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2016年06月30日

イギリスショック

6月の株式市場は、大荒れだった。イギリスの大方の予想に反し、EUからの離脱が決まったからだ。つくづく株式と言うものは、人間の心理と無関係ではないことを実感した。円高が進んだことで株が下落したことはわかるが、内需株まで下がるのだから驚きである。配当確定日が近いなどという要素は一蹴された感がある。暴落の後、少し落ち着いたのかわずかながらではあるが、値を戻している。
6月場所は、12勝10敗であるが、月初めと月末を比較すると、日経平均で1500円下落したことになる。暴落した日のように、大きく値下げした日があったからである。今回経験したのは、イギリスショックの後、内需株は値を戻すだろうという予測が当たったことだ。全体の株は下がっているが、短期間の譲渡益があった。長期保有を原則にしているが買いのチャンスもある。
  

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2016年06月29日

生活保護について考える

総務省の生活保護の実態調査の状況をみると、生活保護受給者は200万人を超え、とりわけ高齢者世帯が多い。家族間の扶養という絆が細くなっているのと、労働力人口年齢に十分働けなかったり、年金加入が不十分だったりした人が、高齢になった時、生活保護に頼らざるを得ない状況になっている。
憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するための最大のセーフティーネットであることは認めるが、財源になるのは税なのだから、生活保護受給者が増加する流れを変える必要があるのではないかと考えるのは国民的課題ともいえる。
日本経済が上向き、雇用が維持され、待遇も改善されれば、生活保護の受給者も減少することは、高度成長の時代がそうした流れを生んだことは事実だが、アベノミクスが苦戦しているように容易ではない。雇用形態で低賃金に苦しんでいる若者も多い。年金加入も満足に出来ていない人も多いだろう。高齢者になった時、十分な年金を受給できないことは明らかである。
老齢基礎年金に対する、税の負担は半分になった。しかし毎月の保険料は、16000円を越える。40年間満額で80万円弱である。これでは、健康で文化的な最低限度の生活は無理である。さて、どうしたものかと考えるが、良い知恵は浮かばない。制度には、限界がある。暮らし方を変えるか、労働意欲を持ち、職業に拘らず収入の道を見つけるしかない。
  

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2016年06月28日

『円仁唐代中国への旅』 エドウィン・O・ライシャワー(訳書) 講談社学術文庫



円仁、慈覚大師に旅行記がある。『入唐求法巡礼行記』であるが、円仁に関心を持ち、研究した人物は、ライシャワー駐日大使である。その訳書がこの本である。50代から全国を意識して旅をするようになってから、古人の紀行文に関心を寄せるようになった。東北を旅するときに、慈覚大師の創建の寺が多いことに気付いた。山寺、瑞巌寺、毛越寺などがそうだった。円仁については、さほどの知識は持ち合わせてはいなかったが、調べてみると下野(現在の栃木県)の出身だということに親近感が湧いてきた。仏教が、民間に広まる平安時代の人である。隣県の上野(群馬県)も仏教が広まり、鑑真の弟子もいた。
円仁は、最澄の弟子となり、僧としての資質を認められる。そして、遣唐使として中国大陸に9年間という長きに渡り足をとどめることになる。仏教の聖地を訪ねたりして、唐の時代の中国を旅して記録として残したのが、『入唐求法巡礼行記』である。マルコポーロの『東方見聞録』よりも知られてはないが、記事の内容の正確さを、ライシャワーは、評価している。
中国の仏教は、唐の時代が最盛期だという感じがする。円仁が帰国する直前に、仏教の大弾圧があった。円仁も巻き込まれたが、帰国を果たすことができた。帰国後、円仁は、朝廷に重く用いられ、慈覚大師の称号を受けることになる。師の最澄が伝教大師、空海が弘法大師の称号を朝廷から贈られるのは、その後のことである。
  

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2016年06月18日

『我が家の昭和平成史Ⅱ』塚本哲也著 文芸春秋企画出版部 4000円(税込み)



