☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2014年09月30日

心に浮かぶ歌・句・そして詩162


星野富広の詩
群馬大学を卒業して教員になった星野富広は、鉄棒から落ちて、首から下の自由を奪われた。長い入院生活の後、キリスト教に入信し、口に筆を加えて絵を描き、詩を添え、多くに人々に感動を与えた。最初は、母親が彼の世話をしていたが、伴侶を得た。郷土には富弘美術館が開館し、今は名誉県民になっている。既に還暦も過ぎている。体の不自由な人でなければ、言えない詩がたくさんあるが次の詩は、キリスト教の影響もあるだろうが、星野富弘を支え続けたであろうことは、想像に易い。
よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする
  

Posted by okina-ogi at 16:29Comments(0)日常・雑感

2014年09月29日

心に浮かぶ歌・句・そして詩161





相田みつをの詩
もう随分と昔、この人の講演を高崎市のホテルで聴いたことがある。ホワイトボードに文字を書きながらの講演で、聴衆はそれほど多くなかった記憶がある。言葉を大事にする人だなあと思った。栃木県の足利市の出身だから、方言も群馬県に近い。このあたりでは、「来ない」ということを「きない」という。そんな言葉を使った詩もある。書家だというが、文字は子供のような字で言葉も短い。でも詩になっている。難しいことを簡単な言葉で言う。だから深さがある。俳句にも似ている。それも、山頭火のような自由律の句の感じがする。苦労人なのであろう。「にんげんだもの」は、多くの人の心を捉えている。
  

Posted by okina-ogi at 11:33Comments(0)日常・雑感

2014年09月27日

『まだ見ぬ故郷』 長谷部日出雄著(上巻)新潮文庫



戦国時代のキリシタン大名として知られている高山右近の生涯を描いた小説である。既に加賀乙彦の高山右近を読んでいるが、あまり印象に残っていない。おそらく、途中で読むのを止めているかもしれない。大河ドラマ「軍師官兵衛」に登場し、その人なりが気になって読んでみようと思い立った。吉川英治にも高山右近を描いた作品があるようだが、毎日新聞に連載されたというこの作品を選んだ。下巻もあるが、上巻を読了した。
高山右近は、両親がキリスト教を信仰したことにより、10代で洗礼を受けている。性格的には、生真面目さがあり、人徳もあったというから、キリスト教に体質があっていたのかもしれない。千利休の高弟の一人であり教養人であったことは確かだ。武士の家に生まれ、戦国の世を生き抜くための知恵、政治家としての力量、とりわけ、武人としての才能もあった。信長や秀吉に能力を買われたのは、この面に比重が置かれている。大河ドラマ「黄金の日々」にも高山右近は登場するが、信長に身一つで投降し、対話する場面は、印象的だ。役者も台詞も素晴らしい。
上巻のクライマックスでもある。荒木村重が信長に反旗を翻したことにより、高槻城主であった高山右近は、信長と戦うことになるが、荒木村重に信長と戦うことを止めるように進言している。勝ち目がないと考えたからである。武人としての政治家の判断である。しかし、荒木村重は、高山右近の意見を聞き入れない。子供を人質にされ、信長からは、多くのキリシタンとなった領民や宣教師を皆殺しにすると迫られ、右近が出した結論は、世捨て人になって、自分が犠牲になることにより信長の前で嘆願することだった。そして、信長からは、自分の目指す天下布武のために部下となれと言われる。信仰も捨てなくとも良いし、更なる布教も許すという。
再び、高槻城主となるのだが、信長と右近と似ている部分を感じた。それは、自分が正しいと思うことを貫く点である。信長は手段を選ばず、天下を目指すために障害になれば、躊躇せずに殺戮した。比叡山の焼き打ちなどは、当時としては驚愕する行為である。法華宗の僧を他宗派に排撃的だと大衆の前で首を刎ねる描写もあった。キリスト教も基本的には一神教であり、違う宗教感や価値観を持つ者には、排他的に感じることがあるかも知れない。純粋さの中にある危険というものもある。信長は、本能寺に死に、右近はマニラに追放され病死した。
  

