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2014年10月30日

『銀の匙』 中勘助著 角川文庫




名前だけは聞いていたこの本を還暦が過ぎてから読んでいる。少年時代にこの本を読んで、おませな子供にはわからない、うぶな子どもの傷心を癒してもらった人も多いのだろう。岩波文庫で多く読み継がれている本のひとつだという。
中勘助は、東京帝国大学の国文科を卒業している。一高、帝大時代に夏目漱石の授業を受けている。この小説とも、体験記、回想記とも言える『銀の匙』は、夏目漱石の推薦で朝日新聞に載り、世に知られるようになったのである。長塚節『土』も同様である。漱石は、文豪ではあるが、無名の作家に対する評価ができる人物だった。
中勘助の幼年、少年時代は、明治20年代である。当時の東京の暮らしや、田舎の自然も混在している様子が想像されて、興味深い。甘えん坊で、自閉的な少年だが、大人の世界に縛られない思い出が、独得の文章で描かれている。アニミズムの世界も感じられるし、「童心の季節」のような物語になっている。中勘助の世界を書きたいと思っている数学者がいる。この本も、彼から紹介されたのである。彼は、10代でこの本に出会った。中勘助と感性が合うのだろう。
  

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2014年10月28日

『学問のすすめ』 福沢諭吉著 伊藤政雄訳 社会思想社




江戸時代後期、明治時代を生きた人の著作を、訳書で読むこともなかろうと思うが、処分しようと思っていた蔵書の中にあったので、小旅行に持参した。それほど、ボリュームのある本ではないので、列車の中で読み終えた。さすが、古典というべき本だと思った。現在にも色あせていない。
偏見だったかも知れないが、福沢諭吉という人は、西洋かぶれだと思っていた。ただ、在野にあって自分の主張をできる珍しい日本人だとは思っていた。一番感心したのは、国民の多くが無知ではいけないという主張である。一部の人が、権力をもって支配する封建時代は、彼の最も嫌うところだった。地位、肩書き、家柄、財産、そうしたものだけが幅をきかせ、人々の自由を拘束したとすれば、なんと索漠とした人生を人は過ごさなければならなくなるだろう。そのようにならないためには、一人ひとりの精神的、知的向上が必要だというのである。人権を主張するのも良いが、学問をすることが必要だというのである。
何の学問が必要かといえば実学だという。お金に関係する学問。経済の分野に慶応義塾の卒業生は、世に貢献している。高校時代の友人に慶応の出身者が何人かいるが、経済界に就職した者が多い。加えて、法治国家の主張もある。なるべく、感情や、好き嫌いを排除したところで国や、組織の中で生きることが平和に暮らせるというのが、福沢の主張なのだろう。
しかし、心を癒やす学問もあって良いのである。文系と言われる学問分野も世の中に不必要とは思えない。ただ、福沢諭吉という人間は、人の人情というものがわからない人物とは思えない。
  

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2014年10月23日

温泉対局(2014年10月)


 

