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2014年05月31日

心に浮かぶ歌・句・そして詩160

空を見て

空を見て
しみじみと美しく
感ずる日がある
見ても見ても
あきないで
吸いつけられる時がある
こんな日には
眠ると
楽しい夢を見る

後藤静香『権威』より
「おうい雲よ
 ゆうゆうと
 馬鹿にのんきそうじゃないか
 どこまでゆくんだ
 ずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか」
「空」という山村暮鳥の詩である。
 「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」
これは、石川啄木の短歌である。また、啄木には、『雲は天才である』という短編小説がある。別段、雲についての感情を書いたものではないが、啄木が雲に惹かれたのは確かだと思う。
  

Posted by okina-ogi at 10:04Comments(0)日常・雑感

2014年05月29日

『東京震災記』田山花袋 河出文庫 570円(税別)




東日本大震災から3年ほどしかたっていない今日、90年以上前に起こった関東大震災のことは、比較されているが、作家が残した関東大震災の様子を伝える記録の存在は、それほど話題に上った記憶がない。『東京震災記』は当時、作家として知られていた田山花袋が書いたものである。東京近郊に住んでいた田山花袋は、焼け野原のようになった東京の中心部を、震災直後目にしている。ただ、惨状というべき東京の街を見ながら、物書きとしての本性が、文章を書かせている。しかし、感傷的ではなく、表現も心の不安や、悲惨な状況(死人が街中に放置され、異臭を放っているような)から受ける絶望感も抑制して、写実的に書いている。写真が伝えるように、実像的である。
印象に残ったのは、情報がなく、人々の風聞に混乱する様子である。東日本大震災での津波の被害は、空からの映像として放映された。阪神大震災の時もそうだったように、日本に滞在していた外国人の眼から冷静でお互いを助け合い、しかも外国人にも親切だったという共通点である。ただ、社会主義者や朝鮮人の不穏な行動が誇張されて、被災者の不安をあおったことも書かれている。
田山花袋は、群馬県館林の出身だが、若い時から東京に住み、町並みの移り変わりを見ていたので、東京に愛着があった。焼け跡に、昔の思い出を重ねる表現がそこかしこに出て来る。貴重な震災記録になっている。
  

Posted by okina-ogi at 11:51Comments(0)書評

2014年05月28日

第84回企画展「文豪 田山花袋」




4月19日(土)から県立土屋文明記念文学館で、上記企画展が開催されている。田山花袋は郷土の文豪というだけで、小説は遠い昔『田舎教師』を読んだ記憶があるが、将来教師だけにはなるまいと思ったくらいだから、陰鬱な気分になった読後感しか残っていない。島崎藤村や柳田国男、国木田独歩などと交友があり、自然主義文学の旗手となった時代があった。しかしながら、私小説と呼ばれ、後世の文学評論家から批判を受けていることも事実である。島崎藤村の『春』が文庫本として置かれていたが、私小説である。
小説の手法には関心がなかったが、文豪田山花袋はどんな文章を書いたのかに興味があったので『東京震災記』を購入した。花袋は、文学者であり新聞記者ではないから、どのように大震災をスケッチしたか。その読書感は、後日書いてみたい。
  

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2014年05月27日

心に浮かぶ歌・句・そして詩159

達人

天下をのむの慨あるも
少女のごとく柔和なり
白熱ほのおを吐くの信あるも
冷静透徹 氷のごとし
老者にて幼児
貧しくして富む
権威その内にあふれ
謙虚万人に仕う
真に達人なるかな

後藤静香『権威』より
後藤静香は、若い時からこんな人物を理想にしていた。80代まで生きたから、「老者にて幼児」の資格もあった。しかし、いつまでたっても理想の域を脱することができなかったと自戒しているが、死ぬまでこんな人になろうとの願いを持ち続けた。自分の知っている範囲にはこのような人物はいないとも言っているが、西郷南州などは、こうした人物像を伝聞の中から彷彿させるものがある。後藤静香選集の中には、西郷隆盛について著述した個所がある。後藤静香も九州人である。
  

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2014年05月24日

第26回群馬学連続シンポジウム


「日本のシルクロード・高崎線開業130年」
参加費:無料
会場:群馬県立女子大学講堂
開催日:6月21日(土)
基調講演「日本のシルクロード高崎線の輝きに学ぶ」
 衛藤尚志(JR東日本高崎支社長)
パネルデスカッション「温故知新 高崎線の130年」
パネリスト 藤井浩(上毛新聞社論説委員長)
      木部克彦(あさお社編集主幹・ジャーナリスト)
      佐藤勉(群馬観光特使・高崎経済大学非常勤講師)
      相良雅幸(日本銀行前橋支店長)
司会    熊倉浩靖(群馬県立女子大学群馬学副センター長)
申込必要 電話0270-65-8511
群馬県立女子大学事務局