別冊のⅡを読み終えた。1と合わせて4000円のセット価格になっている。上下2段の構成になっていて、活字も小さく、ページ数も多いので、普通の単行本を4,5冊読んだ気分になった。パソコンを使い、自由が利く左手、それも人差し指1本でよく書き上げたと感心した。
男有り女ありけり神の春
自分の句に、句ともいえない一句を思い出した。
素晴らし2人3脚の著者夫妻の歩みは、感動的というより崇高である。御二人の信仰する神に導かれているように感じられるのである。妻が先に脳出血となり、後を追うように著者も脳出血になり、自由が利く足は夫婦で2本になったのである。こうした表現は、不敬とわかっているが、他者から見れば理想的な夫婦愛が綴られている。
新聞記者の体感した、戦後の中欧の歴史は、眼から鱗がとれるという感じがしたし、ヨーロッパの政治の複雑さ、とりわけ外交は、常に戦争の危機回避の手段として、緊張感があることを知った。またヨーロッパを旅したいと思った。その良きガイドブックにもなっている。自然の豊かな風土も魅力的である。
老後の孤独、とりわけ妻に先立たれた寂しさも素直に書かれている。悲しい時は悲しいと思えばよいという神父の助言や、モーツァルトが死を意識しながら名曲を創作していた話。老年期の死生観も述べている。施設の看護師が、病院に居残り、夫へのメッセージを妻の無言ながら「感謝」の想いがあったことを確認し、著者に伝える箇所を読んだ時、久しぶりに涙するところとなった。
  

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2016年06月15日

『我が家の昭和平成史Ⅰ』塚本哲也著 文芸春秋企画出版部 4000円(税込み)



1巻2巻に別れ、およそ1000頁の大作である。副題がついている。「がん医師とその妻、ピアニストと新聞記者の四重奏」。著者は、元毎日新聞記者である。ヨーロッパに駐在した期間が長く、妻がピアニストでもあったこともあり、オーストリアの歴史、風土、文化に詳しい。ハプスブルグ帝国のゆかりの人物をテーマにした著作も多い。
縁あって、私の勤務する有料施設にご夫婦して入居された。平成15年のことである。ご夫婦共に、脳出血を患い、退院後著者が、大腿骨を骨折し、歩行が不自由になったのを機に、終の棲家を有料施設に選んだのである。その理由は、ご本人に確かめたわけではないが、岳父である癌の放射線医療の権威で、国立がんセンター総長だった塚本憲甫の親族が、同じ法人が経営する施設を利用していたことと無関係ではない。私が、勤めた30年以上前に塚本憲甫の姉君が入居されていた。品のある柔和なお人柄の御仁だった。
著者が施設に入居した翌年、最愛の妻であり、著名なピアニストであったルリ子さんが亡くなった。そうした悲しみの中、大作『マリー・ルイーゼ―ナポレオンの皇妃からパルマ公国女王へ』(文芸春秋)を半身麻痺が残る不自由な体でパソコンを駆使して書き上げた。更に、『メッテルニヒ―危機と混迷を乗り切った保守政治家』(文芸春秋)を出版し、今回の著作が3作目になる。文筆家とは言え、尊敬に値する。
タイトルから想像するに、自伝のような趣があるが、以前『ガンと戦った昭和史』の作品を読み、新聞記者の取材能力を感じていたし、著者の目から見た昭和、平成史を興味深く読めると思った。第1巻を読了したところだが、期待通りである。東西冷戦、ベルリンの壁、プラハの春など身近に取材したその時代の様相が生々しく記載されている。そして妻と共に見たウイーンやチロルの美しい自然などは、2度オーストリアに行った思い出と重なり懐かしく思った。何よりも素晴らしいと思ったのは、ご両親と言い、妻と言い素晴らしい家庭を持った点である。そこから、生まれる交友関係もうらやましいかぎりである。文学、音楽、学問、政治、経済に深く触れ、見事に昭和、平成史を綴っている。第2巻が楽しみだが、「冬の旅」であるだけにシューベルトの曲のように人生哲学が書かれているような気がしてならない。読み終えて、その感想を書いてみたいと思う
  

Posted by okina-ogi at 17:49Comments(0)書評

2016年06月08日

法律門外漢のたわごと(年金の繰り下げ)