四万温泉は、群馬県中之条市の奥まった山峡にある温泉地で古くから知られている。温泉街の前を四万川の清流が流れ、上毛カルタには、「世のちり洗う四万温泉」と詠われている。昨年、静岡に住む友人が、将棋の宿があるから泊まりに行かないかと誘われた。〝灯台もと暗し〟である。群馬にいながら四万温泉に泊まったことはなかった。旅館の名前は、唐澤旅館と言って、プロ棋士の色紙があるところを見ると、将棋愛好家だけでなくプロ棋士が泊まっていることがわかる。碁盤も置かれていて、囲碁・将棋の宿という言い方が正しい。宿の主人は、囲碁の高段者で昨年は、三子で御指導いただいた。
 昨年、二泊三日だったので、棋友とはゆっくり将棋が指せた。宿は古いが、家庭的な感じがあり、宿泊客が我々だけだったこともあり、相部屋にならなかった。風呂も家庭風呂のようで、好きな時間に入ることができた。食堂を兼ねた広間に、プロ棋士の創作した詰将棋の色紙が飾ってあって、詰み手を発見しようと、挑戦してみたがどうしても解けずにいた。自宅に帰り考えていたらどうやら解けた。しかし、正解かどうかは、確信がなかったので、今回主人に確認しようと思っていた。
 詰む場所が、色紙の盤面にはなく驚いたことに9一という場所で詰むのである。なんと29手詰めである。正解手順の控えがあるというので、早速確認したところ見事正解である。二人目の正解者ということだが、最初の宿泊の時解けたわけではないから、数にいれなくても良いと言うと、答えを教えたわけではないから二人目ということで承認してもらった。
 詰み手順を解説付きで書くことにする。初手は●3一銀(1)である。後手は、1三に玉が逃げると、2二に銀を打たれて早詰みになってしまうので、玉は1二に逃げることになる。3手目は、●2二金(3)である。同銀とは取れない。これも早詰みとなる。○1三玉(4)と逃げて●2三金(5)と歩を取る。○同玉(6)の一手となり、2四から銀を打つ。3二に玉が逃げると3三銀と取って、これまた早詰み。○2四同銀(8)と取る。次の手は、最後の銀を3二銀(9)と打つ。同玉と取ると、早詰みとなるので、○1三玉(10)と逃げる。●1二銀(11)と王手に捨て、○同玉(12)と取らせる。●2一飛成(13)と王手とし、○3三玉、(14)●2三龍(15)、○4二玉(16)となる。この時点で持ち駒は、桂と歩である。●4四桂が好手で、ここから王様一人の逃避行になる。ここまでの手数は、十七手。以下は棋譜だけ書く。色紙の図面から消えて行くのである。○5二玉●4三龍○6一玉●6三龍○7一玉●6二桂成○8一玉●7二成桂○9二玉●9三歩○9一玉●7一龍までの二九手詰めである。
 詰将棋の図面がないので駒の配置を記すと。後手方、1一香・1四歩・2一桂・2二玉・2三歩・3三銀・3四歩・4四歩。先手方2五歩・4一飛。持ち駒は、金、銀、銀、銀である。将棋盤に並べてから考えてみてほしい。
 岡山の友人は、飛行機と列車を乗り継いで、安中榛名駅に下車。自家用車で迎えに行き、八場ダム工事地を案内し、四万温泉までのドライブになった。記念館や娯楽施設には興味のない人で、紅葉の始まった群馬の自然を見てもらうだけにした。昼飯は、東京駅で食べたらしく、ついでにビールも飲んでいる。宿に早く着いてゆっくりしたいのだろうと思ったが、一か所だけ倉渕町の落合にある道祖神に立ち寄った。江戸時代の物で、短い時間だがまんざらつまらない物を見せられたという印象はなかった。
 紅葉して和合日和や道祖神
 旅館に着いたのは四時過ぎで夕食までには時間があるので、温泉に入ることにした。夕食後は、将棋対局になった。軍師官兵衛が見たいと言うので、対局は、二局。ドラマの前の一局はこちらの勝利。ドラマの後は接戦になったが、持ち込んだお酒も飲んで、最後のあたりは指しかけにして就寝。朝再開したが、一手でこちらが投了。どうやら昨夜の局面で勝ちはなかったようだ。数手前に敗着があったことに気づいたが後の祭り。飲んでの将棋は駄目と思うが、相手も飲んでいるのだから条件は同じである。実力は彼の方が上なので、指し分けで良しとしたい。
 四万温泉からは、中之条の市街を経由し、沼田市から次の宿泊地の水上温泉に向かう。旅館は、三時からチェクインなので時間は充分ある。土産物と思うが適当なものがない。
「群馬で土産にするものは何もない」
これは、友人の弁である。言い過ぎだと思うが、こんにゃく、うどん、饅頭などには興味なさそうである。街道沿いにリンゴがたわわに実っていたのを思い出したのか、四万温泉の旅館の主人の親戚のリンゴ農園に予約して、宅急便で箱詰めのリンゴを送ることにした。農園の名前が小渕農園。朝刊をみたら、小渕優子大臣が辞任したという記事が一面に出ていた。彼女の選挙区であり、中之条市が地元になる。政治とカネの問題での辞任というが、不祥事はなかなか絶えない。
赤く熟れニュートンを待つ林檎かな
ただこの句は、農園の人にとってはいただけない句である。地にリンゴが落下してしまえば価値がなくなる。落下する前に収穫しなければならない。それに、どことなく川柳っぽい。林檎を購入したのが、小渕農園であったこともあり、小渕大臣の辞職のことと絡めた句ということにして
赤く熟れニュートンを待つ優子りん
と言う句は、あまりにも揶揄し過ぎている。
当日の新聞の広告に載った某週刊誌には、群馬県と茨城県が知名度の低さで全国最下位を争うなどという記事が載っているが、岡山県も四〇番台だと、お互いの県を貶し合うようなことは止めようと旅行中の申し合わせにした。