富岡製糸と絹産業遺産群の世界文化遺産が現実になりつつある中、生糸輸送の動脈になった高崎線の役割と歴史的意味を検証する視点は、興味深い。
  

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2014年05月23日

心に浮かぶ歌・句・そして詩158

山路

緑は深い
水は清い
花と青葉の渓をゆく
見る人もない山かげに
花さきに咲き
水に散る
誰にきけとか
小鳥たち
神韻たかい詩を歌う

後藤静香『権威』より

「山路来て何やらゆかし菫草」という有名な芭蕉の句がある。若山牧水には、『みなかみ紀行』という随筆集がある。二人とも、こんな山路に踏み込んで自然の豊かさを実感しただろうと思う。
  

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2014年05月22日

心に浮かぶ歌・句・そして詩157

酔える人

大いなる愛
天地をつつむ

愛につつまれて
いまわれあり
大愛にいだかれて
その悦びをわかつ

愛の人とは
愛せんと努めず
自ら大愛に酔える人なり

後藤静香『権威』より

信仰によって、愛につつまれていると実感する人もいるだろう。ただ、その人は愛の実践者かと言えば、そうではない場合もある。教義は良く知っている。説教もうまい。大愛に酔える人かと言えばそうではない場合が多いのではないか。大愛に酔える人は実に無欲で、あどけない。ただ、自分に対する自省心は強い。良寛さんなどを思い浮かべるのだがどうだろう。
  

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2014年05月21日

心に浮かぶ歌・句・そして詩156

ただ一人

人生は
ただ一人ゆく旅ぞ
最後の頼りは
さびしくとも
自分だけである
ただ一人行くべき自己と知ったとき
どうして粗末にされようぞ
どうして充たさないでよかろうぞ
どうして高めないでよかろうぞ

後藤静香『権威』より

「人生はただ一人ゆく旅」という認識は、深い。若い時、後藤静香が芭蕉の『奥の細道』の評論を書いた原稿の書き写したものを、ある人からいただいて読んだことがあった。芭蕉研究家の評論に劣るものではなかった。蕪村の俳句の鑑賞した講話も聴いた。その確信は「人生はただ一人ゆく旅」にある。無為に日々を過ごすのはあまりにももったいない。
  

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2014年05月20日

旧井上房一郎邸(高崎哲学堂)



高崎駅に近い場所に旧井上房一郎邸がある。隣接して、高崎市美術館がある。市の中心部にこんな閑静な場所があるのかというほど敷地が広く、質素とも言える庭園の中に、外見は庭以上に質素と見える木造の建物が建っている。戦後から間もない1952年の建築だから60年以上も経過している。設計したのは、近代建築家のレーモンドであるが、彼の事務所としていた建物を見て、気に入った井上房一郎が、自分なりに手を加えて完成させた。細長い建物だが、中間にパティオがある。屋根にはガラスが貼られ、光が差し込むようになっている。
建物の古さはともかく、感心するのは居間が広くゆとりがあり、暖房設備や採光にも配慮されていて気持ちの良い空間になっている。洋間ではあるが、障子から入って来る、優しい光が気持ち良くさせてくれるのかも知れない。
  

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2014年05月19日

小梅の収穫

小梅の収穫の時期になった。今年は、青梅のうちに収穫する。小梅は名前のとうり粒が小さいので手でもぎ取るような手間はかけられない。少し原始的だが、木のまわりに網を敷いて、竹の棒で叩いて落とす。葉や小枝も落ちるので籠に入れる前に取り払う。梅は、青いうちはしっかり枝に付いているので、どうしても採り残しができる。やがて、黄色に熟した時に再度落とすようにするが、我が家では、贈答品にしている。


ここで収穫が終わったわけではなく、回転式の選果機に小梅を流し、大きさを選別する。傷ついて割れた梅や、葉やごみを取り除いて、20キロの重量にして、コンテナと呼んでいる籠に入れて漬物工場に配送する。値段はわからないが、1キロ250円とすれば、一籠5000円の収入になる。
  

