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2015年01月30日

悲願と感受

 大学を卒業して一〇年。この間好運にも人生行路の行く末に確とした指針を与えてくださった人物との出会いがあった。一人は、数学者岡潔博士である。奈良新薬師寺に近いお宅を訪問したのは八年前の二月であった。今でも清楚な和室での博士の熱弁が懐かしく想い出される。見ず知らずの一介の若者にあれ程親しく、そして厳しく一時間もの時を費やし、語ってくれたことに深い感銘を覚えた。
「物質はないのです。あると思って見ている者は、皆造化のテレビ放送です。映像です」
私もそれなりの心理学の徒。これにはビックリした。世の人には、博士を偏人と見る人がいる。私のお会いした博士は、童の如き純粋な心の持ち主で、見識の深い碩学と呼ぶにふさわしい人であった。翌年他界されたが、四月の春雨忌という集まりには、毎年子女松原さんのお宅にお邪魔している。
 湯浅八郎先生は、戦前の同志社大学の総長。ある日、現在私の勤めている老人ホームに訪ねてこられた。
「湯浅です」
と小柄な老紳士は握手の手をさしのべられた。
「今度から法人の後援会長に就任された湯浅八郎先生です」
と紹介され、一瞬シーラ―カンスの出現(失礼!)のような錯覚に陥った。まもなく湯浅先生も他界されたが、『美しき老年期』という題で一時間半、カクシャクとして講演された姿に心をうたれた。
「三〇億年の命があなた方一人一人の中に生きているのです」
会場の窓から見える榛名湖がいつになく澄んで見えた記憶が残っている。
 私は、特別養護老人ホームに勤務している。六月で丸八年になる。七八歳にして現職である原正男理事長は、私の直接の指導者である。原理事長は、若くして結核になった。約七年間に亘る闘病生活を送った。病床の想いは、結核撲滅運動となって結実した。その間、この尊い結核療養所建設の事業のためにあいついで我が子を亡くしている。私の結婚式に祝辞をいただいた。
「全てのこと働きて益となす」
逆境に光を見出すこと。原理事長は創立の精神をキリスト教の愛の精神に置いている。自らもクリスチャンである。
 この八年間、岡潔博士、湯浅八郎先生、原正男理事長に感化されるところ大であった。
「この世の尊き業は、人の心の悲願と感受で為される」
というのは、故岡博士が芥川龍之介の短編『蜜柑』を引用されて説明されたことの私なりの理解である。岡先生は、物質文明に荒んだ人間性の回復、湯浅先生には世界平和、原理事長には結核撲滅、老人福祉への悲願があった。また悲願の背後には愛があった。それに共鳴し、与えられた状況の中で地道に実現していくことが、感受するものの役割であろう。
(一九八五年・七月一〇日発行、同志社大学心理学同窓会報より抜粋)

岡潔
 一九〇一~一九七八。数学者。多変数関数論の研究で文化勲章。『春宵十話』など著書
湯浅八郎
 一八九〇~一九八一。同志社大学総長。国際キリスト教大学学長。『若者に幻を』
原正男
 一九〇六~一九九九。財団法人榛名荘、社会福祉法人新生会創設。法人理事長
  

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2015年01月28日

高等遊民

記憶の底に長く沈んでいたような言葉を耳にした。『吾輩は猫である』を読みかけ、苦沙彌先生が、友人に重なってきたので、感想を求めたところこの言葉が帰って来た。友人は、経済学者で大学から報酬を受けており高等遊民ではない。趣味もあい古くからの友人でもある。いつも知的な刺激を与えてくれる。近くに住んでないので、迷亭君のようにぶらりと家を訪ねて来ることもない。温泉宿を決めて、雑談に年数度耽っている。
辞典を調べて見ると、明治、大正、昭和の初期にかけ、高等教育を受けているにも関わらず、定職に就いていない人を指した言葉のようだ。夏目漱石の小説にはこうした人物が描かれていることを彼は知っていたのだ。
どうも現在言われているニートとは違うようだ。以前にも、働くということは何かを考えて見たことがある。労働することにより対価を得て、人々は社会で生きている。子供や老人は、労働人口に入れていない。鬼籍に入った人だが、大学教授が教室で教鞭を執るのは、70歳が限界という持論を実行し、20年近く子供から離れ老人施設で生活した。老年学者の理論を実践した有言実行の人であった。
会社の役員も70過ぎて活躍している人もいるが、肩書きだけで職責を果たしているか甚だ疑問の場合もありはしないか。高等遊民の方が罪がないような気もする。
  