 岡山県の山と群馬の山の印象は極端に違うという。群馬の山は急峻で、しかも独立峰になっているものが多く、山では群馬に負けると認めている。それならばと、谷川岳が近くに見える場所へと案内しようと思い、ロープウエイで天神平の展望台に登った。小雨が降り、嶺は霞がかかることもあったがはっきりと稜線が見えた。途中の紅葉も美しかった。
水上の温泉宿は、昨日とは変わって大きな旅館である。今晩は、将棋の対局はしない。この宿は、水上でも古く、芸術作品が多く置かれていることも特徴があるが、大浴場や露天風呂も凝っている。建物の下には利根川が流れている。対岸の欅も紅葉して美しい。朝、水上の町を眺めると周囲の山に霧が立ち登り、谷川岳は見えなかったが、友人にも満足してもらえる宿泊地になったと思う。来年は、日光に行きたいという。「日光に行かずして、結構と言うなかれ」である。後日、友人から手紙ともに俳句が五句送られてきた。二句は文中で紹介したが、他の三句は
かりがねの通いし空のうすみどり
佳句だと思う。
みどり児の夢の扉たたけ雁渡し
新蕎麦や酒と老婆と雨催ひ
昼食に、天ざる蕎麦を註文したが、手打ちであったこともあり満足してもらえたようだ。
  

Posted by okina-ogi at 06:43Comments(0)旅行記

2014年10月18日

『白き瓶』 藤沢周平著 文春文庫 629円+税




友人に、藤沢周平のフアンがいて、盛んに薦められたが読む機会が与えられなかった。藤沢周平は、若い時に結核体験があり、病弱な体に健康不安を常に持っていた作家だという。庶民派というか、江戸期のいわゆる市井の人を描いた作品が多い。
この小説は、藤沢周平には珍しく、明治の歌人であり、小説家でもある長塚節を描いている。37歳という若さで亡くなった人だが、正岡子規に嘱望された人物として関心を持っていた。小説は『土』が知られていて、夏目漱石が絶賛したという。長塚節の生家は、今も良く保存されていて、茨城県の常総市の郊外にある。一度は訪ねて見たいと思うが、交通の便などを考えて実現していない。父親は、政治家で、長塚家は豪農であった。
長塚節は、県立水戸中学を首席で入学するほどの秀才であったが、病気がちで身体も弱く中退している。家に財力もあり、長男であったこともあり、家督を継ぐ立場にあったから文学に関心を寄せ、正岡子規に出会い、才能を開花させる。しかし、子規と同様に、健康に恵まれず、許嫁もいたが生涯独身であった。療養も兼ねて温暖な九州を旅しているが、現在九州大学のある福岡市の馬出の病院で亡くなっている。
5年前に読んだ本だが、岡山から藤沢周平フアンである友人が訪ねて来ることもあり、思い出したように書棚から取り出して再読している。藤沢周平は、資料を丹念に調べて小説を書くことで知られている。この小説も例外ではない。伊藤左千夫、島木赤彦、斉藤茂吉といった、アララギ派の歌人の様子も知ることができる。
  

Posted by okina-ogi at 12:07Comments(0)書評

2014年10月13日

山村暮鳥企画展



群馬県立土屋文明記念文学館で、10月4日から、「山村暮鳥」の企画展が開催されている。今年は、暮鳥の生誕130年の年に当たるという。群馬の代表的な詩人だが、その詩は、あまり知られていないような気がする。群馬県立土屋文明記念文学館は、暮鳥の生誕地にあり、詩碑も建てられている。町内に詩碑は多い。企画展示場には、それらの詩碑の写真が飾られてあった。
彼の代表的詩の中に「雲」がある。40才という短い人生であったが、死後出版された。その一節は、代表作として愛されている。それは、
おなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか
この詩、漫画「巨人の星」で引用されていた記憶が残っている。星飛雄馬のお姉さんの明子さんがでてくる場面だったと思う。高校生の頃だと思うので、40年以上前の記憶である。いい詩だなあと思ったが、大分経ってからから暮鳥の詩だと知った。
  

