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2015年03月31日

「上野三碑」特別講演会



3月28日(土)上記講演会が開催された。会場になったのは、高崎商科大学でこの近くに、上野三碑と言われる古碑のうち二つがある。山ノ上碑(681年)と金井沢碑(726年)である。1300年の時間を超えて石碑として残り、しかも石に刻んだ文字が読み取れるということは、驚くべきことである。高崎市吉井地区にある多胡碑(711年)を加えて「上野三碑」として世界記憶遺産に登録しようという運動が始まっている。
 講師は、古代史の研究者で、それぞれの研究分野を踏まえて講演した。聴衆の多くは、この分野の専門家ではないが、この講演を聞いて「上野三碑」が価値あるものだということは門外漢である私にも理解できた。平城京に都が置かれる前後の、東国と言われる群馬の様子がほのかながら想像できる。その一つに、この地方は、古代から仏教信仰が広まっていたということ。そのことを古碑が伝えている。碑に刻まれた「知識」は、仏教信者という意味だと言う。仏教を広めた立役者は、鑑真の弟子である道忠という僧で、その門下には天台座主になった僧が多い。下野出身の慈覚大師もその一人である。
 多賀城が、東北地方を大和政権の中に組み入れるための前線基地だったが、上野(群馬)からは、多くの兵士が駆り出されたらしい。碑はその供養塔の意味もあるという。その移動は、碓氷峠を越え、信州、越後、出羽という道筋だったという。
 日本三大古碑の一つ多胡碑は、渡来人が多く住んだ今日で言えばハイテク団地であったことを示しているともいう。多胡の胡は中国西方の民族の意味が含まれている。多くは、朝鮮半島から来た技術者であった可能性が高いという。古代から、群馬をアピールするのも良いかもしれない。上信電鉄、根古屋駅の近くに金井沢碑があるというので帰路見学することにした。山間の竹林の中に、コンクリートの建物に保護され窓越しに見られるようになっている。
  

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2015年03月28日

会社は公器

大塚家具という会社がある。家具販売会社の大手でもある。高級家具を扱って、事業を拡大してきたが、近年は、ニトリなどの比較的安価な家具を販売する会社に押され、営業不振に陥っている。創業者である大塚勝久氏は、大株主でもあり、経営に影響力を持っているが、娘が社長となり、新たな経営方針を掲げ、父親を経営から排除する議案を株主総会に提出したために、骨肉の争いが起こった。
 結果は、娘の主張が指示され、創業者である父親は、経営者を退陣することになった。約6割の株主が、娘である大塚久美子社長に賛成した。彼女は、一橋大学の経済学部を卒業し大手銀行に就職した履歴がある。その手腕が大塚家具の経営を立て直せると株主総会で判断されたのだが、親子喧嘩、しかも父親と娘という構図はいかにも異常に見える。
 「会社は公器」という言葉がある。朝ドラ「マッサン」も今日で終了。創業者である竹鶴政孝のニッカは、アサヒホールディングスに吸収されたが、ウイスキーの製造技術の伝統は残されている。むしろ今日になってマッサンの夢は結実しているとも言える。ニッカも同族経営の会社だったことは、否定できないが、従業員を大事にしてきたことはドラマでも想像がつく。オートバイ、自動車製造で世界的な会社になった「ホンダ」は、会社名は創業者の名前であるが、今日の経営者は本田宗一郎の子孫、親族ではない。
 株式会社ではないが、社会福祉法人という公益法人がある。規模が小さいこともあり、同族経営になりやすい。任期はあっても、同じ人が長く理事長を務めることが多い。株式会社以上に公器と言っても良い存在である。
  

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2015年03月23日

『自註鹿鳴集』 会津八一著 新潮文庫




会津八一は、新潟の人。書家であり、美術史家であり歌人でもある。秋艸道人の名もある。歌人でもあり、国文学者、民俗学者である折口信夫が釈超空の名で知られているように。二人の歌の背景に共通するものがあるような気がする。
北陸新幹線が金沢まで開通した翌日に、糸魚川を訪ね相馬御風の足跡に触れた。早稲田で会津八一と同窓で、郷土の禅僧良寛に傾倒したことで共通している。会津八一が相馬邸を訪ね懇談したこともあった。会津八一の歌は、独得である。ひらがなだけで書かれている。万葉集の歌が、ひらがなが発明されていない時代、漢字が当てられていた裏返しなのかと思う。
此の歌集は珍しく解説付きである。句集や歌集は、読書家であってもとり着きにくいものであるが、そうかと言って自註というのもどんなものであろうか。読者に自由に鑑賞してもらうものだからである。断片的ではあるが、奈良で詠んだ会津八一の歌は、愛唱するものが多い。毎年春になると高畑地区新薬師寺の近いお宅に泊めていただく機会があり、そこに集う友人の中に、『自註鹿鳴集』をいつも携帯した人がいた。今年の正月に急逝されたこともあり、改めてこの本を読むことにした。
「南京新唱」という言葉に出会った。南京はナンキョウと読み、古都奈良のことである。
南都北嶺という言葉もあるが、古都京都は北京となる。少しずつ歌を味わいながら、解説を読んで、日本人の心の故郷のような奈良の雰囲気にしたるようにしたい。亡くなった友人に代って、この本を持参することにした。旅立ちは、4月4日である。
  