Posted by okina-ogi at 11:35Comments(0)書評

2014年09月25日

『海の翼』 秋月達郎著 新人物文庫 714円+税




読書の秋になった。読みかけの本もあるが、これまた友人に薦められて読んだ本である。タイトルだけ見れば何が書かれている本かわからない。作者も未知の人である。副題を見ると、トルコ軍艦エルトゥールル号救難秘録と書いてある。トルコ帝国の時代、親善使節団として、11か月という長い月を費やして軍艦で日本を訪問したのである。搭乗員は600名を超える一大遠洋航海であった。明治天皇に謁見し、帰路、紀州沖で台風の暴風雨に会い沈没遭難し、69名が救出され、他の人々は遭難するという大惨事になった。明治23年のことである。
この時、日本人のとった対応は、明治天皇を始め、救出にあたった和歌山県民の献身的な行為に、長くトルコ国民の日本に対する好印象が残った。生存者の治療、回復を待って日本の所有する軍艦2隻でトルコ本土まで送り届けたのである。遺族のことを思い、義損金を募り、送還する船に乗り、時の政府に渡す人物もいた。山田寅次郎という人物で、トルコに残り、日本人の心を士官学校で教え、貿易商ともなっている。教え子の中には、初代のトルコ共和国の大統領もいた。
トルコは、親日的国ということは知っていたが、こうした事件が根幹にあったのである。フセイン政権の時、トルコ航空が日本人救出に乗り出したのも、100年前の恩に報いたのである。当時、日本とトルコは、ロシア帝国に対し共通の利害があったことも知った。イスタンブールは観光地になっている。良い印象を持ちながら、ボスボラス海峡を眺めて見るのも良い。
  

Posted by okina-ogi at 13:00Comments(0)書評

2014年09月23日

『白い航跡』 吉村昭著 講談社文庫(上・下)ともに627円



友人から薦められて読んだ。主人公は、高木兼寛という人物。薩摩藩郷士から医学を目指し、海軍軍医総監となり、男爵にもなった明治の典型的な立身出世の人生を過ごした人だが、陸軍軍医総監になり、文豪でもあった森鴎外のように名前は知られていない。慈恵医科大学の創立者でもあり、看護婦の養成にも尽力した。
イギリスに留学する機会を与えられ、帰国後海軍の食制の改革に力を入れた。当時、脚気の患者が多く、海軍でもその対処に苦慮していた。その原因が当時分からなかったが、日本人の食生活が関係しているのではないかと確信をもつようになり、主食を白米から麦に変えようとしたが、兵士の抵抗と予算の増大により実現がなかなかできなかったが、脚気患者の急増に海軍は、彼の案をとりいれた。遠洋航海で脚気による死者を出したのと同じコースで試す機会が生まれ、その結果は、成功した。もし、失敗したら死ぬつもりでいたらしい。人のため、国のため命がけに行動できるとろが、明治人の祖国愛である。
日露戦争でも脚気による死亡者は多かった。特に陸軍では大変な数であった。陸軍は、ドイツ留学から帰った、森鴎外が細菌説を唱え、首脳部も従来の食制を変えなかった。現代では、脚気はビタミンの摂取が関係することが知られているが、それが明らかになったのは、鴎外や高木兼寛が他界してからのことであった。
晩年は、子供達に先立たれたり、辛い日々を過ごしているがその功績は輝いている。明治天皇も脚気に悩まされ、御前で2度高木の意見を聞いている。周囲から批判され孤高でもあったが、明治天皇が心の支えでもあったのである。
  

Posted by okina-ogi at 17:41Comments(0)書評

2014年09月20日

スコットランド民謡

スコットランドの独立をめぐっての住民投票が行われたばかりである。結果は、わずかに独立反対派が勝利した。昔なら、独立戦争になっただろうが、投票で決めるところに民主主義国家の真骨頂がある。さすが、イギリスだと思った。しかし、独立国家への機運が高まったことは、イギリスの課題となった。
イギリスの歴史には詳しくないが、日本と同じ島国であることの親近感がある。明治時代に日英同盟があって、日露戦争の勝利に繋がった。日本の皇室との絆も強かった。とりわけ、昭和天皇は、イギリス王室との親交が厚かった。
文部省唱歌は、未だに歌われ続けられているが、スコットランド民謡を原曲とするものが多い。「蛍の光」、「故郷の空」、「仰げば尊し」などがそうだし、名曲「アンニ―ローリ」もそうだ。歌われ継がれているからなのだろうが、日本人の情緒の一部になっているような感じすらある。ゴルフ発祥の地、スコッチウイスキーの生産地。その独特の文化を大事にしながら、イングランドと協調しながら政治を進めていってほしいと思う。
  

