☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2021年09月21日

『芥川竜之介俳句』より(糸瓜)

                 水をとる根岸の糸瓜ありやなし


子規庵の糸瓜を思い出した。
糸瓜の水をとれる季節である。
が、とれる糸瓜のありやなしや。
  

Posted by okina-ogi at 09:56Comments(0)書評

2021年09月20日

『芥川竜之介俳句』より(黒南風)

黒南風の潮騒ひけるたまゆらや

黒南風は梅雨の暗い空に吹く風で、白南風と区別される。
この句にもたまゆらが使われている。
そして、黒南風と海の組み合わせも作者の好むところである。
潮騒がひける一瞬を句にした。
  

Posted by okina-ogi at 07:24Comments(0)書評

2021年09月19日

『芥川竜之介俳句』より(別れ霜)

                  鉢前の著莪しどろや別れ霜


鉢前は、厠の近くにある手洗い容器。
その近くにある著莪の葉が乱れている。
霜のためなのだが、次第に気温も高くなり、葉も元のように生気を取り戻す。
別れ霜は、遅霜のことで作物に被害を与える。
  

Posted by okina-ogi at 08:00Comments(0)書評

2021年09月18日

『芥川竜之介俳句』より(藤の花)

                 藤の花雫とめたるたまゆらや


藤の花が雫をとどめる。
それは一瞬のことである。
たまゆらという古語を作者は好んで使う。
何か懐かしい言葉の響きがある。
  

Posted by okina-ogi at 08:13Comments(0)書評

2021年09月17日

『芥川竜之介俳句』より(鴬)

                 鶯や茜さしたる雑木山


鴬の鳴き声がする。
見当をつけてみれば雑木山の方だろうか。
茜はまぶしいが、もう少したてば日が暮れる。
  

Posted by okina-ogi at 06:34Comments(0)書評

2021年09月16日

『芥川竜之介俳句』より(秋風)

                  手一合零余子貰うや秋の風


秋風が吹いている日であった。
両手にいっぱい零余子をもらった。
一合ほどもあるだろうか。
零余子は山芋の実で小粒だが、零余子ご飯にして食べられる。
山芋の蔓に生っている。
  

Posted by okina-ogi at 08:04Comments(0)書評

2021年09月15日

『芥川竜之介俳句』より(星月夜)

                 うすうすと曇りそめけり星月夜


雲がうっそらと空を覆うが、星月夜である。
雲一点も無き夜空とはいかない。
星月夜は秋の季語である。
当然ながら月は出ていない。
  

Posted by okina-ogi at 07:16Comments(0)書評

2021年09月14日

『芥川竜之介俳句』より(春雨)

                  春雨の中やいづこの山の雪

春雨が降っている。
その中にどこやらの山の雪が飛んできた。
風花というより弱い雪混じりの雨だ。
  

Posted by okina-ogi at 08:22Comments(0)書評

2021年09月13日

『芥川竜之介俳句』より(小春日)

                 小春日や暮るるも早き古障子

今日は良い小春日であった。
冬の季節で短いのが残念であった。
たちまち日が傾いてしまった。
古障子に小春日の陽が当たっている。
  

Posted by okina-ogi at 06:48Comments(0)書評

2021年09月12日

『芥川竜之介俳句』より(凩)

                 凩のうみ吹きなげるたまゆらや

たまゆらは、古語で一瞬、かすかにという意味である。
芥川は、木枯しを題材にした句が多い。
いづれにしても難解な句である。
海に吹く凩が海水を吹き上げるように思えたのである。
  

Posted by okina-ogi at 06:57Comments(0)書評

2021年09月11日

『芥川竜之介俳句』より(寒さ)

                  白鷺は後姿も寒さかな


白鷺という名前の鳥はいない。
学術的な名前と異なっている。
大きい鷺はダイサギと呼ばれている。
冬の鷺は寒風に身を丸めているような姿をしていることがある。
  

Posted by okina-ogi at 08:20Comments(0)書評

2021年09月10日

『芥川竜之介俳句』より(鬼灯)

                   霧雨や鬼灯残る草の中


季節は夏から秋に移り、雨は霧雨になった。
草むらを見つめると鬼灯(ほうずき)があるのに気づく。
赤い色でよく目立つ。
実は、薬用になるが食べられない。
  

Posted by okina-ogi at 07:09Comments(0)書評

2021年09月09日

『芥川竜之介俳句』より(行春)

          
道端の穂麦も赤み行春や

道端の麦畑は、赤みを帯びてきた。
間もなく収穫の時期になる。
作者は、行春という季語使って俳句にした。
  

Posted by okina-ogi at 07:43Comments(0)書評

2021年09月08日

『芥川竜之介俳句』より(蝗)

初秋や蝗つかめば柔らかき


季語は初秋か蝗か。
蝗に関心の比重をかけているような気がする。
芥川の句は同じスケッチを言葉を変えて作っているのが特徴だ。
初秋や蝗握れば柔らかき
初秋の蝗つかめば柔らかき
いずれも蝗をつかんだ感触を詠んでいる。
柔らかさというところから雌の蝗を想像させる。
  

Posted by okina-ogi at 08:02Comments(0)書評

2021年09月07日

『芥川竜之介俳句』より(春雨)

                 春雨の中や雪おく甲斐の山


「飯田蛇笏へ贈る文のはしに」と前書。
甲斐の山は高く春雨の降る頃も雪を抱いている。
俳人飯田蛇笏の住まいは、甲府にあった。
アララギ派の俳人でもあり重きをなした。
雪を抱いた山は、甲斐駒ヶ岳であろうか。
  

Posted by okina-ogi at 08:06Comments(0)書評

2021年09月06日

『芥川竜之介俳句』より(柿)

                 草の家に柿十一のゆたかさよ


草の家と我が家を称しているが、どうしてどうして柿の木がある。
それも十一も実をつけている。
家主としては豊かさを感じている。
  

Posted by okina-ogi at 07:05Comments(0)書評

2021年09月05日

『芥川竜之介俳句』より(山茶花)

                 山茶花の莟こぼるる寒さかな


寒い冬に山茶花が莟をつけて、咲いて散るのだが、憐れにも莟のままに落ちてしまうものもある。
花が咲いても寒さにしおれる。
山茶花が咲いた道で焚火をする童謡もある。
  

Posted by okina-ogi at 06:54Comments(0)書評

2021年09月04日

『芥川竜之介俳句』より(菜の花)

                 菜の花は雨によごれる育ちかな


菜の花の黄色の美しさは天来のものに感じる。
特に密生して咲いている風景は、その黄色がなお更美しい。
雨に汚れるという表現は、芥川らしい。
唱歌「朧月夜」を口ずさみたくなる。
  

Posted by okina-ogi at 07:42Comments(0)書評

2021年09月03日

『芥川竜之介俳句』より(春風)

                 春風の篠に消えたる麓かな


篠の生い茂った場所からは、山の麓は見えず、山の端だけが見える。
そして春風が吹いている。
篠は繁殖力が強い。
放置した農地に篠は生えているが、田舎でも篠林はほとんど見られなくなった。
  

Posted by okina-ogi at 07:36Comments(0)書評

2021年09月02日

『芥川竜之介俳句』より(星月夜)

                 星月夜山なみ低うなりにけり


前書きはないが、京の山を詠んだ句のような気がする。
この句の前後に京の句が連作としてあるからである。
星月夜が美しく、山は暮れて低く見える。
  

Posted by okina-ogi at 07:43Comments(0)書評