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2016年04月28日

東京株式市場4月場所


東京証券取引市場は、今日が千秋楽。終盤に来て負けが込み、昨日までの成績は、9勝10敗の負け越し。今日勝てば、10勝10敗の五分の成績。午前中の流れは、順調だったが、午後になって急落。全面安になった。原因は、日銀が追加緩和を見送ったことによる。その結果、円高が進み、株が売られた。晴れ後曇りどころではない、大雨といったところである。午前中に利益確定し、午後に買うという個人投資家は、少なかったのではないだろうか。
  

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2016年04月28日

ふるさと納税による被災地支援

寄付の基本は、見返りを求めるものではない。その地の特産品を贈ってもらうことに目が行きがちだが、今回熊本地方を襲った地震に対して、緊急支援がふるさと納税でできる。ふるさと納税の委託を受けている会社も手数料をとらないという。2箇所の市町村に寄付しているが控除額にまだ余裕がある。上限ぎりぎりの枠で、南阿蘇村に寄付しようと思う。熊本城の修理の募金も行っているようだが、人の生活を支援することが優先されるのは、当然のことである。
  

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2016年04月27日

半別荘

こんな言葉は無いと思うが、リタイヤしたら、離れを造って住むのが若い時の希望だった。別荘を持って暮らすほどの余裕はないし、山に篭って定住するのも高齢になれば、不便で辛いものがある。わざわざ、草津や軽井沢に別荘を持って、暑さしのぎのために年に数回出かけ、一年の大半を使わずにいるのも不経済である。それなら、ホテルに泊まって避暑に行けばよい。草津の叔父の別荘を6年間ほど借りたが、他人所有だから、それはそれで別荘の良さを味わえた。
2年前から、母屋に隣接した半別荘を計画した。農地のため宅地に転用する必要があったが、これは、問題なくできた。設計事務所も、この人と決めてあって、年賀状で10年以上前からいずれはお願いしますと伝えてあった。資金もできたこともあり、設計になった。実によく、施主の話を聴いてくれる。意匠と内装は設計士のセンスでお願いした。「こんな外観の家になりますよ」とスケッチを渡されたが、完成すればそのとおりの家になっている。プロからすれば、当然だろうが驚きだった。
母屋は、引き渡して、庵(?)暮らしが始まった。物理的に家族と距離を置くことも、新しい関係が生まれる。今のところ半別荘の出だしは順調である。
  

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2016年04月23日

『上野三碑を読む』熊倉浩靖著 雄山閣 1480円(税別)



上野三碑が世界記憶遺産の推薦リストに選ばれたという記事を新聞で見た時、意外と早いという印象があった。この運動に関わっている著者のシンポジウムに参加したのは、昨年の春のことである。こちらが知らないだけで、地道に運動は続けられていたのである。
上野三碑は、高崎市のごくごく近い場所に固まるように立っている。しかも著者の住まいに近いのである。古代史の研究者であり、郷土群馬をテーマにしている著者にとってやりがいのある課題になっている。
高崎の俳人、村上鬼城の句で
生きかはり死にかはりて打つ田かな
というのがある。高崎周辺の農家は、畑に桑を植え、田には稲と麦を植えた。この句は、冬を越す麦を農民が土に根付かせる情景を詠んでいる。榛名山や遠くに赤城山も見える田園風景が浮かんでくる。振り返れば、上野三碑のある落葉した木々のある里山もある。人の歴史も長いが、「生き変わり死に変わり」して世代交代し、記録、記憶に残るだけである。しかし、上野三碑は、当時の姿をとどめているのである。榛名や赤城の山々のように。加えて、当時刻まれた文字が消えずに残っている。そういうことに、著者は何よりも感動しているのである。
その文字を読み解くことによって、碑を残した人の心や、当時の社会を想像し、理解することができる。まさに、上野三碑は、古代への貴重な窓になっている。現在、上野三碑は、建物の中に保存され、我々はその建物の窓から碑を眺めることになるが、本著は、碑文を丁寧に、繰り返し、繰り返し読めるように解説している。教科書のようである。この本を持って、日帰りで歩いて見て廻ることも可能かもしれない。今は、若葉の季節である。山も笑っている。
  

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2016年04月22日

『古代史再検証 蘇我氏とは何か』宝島社 1000円(税別)



