☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2015年07月25日

高野長英の末裔



哲学者の鶴見俊輔さんが亡くなった。93歳であった。鶴見さんの名前は、母校同志社大学の教授だったというくらいの記憶でしかない。小田実らとべ平連を組織して運動したことは、マスコミで取り上げられたので知っているが、著書も読んだことがないし、哲学者だったという認識もないから訃報にそれほどの驚きもない。
東日本大震災の年の夏、岩手県の奥州市を訪ねたことがある。後藤新平の生地だったからである。後藤は、関東大震災の復興に係った人物でもあったからである。奥州市の3偉人の中の一人として後藤新平記念館があるが、高野長英と斉藤實の記念館もあって、訪問した。そこで知ったのだが、後藤新平の大叔父が高野長英だったということである。
亡くなった鶴見俊輔さんの母親は、後藤新平の娘であるから高野長英の末裔ということになる。「謀反人と朝敵の子」というタイトルで紀行を書いたが、鶴見俊輔さんの血にもそれが流れているのかと思った。鶴見さんの人生が紹介されているが、反逆の最初の矛先は母親だったようだ。それに、学者の家系という感じがするほど、兄弟、親戚に学者が多い。これも高野長英の血というものか。
  

Posted by okina-ogi at 11:50Comments(0)日常・雑感

2015年07月23日

厚生年金への一元化

今年(平成27年)の10月から、被用者年金である国家公務員共済、地方公務員共済、私学共済が厚生年金へ一元化される。集団的自衛権に関する法案や、新国立競技場の建設問題に目が向けられているが、こちらはあまり話題になってこない。公務員や私学の先生にとっては、関心がないというわけにはいかない。
長年議論された問題だが、ようやく公的年金の公平性に一歩近づいた感じがする。何がかわるかといえば、公務員の民間への退職後の就職に厚生年金法の在職老齢年金が適用されることになる。公務員特有の職域加算は廃止され、新しい制度が導入される。民間企業の企業年金のようなものに移行するようだ。
もう一つは、年金の受給資格期間が25年から10年に短縮されることだ。ただ、10年間の保険料の納付では、老後の生活費を支えることはできない。足りなければ、生活保護で支給するというのでは、財政が持たない。制度が変わっても、公的年金を維持し、それなりの老後設計を考えていく必要がある。
  

Posted by okina-ogi at 13:06Comments(0)日常・雑感

2015年07月18日

たまには行政批判


長いこと、行政の補完的な仕事をしていると、ついついお役人さんへの不満を口にしたくなる。友人知人の中には、国や県や市町村でりっぱに公務員の責務を果たした人たちがいるので、個人攻撃などということではない。厚生労働省の課長だった某氏などは、40代で教職の道に進んだ人だが、公務員だった頃から福祉の現場の情報を大事にしていた。日本に介護保険を導入するにあたって、政策的な土壌を作った人だが、一貫して現場主義である。友人のT君などは、現役の県の部長として、県の産業発展のために激務をこなしている。
介護保険制度になって久しいが、保険者が市町村になってから仕事に違和感を持つようになった。行政の単位が狭くなったのだから、地域に密着した福祉などには良い環境が整備されたと思うが意外とそうではない。福祉の現場の生の情報を大事にしていると感じないし、町村合併でそれぞれの地域の特殊性もあるのに、画一的な方針を貫くことに頑なだ。デスクワークが多く、地域にあまり足を運ばない。制度に熟知しているが、民間を育てる配慮が少ない。言いたいことは、沢山あるが、一つだけ不満を言う。
介護保険の認定には申請がいる。本人、家族がしても良いが、制度に詳しいわけではない。介護支援専門員や委任された人が代行する。これは、制度を円滑にするのは、当然のことだ。問題は、その先である。介護保険の認定審査会には、市町村の調査員の調査資料と医師の意見書が判断の基準になる。市町村によって違うのだが、某市などは、直接医師に依頼せず、家族や介護保険専門員に医師の下に提出させる。しかも、記入が終わるとその意見書を取りにいかせ、役所に届けさせる。開封できないので郵便物と同じである。定形外の封筒だから、最低120円である。事業所から遠い医院や病院の場合だと、郵送で返信の切手も同封することになる。これって変ではありません。市の仕事でしょ。市の支出を減らしたいという発想から出たとしか考えられない。
あまり、良い印象がないので、郷土愛もなくなる。他の市町村にふるさと納税でもしたくなります。変なところで、手間を省くなと言いたい。
  