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2015年03月16日

春よ来い(2015年3月)

 北陸新幹線が長野から金沢の区間が開通し、北陸への旅が便利になった。開業から二日目の三月一五日(日)新潟県の糸魚川市を訪ねることにした。家から近い安中榛名駅に車を停めて、日帰り一人旅である。開業翌日だったので切符が手に入るか心配していたが思いのほか空席があった。八時三二分発の長野行き「あさま」に乗り長野駅で「はくたか」に乗り換える。糸魚川に着いたのが一〇時少し前だから、およそ一時間半程の時間しかかからない。
 安中榛名駅は高崎駅と軽井沢駅の間の山の中腹にあるが、一日に新幹線が停車する本数は少ない。今回の開業でかえって本数が減ったらしい。もののけ駅などと揶揄されたことがあったが、ホームに早めに行くと誰もいない。発車時刻に近くなると、数人が現れたが、十人もいない。名前は申し上げないが、有力政治家による政治駅という噂もあった。日当たりの良い南面に土地の分譲でハイカラな家が立ち並ぶようになったが、駅前には商店街などはできていない。ただ、妙義山が眺望でき、景観は素晴らしい。長い年月をかけて街らしくなっていくのかもしれない。
 

軽井沢駅に着くと残雪があり、スキー場も営業している。リゾート地とあって下車する人も多い。長野方面の新幹線に乗る機会は少なかった。善光寺の御開帳に合わせて乗車した記憶しかない。今年が御開帳の年だから七年前のことである。車窓からの信州の眺めも新鮮である。長野駅で乗り換え、飯山、上越妙高に停車し糸魚川に着く。妙高山と言い上越の山々も雪をかぶり幻想的である。高山を見ると怖れを感じる。青葉の季節である五月頃も山々の峰には雪が残り、平地で田植えをしている風景も良いものである。旅情を掻き立てる風景である。
 糸魚川駅では歓迎ムードで人出も多い。地元の商店街の人達であろう。親切に観光案内もしてくれる。駅前にはステージができてイベントが行われている。北国の雪解けを待つような新幹線の開業だったのであろう。糸魚川駅の自慢は、日本海が近くに見える唯つの駅だということである。しかしそれだけではない。海に迫って一〇〇〇メートルを超える山々を見ることができる。黒姫山、雨飾山、火打山等である。皆タクシーの運転手さんに教えてもらったのであるが、野尻湖の近くにある黒姫山と同名の山があることは初めて知った。この山の中には日本百名山に入るものもあるという。三時間ほどの滞在なので海や山に感動しているわけにはいかない。
 

糸魚川訪問の目的は、明治、大正、昭和にかけて活躍した文人が生まれた土地だったからである。駅前に碑ができている程だから、地元の人は当然その名前を知っている。明治一六年に生まれ昭和二五年に亡くなった人物で、没後六〇年が経過している。相馬御風。童謡「春よ来い」の作詞者で知られている。昔からこの童謡が好きだったが、作詞者である相馬御風を意識したことはなかった。ちなみに作曲者は弘田龍太郎である。

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
春よ来い 早く来い
おうちの前の 桃の木の
蕾(つぼみ)もみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている

 春待つ心というか、雪国の人ならではの詩である。子供心を良くとらえている。相馬御風の名を知らしめたのは、早稲田大学の校歌の作詞者であることである。若干二四歳の時の作品だというから驚きである。師である坪内逍遙、島村抱月の要請だったという。二人とも相馬御風の詩才を高く買っていたのだろう。糸魚川市の歴史民俗資料館は、相馬御風記念館にもなっていて、彼の文字で早稲田の校歌が木に刻まれ掛けられていた。島村抱月で思い出されるのは、「カチューシャの唄」である。松井須磨子とのコンビで上演されたこの劇中歌は大いにヒットした。一番を島村抱月が作詞し、二番以降は相馬御風が書いた。作曲した中山晋平とも親しくなり二人が残した作品も多い。
 相馬御風の生い立ちに少し触れる。相馬御風記念館でもらった資料を元にしている。相馬家は旧家で一族は代々社寺建築を生業とし、江戸時代には名字帯刀を許されていた。父親の代には家業を廃業し、父相馬徳治郎は糸魚川町長になっていた。一人っ子として育ち、母親は病弱で、御風の少年時代に亡くなっている。母子の関係は詩人の背景に大いに影響を与えている。このあたりは、研究者に譲りたい。御風は、学校の成績も良かったが、三高の受験に失敗する。その後、京都に滞在している時同志社入学も考えたが、キリスト教に違和感があってやめたという。その後、東京に出て早稲田に入学する。