友人から「上野三碑」について書いた著書を贈呈され、古代史への関心が湧いてきた。近くのコンビニ行った時、この本が目に留まった。蘇我氏について検証している。稲目から入鹿まで4代、人物は、皆凛々しく描かれている。想像画には違いないが、それにも刺激されて購入した。写真や関係図がふんだんに載っている。
大学を卒業して間もない頃、古代史を彷彿させる明日香村を歩いた。青葉の季節だったと思う。爽やかな印象として記憶に残っている。甘樫丘にも登った。このあたりに、蘇我蝦夷、入鹿父子が大邸宅を構えていたと伝えられている。大化の改新の舞台になった板蓋宮跡や川原寺跡、蘇我馬子の墓と言われている石舞台も訪ねている。
石舞台あたり昭和の緑濃き
今度は、平成の緑の中をじっくりと歩きたいと思った。
  

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2016年04月19日

新築建物の登記

地震で、多くの家屋が倒壊した、熊本の人達のことを考えると、申し訳なくも思うのだが、不動産は、法務局に登記することで、自分の財産を証明することになる。不動産の現況と権利関係を登記簿として記録に残す。普通ならば、必要書類を揃えて、司法書士事務所に依頼する。若い時、家を新築した時は、そのようにした。到底、自分で手続きをするなどという発想はなかったし、知識も無い。仕事で法人の総務の仕事を任され、不動産の登記について経験した。抵当権の抹消の登記などはそれほど難しくない。ただ法人の建物、土地なので、法人の代表者の委任状が必要になる。今度は、自分の名義の家になるから委任状も必要ない。
手間と時間はかかるかも知れないが、自分でやろうと思って調べたら、インターネットでできるようだ。法務局のホームページに「建物の表題登記のオンライン申請」という手引書が載っている。それを読む限り自己申請は可能だと思った。添付書類は、法務局に持参しないと無理なようだが、住基カードは有効なものがあるので、早速チャレンジして見ようと思う。
  

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2016年04月16日

平成28年熊本地震



4月14日の夜、熊本県を震源地に震度7の地震が発生した。その後も、強い余震が続き、現地の人は不安の毎日を過ごしている。16日も強い地震があって、本震と気象庁は発表した。毎日続く強震に被害は拡大している。死傷者も増えている。内陸部の地震なので、家の倒壊による圧死が想像される。津波の心配はないから、高台の非難は必要ない。安全な避難場所と屋外で時を過ごす不敏な環境に辛い毎日が続く。自然の災害だから、身を守ることが第一ということ以外に無い。
 九州には、福岡と鹿児島に友人がいる。かなりの揺れに見舞われたが、無事であることを確認。安堵した。熊本に一緒に旅をしたことがあり、熊本城の石垣の崩壊はショックだった。文化財が傷つくことは、悲しいが人命が失われることが何より危惧される。地震が収まることを願う。南海地震の予兆だとか、住宅は建てない方が良いとか、オリンピックどころではない、原発は全て廃炉にするべきだとか悲観した声も聞こえてくる。長い年月祖先が住み続けている日本列島は我々の大地である。祖国愛のない人は、さっさと国を去ればよい。苦しんでいる同胞にできる範囲の援助を先ず念頭に置くべきだ。
  

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2016年04月15日

懐かしさと喜びの世界(2016年4月)