Posted by okina-ogi at 11:54Comments(0)日常・雑感

2015年07月15日

『我が人生に茜さす』 笠原浩一郎著 日本図書刊行会 1700円+税



7月14日、帰宅するとポストに小包が届いていた。差出人の名前を見ると、笠原浩一郎とある。中身は、ご自身の著書である。笠原先生は、今も開業した診療所で現役の医師である。1933年のお生まれだから、82歳になられる。
群馬大学医学部を卒業し、ドイツに留学した経験のある笠原先生は、1982年から10年近く榛名荘病院の院長をされたことがあった。そのときに面識ができ、年賀状のやりとりなどさせていただいた。拙著をお送りしたこともあり、医師会誌などに掲載された文章を送っていただき拝見したことがあった。今回出版した、本の中にはその文章も綴られている。
夕食後、本を開くと紀行文が目に留まった。国内旅の自分と違って、先生は海外が多い。それも、アフリカや、中国の西域といった場所に行かれているのには驚いた。それも、先生の類まれなる好奇心による。3人の息子さんがいらして、医学の道に進んでいるというのも驚きである。アフリカは、息子さんが赴任していたからの訪問であり、北アフリカでは、カルタゴの遺跡も訪ねられている。サンテグジュペリの星の王子様も引用されての紀行文は興味深かった。中国の沙漠の旅は、先生が仏教を信仰されていることと無縁ではない。漢詩の素養もおありで、仏教伝来を描いた、平山郁夫の薬師寺の壁画を思い浮かべながら読んだ。
ドイツ留学時代の、思い出の記も貴重な人生の体験だったことがわかる。このとき親交のあった人々は、皆一級の知識人だったこともあり、笠原先生の人生を豊かにしている。女優左幸子や作家山崎豊子の通訳を務めたというのは貴重な体験だったに違いない。うらやましいのは、本物の音楽や、絵画といった芸術作品に触れる機会があったことである。
加えて、洋画、邦画ともに詳しいことである。それは、叔父に笠原良三という脚本家がいたことと無関係ではないようだ。戦後の映画黄金期の脚本家で、今日世に知られる作品を書いた人である。
 笠原先生のお人柄は、女性的ともいえるほど温厚だと思っていたが、戦時中に少年時代を過ごしているので、戦前と戦後の極端な思想の変化に懐疑心のようなものが残り、時の権力に迎合することに抵抗があるようだ。もちろん平和主義者、仏教の慈悲の心の深い方なのだが、真珠湾攻撃の時、母親の妹の夫が戦死したことが先生の心深くに刻まれていることも知った。
 外国旅行は、今も続けられている。シアトルでは、イチローとマー君が出場した野球を観戦している。旅の多くは、夫婦同伴である。その奥様が、イチローが振り向いた時に「イチロー、イチロー、イチロー」とコールすると「イチローの上にコーをつけなさいよ」と御主人の注文に「それはジェラシーというものよ」という。おしどり夫婦というべきか、うらやましい限りである。蒸し暑い夜ではあったが、一気に読んでしまった。
  

Posted by okina-ogi at 16:07Comments(0)書評

2015年07月13日

『世界遺産巡り』昭文社1000円





昭文社から株主優待の地図が届いた。今までに無く買いたい地図である。『旅地図』2000円と『世界遺産巡り』1000円。これまでに、日本全国旅しているので、ほとんどといって良いほど世界遺産になる前から訪ねている。ただ自然遺産は、踏破したとは言えない。屋久島、小笠原諸島、白神山地、知床はこれからも行かないかもしれないが、紀伊山地は訪ねてみたいと思っている。関西の友人とゆっくり時間を掛けて、熊野あたりを旅したいと思っている。昭文社の株は、長期保有でいきたい。  

