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2016年12月24日

青春18きっぷの効用



このきっぷが売り出されてから久しい。年に3回売り出される。春と夏と冬。試用期間が限定されているが、1ヶ月間は使用が可能である。日帰り旅行に使えば、通常料金の半額以下になることもある。個人で使っても良いし、グループでも良い。値段は、1,1850円である。
このきっぷを利用して、江ノ島・鎌倉散策に5人で出かけた。高崎駅から藤沢駅まで行き、藤沢からは江ノ電で江ノ島駅に移動し、江ノ島に行き、再び江ノ島駅から長谷駅で下車し、由比ヶ浜駅ら鎌倉駅へ。JR鎌倉駅から新橋駅で途中下車し、高崎駅に戻る。通常料金ならば、江ノ電を除き、5,180円である。青春18きっぷでは、一人の料金は、2,370円。半額以下である。ちなみに、江ノ電は「のりおりくん」を利用。1日乗り放題で、600円。いちいち購入する手間もいらない。
  

Posted by okina-ogi at 14:13Comments(0)日常・雑感

2016年12月24日

行く我に留まる汝に秋二つ(2016年12月)

(津山編)
新幹線と在来線の乗り継ぎは上手くいって、吉永駅には午後一時前に着くことができた。無人駅でバス停は見当たらない。タクシーが二台停まっている。帰りの岡山行きの列車の時間を確認し、帰りのタクシーを予約することになった。約一時間半見学することにした。資料館もあるらしい。見学者は、少ない。山間にあっても意外と広い。日当たりも良い。建物は、古いがしっかりしている。講堂は国宝だという。敷地は、枯れているが芝生になっている。観光シーズンは秋の紅葉の時期らしい。既に落葉しているが、孔子廟のある斜面に二本の大樹があって、桑の木かと思ったら、楷の木であった。孔子のゆかりの地から種を持ち帰り苗にして育てたものだという。
閑谷学校の創建は、一六七〇年で初代岡山藩主の池田光政による。儒教、とりわけ陽明学に関心を寄せた人で、名君の誉れが高い。中江藤樹の弟子である熊沢蕃山を招聘し校風を確立した。儒教には、朱子学があるが、こちらは体制側の思想になる。保守的な思想でもある。熊沢蕃山も幕府から危険視され、不遇な人生を送っている。岡山には、山田方谷がいるが、幕末になって熊沢蕃山は評価されるようになった。閑谷学校が、庶民も学ぶことができたのは、陽明学と無関係ではない。建設に当たったのは津田永忠という家臣で、閑谷学校の近くに居を構え、屋敷跡は今も残っている。


閑谷学校の景観をもう少しスケッチすると、堤防のような石塀で囲まれていることである。城ほどではないが、外敵の襲来にも備えているような機能を持っている。また、城下や住宅地から離れた場所にあり通学するのには、不適である。そのため、寄宿舎が整備されていた。教師と生徒は近くにあって学んだことになる。明治になって、閑谷学校は廃止されるが、中学校、高等学校となり、明治期に建てられた校舎は、資料館になっている。正宗白鳥や三木露風もこの地で学んでいる。駅に戻り、津山の友人に到着時間を連絡した時
「おぬしの国は学問の底辺が広いのう」
という言葉になったのは、閑谷学校を見た素直な感想でもある。
吉永駅から岡山駅で津山線に乗り換える。各駅停車のワンマン列車である。沿線には旭川が流れ、谷あいを列車はゆっくり進む。冬山に夕陽が当たっている。民家の付近では、焚き火かしれぬが、煙が昇り、谷間を這うように流れている。
津山線 斜陽に映えて 山眠る
 津山駅の一駅前の津山口の午後五時に到着。この駅も無人駅である。友人が車で迎えに来る予定になっているが、それらしき車はない。少し遅れて、友人の友達が運転して迎えに来てくれた。友人は後部座席に同乗している。昨年、腰を圧迫骨折して、歩行が不自由になっていることを気にかけていたのである。車は、運転できるが歩行には杖が必要になっている。
 彼の友人には、過去にも会っている。職場時代の友人で親切な人である。二人の岡山弁が微笑ましい。いつも貶しあっているようなやり取りの中にも、友情が感じられる。
「おまえ、夕食はまだじゃろ。肉食うか」
焼肉店に直行。出された肉は牛肉である。それもステーキほどの厚さがある。それに柔らかい。こちらのでは、肉は牛肉という感じで、ホルモンも牛肉の内臓である。津山のB級グルメの「ホルモンうどん」の肉も牛肉である。昨日のこともあり、お酒は控えめにした。友人は、酒の酔いもあったが、家の玄関で転んでしまう。おでこに傷を負ったが、大事には至らなかった。来春、群馬に行きたいと言うが、先年果たせなかった日光詣は一人では難しそうである。御つきの者と車椅子が必要になりそうである。
 

