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2016年11月26日

『守城の人』 村上兵衛著 光人社NF文庫



柴五郎。この人のことは、『北京籠城』、『ある明治人の記録』を読んで知っている。著者、村上兵衛は、陸軍幼年学校から軍人となり、作家になった人である。阿川弘之が海軍軍人を描いたように、陸軍軍人を描いている。この本の副題は、「明治人柴五郎大将の生涯」となっている。
この本は、友人から借りた推薦図書なのだが、文庫本ながらページ数は800に近い。柴五郎は、会津人である。戊辰戦争の悲劇は、少年柴五郎の心に深く刻まれた。五郎の兄弟は、多かったが、妹や姉は、祖母や母親とともに自害している。柴家は、会津藩の上士であったが、会津戦争に敗れ、貧困の中に生きなければならなかった。肥沃な盆地から下北半島の寒冷で痩せた土地に明治政府によって与えられ、斗南藩という牢獄のようなと表現しても良いような藩に移封されている。その逆境から、大将にまでなった柴五郎の精進は、並大抵のものではなかった。しかし、北京籠城に見られるようにその人格は、欧米の人々からも賞賛されるほど高潔なものであった。
改めて思うことは、戦争がもたらす悲惨さと、人間の醜い面である。ただ、その中にあって、人の支え合う美しさもある。柴五郎も、会津藩士同士の助けも受けている。大坂に陸軍少尉として赴任する途中で山本覚馬の家に泊るということもあった。柴五郎は、88歳で亡くなるのだが、昭和20年8月15日の敗戦から間もなく、切腹して死のうとした。それは果たされなかったのだが、その傷がもとでその年の12月に亡くなっている。
  

Posted by okina-ogi at 14:53Comments(0)書評

2016年11月19日

海は甦える』第一部 江藤淳 文春文庫



日本帝国海軍を近代化した人物と言われる山本権兵衛を描いた小説である。文春文庫で5部構成になっているが、絶版となっており、古書としても手に入れにくくなっている。評論家として著名な江藤淳が、こうした小説を書いていたことは驚きでもある。しかも、かなり若いときの作品である。江藤淳の祖父や、母親の父親は、海軍の将官であったことから日本海軍の歴史に関心を持ったのが理由だとされている。
山本権兵衛は、軍人であり、政治家でもあり、伯爵、海軍大将、内閣総理大臣という肩書きがあるにも関わらず、意外と後世の人に知られていない。実務家と言ってもおかしくない地味な働きをしているからなのであろうか。しかし、実行に移した内容をみると、常人にはできない改革者である。一つは、幕末から維新にかけて功績のあった軍人を予備役にして、近代海軍の技術と知識を学んだ有能な人材を登用し、帝国海軍の体質を変えた。近代海軍の父と言われる所以である。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』で読んだのだと思うが、日本海海戦で大勝利に導いた東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したのも山本権兵衛であった。年功序列で考えればありえない人選であったが、決断した根拠があった。人選から外れた日高荘之丞は、同郷であり海軍兵学校の同期であったにもかかわらず。明治天皇も気になって、理由を求めると、「東郷は運の良い男だから」と答えたという。独断専行する資質を、日高の気質に見ていたとされる。
書き出しは、長崎から始まっている。出島に行ったことがあるが、周囲が埋め立てられて陸地にあった。この近くに、海軍伝習所もあった。ここから、日本海軍が始まったと言ってよい。周囲を海に囲まれた日本は、イギリスのように海洋国家ではなかった。鎖国のためである。海外に乗り出し、通商を求めることはなかった。唯一出島が海外と接触の窓口になっていたが、受身な存在であった。国の防衛に、ペリー来航より、海軍の創設が急務となった。幕府側ではあったが、勝海舟はいち早くその必要を感じ行動している。主人公山本権兵衛は、西郷隆盛に紹介され、勝海舟の食客になっている。理詰めであるが豪胆な人物に描かれている。
  

Posted by okina-ogi at 10:41Comments(0)書評

2016年11月15日

聖徳記念絵画館



神宮外苑に、国会議事堂に似た建物がある。大正15年に完成し、現在は重要文化財に指定されている。日本史の教科書に使われる絵画が展示されている。例えば、「大政奉還」、「江戸城開城談判」、「岩倉大使欧米派遣」などは、記憶に残る絵である。いつの頃のことか定かではないが、昭和50年代に来館したことがある。30年以上も前のことだが、建物は変わっていない。
数日前に、天皇皇后両陛下がご訪問されたというニュースを見て、足を運ぶ気になった。天気も良さそうだし、友人を誘うことにした。幕末から明治の歴史には関心を持っている人で、「行きましょう」ということになった。JR信濃町の駅から歩いて数分の距離である。石造建築は、青空を背景に重厚感がある。銀杏並木が有名だが、紅葉には少し早い。入館料はないが、寄付金と言う形で500円を入り口で払う。宗教法人明治神宮が管理している。
建物はシンメトリーになっていて、入り口右手が日本画、左手が洋画で、それぞれ40点が展示されている。絵の大きさは統一されている。かなりの大きさである。『海舟余波』を読んだ後なので、「大政奉還」、「王政復古」、「鳥羽伏見戦」、「五箇条御誓文」、「江戸城開城談判」をじっくり鑑賞した。主な登場人物の説明版が手前にあり、見比べながらみることになる。御簾におられる明治天皇の前で、山内容堂と岩倉具視の激論の場面は、コミカルな感じがした。勝海舟と西郷隆盛の薩摩藩邸での会談は、威儀を正して品がある。いずれの絵も日本画である。
洋画の方は、明治中期以降を題材にしているものが多い。奉納した人や団体と、作者の名前が書いてあって、興味を惹かれた。「帝国議会開院臨御」は、小杉未醒、「日露役日本海海戦」は、中村不折、「帝国大学行幸」は、藤島武二である。新島襄の肖像画を書いた湯浅一郎の絵があった。彼の絵は群馬県立美術館にあって、郷土の作家としての親近感がある。
中央はドームになっていて、西洋建築の荘厳さがある。その奥に名馬、金華山の剥製がある。久しぶりに会った。やはり脚が短い。明治天皇が騎乗している姿は、展示されている絵の中に描かれている。
聖徳記念絵画館の石段を降りたところで
「小学生の頃、母親と弟と一緒に来たことを思い出したよ。あの時の弁当の美味かった方が相当思い出になっているけどね」
昭和30年代の頃の話である。彼を誘ったのも無駄にはならなかったと思った。
  

