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2019年09月10日

(近代の秀句)水原秋櫻子より(菫)



菫を詠んだ句は多い。日本人の好きな花である。何気なく道の脇を見ると可憐に咲いている。色は濃くないが紫色だ。日本人は、また紫の色が好きだと思う。藤、桐、あやめ、ミヤコワスレ、オダマキ・・・・・・。松尾芭蕉の人口に膾炙している句に
      山路来て何やらゆかしすみれ草
がある。近代も多くの菫の歌が生まれている。
文豪夏目漱石は、俳句も作っている。友人子規の影響である。小説と俳句の二刀流とも言える。漱石は、神経が細やかで、イギリス留学で神経衰弱になっている。晩年は胃潰瘍になっている。だから次の句などは本気でそう思ったに違いない。教訓的な響きはない。
      菫程な小さき人に生まれたし
  

Posted by okina-ogi at 10:18Comments(0)書評

2019年09月09日

「近代の秀句」水原秋櫻子より(麦踏み)

 村上鬼城の代表句に
       生き変わり死に変りて打つ田かな
がある。群馬は冬の田に麦を植える。農民はその土によって生きている。世代も変わる。打つ田が季語で季節は冬である。私も親に教えられて麦を踏んだことがあるが、今ではそうした光景を目にしない。麦を踏むのは麦の根が、霜で浮いてしまうのを防ぐためである。麦踏みの句は他にもあって
       陽炎に遅麦をふむ男かな
というのがある。陽炎が季語だから春先の労働である。いずれにしても、鬼城は農民に同情を寄せている。麦を踏む側の句がある。
拙句に
       この年を御旨のままに麦を踏む
  

Posted by okina-ogi at 12:13Comments(0)書評

2019年09月08日

「近代の秀句」水原秋櫻子より(鮠)



私の俳句の師である秋池百峰先生は、村上鬼城の句を評して、豪速球の投手だと言った。蒼古の趣きがあるとも言った。高崎市の公園に句碑もあって、群馬を代表する俳人である。もともとは鳥取の人で士族である。群馬に移り子沢山の鬼城は代書屋、今で言う行政書士のような仕事をしていた。生活は貧しかった。利根川の支流の烏川の近くに住んでいて、川辺を散策することもあった。構想の大きい(大自然を詠む)俳句を信条とする鬼城にも繊細な句もある。
     
鮠(はえ)釣りの夕日に流す細江かな

鮠はハヤ、ハヨ、ウグイなどと呼ばれ、鬼城の時代は多くいた。日が暮れるまで、釣り糸を垂れるだけ魚も多く釣れるのだろう。繰り返し繰り返しを上流に釣り糸のついた竿を投げる。鬼城も足を止めてみている。釣り人は一人ではない。連れた場面も見たに違いない。
囮鮎流して水のあな清し    飯田蛇笏
という句もある。
  

Posted by okina-ogi at 15:09Comments(0)日常・雑感

2019年09月07日

「近代の秀句」水原秋櫻子より(夏の野) 

かたまりて黄なる花咲く夏野かな  正岡子規
細やかな花への観察はない。
後世の俳句作家なら、黄色の花の名前を表現し、季語にしたかもしれない。
しかしこの句は黄色に咲く花に焦点が定まっている。
春に咲く蒲公英(たんぽぽ)なら名前を詠んでもらえたかもしれない。
桜の花は樹木に咲く花だが、花で表現されるのとは違う。
野生の花は図鑑で知ることが多い。
雑草の名前や鳥の名前を多く知っている人は尊敬する。
「雑草という植物はありません。皆名前があります」と昭和天皇は仰せになっている。
  

Posted by okina-ogi at 12:32Comments(0)書評

2019年09月06日

「近代の秀句」水原秋櫻子より(葵)

  

近代俳句は正岡子規をもって嚆矢とする。脊椎カリエスの病を得て病床に伏すことが多かった。母親や妹の看病は大変だった。医師の往診や看護婦の訪問もあった。この句は、俳句を解する加藤はま女に短冊に書いて贈ったものである。
    来年やあふひ咲いても逢はれまじ
短歌も詠んだ子規は、俳句では病身の身の心境を詠んだものは少ないという。あふひが葵と知って句の意味を理解できた。鶯谷に近い子規庵を訪ねたことがあるが、質素な家である。庭には様々な花が植えてあった。鷄頭の花は目に入ったが葵には気づかなかった。
  鷄頭の一四五本もありぬべし 
季節が違うから当然である。
  