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2015年01月27日

かくすればかくなるものとは知りながら・・・




NHK大河ドラマ『花燃ゆ』では、主人公の兄である吉田松陰が密航に失敗し、萩に護送されてくる場面があった。野山獄に収監されることになる。江戸から萩に向かう時、赤穂浪士の眠る泉岳寺の前を通った時の感慨もあり「かくすればかくなるものとは知りながらやむにやまれぬ大和魂」という歌を作ったとされている。
吉田松陰は、若くして学者となり、教育者であった。松下村塾からは、明治維新に導いた多くの俊材を輩出した。何よりも特筆すべきは、行動家であり自分の考えを実行に移した。脱藩もし、密航を企て、政府の要人を要撃する計画まで立てた。そして最後は、安政の大獄で政治犯として斬首された。キリストで言えば十字架への道である。松陰の人生はこの歌に象徴されているような気がする。
『留魂録』を読んでみたいと思いアマゾンで注文したがなかなか届かず、昨日届いた。『留魂録』の文字を写真で見ることができた。しかも、死刑の前日に書き上げたとは思えない乱れのない文字で、その内容も整然としている。斬首の直前の態度も落ち着いていたという。
さらに驚くのは旅を多くし、それは学問のためで兵学者として見聞を高めることであり、旅の中でも貴重な本を読んでいる。野山獄にあっても多くの著作を読んでいる。それは、全て「功業を為すつもりではなく、忠義を為すためであった」。その知識が詰まった頭を幕府の役人に切らしたのである。
皇国主義に導いた思想家、テロの先導者などという指摘は当たっていない。その人を見るべきである。
  

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2015年01月23日

『吾輩は猫である』夏目漱石著 1979年発行




これほどの名著をもしかして完読したことがないのかもしれない。県立土屋文明記念文学館で、漱石の葉書を観たのに刺激され、漱石の小説を読み始めた。家の書斎に眠っていた『吾輩は猫である』を取り出して読み始めている。だから、読後感を書いているわけではない。初版は、明治38年で、発行所は、大倉書店と服部書店になっている。なかなか粋な本で、表紙の装丁は樋口五葉であり挿絵は中村不折による。さらに、読み進めるためにはペーパーナイフで切るようになっている。
この復刻本は、『吾輩は猫である』だけではない。せっかく購入したのだから、他の小説もナイフで切り裂きながらじっくり味わってみたい。ところが、漢字にルビがふってあるわけではないので読めない字もある。「など」という漢字はワープロの文字にもない。テ片に不という文字である。「態態」は、わざわざと読むらしい。「聊」かは、「いささ」かのようだ。古文ほどではないが、時代を感じられて良い。カビ臭さも、効果的である。根気よく読むことにする。
  

Posted by okina-ogi at 17:24Comments(0)書評

2015年01月22日

宗教の垣根を超えて

イスラム国なる集団が、日本人を拘束して身代金を要求している。イスラム教の原理主義者の組織というが、宗教と関係があるとは到底思えない。平気で人を殺し、略奪も働いて恐れられている。バックボーンに宗教があるので、山賊よりもやっかいな存在になっている。なんとなく、鬱屈した気分になる。
知人のブログを見ていたら「クリスマスと正月が同居する日本」というタイトルで、若い僧侶が講演している様子を紹介している。風土や食事についても触れ、分かりやすく日本人の宗教観を説明している。行動派でもある。宗教の垣根を超えて、他宗教者と交流している。どんな人物なのかと調べてみたら、京都妙心寺の退蔵院の副住職で、東京大学の大学院を卒業したインテリ僧でもあるようだ。
故高田好胤が、「仏教は、近い祖先を敬い、神道は遠い祖先を敬う」と言っていたが、この方は、キリスト教やイスラム教も垣根を超えて受け入ることができるようだ。松山大耕というまだ30代の若い僧侶である。講演を聞いて留飲が下がる思いをした。
  