 翌日は、彼の家でゆっくり過ごそうと思っていたが、温泉と津山城に友人が案内してくれた。何度か津山に来ているが、城に上ったのは、新婚旅行以来だから四十年近く前のことである。櫓が復元され、石垣も修復されつつある。初代藩主は、本能寺の変で、信長と共に死んだ森蘭丸の弟の森忠政であるが、大大名の城といっても良い城である。明治になって城の建物は壊されたが、復元した映像は、見事というしかない。国宝の資格がある。津山は鶴山が転じた地名で、津山城は、鶴山城ともいう。天守閣があった場所まで上り、津山の市街を眺めると、東西に吉井川が流れている。ちょっとした運動後の入浴になったが、温泉は病院の一角にあった。最近出来た日帰り温泉である。市内に、衆楽園という大名庭園があるが、翌日見ることが出来た。池が広々としていて、鴨やオシドリが優雅に泳いでいた。近くには市役所がある。城にも近い。
 

 津山の二日目の夕食は魚料理である。彼の好物の「のどぐろ」がメインである。いつからか高級魚になった。煮魚にして食べた。こちらは、予約である。キスのフライも柔らかくて美味しかった。ウツボのフライも酒の肴としてなかなかいける。昨夜は焼酎だったが、河豚の鰭酒をいただくことにした。三杯飲んだが熱燗の日本酒を継ぎ足せば、味もそれほど落ちない。経済的な飲み方だといつもそうしている。
 帰宅の日、昨日に続き将棋を指した。運転しない気楽さか、朝から缶ビールを飲んでの対局になったが、これまでなら飲んでもなかなか崩れない棋風だが、今回は読みがあっさりしている。勝負に拘る執念も感じられない。連勝したが、勝利の喜びよりも、少し心配になってきた。介護保険の申請もしてあって、認定が出たら週一回、ヘルパーに掃除をしてもらうつもりだという。仕事柄、ケアプランのアドバイスをしたが、買い物や入浴も不自由があるようだ。福岡の友人の年金相談と言い、確実に老齢期に差し掛かっている。岡山空港まで送って来てくれたが、足取りはおぼつかない。
 行く我に留まる汝に冬二つ
  

Posted by okina-ogi at 09:09Comments(0)旅行記

2016年12月23日

行く我と留まる汝に秋二つ(2016年12月)

(福岡編)
俳句を紀行のタイトルにするのは、初めてだが、今回の旅は、この句がふさわしいと思ったのである。正岡子規の句で、汝は夏目漱石である。旅の拠点にするのに友人とは重宝なものというのは失礼な言い方だが、日常の時空間にない再会と言う時間と旅先の新鮮さが貴重なのである。一人は、福岡市、一人は津山市の住人である。福岡空港に行き、博多駅から鉄道で津山駅に行き、岡山空港から帰路に着く三泊四日の旅である。二人とも、老後の窓口に立っていると言って良い。健康や、年金生活を意識する年でもある。「行く我」も同様である。
博多駅から鹿児島本線で小倉方面に向かう途中に東郷駅がある。海岸に向かって数キロ行ったところに、古いお社がある。宗像大社である。官幣大社でもある。神社は、三社に分かれているが、辺津宮にお参りすることにした。もう二つの宮は、島にあり普段はお参りすることができない。中津宮は、大島にあり、更に沖合いにある沖ノ島に沖津宮がある。共に玄界灘に浮かぶ小さな島である。宗像大社の歴史は古い。由来は、神代に遡る。