Posted by okina-ogi at 13:47Comments(0)書評

2019年09月05日

「近代の秀句」水原秋櫻子(春の水)

一つ根に離れ浮く葉や春の水

高浜虚子の句である。
大正時代の句というから、虚子の円熟した作品である。
睡蓮は、モネが好きな題材である。
虚子が眺めた水草は、睡蓮ではないと思うが、池にある水草である。
池の汀で水草を久しく観察していると、離れて浮く葉の根が一つであることに気づく。
俗な人間なら財閥の系列会社が葉であり、政治なら政党の議員が葉であるなどと連想する。
しかし、素直に、水草の葉が水面下で繋がっているという発見である。
春の水としたところが良い。
葉は若葉である。


  

Posted by okina-ogi at 11:26Comments(0)書評

2019年09月04日

「近代の秀句」水原秋櫻子より(枯野)


遠山(とうやま)に日の当たりたる枯野かな

高浜虚子の句である。教科書に載るほどよく知られた句である。
冬枯れの野に、日がさしていて、遠山にもさしている。描写はいたって簡単であるが枯野の趣きを良く表している。
明治時代の句である。
比較するわけではないが、江戸時代の蕪村の句に

山は昏れて野は黄昏の薄かな
という句がある。
こちらは山に日が当っていない。
早く家路を急がなければならない。
寂しい心境になるが、やはり江戸時代の芭蕉の句を添えると人の世の暖かさが感じられる。

月ぞ導べこなたにいらせ旅の宿
日は沈んで、月明りを頼りに宿をめざす。
  

Posted by okina-ogi at 11:45Comments(0)書評

2019年09月03日

「近代の秀句」水原秋櫻子より(あやめ)



 著者がアララギ派の俳句の大家であることは、異論はない。
安中で医業をして秋櫻子精神を継いだのが堀口星眠氏であるが、存命中師事したこともない。
古本市で安く秋櫻子の全集が出ていたので買い求め、興味のあるところから読んでいる。
正岡子規から高浜虚子、そして秋櫻子という流れは、「写生」なのだろう。
「近代の秀句」には明治時代、大正時代、昭和時代の俳人の句が載っている。
高浜虚子の榛名湖を詠んだ句が目に付いた。
榛名湖を愛した竹下夢二、徳富蘆花だけでなく著名な文人墨客がこの地を訪ねている。
虚子の句であるが、夏の榛名湖をスケッチしている。
昭和時代に分類されているが、戦前だろうと思う。
        榛名湖のふちのあやめに床机かな。
床机は、粗末な腰掛けで今日のベンチのような立派ものではなかったであろう。
榛名湖といえば「ゆうすげ」だが湖畔の岸辺にありようもない。
句に技巧がないのも虚子の特徴である。
  

Posted by okina-ogi at 17:35Comments(0)書評

2019年09月02日

俳句自選(百日紅)

 

家を新築し、造園業の友人のアドバイスを受け、玄関方面は和風に、庭は洋風にした。
築山というほどではないが、石を使い風呂場から見ると気持ちの良い眺めができた。
榛名山も借景になっている。
築山の前は車1台が止められるスペースがあり、その横を歩道にした。
銀杏の木は枝を詰めて、ノウゼンカズラを植え、銀杏に絡ませようと思ったが、友人は木槿と百日紅を植えた。
木槿は植樹の翌年には花をつけたが、百日紅は木も成長しない。
けれども3年目には見事に花をつけた。
驚いたのは、枝が伸び、家との間にアーチができた。
この調子だと屋根まで届くのも時間の問題だ。
  百日紅主驚く枝の伸び
  

Posted by okina-ogi at 14:32Comments(0)日常・雑感

2019年09月01日

俳句自薦(蜻蛉)



  9月になった。梅雨のような曇の日が続いているが、暑い日が戻るだろう。
9月は暦の上では秋である。
雑草に穂が出て、刈り取らないと翌年が大変である。
そんな草むらから虫の音も聞こえてきて秋の実感がしてくる。
秋といえば蜻蛉である。
赤とんぼなどは童謡の題材になっている。
家の庭は芝生なっていて、刈り込みに手間がかかる。
作業が終わり芝生に置いた石の上に腰掛けてると、数匹の虫が頭の上を飛び交っている。
「もしかして蜂?」。
テラスの軒の下に巣ができている。
除去したいが、素人には難しい。
スズメバチではないのでそのままにしている。
よく見ると蜂ではない。
飛び方でわかる。
         秋茜行きつ戻りつ陽を浴びて
  

Posted by okina-ogi at 18:06Comments(0)日常・雑感