Posted by okina-ogi at 11:57Comments(0)日常・雑感

2015年01月19日

二つの企画展




日曜日を利用して、群馬県が企画した展示会を観に行くことにした。一つは、群馬県庁昭和庁舎で開催されている。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』がテーマになっているが、最初の群馬県令であった楫取素彦を意識して取り上げている。富岡製糸場が世界遺産になったが、この時代の人だ。全国に先駆けて廃娼を進め、教育に力を入れたことでも知られ、県民から慕われた名県令(知事)だったようだ。昭和庁舎は昭和3年に竣工し、平成11年まで使用された。この建物残したことは評価できる。隣接する群馬会館とともに群馬県にとって貴重な建物になっている。この展示会で知ったのだが、前橋公園の近くに臨江閣という和風建築の建物があるが、楫取素彦の提案で建てられたことは初めて知った。次に前橋に行く機会があれば、見学してみようと思う。
もう一つの企画展は、県立土屋文明記念文学館で開催されている「近代を駆け抜けた作家たち」である。夏目漱石を始めとする明治、大正、昭和の時代に活躍した文豪たちの手紙や原稿が展示されている。作家だから、文章や詩、歌、句は素晴らしいに決まっているが、個性ある文字を観ることができる。少し驚いたのは、北原白秋の字は女性的に感じた。多情な人だったこととは関係ないと思うがペン字が特に印象深かった。高浜虚子の短冊に筆で描いた文字も良い。漱石の葉書の文字はダイナミックで力強い。パソコンで文字を書き、メールで意志を伝える時代になった。文章力はともかく、確実に文字を書く能力は落ちてきている。特に、医師のカルテは酷い文字だと思うことがある。早書きするためか。文字が読みとれないことも。漢字の本家である、中国では簡単字が普及し、味気なくなっている。自分達の歴史的財産を放棄、抹殺するようなものだ。書道の手習いをしても良いと思った。
  

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2015年01月14日

情の通わないない国(組織)は滅びる

フランスで新聞社が襲撃され、報道関係者が殺された。多くの移民を受け入れ、自由と平等を標榜する国にとって大きな社会問題になっている。自由、平等は知性の世界。もうひとつフランスが国家の旗印にしているのが、博愛である。異なる価値観、思想に寛容になれる精神である。これは、情の世界と言って良い。テロという暴力的手段は、論外なのだが、イスラム教やユダヤ教を排他的に弾圧するような動きにはなってほしくない。フランスの大統領もこの点は、良く自覚している。各国の首脳に呼びかけ、素早いテロへの抗議の行進も実現させた。
原理主義というか、ある宗教や教義、理論に忠実なために他者のそれに対して不寛容どころではなく、排他的、攻撃的なる立場がある。世界の国々や思想集団を見ても、原理主義というレッテルを貼ってもおかしくない存在があることを否定できない。代表的なのは、北朝鮮である。国民は幸せとは思えない。中国やロシアも経済大国だが、思想の自由が抑制された国に見える。簡単に言えば、為政者や権力に情がない。粛清や更迭などの手段で都合の悪い者は排除される。
民主主義で少数の意見も尊重され、しかも法律で人権も保護されている国の中にあっても、組織として原理主義的になっている場合もある。ブラック企業などと呼ばれている。こういう組織は、人を大事にしない。安い賃金で、過酷な労働を強いて利益を追求する。また、リーダーの理念を徹底し、現場からの意見に耳を貸さない場合もある。側近に、リーダーの価値観に同調するものばかり集める。古代の宮廷政治や、北朝鮮のような感がある。やはり情の欠如と言わざるを得ない。
『花燃ゆ』で吉田松陰が登場する。当時として相当過激な思想と行動をした人だが、原理主義者とは思わない。人の心を動かす力がある。「至誠にして動かざるは未だこれあらざるなり」。真心が他人の魂を揺さぶる。「真情」ともいうべき心である。吉田松陰は、情の人である。キリストの行為、言動の中にも情がある。情とは何か。それを一生涯考え続けた人物がいる。数学者の岡潔である。今さらにして、その考えの深さを知る。ただ、岡潔に言わせれば、大自然の中にある心だと言っている。テロなどに訴えず、人類は、元々生を共存できる存在だということを自覚すべきだと思うのである。
  

