚くほどに風がもてくる落葉かな
良寛さんに地位や報酬に関心はなかった。学問は、立身栄達の手段とは微塵も考えたことがなかった。
  

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2014年03月26日

良寛さんにまつわる話(4)「天上大風」

「天上大風」


良寛さんの書として良くとりあげられるこの文字は、子供が作った凧に書かれたものだという。まるで、漢字を習いたての子供が書いたように見える。
良寛さんが凧にこの字を書いたのは、無心で凧作りに取り組んでいる子供の心に共感したからだ。一生懸命な姿に良寛さんは感動する。
  

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2014年03月25日

世紀の日本画展(2014年3月)

 

 東京の上野公園にある東京都美術館で特別企画展「世紀の日本画」が開催されている。岡倉天心が中心になって結成された日本美術院の流れを汲む日本画が展示されている。前期と後期で作品が入れ替わるが、後期を鑑賞した。横山大観の「無我」と「屈原」を見たかったからである。「無我」は、一度島根県にある足立美術館で見たことがあるが、解説では東京国立博物館蔵となっているから、たまたま足立美術館に貸し出されていたのを見ることができたのであろう。切手にもなっていて、童子のあどけなさが「無我」というテーマにぴったりな感じがする絵で大観二九歳の作品である。
 屈原の原画を見るのは初めてだと思う。厳島神社蔵となっているから、横山大観展でも企画されなければなかなか目にすることはできない。かなり大きな作品で、激しい風の中に毅然と立ち、髪が乱れている屈原の姿に悲壮感を感じる。どこか、師である岡倉天心の姿を彷彿させる。事実、根拠のない理由により岡倉天心は東京美術学校の校長を免職された。そのこととこの絵は、無関係ではないと音声解説のテープにも流れていた。右手に持つ植物のことも解説がなければ気づかない。蘭の花は、高潔さを表している。
 屈原は、楚の政治家であったが、讒言によって左遷され、国の行く末を憂い、汨羅江に身を投じて死んだ人物である。漢詩「楚辞」を遺している。日本画に西洋の絵画の手法を取り入れた最初の絵とされる狩野芳崖の「慈母観音」も見ることができた。もっと色鮮やかな絵と思っていたが、意外に渋い感じがした。この絵を狩野芳崖は、完成させることなく朋友の橋本雅邦が引き継いだとされるが、狩野芳崖作といって問題ないようだ。岡倉天心は、多くの芸術家を育てたが、弟子達は、彼の思想の高さに共感したのである。その一つに、歴史に題材を求めることがあったようだ。その一人に、安田靫彦がいる
 「額田王」は、彼の代表作である。教科書に良く載る絵である。切手にもなっている。天武天皇の妻とされている女性だが、万葉集に載っている歌は不思議な歌である。
 茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫野という地名は懐かしい響きがある。京都の大徳寺近辺が紫野である。この歌が詠まれた場所かどうかは確認していないが、学生時代下宿したところである。今回は展示されていなかったが、安田靫彦には良寛さんを描いたものがある。出雲崎の良寛記念館で見たが、本物であったかわからないが、安田靫彦は良寛研究家としても知られている。鼻筋の通った良寛さんが印象的である。良寛さんの肖像が残っているわけではないのだから彼のイメージである。晩年の良寛さんを描いているが、いつしかこの絵の良寛さんが頭に沁みついてしまった。
 前田青邨、菱田春草、下村観山の巨匠の絵も展示されていたが皆個性的である。菱田春草は、比較的短命の画家であるが、岡倉天心や横山大観らと茨城県の五浦の海岸に居を構え、画業に専念した時期があった。海岸近くに建てられた六角堂は、東日本大震災の津波で流されてしまったが、つい最近復元されたというニュースを聞いた。
 絵画ではないが彫刻家では平櫛田中の作品があった。菱田春草とは対照的に、一〇七歳の長寿であった。五浦には、釣りをする岡倉天心の立像があったし、天心の座像などの作品がある。広島の福山市の出身で、婿に入った人でどちらが旧姓か忘れたが、田中を(でんちゅう)と読ませている。
 久しぶりの東京都美術館訪問となったが、改修され、エレベータを使って各会場を移動することができるようになっている。地下ロビーの片隅に置かれた佐藤慶太郎像も一階ロビーに移され、説明板が整備されていた。朝倉文夫の創作したものだが、最初の美術館の建設に多額の寄付をした九州の実業家である。
  