郵便局主催の無料年金相談があった。近い将来、年金生活者になるのでその確認の意味もある。要点を整理して、相談会に出席した。
質問の要点は
1.65歳到達時の裁定請求
年金事務所からの葉書を投函するだけ
2.経過的加算
60歳以降の加入が無駄にならない。但し480カ月に達するまで。
3.在職老齢年金
65歳以後は、老齢基礎年金は支給停止の対象にならない。
4.高年齢求職者給付金
年金と併給できる
話のついでのように、年金の繰り下げについて尋ねてみた。社労士さん曰く
「100人に2人と繰り下げする人は、いませんね。でも、70歳までは、厚生年金に加入出来ますよ」
痛く納得。但し、70歳まで宮仕えのお薦めには応えられない。働き方を変えようと思う。
  

Posted by okina-ogi at 12:51Comments(0)日常・雑感

2016年06月04日

『カラスの補習授業』 松原始著 雷鳥社 1600円(税別)



専門書は、自分が専門にしている分野ならば、共通言語もあり理解できるものだが、門外漢には難解そのものである。それよりも目を通す気にもならないものだ。
難しいことを分かりやすく説明するのは理解する側よりさらに難しいことに違いない。カラスという身近な鳥に関心を持つ人なら是非一読してほしい。関心の薄い人間が読んでも引き込まれる文章である。カラスについての生物学的研究の土台の上に記述しているので、立派な専門書である。この点も、丁寧に解説してくれている。
『カラスの教科書』の続編であるが、ユーモラスなカラスの漫画チックな絵も随所に登場し、授業をリラックスさせてくれる。著者が書いているのは対照的に写実的なもので、画家のスケッチと言ってもおかしくない。
今回の圧巻は、著者が京都大学の大学院の時代の研究風景である。京都の町を、東奔西走駆け回り、駆け回り調査する風景である。大学は、京都で過ごしたこともあり、ついつい自分がカラスを追いかけている錯覚を起こした。ハシブトカラスとハシボソカラスの行動の違いが良く分かる。著者にとっては、カラスは、普通名詞ではなく固有名詞になっている。
  

Posted by okina-ogi at 10:09Comments(0)書評

2016年06月03日

グランドカバー



造園のことが関心事になっている。東西南北、梅林の中の宅地は、玄関先の駐車場が完成して、様になったが、母屋との間の斜面が取り残された格好になっている。半日陰で、芝も育ちそうに無い。コゴミなどの野草を植えてみたが、地肌を埋める緑になっていない。定期的に雑草とりが必要になっている。
 「グランドカバー」は、緑で地面を覆うことである。芝生が代表的な植物だと思うが、なかなか日本の風土では雑草が入ったりして管理しにくい。そういっても南面は、高麗芝にした。ゴルフ場や公園の管理された芝に魅了されているためなのだろう。苔も「グランドカバー」と言えるが、生育には不適な環境だということがわかる。芝の横なので、マッチしない。クローバーもよいが芝生に種が飛びそうで不合格。近所に庭好きの人がいて、木々の下草が常緑なので、尋ねてみると「ダイカンドラ」という植物だと言う。半日陰でも育ち、種も飛ばず繁殖力も良く、背丈も低く、刈ったりする手間もないという。季節的に植え込みが間に合いそうだ。試験的に数株植えてみようと思う。
  

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2016年06月01日

応援歌「翠巒」

翠巒。この意味をどれほどの人が知っているだろうか。漢文の素養がある人は少なくなっている。山の緑の深さを言うらしい。中国の人は語彙が豊富である。応援歌「翠巒」は、旧制高崎中学の寮歌で、大正8年に作詞されたと聞いている。作詞したのは、学生というから凄い。
1.翠巒影を浮かべては
流水長き思いあり
紫紺の霞打ちわたる
榛名の嶺の姿にて
碓氷の玉に身を照らす
2.名も高崎の西方に
獅子とうそぶく高校の
紅燃る健児らが
  今乾坤の暁に
  昇る飛躍の第一途
3.来らん戦思いつつ
北斗を浴びて佇めば
浅間に暮色蒼うして
原にたけゆく風霜に
鍛えし腕を君見よや
4.風雲まさに相呼びて
怒涛となりて渦巻けば
八重の血潮の高湧きて
進む健児の意気高し
  

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