祀られている神様は、宗像三女神と呼ばれ、天照大神の御子とされる。古事記や日本書紀に記述される御子の誕生は神秘的である。天照大神の弟君であるスサノオノミコトとの「うけい」によって生まれた姫君とされている。スサノオノミコトの剣を貰いうけ、洗い清めた後、剣を噛み、それを霧としてはいた時に生まれたというのである。スサノオノミコトも天照大神の勾玉などでできている飾り物をすすぎ、これを口に噛んではきだした霧の中に五人の男神を生んだとされる。
辺津宮に祀られているのは、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)であるが、ご神体は、鏡である。ご神体と社殿に向かいお参りしたが、不思議な気持ちになった。友人の家は、宗像大社の氏子だということを思い出したからである。しかも、三人の女の子の親であることも。一年ほど前に父親を亡くし、辺津宮の一画にある祖霊社に祀られている。鳥居の外から、お参りする友人の後ろ姿を見ながらお参りさせてもらった。
宗像三女神は、天照大神から皇室を守護するように申し付けられている。そのためかは分からないが、三度に渡る国難を救っている。鎌倉時代の元寇(二回)と日露戦争の日本海海戦である。神風を吹かせ、連合艦隊の歴史的大勝利に導いたのは、宗像三女神だと、日本人なら思いたい。特に日本海海戦の戦場となった海域は、沖津宮のある沖ノ島にごく近かった。明治三十八年五月二十七日、海は「天気晴朗なれど波高し」であった。司令官であった東郷平八郎は、戦艦三笠の羅針儀を宗像大社に奉納している。神宝館を見学したが、見ることはできなかった。


福岡市に戻り、夕食には時間があったので、友人に水鏡天満宮に案内してもらった。菅原道真を祀っている。この地に移ったのは、黒田長政の時代である。一度お参りした記憶がある。東京裁判でA級戦犯になり刑死した広田弘毅は、この近くに生まれ、石工であった父親の関係で、幼いときに書いた文字が鳥居に掛けられていることでも知られている。誕生地の碑が前にある店で、九大の友人の先生と飲んだ記憶がある。天神の地名もこの神社に由来する。
友人の予約してくれた店も天神にあった。高校時代の友人の息子さんが経営しているお店で、その日に釣れた魚を食べさせてくれるのだという。その日に釣れた魚の名前は忘れたが、刺身や煮魚、天ぷらにしていただいた。海のない県の人間には、こうした食事はなかなかできない。焼酎をボトルで注文し、すっかり酔いがまわってしまった。ホテルは近いのだが、タクシーを拾い、予約した部屋に千鳥足でたどりつく。翌日、友人からメールが届き、無事に着けたかの確認と酒は控え目にというアドバイスを頂戴した。
行く我と留まる汝に冬二つ
盗作である。
ホテルでは、すっかり寝坊。いつもなら五時半に起床するのだが、時計を見ると八時を過ぎている。博多駅からの新幹線は十時をまわっている。津山までは、直行せずに寄り道をすることにしたが、冬至に近く明るいうちにたどり着けるか心配になってきた。岡山県には、閑谷学校と言う史跡がある。亡くなった牧師さんから薦められた史跡で、日本遺産第一号に認定されている。地図を見ると、岡山駅から山陽本線で結構な距離がある。しかも山間にあり、バスやタクシーを使わないと行けそうもない。
  

Posted by okina-ogi at 16:24Comments(0)旅行記

2016年12月17日

『海は甦える』第5部 江藤淳 文春文庫


『海は甦える』は、大作であった。5部を読了。最終巻に当たる5部は、政治家としての山本権兵衛を描いている。桂内閣の後を受けて内閣総理大臣となった。時代は、大正になっている。ちなみに、歴代総理大臣の中で、通算して最も長く内閣総理大臣を務めたのは桂太郎であった。しかも、長州閥であった。もはや、そういう言い方は死語になっているが、安倍総理も長州出身である。プーチン大統領を招いた長門市が選挙地盤である。
当時、元老がいて、長州閥には、山県有朋や井上馨がいた。薩摩閥は、松方正義、大山巌がいた。西園寺公望もいたが公家の出身である。元老が、天皇に総理大臣を推薦する形になっていた。山本内閣のスタートは順調に見えたが、海軍における汚職事件が明らかになり、予算も成立せず総辞職に追い込まれている。
山本内閣を支えていたのは、政友会という政党で、伊藤博文が初代総裁となって設立した政党であった。平民宰相と言われた原敬が、党の実力者として内務大臣として入閣して山本権兵衛を支えた。政局を見るのに鋭く、弁論にも長けた政治家として描かれている。
原敬は、後に総理大臣になるが、東京駅で暗殺されている。
 尾崎行雄、犬養毅といった政治かも登場し、帝国議会での質疑も詳しく書かれている。速記録として残っているのだろうが、当時の弁舌は、格調が高い。文語調でもある。時たま野次も出てくるのだが、『ヒヤヒヤ』は、どんなニヤンスかと気になった。議長との丁々発止もなかなかの醍醐味がある。
 大正2年の国家予算を見ると、軍事予算が3分の1である。陸軍と海軍の予算の取り合いも激しい。この小説の始まりは、海軍を国防の要にしようという国家観であった。陸は山県有朋であり、海は山本権兵衛であってその両巨頭の争いにも見える。大隈内閣になって、山本権兵衛は、予備役になり、海軍からも去ることになった。
  