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2014年03月24日

日本人らしさ

ゴルフ場での出来事である。ロッカーに携帯電話を置き忘れてしまった。バックに入れたと思い込んで、家に帰って開けて見るとない。個人情報満載である。急いでゴルフ場に電話をすると「本日は、業務を終了しました」というだけで、電話が通じない。なるべく早く連絡をとりたいと思い、予約なら通じるかもしれないと思い、その番号に連絡すると通じた。「今点検中で、有りましたら電話します」という返答。数分後に電話があり「キノコのついた携帯ですね」。ドコモダケが確認のしるしになった。その時思ったのは、日本で良かったということである。
日本人の美徳に、困っている人には優しい。悲しみには同情する心がある。新渡戸稲造博士が『武士道』に書いた惻隠の情である。阪神淡路大震災や東日本大震災の時も、この日本人らしさが発揮された。携帯電話は、財布に近い。携帯電話なのだから、いつも体に身につけておかなければならないと当たり前のことを思った。
  

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2014年03月23日

ゴルフボール

「ゴルフは亡国のスポーツだ」と言った人の言葉が忘れない。羽田から飛行機で飛び立ち晴天の日などには、眼下にゴルフ場だとすぐわかる地形が数多く目に入ってくる。確かにこれだけ広い土地を開発するには多額の資金が必要になる。以前は、プレー費も高く一部のお金持ちのスポーツと思われていたから、冒頭の言葉も分からないではない。
ゴルフは、高齢者が、若者と一緒に楽しめるスポーツだ。無理ない運動だから、健康にも良い。友達もできるし、良いスポーツだと思っている。ところがである。ゴルフボールの新品は、決して安くない。一個500円位する。1ラウンドでオービーなどを出すと半ダース位はロストボールになってしまう。なんと3000円である。そう考えるお金がかかるのは、事実である。


こんな当たり前のことを思いつかなかったのは、今まで新品を買ったことがなかったからである。新品は使ったことはある。それは、景品であったり、貰いものだった。だから、平気でオービーを出していた。自分で新品のボールを買ってプレーしたらもしかしてゴルフのスコアーが良くなるかもしれない。加えて、安いロストボールばかり使用しているが、新品のゴルフボールでプレーしている人には感謝したい。
  

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2014年03月22日

大雪の爪痕



3月20日、久しぶりにゴルフをした。群馬県でも西毛地区にあるゴルフ場で、残雪はコースにはないが、多くの木々の枝が折れている。名物の松などは、大きな枝が折れている。冬の間、兼六園の松が雪の重みで折れないように雪吊をしている意味が良く分かった。
松の根は、岩を砕いて根を張る逞しさがあるが、大雪には弱い。松くい虫によって枯れることもある。杉の木が雪で折れにくいのは、豪雪地帯でも適応する木だと言うことだろうか。秋田杉は有名だが、豪雪地帯である。
  

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2014年03月21日

良寛さんにまつわる話(3)「百年生きたい」

「百年生きたい」
ある金持ちの80歳のおじいさんが、自分は、もうこれといった望みはないが、100歳まで生きたいと思うが、いい考えはないかと良寛さんに尋ねた。
「それは、簡単なこと」だと良寛さんは言う。
さすが良寛さん、どんな妙案かと耳を傾けると
「既に100歳生きたと思えば良いではないか。1日でも長生きすればもうけものと考えれば良いではないか」
80歳のおじいさんは、納得した。
要は、心の持ち方だというのである。目の前に、欲望の種はたくさんあって、ついついそういうものに人間は惑わされてしまう。そういう良寛さんは、80歳まで生きられなかった。瀬戸内寂聴が語っていたが、最後に良寛さんは
「死にとうない」
貞心尼に言ったというが、これまた正直な気持ちで良寛さんらしい。
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2014年03月20日

良寛さんにまつわる話(2)「酒買い」

「酒買い」
良寛と同じ書家で儒学者であった亀田鵬斎という人が良寛さんを訪ねて来たことがあった。二人は共感し語り合い友人になった。亀田鵬斎は酒好きで、良寛さんも酒は嫌いではなかったので、徳利を持って酒を買いに良寛さんが出掛けた。ところが何時間たっても良寛さんは帰ってこない。しびれをきらした亀田鵬斎は、良寛を捜しに出た。
坂道を下って行くと、見晴らしの良い場所に松が一本生えていて、その松の根元に坐っている良寛さんを見つけた。何をしているのかと声をかけると月を指して「素晴らしい月でしょう。あなたも一緒に見ませんか」と応える。酒を買う事など忘れて、数時間も同じ場所で月を眺めていたのである。亀田鵬斎は驚いたが、あまりにも美しい月なのでしばらく良寛と眺めていたが、
「ところであなたは、お酒は買えたのですか」と言うと、良寛はびっくりして立ちあがり酒を買いに大慌てで坂を下っていった。亀田鵬斎は、あっけにとられてその後ろ姿を見つめていた。
こういう良寛さんの話を聞くと、大数学者であった岡潔の伝説的なエピソードを思い出す。『評伝岡潔-花の章』に書かれている話である。戦後間もない頃、岡潔は教職から離れ、郷里の紀見村で百姓をしながら数学の研究をしていた。当時子供だった人の記憶を著者が取材した。紀見峠の頂上あたりで、朝太陽を見つめている岡潔の姿を目撃した。夕方また峠に行くと、同じ姿勢で太陽を眺めていたというのである。太陽が美しかったというより思索を続けていたのである。同じようなことがソクラテスにもあったことを、プラトンの著作集から引用している。
  