 数学者岡潔の言葉である。人生はそういうものだというである。昭和五十二年の二月十二日の午後、一人ではなかったが、岡潔が他界する一年前に、お会いすることができた。その時の、情景は今も心に残っている。一介の若者の電話だけの希望を受け入れ、人生の貴重な時間を割いて、自宅に招き、真摯に語ってくれたことは、我が人生の最大の幸運だったという以上の出来事だった。
 人生如何に行くべきかを真剣考えていた時期で、就職もせず進路も定まらない時だったので、難解な話も深く心に沁みた。知的に理解したのではなく情的に理解したのだと思う。普段感動して涙など流す人間ではなかったが、話の後半は涙が止まらなかった。玄関でお別れする時は、何とも爽やかな気持ちになった。奈良公園あたりの自然も、実に美しく見えた記憶が残っている。
帰宅して数ヶ月も、その気分は残り、季節も春に移り、若葉の萌えいずる季節に生きていることの喜びを感じた。昼は、山に入り、椎茸の原木を山の斜面に並べる重労働も苦にならず、読書もできた。そして、その年の六月に、地元の社会福祉法人の老人施設就職が決まった。結核体験から、戦前、結核保養所を創設し、その後老人福祉事業を起こした理事長は尊敬できる人物だった。寛容な人で、いつも理想に燃え、随分大事な仕事も任していただいた。二十数年間、愛に包まれ、充実した人生だったと思う。人を疑ったり、加えて憎むということがほとんどなかったと思う。こちらは、キリスト者の愛の実践者であった。
春雨忌という集いが、岡潔没後間もなく開催されるようになった。奈良高畑の岡潔の次女宅を会場にしての岡潔を偲ぶ会でもある。百豪寺に近い墓地に眠る岡潔の墓参会も兼ねていた。遠方でもあり、年度替りの四月の始めという日程もあったが、努めて出席した。岡潔を通じてできた人のご縁が何よりも大切だと思ったからである。春雨忌の集いには、喜びと懐かしさの世界があった。心が通い、皆「自分を後にして他人を先にする」人ばかりだったからである。これも岡潔の教えである。
岡潔の考えた「こころそのもの」は、著作に詳しい。見えないものを言葉にしているのだから、難解そのものである。他者に説明できる内容ではない。想像するのが、関の山だと考えている。岡潔は、最初の頃は、仏教の言葉を使って説明していたような記憶がある。仏教の唯識哲学というのがある。識が高いほど心の層が深い。九識まで仏教はあると言っている。悟りの世界とも言って良い。この心の段階は、自他の別がないという。物の見方も、物質的ではない。さてどんな風に見え、感じるのであろうか。想像の域である。一段下の八識は、阿頼耶識。その下の七識が未那識。普通、人はこのあたりで生きている。自我が主人公である。我々に課せられるのは、なんとか七識を越えて、八識の世界を目指すことである。そのために衆生である身として、心がけたのは、諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意の教えである。自浄其意ができるようになれば、八識の認可を得られると思っている。
岡潔に対面した時に、岡潔の情緒に触れたために、数カ月八識の世界に触れることができたが、その後は七識の世界に留まっているような気がする。ただ、七識の上層にはあると思うので、春雨忌の空気に触れ、八識の下層に入ることができるという気分がある。自分から見て、八識以上の人は確実に参加者の中に存在している。岡潔は、当然九識、それ以上の心の世界にいたのかもしれない。春雨忌に集う人々も高齢化している。他界した人も数人いる。春雨村塾に塾頭がいるわけではないが、以前から尊敬している人物がいる。彫刻家でもある。この人は、九識にいると言ってもおかしくないと思っている。こんな話をした。
「静止している機関車の車輪が一回転するのが大変なんですね。それを天地に一人立つ如きというふうにしておやりになったのが、岡先生ですね。誰からも言われたわけではないのに。これが悲願ということですね」
悲願と言えば、岡潔は、芥川龍之介の短編『蜜柑』を引用して書いている。奉公に出て行こうとする少女が列車の窓を開け、踏み切り近くで別れの手を振る弟たちに、蜜柑を投げる描写がある。
宇治を訪ねた後、JR奈良線で京都に向かう時の話である。彫刻家の先生と並んで席に腰掛けたが、向かいの席が空席になっている。そこに小学生の少年が腰掛けた。早速先生が話しかける。
「僕一人?どこに行かれるの」
とても優しい口調である。京都の親戚の家に行くという。
「お勉強は何の科目が得意かな。そう算数。算数がとても良くできた偉い先生がいるよ。岡潔という名前、覚えておいて」
ほんの他愛のない一場面であるが微笑ましく感じた。『蜜柑』とは違うが、列車の中の出来事である。
岡潔の「心そのもの」に戻る。岡潔は、自分の心があるのではなく、それを主催している心があると考える。東洋では造化と言っている。岡潔は、大自然の善意と言っている。その最も深い心を真情とも言った。幼子は、真情の世界にいるとも言った。成長するとともに真情の世界から離れていく宿命が人間にはある。岡潔は、心を語る場合に、情緒という言葉を使う。心のいろどりとも言うべきか、説明するのは難しい。
晩年、岡潔は、十識以上の心の世界があると言った。歴史的な人物を挙げている。道元や松尾芭蕉である。道元の『正法眼蔵』はなかなか理解できる本ではない。芭蕉なら関心もあるし、「情緒」に触れることもできるかもしれない。
岡潔が取り上げた句を味わうのも良い。
春雨や蓬を濡らす草の道
ほろほろと山吹散るか滝の音
岡潔の句も良い
めぐり来て梅懐かしき匂いかな
青畳翁の頃の月の色
十識以上の心の香りがしているのだろう。
  