Posted by okina-ogi at 15:08Comments(0)書評

2016年12月15日

東京株式市場12月場所

アメリカの大統領選挙でトランプ氏が次期大統領に決まってから、株価が上昇している。先場所も勝ち越しで、今月になってもその勢いが停まらない。15日の中日まで8連勝である。利益確定で株価が下がってもおかしくないが、その日の終値は、前日より上がっている。こんなに上昇すれば、反動もあるだろうが、その気配がない。
人間の心理として株価が永遠に上がるとは考えなくとも、まだ上がるのではないかとの期待感で売るのを控えるものだが、最高値は、後で分かることであって、少しずつ手放す決断が必要である。特に、長い間のマイナスで損失が出ているのであれば、マイナスを減らし現金化しておくのも懸命な考え方である。株は買うより、売るのが難しい気がする。
  

Posted by okina-ogi at 16:12Comments(0)日常・雑感

2016年12月14日

『新逆旅』 土岐文英著 文芸社



著者は、田舎の開業医。東京帝国大学医学部を卒業し、父親の後を継いで、町医者になった。大変な読書家で、80代半ばにこの本を出版し、贈呈された。著書のタイトルになった「逆旅」は、著者の人生観を著している。
唐の詩人、李白の「夫天地者萬物之逆旅」からの引用である。漢詩、短歌、俳句に通じ、著書の内容は、文芸評論家と言えるほどの内容である。芭蕉の「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」を彷彿させる紀行文も載っている。随筆もあって、絵画や陶器、音楽の造詣も深い。読書家らしく、書評も素晴らしい。特に臼井吉見の『安曇野』を通じて、相馬愛蔵、相馬国光の存在を知った。晴耕雨読の毎日で、老後は著者のような生活が出来たらと、毎年のようにお宅を訪問し、歓談する機会があった。
大正6年の生まれで、もうすぐ百歳である。春になったらお邪魔しようと思っていたが、最近友人を通じて亡くなられたことを知った。大往生というしかない。改めて著書に触れ、故人を偲びたい。ご冥福を祈るばかりである。
  

Posted by okina-ogi at 11:23Comments(0)書評

2016年12月06日

映画「聖(さとし)の青春」



テレビ等で、上映の予告が多くされているので関心を持った。主人公が将棋の棋士だったこともその関心を増幅させた。モデルになったのは、村山聖という若手棋士である。病気で亡くならなければ名人になったかも知れない俊英であった。ほっぺが膨らんだ、独得の風貌を良く覚えている。
映画にも出てきたが、現在でも棋界の第一人者である羽生善治がライバルで、対戦成績も互角であった。NHK将棋トーナメントの決勝で、秒読みに追われた場面はうっすらと記憶がある。15年以上前の出来事だが、それから数年後亡くなっている。
村山聖を演じたのは、松山ケンイチ。本来細身の体型を村山聖に似せてあえて太らせた役者根性は見上げたものだが、健康にはいかがなものかと心配になった。村山聖も病気を抱えながら、徹夜麻雀や飲酒することもあったらしい。死への不安と恐怖を紛らすこともあり、節制できなかったことは理解できる。それにも優る限られた生の時間を、将棋にかけた気力が全てを覆っている感じがした。健康な人間も、いつかは病気になり、衰え死ぬことが分かっているが、何かに自分の人生を燃やすような生き方が出来ないものである。
それにして、羽生善治役になった東出昌大の仕草は、当人にそっくりである。よほど観察したのであろう。二人とも、将棋を指す手つきは見事である。将棋を趣味にしている人間には、その点だけでもだめなら役者の価値がないと言うことができる。
  

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