 相馬御風という人は多才で、記念館で見た書などは立派である。早稲田入学後は、歌人として才能を発揮し、与謝野鉄幹の「明星」の同人となり、石川啄木とも接点をもつことになる。歌にとどまらず、詩や小説にも関心を向け、とりわけ当時勢いを持っていた自然主義文学の理論家で、評論も多く書いている。このあたりは、島村抱月や、坪内逍遙の影響があるのであろう。交友関係も広い。田山花袋、島崎藤村、正宗白鳥といった人物である。文学者として前途洋洋と思われたが、三〇代で故郷糸魚川に帰ってしまう。自己に煩悶し、文学者として再出発するのである。母校早稲田の教職の道も保証されていたかも知れないのに。
 その後、糸魚川に定住し、力を注いだのが良寛の研究である。今日の良寛像を作ったのは、相馬御風だとも言われている。この点が、今回糸魚川に行く気にさせたと言っても良い。資産家であったことも想像されるが、新潟を始め、全国各地の校歌の作詞を手掛け、収入の道もあったと思うが、良寛にならって生活は質素だったと想像した。郷土の発展にも尽力したようである。翡翠の産地であることを世に問うたのも相馬御風の功績だとされる。
大糸線に姫川という無人の駅があって、近くに「ひすいの湯」という日帰り温泉がある。交通の便が悪く、タクシーを利用して言ったのだが、入館時間は三〇分しかとれず、まるでカラスの行水のようになってしまったが、相馬御風の生涯に思いを寄せるのには十分な時間であった。インターネットで調べて知った温泉だが、なるほど独得な匂いがする。石油臭いと書いている人もいたが、鉄分が多く含まれているのではないかとも思った。成分表見たわけではないから間違っているかもしれない。お湯で流さず着替えたら、長くその匂いが皮膚を離れなかった。相馬御風の香りということにしたい。
  

Posted by okina-ogi at 15:24Comments(0)旅行記

2015年03月11日

なぜ歩詰めは禁じ手なのか

先週のNHK将棋対局で二歩の禁じ手が出現。大変驚いた。将棋のルールの中には禁じ手が結構ある。先々週の森内九段と深浦九段は、なかなかの熱戦で、終盤は深浦九段が勝勢に見えた。解説者の佐藤九段も深浦九段に分があると見ていた。詰みの場面があった。と言っても歩を打てば詰みという場面である。当然のことながら歩は打てない。とうとう寄せきらず、森内九段の勝ちになった。
将棋もチェスもインドから生まれたとされる。戦争ゲームのようなものか。駒の働きも似ているが、決定的に違うのは、相手から奪った駒を再利用できるのが将棋である。「昨日の敵は今日の友」である。それだったらなぜ歩を打って王様を仕留めてはいけないのだろうかという素朴な疑問がわく。
武士の美学からして、名もない足軽(歩)に首を取らせるわけにはいかないからだろうというごもっともな説がある。しかし、「歩のない将棋は負け将棋」という格言もあるように歩も馬鹿にした存在ではない。と金にもなることができる。主権在民の国になっているのだから歩にも詰めに一役加えてほしいというのは思いつき過ぎるだろうか。将棋愛好家としては、伝統重視の保守派である。
  

Posted by okina-ogi at 12:38Comments(0)日常・雑感

2015年03月08日

プロの将棋に二歩見たり

3月8日(日)放送のNHK教育テレビの将棋対局で信じられない場面を見た。対局者は、行方(なめかた)八段と橋本八段。準決勝の一局。序盤で早々に角の交換をしてからは、隙を作らない慎重な駒組み。どこから戦端を開くか難しい局面が続く。盤面中央の歩を交換して、千日手の可能性は無くなった。いよいよ天下分け目の大決戦という瞬間になんとあろうか橋本八段が禁じ手の二歩を打って終局。解説者の普段陽気な木村一基九段も沈黙。勝者になった行方八段は、一瞬泣き出しそうな顔したような気がした。勝った喜びということではなく、申し訳ないことをしたという感じである。縁台将棋ならさもあらんだが、プロもこいうことがあるのだ。多くのファンの前での失態と言えばそれまでだが、如何に対局に集中していたとも言える。橋本八段は、有能な棋士である。このことを踏み台に、精進して欲しい。  

