2019年07月21日
俳句自選(蝉)
中曽根康弘元総理の菩提寺は、高崎市の里見の光明寺にあって、句碑がある。
昏れてなお命の限り蝉時雨
政治家らしい句だと思った。
光明寺は、また、茶道の千家の先祖の奥津城があることでも知られている。
参道の脇に伝教大師の像もある。
古く格式のある天台宗の寺である。
昏れてなお命の限り蝉時雨
政治家らしい句だと思った。
光明寺は、また、茶道の千家の先祖の奥津城があることでも知られている。
参道の脇に伝教大師の像もある。
古く格式のある天台宗の寺である。
2019年07月12日
俳句自選(飯盛山)
長男の運転で会津に行ったことがある。
戊辰戦争で、会津藩は悲劇の藩になった。
白虎隊として未成年も戦いに加わり、城が炎上していると思い込み隊士は、自らの命を絶った。
その飯盛山に行き、慰霊した。季節は、夏だった。
白虎とはこの世におらず夏木立
墓碑並ぶ会津は緑深き中
戊辰戦争で、会津藩は悲劇の藩になった。
白虎隊として未成年も戦いに加わり、城が炎上していると思い込み隊士は、自らの命を絶った。
その飯盛山に行き、慰霊した。季節は、夏だった。
白虎とはこの世におらず夏木立
墓碑並ぶ会津は緑深き中
2019年07月10日
俳句自選(夏木立)

京都の宇治といえば、平等院が有名だが、宇治川の対岸に、宇治上神社がある。
神社の古い建築様式を残しており、世界遺産になっいる。
祭られているのは、中央が応神天皇。右側が仁徳天皇。
そして左側が菟道稚郎子命である。
父である応神天皇に皇位を継ぐように遺言されていたが、辞退し、異母兄である仁徳天皇に譲った。
兄も皇位を父の遺志として知っていたので受けようとしなかった。
皇位が空位となっては困るとと思い、菟道稚郎子命は命を自ら絶たれてしまった。
近くには、御子の稜もある。
父君も兄君もいて夏木立
2019年07月04日
俳句自選(遠雷)

遠雷は、夏の季語である。
遠雷というタイトルで曲があった。
映画もあるようだ。
今はパソコンで聞いたり見たりすることができる。
音楽だけでも一度聞いてみようと思う。
子供の頃養蚕農家だったので畑に桑を切りに行った思い出がある。
桑には実があって、「どどめ」と呼んで食べた思い出もある。
今は、養蚕農家もすっかり減って桑畑をみることも少ない。
夏蚕(なつご)飼う人もあるらし桑畑
畑で刈った桑は、リヤカーに乗せて運ぶのだが、遠くの空に黒雲が見え、雷の音がする。
親子で家路を急ぐが、木々の揺れるのがなんとも気持ち悪い。
遠雷にあたりの木々の騒ぎおり
2019年07月03日
俳句自選(緑陰)
鎌倉といえば鶴岡八幡宮に参拝するのがお決まりである。
創建の頃からの銀杏の木が倒れたのは、残念だが新しく銀杏の木が植えられたが、どれほど成長したか見ていない。
友人数人と鎌倉に行ったのは古い銀杏があった時だから10年以上前のことである。
鎌倉幕府が倒れ、室町幕府に移る間に、南北朝の時代があった。
足利尊氏に対し後醍醐天皇が対立した。
天皇の御子に護良親王がいる。
征夷大将軍となって足利軍と戦いに破れ、洞窟のような場所に幽閉され、命を落とされた。
緑陰に洞なお暗し鎌倉宮
鎌倉宮は明治天皇が創建した。
創建の頃からの銀杏の木が倒れたのは、残念だが新しく銀杏の木が植えられたが、どれほど成長したか見ていない。
友人数人と鎌倉に行ったのは古い銀杏があった時だから10年以上前のことである。
鎌倉幕府が倒れ、室町幕府に移る間に、南北朝の時代があった。
足利尊氏に対し後醍醐天皇が対立した。
天皇の御子に護良親王がいる。
征夷大将軍となって足利軍と戦いに破れ、洞窟のような場所に幽閉され、命を落とされた。
緑陰に洞なお暗し鎌倉宮
鎌倉宮は明治天皇が創建した。