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2016年08月30日

名誉ある撤退

専門知識、技術的基礎を持って仕事や、趣味をしなかった人生の反省がある。一つくらいそれなりの専門資格を持って仕事をしてみたいと思ったのが、社会保険労務士試験を受けてみようと思った動機である。50代だったが、最初の数年は、なんとかなるという感じがしたが、もう少しという壁が越えられない。能力の限界とは思わなかったが、一つは好きになれないこと。もう一つは、集中力がないこと。記憶することが、かなり細部までにわたってあり、類似、例外もあり、なかなか覚えられないのである。毎年のように法改正もあり、対応もしなければならない。こうしたことも、愚痴や言い訳の類には違いないが、試験に合格するという目標は捨てることにした。
試験会場に行けば、50歳以下の人がほとんどだ。定員制の試験ではないから自分が合格したからといって、若い人が不合格になるわけではないが、そろそろ潮時だとかんじるようになった。試験から帰り、家には、日本年金機構から年金定期便の葉書が届いていた。そろそろ宮仕えを終え、年金生活者になるのだから、労務関係は、眼を通すくらいにして健康保険、厚生年金、国民年金に集中して学ぶことにした。これでは、試験には受からない。名誉ある撤退である。
  

Posted by okina-ogi at 16:12Comments(0)日常・雑感

2016年08月25日

官高民低

介護保険制度に住宅改修補助制度がある。20万円を上限として、9割を支給するというものである。その中で段差解消という工事に踏み台を設置することになった。書類審査になるので写真提出が必要になる。提出した写真では、確認できないから分かるような写真を提出してほしいという。現状の写真でも固定箇所を説明しているから了解してほしいというと、首を縦に振らない。
「現場に来て確かめればいかがですか。固定しているかは写真だけでは説明できないこともありますよね」
というと、書類で審査するのが建前だと言わんばかりに、再提出を支持する。以前は、現場確認をしていたのである。担当者や、行政の方針が変わったのだろうか。市町村合併後、役人さんのフットワークが悪くなったような気がしている。
子供が独立して母屋を明け渡し、隣に別宅を建てることにした。名義が同じなので、浄化槽は共有できると思っていたら、新しく設置する必要があるという。人数が増えるわけではないのだから、前の浄化槽を使えると思っていた。そのかわり、申請すれば補助金が出ると言う。設備工事の業者の勘違いで、期限に申請ができず、後の祭りになってしまった。こちらは、施主の注意力がないと諦めたが、救済措置くらいあっても良いと思うし、制度を知らない住民もいるだろうから、建築確認の時でも教えてもらっても良い。大魚を逃がしてしまった感じである。
もうひとつは、生ごみ処理のコンポストの補助である。金額は少ないが、家の前が畑なので購入することになった。補助の手引きのとおり、納品書と領収書を申請書に添付して出したら、領収書がレジのものだから受けられないと窓口で言われる。日付と金額が一致しているから、購入が確認できませんかと言ってお願いすると、後日補助しますという通知が来た。かように、お役人さんの対応は固い。
ところが、家屋調査に来た職員は実に丁重で、親切に対応してくれた。固定資産税は、市町村の財源になる。なるほど、お金をもらうほうは腰が低いのかと下衆な考えを持ったが、お金を出すほうも同じであっていい。
  

Posted by okina-ogi at 16:13Comments(0)日常・雑感

2016年08月23日

『一商人として』相馬愛蔵著 岩波書店



古書での購入になった。昭和25年の秋の出版になっている。本はかなり黄ばんでいるが、文字を読むのには問題がない。定価は150円になっている。当時の値段である。出版社は、岩波書店で、初版発行の時、店主の岩波茂雄が推薦文を書き、著者があとがきに載せている。相馬愛蔵も、岩波茂雄も郷里は信州である。
 臼井吉見の小説『安曇野』の種本でもある。素人夫妻が始めた、新宿中村屋の数々のエピソードが綴られている。商売に道徳があり、繁盛した理由も納得できる。働く職員もやりがいを持てる職場になっている。売り方も筋を通し、バーゲンセールなどはしない。通常販売で、できるだけ良いものを安く売る手法である。また、商品も新たに工夫し、研究することをおこたらない。
 同じ、長野県伊那市にある寒天の製造会社である、伊那食品工業に似ている。年輪経営なのである。職員を大事にし、地域にも貢献している。新宿中村屋は、今も株式会社として経営されている。創立者の創業の精神も引き継がれてている。
  