Posted by okina-ogi at 17:09Comments(0)日常・雑感

2015年01月10日

憂国の人吉田松陰




 NHK大河ドラマ「花神」(司馬遼太郎原作)を見た。〝春夏秋冬〟という題がついていた。明治維新の夜明けに導いた吉田松陰(寅次郎)の最後である。
   身はたとひ 武蔵の野辺に
         くちぬとも 留め置かまし大和魂
 死にゆく人間の気概がこの辞世の歌にこめられている。けれども、何か自分の天分を全うした人の安らぎが感じられる。下の句は、生に対する執着から発したものではないだろう。彼自身が消え去った後の行く末を展望し、遺志を継いでくれるものへの期待だけがある。教育者であり思想家であった松蔭の善意が込められている。〝大和魂〟という、この歌の最後の表現は、日本という国を愛する一人の人間の赤裸々な気魂として捉えたい。
 この歌を私なりに意訳してみよう。
「私という人間が、たとえ武蔵の国の刑場と露と消え去ったとしても、生涯にわたって愛してきた日本を想う気魂がいつまでも残され継続されていってほしい」
〝花神〟の篠田三郎松蔭を見る限り、今はこのように理解したい。
 牢獄で、高杉晋作に宛てた手紙には人を思いやる教育者の愛情が感じられた。決して自分の思想に同調することを強いていない。高杉の地位の高い家柄の子としての条件を考え、官僚として生きることを説いている。スケールの大きな人格者だ。自分に誠実で、嘘のつけないこの人物を、安政の大獄という〝保守的な悪政〟のなかで死罪に至らしめたのは、つきつめてみると、思想と言うより、むしろ松蔭自身の内側のもの、人格にあったのかもしれない。原作者の目にはそう写ったのだろう。画像に躍動する篠田三郎という役者は、そんな松陰を演じている。
また松蔭の歌には
   親思ふ 心にまさる親心
        今日のおとづれ 何ときくらん
というのがあるそうだ。江戸に罪人として向かう前に、涙をこぼしながら、息子寅次郎の背中を流すやさしい母親がいた。そして賢父が。素直そうな妹も。この歌が、儒教的な道徳観を感じさせないのは、背後に、こうした安らぎのある家庭があるからであろうか。
 

牢獄の中で、松蔭が死罪を予感したとき、親しい牢名主の男に言う。
 「私は、百姓と同じように生まれた人間だ。春には色とりどりの花が咲き、夏に植えられた稲は、秋に実を結ぶ。そして冬が来てまた春がやってくる。そんな自然の中で私は生きてきた。人間皆、そうした四季の中に生きている。三才で死ぬ人にも四季がある。老いて死にゆく人にもそれなりの四季がある。そう想像してみると心が安らぎます」
 二重写しになった画面には、松蔭の顔が、大きく写り、そしてその背景には、秋の風に揺られ、たわわに実を結んだ稲穂が写し出された。
 「しかしながら、これから先、どうなっていくのかは私にはわからない。見えない。ただ怒濤の時代が待っているような気がする。その時に生きていられないことは残念だが、人は年若くし死ぬ者もある。死は望むべきものではないが、また生も甘んずるものではない。両者推し計って比べることはできない。しかし、死んでも悔いのないところまで生きれば死も決して辛いものではない。近頃は気分が落ち着きます」
と言って、男に牢獄の中で記した冊子を渡す。そして
「あなたが娑婆に出たら、これを〝長州藩〟の人に渡してやってください。念のために二部作っておきましたから」
男は松蔭の言葉を聞きながら、感動して涙がとまらない。顔を歪めて泣いている。
「約束します。〝長州藩〟の人ですね」
と念を押した。
 この記録書の名前は忘れたが、手渡された男は、三宅島での刑を終えて、明治八年に約束を果たすことになる。実に、十数年という長い年月であった。牢にあっても、人の心をうたないでおかなかった彼の人格のなすところであった。実に象徴的な場面であった。その記録を読んでみたいものだ。思想を知るためではない。人を知るために。今日は久しぶりに日本人らしい心を持った人の生き様を見た。感動している。
(昭和五十二年三月二十七日 日記より)
  

Posted by okina-ogi at 09:06Comments(0)日常・雑感

2015年01月09日

『吉田松陰留魂録』(全訳注)古川薫著 講談社学術文庫 886円

NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の放映が始まった。吉田松陰が登場する。ドラマでは、まだ刑場の露と消えたわけではないが、処刑の前に松下村塾の弟子たちに残した遺書というべき記録が『留魂録』である。その内容は、読んでいないのでわからないが、そこに記された歌には次のようものがあった。
心なることの種種かき置きぬ思い残せることなかりけり
呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかも
此の程に思い定めし出立をけふきくこそ嬉しかりけり
早速注文して購読することにする。
  

Posted by okina-ogi at 10:23Comments(0)書評

2015年01月02日

元旦の湯河原(2015年1月)