Posted by okina-ogi at 13:07Comments(0)旅行記

2016年11月11日

海舟、鉄舟、南州



幕末、江戸の町を戦火に焼かれるのを防いだ立役者である。海舟は、勝海舟。鉄舟は山岡鉄舟、南州は、西郷隆盛である。大政奉還から幕末の政局は、めまぐるしく変わっていく。鳥羽伏見で幕軍と薩長軍との間に戦いが起こり、幕軍が敗走する。大坂城にいた、徳川慶喜は、戦う意思がなく、夜、わずかな側近と幕府軍艦で江戸に帰り、謹慎を表明。朝廷軍との交渉の全てを委任されたのが勝海舟である。
このあたりの経緯は、多くの本に書かれているが、改めて調べてみることにした。参考図書にしたのが、江藤淳の『海舟余波』である。江藤淳は亡くなって久しいが、晩年には、『南州残影』を書いている。後者も合わせて再読した。世の中の体制が大きく変わろうとする時、国を滅ぼすほどの戦いをせず、明治維新の道を開いたのは、表題にある3者の功績が大きいと言ってよい。この3人の人物に共通しているのは、「私」がなく「公」が先にあるということである。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と西郷隆盛が言ったのは、西郷自身のことではなく、山岡鉄舟を評して言った言葉なのである。
勝海舟は、江戸城無血開城の立役者であるが、周到な準備を持って西郷との会談に臨んだことが、『海舟余波』には多くの文献の引用もしながら書かれている。そして、勝海舟の周囲は同調するものがなく敵ばかりと書かれている。その中で、交渉をやり抜いたのは、政治家の資質があったからだというのが江藤淳の結論である。「百万人と言えども我行かん」という精神にも似ているが、根回し、布石をしながら、将来向かうであろう「公」のビジョンも勝海舟の孤独を支えていた。福沢諭吉に非難された時、批評家に何がわかるものかと、本気になって相手をしなかった気持ちもよくわかった。

  

Posted by okina-ogi at 11:36Comments(0)日常・雑感

2016年11月04日

『新しい道徳』 北野武 幻冬舎 1000円(税別)

コメディアンから出発した著者は、俳優、映画監督としても知られるようになり、最近では作家としても認められ、マルチぶりを発揮している。この本も古本市で購入したのだが、出版は昨年で、新刊書に近い。新刊書として書店に並べられていたならば購入しなかったかもしれない。
 10月31日(日)、友人と軽井沢のしがくの宿「しずかる荘」に泊った時、ロビーに、『ほしのはなし』という絵本が置いてあった。作者は北野武となっている。さらっと読んだが、なかなか含蓄のある内容と展開である。北野武にもこんな一面があるのかと思った。そして、数日後古本市の本を整理していたらこの本を見かけた。
読み始めると、思いつきで書いていないことがわかる。綴り方は、北野武らしいが、内容は真摯で、不真面目ではない。受けを狙って書いてはいない。多くの人から見れば、型破りの人生を送っている人物のようにみられるが、根は優しい人柄に感じられる。
道徳的なものは、時代によって変わるもので、社会秩序を保つ方便という指摘には共感するし、戒律的なことは少ないほうが良いというのも同意見である。また、自ら自覚することが本質とも言っている。芥川龍之介の『侏儒の言葉』からの引用があったり、群れで生きる人間という指摘も鋭い。結構深いところで考えている。
  

Posted by okina-ogi at 16:03Comments(0)書評

2016年11月02日

『美しい日本の私』川端康成著 講談社現代新書

川端康成が日本人で最初にノーベル賞を受賞した時に、授賞式で講演したことは有名である。その前文が英訳とともに紹介されているのがこの本である。しかも、初版本で昭和44年の発行になっている。値段も180円である。毎年のように、職場の古本屋の店主をしているので、寄贈された本を整理していたら眼に留まったのである。
 川端文学は、『雪国』を読んだくらいで、『伊豆の踊り子』すら読んでいない。それほど惹かれる作家ではないのだが、この本に紹介されている日本人は、大いに関心を寄せた人々である。道元禅師、明恵上人、一休禅師、良寛、西行法師、芥川龍之介等々。日本人の心の美しさを世界に向かって訴えたかったのである。大江健三郎などとは、対照的である。江藤淳も、川端のこの講演に関心を寄せている。
  

Posted by okina-ogi at 09:49Comments(0)書評