Posted by okina-ogi at 15:14Comments(0)日常・雑感

2014年10月11日

『高山右近』 加賀乙彦著 講談社

著者は、東京大学卒業の精神科医でもある。学生時代に『フランドルの冬』という北国の冬の空のような小説を読んで以来、その名前を忘れていた。高山右近に関心が向き、同名の小説を加賀乙彦が書いているのを知った。古本屋で買って読みかけになっていた。
長谷部日出雄の『まだ見ぬ故郷』は、高山右近の生涯を、エピソードなどを織り込み時系列に描いているが、この小説は、秀吉により大名を捨て、前田利家に抱えられ、いまどきの言葉で言えば中高年からの高山右近が描かれている。もはや、揺るぎのないキリスト教信者となり、政治の世界とは一定の距離を置いた高山右近である。
千利休の高弟の一人である、茶人としての描写もあるが、必然的に国外追放という十字架への道を、雪深い金沢から京都を経て長崎に向かう姿の中に、武将として多くの合戦を戦った地を通り過ぎながら回顧する手法も印象的である。加賀乙彦も洗礼を受け、カトリックの信者になっている。
今年、とりわけクローズアップされている黒田官兵衛もキリシタン大名であったが、戦いに明け暮れた戦国時代に、キリスト教が武将の中に広まったのは、考えさせられるものがある。蒲生氏郷、小西行長と名だたる大名もキリスト教に帰依している。高山右近の影響があった。幼い時に洗礼を受けた高山右近の信仰は、他の大名よりも深かったことは事実のようである。この本で気づいたことがある。高山右近が、マニラに追放され時は、大阪城をめぐる、徳川と豊臣の攻防の時期であった。キリスト教を信仰する武士が、多く大阪城に集結した事実がある。家康は、キリスト教を禁止したから当然の結果であろうが、高山右近が豊臣方につくことを恐れたと書いてあった。それほどに、高山右近は政治から離れていても、武将としての名声と人望があったということである。
  

Posted by okina-ogi at 10:20Comments(0)書評

2014年10月09日

『評伝 岡潔 星の章』高瀬正仁著 海鳴社 4000円+税



2003年の出版である。その後『評伝 岡潔』は、3冊の続編が出た。いずれも大作である。2014年になって『紀見峠を越えて』の回想編が出て、岡潔の評伝は完結したように見える。最初の評伝が世に出る前に、著者から活字になった草稿が送られてきたことがあった。10年近い、地道な取材の旅があったのである。関係者に会い、資料を提供してもらい、足跡も訪ねている。著者も数学者であり、専門分野も多変数関数論で岡潔と同じで、数学史上、世紀の大発見とされる岡潔の論文の内容も解説している。
 岡潔は、文化勲章受賞後は、数学の研究から離れ、心の真相を世に書物や講演で語ることに命を注いだ。面会を求める者は、区別なく自宅で直接会い、私見を語った。私もその一人で、亡くなる1年前であったが強烈な印象を受けた。岡潔は、自伝を書いているわけではないが、人生の生い立ちから、数学研究の歩みを著書に残している。著者もそれを手がかりにして、岡潔の生きざまを調べ、評伝として描いた。小説ではないが、主観が入るのは当然であるが、この評伝の圧巻は、若くして亡くなった考古学者中谷治宇二郎との友情を記した部分である。
 岡潔は、京都帝国大学を卒業後、同大学の講師をした後、フランスに4年留学した。留学中に出会った中谷治宇二郎は、無二の親友になった。この人は、物理学者で雪の研究で知られる中谷宇吉郎の弟である。岡潔は、中谷宇吉郎とも親交があった。共に生活することもあったが、中谷治宇二郎は、病になり、そのため岡潔は留学を延ばしている。経済的援助もしている。学問の理想を語り合える友としてかけがえのない存在だったのである。帰国後も友情は変わらず、中谷治宇二郎が療養する由布院に何度も訪ねている。最後の別れとなった時に中谷治宇二郎が詠んだ句がある。
 サイレンの丘越えて行く別れかな
今回、福岡で著者に会い、二人の友情の深さについて痛く共感するところがあった。改めて11年前に手にしたこの本を再読し、二人の友情を想像して見たのである。著者に会った翌日、由布院に行く予定は、台風のため実現できなかったが、いつかは訪ねたい。
  

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2014年10月08日

嵐の中の都会の休日(2014年10月)

 