Posted by okina-ogi at 11:06Comments(0)日常・雑感

2014年09月19日

心に浮かぶ歌・句・そして詩160

「船頭さん」
作詞 武内俊子 作曲 河村光陽
1
村の渡しの船頭さんは
今年六十のお爺さん
年を取つてもお船を漕ぐときは
元気いつぱい櫓がしなる
それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ

2
雨の降る日も岸から岸へ
ぬれて船漕ぐお爺さん
今日も渡しでお馬が通る
あれは戰地へ行くお馬
それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ

3
村の御用やお國の御用
みんな急ぎの人ばかり
西へ東へ船頭さんは
休む暇なく船を漕ぐ
それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ
敬老の日も過ぎたばかりである。60歳はおじいさんなのかと今と比べると、昔は若くしてお爺さんと呼ばれていたことに気づく。この童謡歌は、戦争の直前に作られた作品で、歌詞に戦時色が現れている。ゴルフコンペの後の慰労会にこの話題が出た。皆、還暦を過ぎたお爺さんである。頭の毛もすっかり薄くなっているが、肉体はまだ若い。
  

Posted by okina-ogi at 17:27Comments(0)日常・雑感

2014年09月13日

吉田調書

「吉田調書」なるものが、政府によって公表された。その一部を、新聞報道で見ただけなので、生意気なコメントはできない。福島第一原子力発電所が、津波によって被災し、重大事故に至った時の現場責任者が吉田所長だった。今は、鬼籍に入り直接証言を得ることはできない。今後の事故対策を考える上で、貴重な調書になる。
事故発生時、国民の多くは何が起こっているのか、大津波に多くの人々が被災し、命を失ったことに心を奪われ、原発事故の重大性に気づいていなかったと思う。日増しに、専門家の分析が報道されるに至って、憂鬱な気分になった。計画停電なども、現実味を帯び、年配の人などは、戦時中の体験を想起した人もいただろう。
あの時、どう感じたかというと、事故発生現場にあって指揮をとる吉田所長を始め、関係職員に日本の運命を託すような気持ちだった。その後、自衛隊による空からの注水や東京消防庁の職員の放水の映像を息を飲むような気持ちで見ていた。今は、何より被害の拡大を抑えてほしいと願ったことを思い出す。
日本は、今も昔も危機的現場への対応が欧米などに比べて劣っているように感じてならない。権限と責任の問題が曖昧だからだと思う。今回の原発事故の場合、多くの権限を現場責任者に持たせ、責任は、東電本店や政府が持つことが必要だったと思う。現場からの要請に最大限応え、迅速に実行することだったのではないだろうか。戦争のことなど引きあいに出したくないが、沖縄戦や硫黄島の戦いの大本営の対応は、嫌悪感すら感じる。命がかかっている人とかかっていない人の違いと言っても良い。当時、首相補佐官だった細野豪志が、新聞記事によると吉田所長は、日本の命運に命をかけていたと評価し、上司の元管首相の行動に批判的な発言は注目に値する。
  

Posted by okina-ogi at 10:03Comments(0)日常・雑感

2014年09月08日

『紀見峠を越えて』 高瀬正仁著 萬書房 2300円+税




数年ぶりに、九州に行くことになり、再会したい人がいたので電話したところ、会いましょうということになった。最近、本を書いたという。その本がこの本である。先日、アマゾンで注文したら昼過ぎに届いていていた。ゴルフ帰りの疲れもあったが夕刻までに半分ほど読めた。著者は、数学者で、九州大学で教鞭をとっている。数学者、岡潔の著作を数多く世に出している。数学者になったのも岡潔に惹かれたからである。群馬出身という同郷のよしみもあり、何度か親しくお話させてもらっている。この作品は、著者が魂をもって書いたと言っているように、長年の岡潔の世界の追求が、著者の確信に近いものとなって表現されている。
高次元の、数学の世界はわからないが、岡潔の人となりにには、若い時に一度お会いしてから、今を持って惹きつけられるものがある。岡潔が高い評価を与えた、芭蕉や道元を引用しつつ、この世に珍しい無私の人だったという点は、同感するところである。「解決の当てのない難問をみずから創造し、何らの打算も行わず、百尺竿頭なお一歩進める気魂をもって数学研究に打ち込んだ岡潔」というところは、著者も岡潔を数学の詩人と評したように、数学の詩人高瀬正仁といっても過言ではないかもしれない。再会が楽しみである。
  