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2014年03月19日

良寛さんにまつわる話(1)「銭拾い」

 「銭拾い」
 良寛さんは、働いてお金を得る人ではなかったから、お金に執着することはなかった。けれども、お金が品物に代ることは知っていた。お酒も嫌いな方ではなかったから、お金を持って酒屋に行くこともあった。
 村人が良寛さんに、お金を拾う楽しさを話したところ、正直な良寛さんは、何度もお金を道に落として拾ってみたが少しも楽しくならない。ところが、お金が草むらに落ちて見つからなくなって、長い時間捜したあげくに見つかった時に、村人の言う喜びを感じたというのである。ただそれだけのあどけない話である。


 関東では、歴史的な大雪が降り除雪が大変であった。ある職場の駐車場の除雪は、手作業になり、建物の北側にうず高く積まれ1カ月も溶けず放置されていた。その除雪に協力した職員が、作業中に大事なライターを落とし、行方不明になっていた。雪の塊りを何度も崩してみたが見当たらない。同僚が、穴を掘ってかまくらを作ったが、その掘り出した雪の中に発見できず、雪解けでかまくらが崩壊し、その穴の中から発見された。
 実は、掘り出した雪の中にあったのかもしれないが、屋根が溶けたために下に落ちたと考えられる。同僚は、遊び心で穴を掘ったのではなくライターを亡くした人のことを考えていたとすれば、なんとも言えない心づかいである。かまくらの底に落ちたので、自動車に踏みつけられることもなかったのである。
  

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2014年03月18日

雪国対局(2014年3月)

雪国対局
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」
という文章で始まる川端康成の小説「雪国」は、戦前に発表された小説だが、当時の清水トンネルでは国境を越えて雪国にはいけない。雪国から「空っ風の国」へ行くことはできる。戦後、新清水トンネルが開通して下り専用の列車が走るようになった。康成が、雪国の温泉地に滞在した頃は、清水トンネルが完成したばかりで、電化されていた。蒸気機関車が黒煙をはいて長いトンネルを走ることは不可能であったからである。小説の冒頭に書いた文章は、川端康成のいつわざる新鮮な実感としての表現とも言える。
 現在では、上越新幹線が開通し、群馬県の上毛高原駅から越後湯沢間は、一五分程度に短縮された。湯沢町は、温泉地ではあるが、冬場のスキーを楽しめる一大リゾート地となっている。リゾートマンションが林立し、鄙びた温泉町に都市が出現した感じである。湯沢温泉には、これまで宿泊したことがなかったが、静岡の友人が春休みを利用して十日近く、湯沢町に宿泊することになり、会う事になった。
 彼は不動産にも関心があり、生業にはしていないが宅地建物取引主任の資格を持っている。越後湯沢近辺のリゾートマンションは、需要が少なく非常に安くなっているという。不動産屋のパンフレットを見ると二十万円台の物もある。こんな値段なら買っておいて、温泉やスキーを楽しもうと思う人もいるだろう。一戸建ての別荘ではないが、余暇の有効利用もできると思うが、なかなか売れない。管理費が馬鹿にならないのである。最低月額二万円程度の費用がかかる。それなら、ホテルに泊まった方が良いと考える。月に二回以上を泊まらないと得にならない。しかもホテルならば食事付きである。
 