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2014年05月16日

心に浮かぶ歌・句・そして詩155

五月雨

さみだれが
降りにふる
苗代がのびる
梅の実が大きくなる
地下水がまして
夏の炎天にも
すべての作物を育ててくれる
恵みの雨よ 降りに降れ
かたくなな土くれもくだきたい
ひでりに枯れぬ用意もしたい
恵みの雨よ 降りに降れ

後藤静香『権威』より

日本語は美しい。五月の雨を「さみだれ」と読ませている。「さ」は田植えの意味もある。田植え時季には、水がないと困る。「恵みの雨よ 降りに降れ」と繰り返しているが、植物にとっても人間にとっても恵みに違いないが、「梅雨」と言葉を変えるとうっとうしさもある。何日も何日もだらだらと雨が降る感じがあるからだ。「梅雨」の文字に梅を当てている。この時季梅の実が良く育つ。五月の末には、小梅が収穫できる。今年は、成長が早く中旬には出荷となる。実は熟してはおらず青梅である。
  

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2014年05月15日

心に浮かぶ歌・句・そして詩154

これ常道

晴れたる日あり
あらし吹く日あり
人生もとより無常
転変順逆
これ常道
憂うるの要なく
恐れるの要なし

赤誠一貫
天命に従う

後藤静香『権威』より
これほど悟った心境にはなれないが、「人生もとより無常」だとは、実感する。積極的無常観を進めた識者がいたが、痛く同感した。万物は変化してやまないとすれば、それに逆らわない生き方が楽かもしれない。ただ、人生には万人違った役割があり、自分のテーマはいつでも意識したい。使命などという高尚なものでなくても良いから。
  

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2014年05月14日

心に浮かぶ歌・句・そして詩153

「声」
声は
言葉以上の意味をもつ
言葉はわからなくとも
声だけで
たいていの意味は通ずる
権威をもって
たましいにひびいてくる声を
純な気持で受け入れたい

後藤静香『権威』より

声の方が言葉以上に「わが思いの真相」を伝えることができる。気持ちが偽らずに現れるからだ。まして、眼の方が「わが思いの真相」を伝える。「君見よや双眸のいろ語らざれば憂いなきに似たり」とはよく言ったものである。
  

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2014年05月13日

洗心亭




高崎市の少林山達磨寺の一画に、昭和の初期に建築家ブルーノ・タウトが2年余生活した洗心亭という住居が残っている。東京帝国大学の農学博士の別荘と使用されていた家らしい。典型的な日本家屋である。タウトは、この家にほぼ満足していたが、榛名山や赤城山が眺望できる方向にトイレがあることを残念に思った。周囲の景観を、建物に取り入れるセンスは、借景などといって日本人にはあるが、風水のような拘りもあるのである。
台所もあるが、部屋は、4畳半と6畳の和室だけというシンプルな建物で、それを取り巻くように縁側があり、外部とはガラス戸で仕切られている。椅子やベットの生活に慣れていたタウトが、和室の生活に満足できたのは、日本文化への理解があったからであろう。日本滞在中、椅子なども製作しているから、和室にあるいは縁側風な廊下に椅子とテーブルを持ち込んだことは容易に想像できる。
  

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2014年05月12日

法律門外漢のたわごと(老齢基礎年金の繰り下げ支給)

田村厚生大臣が、与党の中で、老齢基礎年金の75歳までの繰り下げ支給が検討されていることを、11日のNHKの日曜討論の中で述べたと報じられている。この番組を見ていないので詳しい内容は分からないが、そこまでしないと国民年金の制度が維持できないのかと思ってしまう。現在が、70歳まで繰り下げになっているが、70歳で支給される人は、65歳で支給される金額の142パーセントを受給することになる。
そうすると、75歳で受給する人は。65歳の受給額の2倍近くの老齢基礎年金を受けることになるのだろう。収入がある人は、そこまでして、繰り下げをするだろうか。在職老齢年金制度では、65歳からは老齢基礎年金はカットされないからだ。この制度も変わり、70歳までは収入により減額するなどということもセットになっているのだろうか。支出を減らしたいのはわかるが、本筋は未納者を減らすことだろう。
  

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2014年05月11日

心に浮かぶ歌・句・そして詩152

「言葉」

言葉という不完全なもので
思うことのすべてを
語ろうとするのは愚かである
たとえ、語りえたとしても
境遇、年齢、教養の
一切を異にするものに
わが思いの真相を
何ほど伝えうるものか

後藤静香『権威』より
聖書では「始めに言葉がある」ということだが、「始めに心がある」というのが正しいような気がする。言葉は、人類の工
夫で歴史は浅い。仏教の唯識哲学では、心の深さは人によって違うという。心の層の浅い人には、言葉や、知識が豊かでも、心の層の深い人の想いは、言葉から伝わらない。心の深さとは何かと問われれば、他者を思いやる心のようなものというしかない。このような表現も言葉である。
  