Posted by okina-ogi at 19:27Comments(0)書評

2014年09月06日

往年の名テニスプレイヤー清水善造




錦織選手が、全米オープンテニスで準決勝に進んだ。これは、96年ぶりの快挙だと伝えられている。女子では、今も、40代で現役を続けている、伊達公子さんが準決勝まで進んでいるが、男子テニスでは久しくなかった出来事なので日本中が湧いている。次の対戦に勝てば決勝進出となり、日本人初めてということになる。錦織選手は、24歳で、体力も技術もあり優勝も夢ではない。
往年のテニスプレイヤーに清水善造がいる。群馬郡箕郷町(現在は高崎市)生まれで、高崎中学(現在の高崎高校)から東京商業高等学校(現在の一橋大学)に進んだ人である。教科書にも紹介されている美談がある。ウィンブルドンの大会でアメリカのチルデンと対戦した時、チルデンが転ぶとわざと緩い球を返したという話である。清水善造も世界ランキング4位になったこともある強豪だったが、加えて温厚な紳士だったと伝えられている。母校の先輩にこのような立派な人物がいることは誇りにできる。
  

Posted by okina-ogi at 12:08Comments(0)日常・雑感

2014年09月05日

下村文部大臣のこと




第二次安倍内閣で下村博文衆議院議員が、文部大臣として留任した。新聞の事前報道では、あまり取り上げられなかったが、重要閣僚として安倍総理の信任が厚かったのであろう。下村博文文部大臣は、東京都選出の衆議院議員であるが、出身は群馬県である。群馬郡倉渕村に生まれた(現在は、高崎市倉渕町)。人口が5000人にも満たない山村で、林業と農業が主な産業になっている。幕末、勘定奉行であった小栗上野介が隠遁しようとしたが、新政府に捕えられて、川原で家臣とともに斬首されたのもこの地である。墓のある曹洞宗の東善寺で、毎年小栗を顕彰する催しが開かれている。
下村大臣は、簡単に言えば苦労人で努力家だ。苦学して、早稲田に進み教育学を専攻し、塾を経営し、都議を経て国会議員になった。少年時代、父親を亡くし母親に育てられた体験は、他人が想像する以上に大変だったに違いない。下村大臣の卒業した高校は、高崎高校で私の2年後輩になる。だからというわけではないが、影ながら応援したい。FBもされておられるようで、投稿欄に「知よりも情緒を大事にする教育政策を進めてください」とコメントさせてもらった。目に止めてくださると嬉しい。
  

Posted by okina-ogi at 15:07Comments(0)日常・雑感

2014年09月01日

高山右近と黒田官兵衛

8月31日放送の大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」を見ていたら、高山右近が登場する場面があった。戦国大名の中で、キリシタン大名として知られる人物である。キリシタン禁止令により、棄教をを迫られ、領主、領地を捨て信仰を捨てない決断をする。黒田官兵衛といえば、秀吉の考えに反対するが、棄教はしなかったが、政治の道を選ぶ。秀吉は、高山右近の人間性と武人としての能力をかけがえのないものと評価していたので、千利休に棄教するよう説得したが高山右近は応じなかった。高山右近は、千利休の高弟でもあったのである。両者の決断は、対照的だが、尋常ではない印象が強い。なぜなら、領主だったからだ。地位、名誉は自分の問題だが、領民の事も考えなければならない、政治家だったからである。この辺りの詳細は、高山右近に関する本を読まないと理解できない。加賀乙彦の「高山右近」を読んでいるが、このあたりの記述があったか思い出せない。
信長の時代、荒木村重の謀反に加わらないように説得された時は、棄教を迫られたわけではない。むしろ、大いに布教しても良いともいわれ、信長と対抗すれば、領民や、宣教師を殺すと脅迫されている。だから、高山右近は、信仰の道が第一だったことは分かる。最後は、徳川時代に国外に追放され、異国の地で病死したことも一貫した生き方になっている。不思議な人物であるが、心惹かれるところがある。
  

Posted by okina-ogi at 16:01Comments(0)日常・雑感