Posted by okina-ogi at 14:36Comments(0)書評

2016年08月20日

男子50キロ競歩に学ぶ

リオのオリンピックも終盤に入っている。さまざまな競技に日本選手のメダル獲得があり嬉しい限りである。スポーツで国威の発揚を図るオリンピックは、人類にとって良い発明だと思っている。国家間の戦争は最悪だし、ルールはあっても選挙もオリンピックに比べたら爽やかさがない。
ブラジルと日本では、時差があるために実況放送は夜遅くなることがある。50キロ競歩もそのひとつだった。マラソンは最初から最後まで見る機会はあるが、この競技は長時間のため全て報道されることもほとんどない。見始めると、ついついテレビの前に釘付けになった。ドラマがあるのである。トップを走っていた走者が立ち止まり、棄権するかと思ったらまた歩き始める。トップから後方に下がり、今度は倒れてしまう。それでも完走し、10位以内に入った。すごい気力である。
日本の新井選手は、淡々と歩を進め、日本人で初めて銅メダルを獲得した。感動的であった。人生と違い、谷あり山ありではない海辺の周回コースを走る?のだが、抜きつ抜かれつ人生に重なるものがある。諦めずにゴールに向かって歩む。その結果、順位が決まるが、肝心なことは、自己との戦いである。道路わきにシャワーが設置されている。暑く過酷な状況で良く耐えてゴールしたと思う。
翌日の報道で、失格となったという記事を見た。良くある歩き方の反則かと思ったら、肘が相手の選手にあたり走りを妨害したという内容である。競歩は、走ってはいけないのだ。どちらかの足が付いていなければならない。警告から失格になる。結果的には、銅メダルが認められた。故意ではなかったからである。相手の選手も認めた。爽やかである。
  

Posted by okina-ogi at 17:06Comments(0)日常・雑感

2016年08月20日

『安曇野(四部)』臼井吉見著 筑摩書房



夏の暑さと、資格試験の時期で、すっかり筆不精になってしまっている。7月末の安倍川の花火の感想以来、拙ブログもそのままになっている。小説『安曇野』も四部まで読了した。四部は、大東亜戦争の終戦で終わっている。たまたま、古本で『安曇野』の単行本が全五巻揃い、安く売り出されていたので購入した。文庫本の1巻は、我が家に避暑?に来た友人に謹呈し、大作に望んだのだが、なかなか先に読み進めない。
読書する人間側の心境にもよるが、明治、大正、昭和の政治、経済、文化、思想を多くの歴史上の人物を登場させて語っている臼井吉実の評論家的態度のためだと感じた。その人物の立ち居地や思想で歴史観は変わっていくのは、当然である。2人の人物を挙げてみたい。
一人は、清沢洌である。安曇野の農民に生まれ、同郷の教育者井口喜源治の研成義塾に学び、体一つで渡米し学問を修め、帰国後ジャーナリスト、評論家として活躍した人物である。終戦の年に55歳の若さで亡くなったが、自由主義平和論者と呼ばれるように、戦前、異質ともいえる言論人であった。思想的には、戦後、首相になった石橋湛山に近い。先の大戦は、無謀な戦争であり、日本の敗北を予言していた。作者、臼井吉見も郷土の先輩言論人として尊敬している節がある。
もう一人は、ビハリ・ボースである。新宿中村屋のインドカリーは、この人の発案ということは知られているが、インド独立運動の志士という面は影が薄くなっている。日本に亡命し、右翼の大立者遠山満や5・15事件で暗殺された犬養毅らとの関係を持った人物である。相馬愛蔵、相馬黒光夫妻の長女を嫁にもらい子供までなしている。ボースも戦時中に亡くなる。チャンドラ・ボースと紛らわしいが共にインド独立運動に命を掛けた生涯では一致している。ビハリ・ボースからすると、日本の連合軍、とりわけイギリスとの戦いは、天佑と思えた。インドの独立はイギリスからの独立を意味していたからである。日本にとって、悪名高きインパール作戦も、インド側からすれば起死回生の作戦だったようだ。この戦いのことは、ビルマの竪琴のモデルになった童話作家武者一雄さんの著書にも綴られている。実際に作戦に参加した人の体験談も聞いている。
第五部は、小説というより臼井吉見の独白のようなかたちになっているらしい。病の後遺症の身で、後世に書き残そうとした執念のような内容になっているのだろうか。第五部については、改めて感想を書いてみたいと思う。
  