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2014年05月10日

心に浮かぶ歌・句・そして詩151

背景」

同じ言葉をきいても
つよく印象するときと
何ほどの感じも受けないときとある
砕けたたましいだけに法音がきこえる
権威ある言葉だけが肺腑をつく
言葉は平易でも
内容は単純でも
その言々句々をして
権威ある法音たらしめる
人格の背景をつくれ

後藤静香『権威』より

後藤静香の講話をテープで聴いたことがある。流暢で、ユーモアもあり、情感豊かな語りかけについ引き込まれる。それにまして、後藤静香の人格が滲み出ている。晩年の講話だから、人生の積み重ねが人格を形成している。とはいっても、生前の後藤静香に会ったことはない。直接、講話を聴いた人々を羨ましく思う。
  

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2014年05月09日

心に浮かぶ歌・句・そして詩150

「同胞に訴う」
浅慮をもって
暴力をふるうことなかれ
扇動にあざむかれて
祖国をあやまることなかれ
世界の平和をねがい
人類の幸をいのるべし
新日本の興隆を
同胞各自の向上と
その生活の充実にまつ

後藤静香『権威』より

戦後日本は、苦難の中に経済復興を遂げた。目標を決め、少しずつでも地歩を固め、生活基盤を整えていった。それから、やがて70年が経つ。この詩は、戦後間もない頃書かれたことは、自明であるが、同胞同志で争う事をしないように訴えている。同胞を憎み、自分だけの幸せを求めてれば国の興隆は生まれない。
現在、ロシアに接するウクライナで政争が起こっている。内乱まではいかないが、かなり深刻な状況である。ウクライナは、昔地理で習ったが、当時ソ連であったが、穀倉地帯として恵まれた地域だと思っていた。今日、西側とロシアの狭間のような複雑な地域になっている。原発事故のあったチェルノブイリもウクライナにある。お互いの、暴力の応酬では、問題は解決しない。
  

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2014年05月08日

連休の八ッ場(やんば)ダム周辺




連休を利用して、草津温泉の日帰りの途中、新しい川原湯温泉の代替え地を通る。元の川原湯温泉より高い場所に、完全に貫通した道路ではないが、車が運行できるようになった。吾妻川を横断する橋に繋がっている。
不動大橋(湖面2号橋)を渡ったところに、道の駅八ッ場ふるさと館が完成し、1年が経った。群馬近県だけでなく、北陸や、東海地方のナンバーの車が停車していて賑わっている。山菜の採れるシーズンということもあり、野菜コーナーが人だかりになっている。他の土産の品揃えも充実している。ダムは、完成していないが、自然も豊かで景観も良く、温泉旅館が軌道に乗れば、草津の玄関口としての温泉地として人気が出るかもしれない。
草津に向かうが、車の渋滞を考え、百合(くに)村方面から行くことにした。さすが高原で、温度も7度と低い。温泉に浸かり、帰宅の途につく。
  

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2014年05月07日

国税の納付

長くサラリーマンをやっていると納税などには無関心というよりは知識がない。源泉徴収で給与係の人が手続きをしてくれるので、確定申告をするなどということはほとんどない。年末調整で税の減免するための書類を出す位で、これまた記入も他人任せになっている。退職すると、にわかに税のことに無関心でいられなくなるから困ったものである。
今年になって、久しぶりに確定申告をした。今までは、還付請求でお金が戻ってくる手続きだから、電子申告システムを利用し、覚え甲斐もあった。今回は、給与所得以外に収入があって、納税することになった。分離課税ということで、申告もそれほど簡単ではなかった。それは、仕方ないとしても納税の方法がわかりにくい。通帳引き落としにしたが、全てこちらでやらなければならず、納付については、税務署から通知もない。国税庁のホームページを見ると、振替の期日が書かれているだけだ。
先日、通帳記帳をしたら、国税の印字があって、申告した額が引き落とされている。無事納税ができたという安心感もさることながら、税務署の不親切さを感じた。通知くらいは、法律だからと言わずくださいよ。そしてその後の住民税の支払いについても説明がほしい。手間と郵送料がかかるからということでしょうが、住民税の方は、支払方法の通知があるようですから。こんなことを言う人間は、非常識なのでしょうか。納税意欲がわかないと言ったら、これも不見識なのでしょうか。
  

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