Posted by okina-ogi at 08:18Comments(0)書評

2015年07月11日

意匠と機能



建築を考えるとき、大きな要素として意匠と機能がある。一般住宅なら、機能を優先する場合が多いのではないだろうか。お城のような外観の和風の建築であったり、貴族の家を連想させる洋風の建物を時々見るが、意匠のために結構な費用がかかっているのに違いない。
2020年に開催される、東京オリンピックのメイン会場になる国立競技場の建築をめぐって大きな論議が起こっている。当初予算の倍に近い建築費になることが明らかになり、また、その後の運用や建物維持にコストがかかり、設計の見直しの声が日増しに大きくなっている。
確かに斬新なデザインで、近未来を想像させる。宇宙からやってきた乗り物用にも見える。費用が、予算をはるかに超える原因はこのデザイン(意匠)のためだという。日本を代表する建築家が加わった委員会で決めたというが、予算のことを考えてのことだったのだろうか。そうではないとすれば、あまりにも無責任である。
政府や国立競技場の建設を担当する組織は、変更を考えていないようだ。2500億円という金額は、一競技場にかける費用としては破格である。国際的信用を失うと気にしているようだが、国民の声を聞いた方が良い。屋根や、外観はシンプルであっても良い。機能である観客席や、フィールドがしっかりしていれば。
  

Posted by okina-ogi at 12:52Comments(0)日常・雑感

2015年07月09日

二つの台風



日本列島に影響を与えそうな台風が、南海洋上にある。台風9号と11号である。台風10号は、中国大陸に向かって、日本列島に影響を与えることはなくなったようだが、複数の台風が発生するのは珍しいようだ。
日本の株式市場も二つの台風のような状況に投資家の不安が起きて、暴落のような株価の下落が発生した。株式市場は、将来を予測して動く。ギリシャ問題と中国株式市場の株価の急激な下落に日本の株式市場は、過敏に反応している。暴風雨が到来したかのような反応である。長い晴れ間が続き、太陽が注いでいた天気が急変したような感じである。
こうした時、投資家はどのように対処したらよいのか。将来がわからないように正解はないのだろう。長期的に影響を与える要因となるか、そうでないか見極めることができれば対処の仕方も変わってくる。台風に関しては、新しい衛星が打ち上げられ、以前にまして鮮明な画像が見られるようになった。株価がどうなるかは、人間の心理も入るので予測がつかない。売って被害を少なくするか、被害は少ないと見て動かないか、下がるのを承知で購入するのか、それぞれの判断になる。
  

Posted by okina-ogi at 11:58Comments(0)日常・雑感

2015年07月08日

群馬県榛東村のふるさと納税

友人からのフェースブックの情報で知ったのだが、インターネットでふるさと納税ができるという。早速、群馬県榛東村のホームページを検索してみると、特産物が並んでいる。昨年、和歌山県の橋本市にふるさと納税をした。目的は、同市の名誉市民の岡潔の記念館の建設計画があるからその資金ということだった。特産の種無しの柿が送られてきた。今年も続けて、橋本市へのふるさと納税と決めていた。
榛東村のふるさと納税は、少し変わっている。インターネットでできるということではない。何回かに分けて納税するたびに特産物が送られてくるようになっている。なるほど、こんなふるさと納税の活用もあるのかと思った。これでは、村の財源にならないではないかと考えられるが、地元農家や企業を直接応援するつもりなのだろう。榛東村は、高崎市に隣接している。平成の市町村合併をしなかった。陸上自衛隊の基地があり、財源が安定しているからだ。
ふるさと納税は、地方活性化の手段なのだろうが、各自治体が工夫して良い。総務省のホームページを見ると平成27年の1月から、納税枠が2倍になっている。しかも、手続きをすると確定申告をしなくても良い。橋本市と榛東村に分けてふるさと納税をしても良いと思った。
  