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2016年04月09日

『数学する人生』岡潔 森田真生編 新潮社 1800円(税別)



今年になって、新たに、数学者岡潔の書籍が出版された。近年、岡潔の復刻版や評伝が世に出るようになり、関心が寄せられるようになった。若い時、岡潔に惹かれた人間として嬉しい限りである。さらに、編集した森田真生は、数学科を卒業した研究者であり、岡潔没後に生まれた人である。確実に、岡潔の思想は引き継がれていくと実感した。
 春雨村塾というのがあって、末席ながら私も塾生に加えていただいている。塾生は、世に出た岡潔の著作にはほとんど目を通していると思うが、岡潔の思想が深遠であることもあり、岡潔の次女松原さおりさんを中心に互いに学んでいる。そうした塾生の中から、岡潔の思想を伝えられたらと思うが、至難の業である。個人の思い出、感想くらいは書けても、岡潔の思想を伝えることにはならない。
 岡潔が病床に伏す寸前まで、身を削るようにして学生に講義した「京都産業大学講義」のテープが残っており、年一度開催される春雨忌では、拝聴することができる。塾生や遺族の手でこの講義は、文章化されてもいる。『数学する人生』では、この講義録を聴き、活字化されたものを編者が要約したものが掲載されていることが、特筆される。
 第3章では「情緒とは何か」を本書の中心に据えている。岡潔が最も強調して止まなかった点である。編者は、30歳。さらに、岡潔の思想を、多くの人々に伝え、広めてくれるのではないかという期待がある。
  

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2016年04月08日

京都ぎらい』 井上章一著 朝日新書 760円(税別)



大学の恩師のお宅に泊めていただき、「帰りの列車の中ででも読みなさい」と渡されたのがこの本である。理由は、話されなかったが、最近出版された本のようである。著者は、どこかで見た覚えがある。京大の建築学科を卒業しているが、文筆家と言ったほうが良い。
関西圏では売れているらしい。本人は、京都人とは思っていないから、自虐的京都論ではない。著者から見ると、京都人というのは、京都市の限られた地域のようである。洛中というのがそれにあたる。この人達には一種の中華思想があるという。
 現在の行政区では、著者の生まれた嵯峨も京都市である。しかし洛中の人は、京都人ではないと思っている。それに、皮肉とユーモアを加えて反撃している。潜在的な攘夷思想を感じている、京都周辺の地域に住む人の共感を呼んだのであろう。
 ただ、京都を多面的に知るには好著だと思う。東人(あずまびと)として京都の洛中(西陣)に大学時代を過ごした経験のあるものには、実感できる部分もある。また、お寺の存在は、京都の経済に当然ながら大きな影響力を持っていると再認識した。著者の生まれた、嵯峨は、南朝のゆかりの地であることも。
  

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2016年04月07日

『カラスの教科書』 松原始著 講談社文庫 720円(税別)



『カラスの教科書』は、雷鳥社から発売された。この時は、寄贈されたものを読んだ。好評だったのだろう。内容は、ほとんど変わっていないと著者から聞いた。早速購入して、ハイキング仲間に、今度は読者として寄贈することにする。コンパクトになったので、ハイキングに持参できる。いつも、カラス君を意識して歩くことになるだろう。
 表紙の絵が変わっている。何よりも緑が入っているのが若葉の季節にふさわしい。
  

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2016年04月06日

岡潔が確信した心

人の体の中に閉じ込められて心があるのではないといっている。数学の研究者で、多変数解析関数論の分野で大発見をした功績によって文化勲章を授与された岡潔は、晩年、京都産業大学で講義したが、心の様相を考え抜き、語った。きわめて難解だが軸がはっきりしている。心の働きの中で、古代ギリシア人が分類した、知情意のなかで情の働きを重視した。
岡潔に影響を受けた人たちの集いが「春雨忌」で、毎年、4月の第一日曜日に開催されている。約二時間の当時の録音テープを聴いた。
 その中に仏教の教えである七仏通戒偈がある。その言葉を借りて説明している箇所があった。諸悪莫作、衆善奉行は、知や意の働き。続く自淨其意が情の働きだというのである。不思議なことに、東福寺に近い泉湧寺を訪ねると、入場券の裏にこの言葉の解説があった。究極は、自らその心を淨くすることだというのである。新築した家の床の間に、この文字を掛けようと思う。
  

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