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2019年03月15日

俳句自選(永き日)

春になると日が暮れるのが遅くなる。日照時間が長くなり梅(春告草)やさまざまな花が咲きだす。そうした日、望郷の念が湧いてくる。遠くに見える峰のまたはるか先に故郷がある。阿倍仲麻呂の三笠山の月のように。
     永き日を彼方の峰に想い寄す
  

Posted by okina-ogi at 16:56Comments(0)日常・雑感

2019年03月12日

俳句自選(月の街)

安中市から富岡市方面に行く道は、なだらかな丘陵地で、今どきには珍しい桑畑もある。遠くに高崎市の一部が見える。その上に月がかかっている。「月の街」という言葉が浮かんだ。
        なだらかな丘陵彼方月の街
  

Posted by okina-ogi at 15:30Comments(0)日常・雑感

2019年03月10日

俳句自選(彫刻の春)

彫刻家で長く親しくさせていただいている方がいて、群馬県内に数多く彫刻の作品がある。実際には彫塑といい、粘土で形を作り、ブロンズ像になるのだという。前橋駅前の欅道路に女性の像がある。
     たおやかな塑像の肌に春の風
  

Posted by okina-ogi at 08:48Comments(0)日常・雑感

2019年03月09日

俳句鑑賞(水原秋櫻子選)

梅の花が咲き始め、春到来という季節になった。田畑の土も春雨に湿って、日に照らされているのを見ると春の気分になる。
   春の土人の情緒に触れてくる
という句を作ったことがあるが、歳時記を見て赤面した。春の土という季語がそう意味なのである。感性は正しいが、季語を説明したのでは俳句にならない。水原秋櫻子が、『俳句のつくり方』で最初に解説している句は
   かたまって薄き光の菫かな     渡辺水巴
芭蕉が山路で目にしたのも薄き菫だった。なにやらゆかしという感慨を述べているが、上句は近代俳句の写生句である。かたまって咲く菫に薄き光と表現したところが春らしさを感じさせる。どちらも名句だと思う。
  

Posted by okina-ogi at 16:36Comments(0)書評

2019年03月07日

俳句自選(幕末女流歌人平尾山荘)

 福岡市内に、幕末勤皇歌人として、勤皇の志士と交流のあった、野村望東尼の山荘が残っている。高杉晋作も匿われたことがあった。そして、彼の臨終の時立ち会っている。高杉が「面白くなき世を面白く・・・・」というと彼女が」栖みなすものは心なりけり」と歌を繋ぎ、彼はうなずいたという話が残っている。
       紅梅の慈母にも似たる色をもつ
       庵栖む尼にせめての椿かな
  

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2019年03月04日

俳句自選(冬の川)

冬の川は、水が減ってかれがれとして、寒々と流れている。たぶん、烏川の冬の風景を詠んだのだと思うが、村上鬼城の句で
    冬川を追いあげてきぬ家鴨飼
というのがある。ちょっとしたみずたまりがあるのだろう。上流の烏川になると、石の間を水が流れている。大小さまざまな石は丸く、上流から運ばれて来たのだろう。
    冬の川あまたの石のしろさかな
  

Posted by okina-ogi at 17:11Comments(0)日常・雑感

2019年03月02日

俳句自選(流星)

  流星は、どの季節でも見られると思うが、秋の季語になっている。獅子座流星群はどの季節だったのだろうか。次の句は、当たり前すぎて公表するのに気が引けるが、素直な、幼児の驚きとして許してもらいたい。
        流れ星不動の星の多きこと
  流れ星の一つだが、ハレー彗星は別格である。何億光年前の光ではないが、やはりわずかでも今の瞬間の光ではない。ちょうど梅の咲いている時期で、その香りがした。梅の匂いはどこか懐かしさがある。過去世というのも大げさだが。
        梅の香や過去世の光箒星
  

Posted by okina-ogi at 08:49Comments(0)日常・雑感