Posted by okina-ogi at 11:28Comments(0)書評

2016年08月03日

安倍川の花火大会(2016年8月)

夏は、花火大会のシーズンである。夜空に打ち上げられる花火の形、その色合いは美しい。いつ頃から、夏の風物詩になったのだろうか。江戸に幕府が置かれ、太平の時代になって、庶民に愛され伝統行事になったという印象がある。ただ、三河の地は、花火と切放せない地であり、徳川家康の出生の地でもある。
徳川家康は、千六百五年に江戸に幕府を開いたが、将軍職を家忠に譲り、駿府城に隠居した。政治の実権は、家康にあり大御所となって徳川幕府の基礎を固めて行った。安倍川は、駿府城から近い。駿府城内は、静岡県庁の建物もあり、今も政治の中枢部になっている。花火大会の当日、ここからシャトルバスが出ている。開催時間は、七時からだが、四時から運行している。大変な台数である。
静岡の友人から誘いを受け、群馬から遠路の観覧になったが、その規模と迫力に感激した。実行委員長の挨拶でわかったのだが、今年が六十三回目の開催だと言う。静岡市も空襲を受けて、多くの犠牲者が出ている。花火を打ち上げる前に黙祷の時間があった。娯楽だけでなく、慰霊の行事でもあった。
花火打ち上げの二時間前に、会場に到着。それでも結構な人手である。河川敷に場所をとる。安倍川の川幅は広いが、水量は少ない。友人によれば、農業用水に使われているからだという。下流域に架かる橋を東海道新幹線がひっきりなく走る。陽は傾いてはいるが、青空である。夕立の心配も無い。最高の場所と天候に恵まれた。
安倍川で連想するのが「安倍川もち」である。この類のお菓子は、全国にあるからことさら土産物とは考えていなかったが、今回は購入することにした。お菓子の包みを見ると由来が書いてある。こちらも、家康がらみである。安倍川の上流で金が採れることを知った男が、餅をつき、それに砂糖入りの黄な粉をまぶして、家康に献上したのがはじまりだという。黄な粉を金粉に見立てたのである。家康も気に入ったらしく、銘菓として広まった。機智にとんだ富んだ発想と言える。
まだ西の空は暮れてはいないが、花火が上がった。暗闇でない時間の花火も良い。ほとんど間隔がないほどに打ち上げられる花火の数も驚きである。帰りの混雑を考えて、終了の三十分前に場所を後にしたが、友人は心残りがあったのか、会場の方を何度も振り返っていた。花火大会は、何度も見ているが、これほどの規模のものをまじかで見たのは初めての経験である。
この日は、隅田川の花火大会が開催されている。首都で行われるので規模も大きい。江戸時代中期の両国川開き花火大会を継承している。この日の翌日、名横綱千代の富士が亡くなった。両国は、大相撲ゆかりの地である。病室で花火を思い浮かべ、旅立ったかもしれない。
一方、東京都知事選挙が行われ、小池百合子氏が当選し、初めての女性都知事が誕生した。花火のように美しく咲いたわけだが、任期は四年である。着実に成果を上げてもらいたい。政党が応援した候補者は、いずれも大差で敗退した。地方自治なのだから、あまり政党色を出して選挙するのもいかがなものかという感じもしないでもない。戦い終われば、良好な関係を築き、しこりを残さず都政を進めてもらいたい。昨日の敵は今日の友である。増田氏の実務能力を買って、副知事に任命するほどの懐の深さを示してもいいのではないか。政治の素人だからの発想であるが。
  

Posted by okina-ogi at 12:53Comments(0)旅行記