Posted by okina-ogi at 12:00Comments(0)日常・雑感

2015年07月06日

久坂玄瑞





蛤御門の変で、久坂玄瑞が自刃した。25才だという。当時の青年は、政治意識が高い。しかも命をかけて。彼が、歴史的に、今日でも取り上げられるのは、なぜなのだろう。幕末という時代は、緊迫感があった。国の存亡がどうなるのか、若者の方が真剣だった。不思議な時代である。今はどうか、命がけの政治家は少ないし、投票率も低いから、大衆は傍観者に近い。そう評する私も大衆の一人である。平和なのである。
イデオロギーと言うのは抽象的である。玄瑞も、師吉田松陰の薫陶を受けたから尚更である。しかも若い。その若さで死んだのは無念だと思う。妻もいたし。ところが、彼には、実子がいた。玄瑞の肖像は、息子が成人した姿の想像画である。身長は、180センチ以上、美男子となれば、ドラマの主役にもなれる。ただこの人は、戦ではなく、言論を重視した人である。しかも、至情の人のように感じる。25才で、こうした人生観を持てる人も稀有である。15才で、父、母、兄弟を亡くし、天涯孤独の境遇になったこと。いろいろな要因があったのでしょう。不思議な人物であることは間違いない。
  

Posted by okina-ogi at 22:08Comments(0)日常・雑感

2015年07月04日

親友、友人、知人


人は、社会的動物。人と交わりつつ生きている。自分の心に響く人。何かのご縁でお付き合いがあったりして交流ができる人。過去に親しくしていたが、遠方に住むようになって、日常会えないが電話などで会話できる人。年賀状のやり取りがある人。親友、友人、知人というふうに分けるのもどうかと思うが、大事にしたいと思っている。
心の距離だと思っている。空間、時間は関係ない。そして、心の距離は不変ではない。常に変わる。多くは自分の心変わりである。それが自然だと思う。親友、友人、知人は、自分の心を映し出してくれる存在である。大事にしたい友は、いつでも心の片隅においておきたい。
  

Posted by okina-ogi at 15:42Comments(0)日常・雑感

2015年07月02日

国の破綻



デフォルト(債務不履行)という言葉が目に付くようになった。ギリシャが期限までに債務を返済できないというので問題になっている。国家財政が、借金で破綻寸前になっているらしい。債務超過になった企業が融資を受けられなくなれば倒産ということになるのだろうが、国が潰れるということは想像しにくい。国有地を債権者に売り渡すということも考えにくい。バルテノン神殿が大資本家の所有となったり、どこかの国の所有となるということがありえるのか。担保にして、いずれ買い戻すとしてもまさに国を売ることになる。ギリシャは、どうしてこのような状況になったのであろうか。
よく指摘されるのは、公務員の比率の高さと仕事ぶりに対する待遇、年金制度だと言われている。歳入以上に歳出が多くなっている体質が改善されない。その結果、国債に依存することになる。しかも、国民もお金がないから、外国が国債を買っている。ドイツなどは、その多くを占めているという。
借りたものは返すのが当然。そのためには、質素に暮らし、必死に働かなければならない。政治家や、公務員が襟を正し、国民の指揮を高めなければならない。苦しい時代が続くが、外国の信頼を得るためにはやむをえないだろう。しかし、為政者は、自らに甘く、国民が嫌がることはしない。債権者に非があるような発言をする。7月5日の国民投票はどうなるのだろう。
国ではないが、上杉鷹山の米沢藩の財政改革は、見習いたい。企業ではないが、公益法人などは、今回のギリシャ問題の実情に目を向けないといけない。解散ということもあるが、あってはならない。
  

Posted by okina-ogi at 11:55Comments(0)日常・雑感