 一〇年来、元旦は日帰り旅行と決めている。多くの人は、家で家族と団欒しながら茶の間でテレビなど見て過ごしているのだろうが、いろいろな正月の過ごし方があっても良い。以前は、元旦パスなどという格安切符があって、東北の日帰り旅行も可能だった。近年は、青春18切符を利用しているが、行く先は関東近県になる。昨年は、大磯だったが、今年は少し先にある湯河原温泉にした。温泉地熱海の一歩手前になるが、多くの文人達が愛した保養地でもある。静岡県だと思っていたら神奈川県である。下足柄郡にあって、湯河原町である。市ではない。町営の日帰り温泉「こごみの湯」で、体を休めることにした。友人を伴って、朝六時の出発の予定だったが、大晦日の家族団欒が過ぎたのか、家の前を通過している七時前の新幹線の音に目が覚め、高崎駅九時の出発となった。
 天気予報で、積雪の可能性もある。正月三日の雪は、「御降り」という。
御降りも亦良き朝の道すがら
という句もだいぶ昔のものだから久しぶりの体験になる。しかも温暖の地である。在来線の湘南ラインを利用し、小田原まで乗り換えなしである。都心で乗り換えずに済むのが良い。グリーン券を購入して指定席を確保。せめてもの贅沢である。出発が遅れたために、小田原で昼食。温泉地でゆったり過ごせるはずだったが、友人には悪いことをした。寝坊するといけないので徹夜したというからなおさらである。晴れ間はあったが、暗雲が迫り、小田原城も落城の感ありで、細かな雪の粒が落ちてきた。小田原から湯河原駅までは近い。

 
 湯河原というと、昭和一二年の二月二六日に起こった、青年将校のクーデターで、牧野伸顕が遭難しかけた場所だと言う記憶があった。湯河原駅からバスを利用し、万葉公園入り口で降り、橋を渡り坂道を登り、目的地の「こごみの湯」へ歩いて行くと、途中に、その遭難の地の史跡と、説明書きがあった。友人も調べて、この日帰り温泉を決めたわけではないのでビックリしている。
牧野伸顕については、説明がいる。明治維新の元勲である大久保利通の次男で、吉田茂首相の岳父である。麻生太郎元首相の曾祖父にもあたる。昭和天皇の信任が厚く、軍部からは、「君側の奸」と見られ、命を狙われ、とうとうそれが現実になったのがこの場所である。当時の建物は、襲撃によって焼かれ残っていないが、遺品などが展示されているという。この日はもちろん閉館になってそれらを見ることはできない。光風荘といって、老舗旅館伊東屋の別館であった。伊東屋は、今も坂下にあって和風建築の立派な宿になっている。牧野は、襲撃の情報を得ていたらしく、事件当日に避難していたとされるが、察知され襲われた。首謀者となったのは河野壽大尉という人で、八名で急襲した。護衛の巡査(殉職)に撃たれ重傷を負ったが、刑に服さず数日後自決した。家は焼かれ、地元の消防団も駆け付けたが、その団員の中にも傷ついた人がいた。牧野の孫である麻生財閥の妻になった和子もいて、彼女の勇気と機転によって、牧野は助かったとされる。その場面は、家が炎に包まれ、崖をよじ登って逃れようとした時、炎に照らし出され、襲撃者の目に牧野が浮かび上がった時、和子は前に立って和服を広げ祖父を隠したという。その健気な勇気に銃の引き金を引けなかったとされる。

 
この経緯は、母親から聴かされているかはともかく、息子である麻生太郎元首相は知っているに違いない。もしここで母親が銃弾に倒れていれば、彼は生まれていないのだから。青年将校の憂国の熱情は認めても、武力によるしかも暗殺という手段は受け入れられない。「君側の奸」と見られ殺害された、高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎という人々は、見識の深い人々であり、私利私欲から程遠い人物であった。牧野伸顕は、戦後柏市に住み、最後まで皇室の行く末を心にかけながら、昭和24年に亡くなった。ほとんど、資産を残していなかったという。借財を残した、父、大久保利通に似ている。
 「こごめの湯」は、元旦というのに大勢の人が訪れていた。湯船も洗い場も満員状態。美肌の湯と言うだけあって泉質は良い。温度も適温でゆっくりと浸かって体を休めることができた。長居はできなかったが充分名湯を満喫することができた。帰路、雪が本格的に降り出した。東海道沿線の家々の屋根も夕刻で薄暗くなっているが、白くなり始めているのが解る。この分だと、群馬も雪が積もり、家までたどり着くのに難儀になるだろうと思ったが、娘に迎えを頼むと雪の話は出ない。無事帰還となったが、光風荘を見たからというわけでもあるまい。
  

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