 日曜日、朝食を済ませ、高崎駅を十時四十分位の列車で越後湯沢駅に向かう。所要時間は三十分である。なんとも便利である。二泊して朝職場に出勤することも可能である。昼前に着いた越後湯沢の周辺の山々も、三月半ばというものの雪を湛え、市街地の道路は除雪されているが、屋根に除雪しない雪が積もっている家も多い。駅構内に「雪国」の駒子の人形があった。近年、駅の売店も広く整備され、新潟の土産物を売っている。日本酒、米は、新潟県が誇る物産である。
 友人が長く滞在しているホテルは、上越線中里駅に近い。越後湯沢駅とホテルの間を一時間おき位にシャトルバスを運行させている。ホテルの食事に飽きたら、駅や駅前の食堂を利用することもできる。周辺のスキー場にも駅を拠点にすれば出掛けていくことができるが、ホテルの前が直接経営するスキー場になっている。温泉の大浴場と温水プールまである。このホテルは、マンションとホテルが同居している。マンションとして売れない部屋をホテルとして利用している。どの部屋に所有者がいるのかはわからない。中に自分の家具を持ちこんでいる違いはあるが、宿泊室と構造は同じである。浴室、トイレ、キッチンがあり寝室を兼ねたリビングは広い。
 三時にチェックインを済ませ入浴を済ませ、夕食の前に将棋の対局になった。大学時代、将棋のクラブで勝負を競った仲である。社会人になって二人とも将棋から遠ざかっていたが、還暦を前後して再び将棋を指すようになった。棋力は大分当時と比べれば落ちてきているが、お互いいい勝負になる。勝敗を気にしないと言えば嘘になるが、一手一手の応酬が無言の会話になっている。手談という言葉が碁にはあるというが、将棋も同じである。親友との対局はそれが楽しい。
 将棋をさし始めると、雨が降り出し、次第に霙にかわり夕方近くになって雪になった。
まさに雪国対局になった。将棋には、序盤と中盤と終盤があるが、数局とも中盤まではこちらが優勢になる。友人は、詰将棋を良く解いていた記憶がある。その学習が終盤に発揮されるのかと思った。駒を沢山持っていても詰まされれば負けるのが将棋である。碁のように序盤のリードが勝利に結びつきやすいゲームとは少し違っている。表現はきついが王様の首をとった方が勝ちなのである。
 最初の一局は、終盤まで大分有利な展開になっていたが、最後で詰み筋が見えず詰まされて負けになった。友人も自分が勝ったことにビックリしていた。勝負は最後の最後までわからないということを身に沁みて体験した。その夜は、どうしたら詰むかを考えていたら寝付けなくなった。一種の不眠症になった。悪い言葉で言えば執着である。彼の方は、大リーグ中継を楽しみながら安眠できたに違いない。翌日雪辱を果たしたが、雪国対局は皆熱戦になった。
 家に帰り、その一戦一戦を並べ直している。相手にもミスがあり、こちらにもミスがある。そして好手もあることに気づくが、一手一手の判断の結果である。将棋に待ったはない。その時の読みと大局観が指し手を決めている。
 一局目が自分にとってあまりにも衝撃的な将棋だったので、局面を序盤、中盤、終盤に分けて写真をとり、自戦記を書いてフェースブックに載せることにした。もちろん友人には許可をとり、匿名にすることが条件である。
  

Posted by okina-ogi at 19:06Comments(0)旅行記

2014年03月18日

『良寛さま』 相馬御風著 考古堂書店 税込500円



昭和5年に相馬御風が出版した本の復刻版。ワンコイン(500円)で、小学生が買い求めやすい値段になっている。内容も平易で子供でも理解しやすく書かれている。ところどころに挿絵がカラーで入っていて楽しく読める。良寛さんの人柄を伝える数々のエピソードが載っている。
相馬御風の暮らした家は、新潟県の糸魚川市にある。県の史跡とし今も保存されている。相馬御風は、早稲田大学に進学し、坪内逍遥や島村抱月の薫陶を受け、詩人、歌人、翻訳家、評論家として将来を嘱望されていたが。33歳の時帰郷し、良寛の研究や、執筆活動をしながら、地方で人生の大半を生きた。
平成27年の春には、北陸新幹線の長野金沢間が開通する。糸魚川にも駅ができる。相馬御風は、魅力的な人物に写ってきた。実際に生誕の地を訪ね、相馬御風の人のなりに触れてみたいと思っている。この本を読んで、1年後の「春よ来い」という気分になった。
  

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2014年03月16日

㈱スズキの決断


 軽自動車の製造に重点を置いている㈱スズキがベースアップをしない決断をした。トヨタや日産は組合の要望に応えてベースアップをしたのとは対照的である。電機大手なども、ベースアップを決め、餃子の王将などは、1万円アップするという。
 スズキがベースアップをしなかったのは、軽自動車税の増税が予定されているからだ。経営側は、社長と副社長の報酬を減らし、理解を求めた。一時金については、満額回答とし若手や、業績を上げた社員の賃金を改善している。
 企業は、業績が悪化した時は、雇用調整をしたり、賃金を下げたりすることがあるが、従業員の賃金を下げることは、なるべくしないように考えるようだ。士気が落ちるからである。まずは、役員の報酬から減額するだろう。普段高額の報酬をもらっているから当然と言えば当然だが、企業成績の悪化の責任を取ると言う意味もある。
 話は異なるが、イギリスの貴族は、平時には身分と待遇を保証されているから、有事になれば、率先して女王陛下のために戦うのも会社の役員と同じようなことが言えるのではないかと思った。
  