台風一八号が九州地方に接近する十月四日(土)、二泊の予定で福岡を起点に、由布院日帰り旅行を決行した。台風の進路によっては、飛行機も欠航し、鉄道も運休する可能性もあった。「決行」という言葉には、そんな気分も含まれている。由布院は一度友人達と、ゆかりの宿に宿泊したことがある。亀の井別荘という旅館で、高級宿である。十一月の紅葉の始まる季節だった。この宿は、物理学者として知られる中谷宇吉郎の甥が経営者になっている。由布院の街おこしは有名で、亀の井別荘の主人である中谷健太郎さんもその立役者の一人である。宿泊した時、御挨拶させていただいたことがある。
 今回は、福岡市からの日帰り旅行にして、由布院の町をゆっくり散策し、由布岳を眺め、自然の残る高原の清楚な町を楽しみ、金鱗湖にも行き、歩き疲れた体を日帰り温泉で休め、往復を「ゆふいん号」というレトロな列車を利用して、旅情に慕ってみようというものだった。この計画は、台風のため断念せざるを得なくなった。日曜日、台風は宮崎県沖にある。列車は運休にはなっていないが、天気予報では、大分地方は風雨ともに激しく、とても旅行を楽しめる状態ではない。
 ホテルは、博多駅の筑紫口に近いホテルにしたのだが、午前十時以降、午後三時までは、部屋を出なければならない、五時間を福岡の町で過ごさなければならない。幸運なことに風はあっても雨は降っていない。時折晴れ間ものぞいている。明日の飛行機のことが心配になってきた。空港に行き、往復とも全日空のマイレージのポイントを利用して無料で購入できた搭乗券なので、変更が可能か確かめる必要があった。欠航であれば、変更ができることを確認できた。博多駅から地下鉄で福岡空港までは二駅という便利さである。明日の帰宅がなんとかなるという安心感で、普段は通り過ぎるだけの空港の設備をじっくり見て見ようと思った。
 


二階が出発ロビーと土産物店になっている。全日空のマイレージポイントがたまるクレジットカードは、全日空の販売店では一割引になる特典がある。土産物を買うならばこの店に限る。明太子の品物を見ると、老舗店で有名な「福さ屋」のものは、どこの販売店でも値段が変わっていない。年会費のあるクレジットだが、今回は大変恩恵を受けたことになる。最近退職した友人に送別ができなかったので土産を買うことにした。家人、親戚の土産は出発当日で良い。昼食は、三階がレストランになっていて、和洋中華まで選択肢が多い。場所も場所だから値段は安くはないが、昼は軽めにうどんにした。
 食事が終わったら、博多駅まで戻り、天然温泉のあるホテル行くことにした。由布院の日帰り温泉の変わりである。この情報は、空港にあったパソコンの有料のインターネットで検索して調べたのである。博多口から徒歩五分と書いてある。駅からこんな近くに天然温泉があるとは嬉しい。ビルの合間のそれほど風情のある湯殿ではなかったが、ゆったりと湯に浸かることができた。風呂上がりのビールも美味かった。
 ホテルに戻り、夕食までひと眠り。メールが入り、今晩の夕食は、風邪のため御一緒できないという内容。一人ではつまらないだろうから、カウンターで会話ができるような海鮮料理の店が駅ビルの十階にあるから行ってみてはどうかと調べてくれた。メールの主は、福岡の友人である。昨夜は店を予約してフルコースで歓談できたが、後半からそういえば声の調子が悪かった。無理はしない方が良い。学生時代からの友人で、福岡の在住のため当地では大変世話になっている。これまた福岡に四十年近く住んでいるが、群馬県の出身の友人も同席し、二人は初対面ながら打ち解けて楽しい時間を過ごすことができた。
博多駅の駅ビルは、最近改装されたようでりっぱなエレベーターがある。友人お薦めの店で、地魚の海鮮料理と焼酎をいただき、エレベーターに。ほろ酔い加減の人が載っていたが、各階ごとに停まる。降りる人や乗る人がいない。へんだなあと思っていたら、小さな子供が停止ボタン押している。罰悪そうに、妹に向かって「押したと」と博多弁で妹に責任を押し付けている。顔は笑っている。乗っている人からも笑いが起こる。途中降りて行ったが、皆が手を振っての別れとなった。実に微笑まし場面になった。
往復の飛行機が只となったとはいえ、九州まできて観光せずに休日を過ごすことは、なにかもったいない気がしてはいたが、都会というものは、つくづくと生活には便利にできていると思った。移動手段も多く、外食にも困らない。一人で静かに読書できる場所もある。空港に行った時、滑走路を離着陸する飛行機を眺められる場所があって、そこで数時間、持参した本と、福岡博物館で購入した本を読むことができた。戦国のキリシタン大名である黒田官兵衛と高山右近である。秀吉がキリスト教を容認しなくなってからの二人の生き方は違っているが、友情があった。今回、由布院を訪ねる動機は、数学者岡潔と若くして亡くなった考古学者中谷治宇二郎の友情の地だったからである。土曜の夜、私の友人二人と会食した席の主なテーマも友情についてだった。友人との再会、都会の休日、無駄な旅になっていない。加えて、黒田官兵衛は棄教していなかった事実。帰郷してブログを訂正しなければならない。
  

Posted by okina-ogi at 17:32Comments(0)旅行記