Posted by okina-ogi at 20:08Comments(0)日常・雑感

2015年03月07日

介護報酬の改定

3年に一度の介護保険の見直しにより、新年度から介護報酬が改定される。新聞紙上でマイナス2.27パーセントの減額になる。消費税増税の引き延ばしにより、財源確保ができなかったことも少なからず影響しているのだろう。介護保険制度の内容も変わってきている。それにともない、国から都道府県、市町村へ通達がなされ、民間事業者への内容説明に追われている。かなり複雑になっている。
介護給付の適正化というが、質の高い介護体制を事業者に求めている。職員の待遇が他の一般企業に比べて低いにもかかわらず。行政は、相変わらず指示的で、制度には熟知しているが、デスクワークの域を出ない感がある。民間事業者を集めて、制度変更の説明会があるが、集団指導という言葉を使っている。現場の現状を知らない管理者に似ている。
ところどころに減算というものがあって、ペナルティーを科すことを忘れない。法律と言うものは性悪説に基づいて出来ているかは知らないが、第三者にはサービスの内容まで見えないから記録重視である。建前重視の行政の体質から言って監査による指摘などは得意とするというところである。イエローカードでなくいきなりレッドカードを出すケースがあるようだ。
  

Posted by okina-ogi at 16:47Comments(0)日常・雑感

2015年03月02日

東京大空襲

終戦の年、1945年3月10日、東京の下町を中心にアメリカ軍の大空襲があり、多くの焼夷弾によって家屋が焼失し、10万人以上の死者が出た。3月11日の東日本大震災の死者をはるかに超える死者である。民間人を標的にした、無差別爆撃であったことは否定できない。
3月1日のNHKのアーカイブスという番組で、東京大空襲を始め、日本全土の大都市への空襲の様子が放送された。それによると、最初は、軍事施設への爆撃が目的になっていたが、成果が上がらず、住宅密集地をポイントにした空爆に切り替わっていく。その作戦を指揮したのが、ルメイという軍人で、戦後佐藤内閣の時に勲章が授与されたというから驚きである。
全国の都市が焦土になっても戦いをやめない日本に対して、白旗を上げさせるには、民間人を殺傷することもやむをえないと考えたのだという。究極は長崎、広島への原爆投下である。結果はどうなるのか明らかである。こうした非人道的な行為ができる合理主義的考えはアメリカの中にある。そうでない人々もいたにもかかわらず。戦争というものが、このような状況をもたらすことも事実で、もはや国家間の総力戦のような戦争紛争解決手段として行うという選択肢はない。
解説者が言っていたが、想像力の欠如でもある。イラク戦争や、イスラム国の戦闘機によるミサイル攻撃もまるでテレビゲームのようである。攻撃する方に殺戮するという罪悪感が希薄になってくる。
戦争ではないが、職場でも現場で長時間労働をしている職員のことが想像できなくなっている管理者がいたら想像力の欠如という同じことが言える。
  

Posted by okina-ogi at 17:28Comments(0)日常・雑感

2015年03月01日

霞が関半世紀』 古川貞二郎著 佐賀新聞社 1800円+税




内閣副官房長官という役職がある。官房長官の下に3名が補佐する。2名は、衆参の議員だが、1名は、官僚出身者である。伝統的に、内務官僚が就任するケースが多い。今は、省庁再編で名称は存在しないが、自治省や厚生省の次官経験者がなる場合が多かった。警察官僚も就任することがあったが、思い浮かぶ人物は後藤田正晴である。国会議員にもなり、中曽根内閣では官房長官に就任し辣腕をふるった。
実務的にも行政に熟知し、各省庁間の調整役として重要な存在である。石原信雄は、自治省出身の内閣副官房長官として長期にこの役職を務めた。群馬県出身でもある。その後を引き継いだのが厚生省出身の古川貞二郎である。退任したのは、小泉内閣の時だが8年7カ月は、石原信雄の7年8カ月よりも長い。10年前に購入した本だが、政治の裏方というべき官僚の姿を垣間見たような気がした。政治の表舞台には出る機会が少ないが、首相や閣僚を見事に支えている。
今日の日本経済新聞を見たら、古川貞二郎が掲載されている。30数回にわたり連載されることになるだろうから目を通すことにする。佐賀県の農家の出身ということも関心深い。
  

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