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2014年03月15日

原発事故の拡大を身を張って防いだ人

 大地震と津波被害で呆然としているところに福島第一原発事故が起こった。その重大さは、日々の報道とともに深刻なものとわかり、原子力発電所に近い住民の避難が始まった。遠方であっても、放射能汚染による健康への心配が指摘されるようになった。そんな中、発電所から離れず、事故の拡大を防ごうと命がけの現場指揮にあたった人物が、昨年58歳という若さで亡くなった吉田所長である。政府や東電本店の指示に従わず、死ぬ覚悟で原子炉に海水を注入し続けた人である。結果的にその判断は正しかった。
 当時から既に病が進行していたかもしれないが、半年以上現場で指揮をとり、職員からは、絶対的な信頼感を持たれていた。この人と共になら、命をかけても良いと思えたという声を聞いた。こう言うリーダーは、今の日本には少ないと思う。この事故が、危機的にある状況にあって、「俺は日本を抜け出すよ」と言い放った人がいる。それなりの管理者である。ただ唖然としたが、吉田所長と比べようもない。
 ある人物のことを思い浮かべた。沖縄戦の作戦に参謀として関わった人物である。八原博通大佐である。徹底的な持久戦を主張したが、大本営の命令に司令官牛島中将は、従った。その結果大打撃を受け、悲惨な戦いに民間人も巻き込み多くの悲劇的な戦況に追い込まれ敗北した。大本営が東電本社ということになるが、単純な比較はできない。大本営の参謀が現地に行くことはなかったように、原子力発電に詳しい役員が、現地に長く留まり、吉田所長を支えたという話は聞こえてこない。
  

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2014年03月14日

法律門外漢のたわごと(老齢基礎年金)

 厚生労働省では、老齢基礎年金の支給開始年齢を、65歳から先にすることを検討し始めたという報道がなされたことがあったが、今度は、納付年齢を64歳まで延長することを考えているようだ。支給金額の増額になるが、60歳からの保険料負担は大変である。強制か、任意加入かはわからない。
 60歳以降の継続雇用制度によって、サラリーマンは(2号被保険者)は、64歳まで希望すれば、働くことができるようになった。それはそれで良いのだが、老齢基礎年金の納付をしたことになるのだろうか。現在の制度だと、厚生年金の将来の支給にはカウントされるが、老齢基礎年金が増えるわけではない。
 以前から疑問に思っていたのだが、大学を卒業して就職した人は、現役で大学に入り22歳で卒業した人は、学生時代の2年間は国民年金に加入していない場合が多いのではないだろうか。現行の制度だと退職後働いたとしても38年しか国民年金に加入できない。
 しかも厚生年金からは老齢基礎年金拠出金が国民年金に拠出され、その原資になる保険料は負担しているにもかかわらず。任意加入をして40年にすることはできるが、会社を辞めていなければならないというのが腑に落ちない。
  

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2014年03月13日

3・11を考える(5)

 東日本大震災で大きな被害を受けたのは、岩手、宮城、福島の3県であるが、日本を一人の人間と考えれば、傷ついた部分を直そうという生理的働きが起こるのは当然である。最近、思い出したように知ったのだが、「ふるさと納税」の存在である。東北三県の市町村ももちろん対象になっている。
 寄附ということで使途も決まっているようだ。出生地とか自分の生活した場所というような限定はない。本来、寄附は見返りを求めるものではないが、お礼の品を送り届ける市町村もある。地元の農産物や加工品だったりする。確定申告をすると、寄付控除で還付されるという。経済的な支援になるのだから今年は、実行したい。
  

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2014年03月12日

3・11を考える(4)

 中越地震があったのは、それほど前のことではない。内陸において被害があった。山が崩れ、田畑にも崩れた所があり、地場産業であった錦鯉の養殖にも影響があった。江戸時代、良寛さんが生きていた頃にも大きな地震があったようだ。その時に残した良寛さんの言葉が残っている。


『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ 』
 ここだけ抜き出してみると、現代なら非難轟々、ましてや政治家の発言なら、マスコミに叩かれ大問題になる。
良寛さんの真意はこうである。人為的ではない自然災害にあって生き残っただけでも幸運なことである。今は、辛いがこれからしっかり生きましょう。そういうことでは、ないかと思う。
  

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