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2021年12月31日

『蕪村俳句集』より(名月)

                 名月やうさぎのわたる諏訪の海


ある時まで、名月の注ぐ諏訪湖に、一羽の兎が泳いで渡っている情景を思い浮かべていた。
よく考えてみるとおかしな鑑賞である。
月が湖の波に浮かび、渡るように見えると考える方が自然である。
昔から月の姿を見て兎がいるということも含めて名句だと思う。
  

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2021年12月30日

『蕪村俳句集』より(ぼたん)

  ちりて後おもかげに立つぼたん哉


牡丹の花は散ってしまった。
目を閉じると、その牡丹に花びらがあった時を思い浮かべることができる。
蕪村は牡丹の花が好きだった。
  

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2021年12月29日

『蕪村俳句集』より(牡丹)

 牡丹散て打ちかさなりぬ二三片


蕪村は、俳人だけでなく画家でもある。
牡丹は、花びらが散っても絵になる。
二三片重なるということから花が散ってそれほどの時間が経っていないことがわかる。
蕪村の代表作の一つである。
  

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2021年12月28日

『蕪村俳句集』より(春過ぎ)

                 春過ぎてなつかぬ鳥や杜鵑(ほととぎす)


万葉集に持統天皇の
「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山」
があり、その調子を使ってほととぎすを詠んだ。
野鳥なのだから、人になつかぬのは当然である。
  

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2021年12月27日

『蕪村俳句集』より(袷)

                  たのもしき矢数のぬしの袷かな


初夏の三十三間堂で行われる通し矢の数を競う行事である。
矢の当たった数よりも、矢を放つ人の袷に目がゆくのは頼もしいと感じた。
三十三間堂は京都の東山区にある天台宗の寺である。

  

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2021年12月26日

『蕪村俳句集』より(行く春)

                  行く春やむらさきさむる筑羽山


筑波山は、常陸の国の歌枕になっている。
むらさきに見えるということが定着していて、蕪村も否定しなかった。
高山ではないので山に雪は残っていない。
紫色の山の姿も薄らいできた。
  

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2021年12月26日

『蕪村俳句集』より(ゆく春)

                   ゆく春や逡巡として遅ざくら


野の草や、木々の緑も濃くなって春が過ぎてゆく。
その中でおそ桜だけが花をつけている。
逡巡として潔くないとして表現したのが蕪村の感性である。
  

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2021年12月25日

『蕪村俳句集』より(菜の花)

                 菜の花や月は東に日は西に


夕暮れである。
夕日に照らされてまだ菜の花が見えている。
月が東から昇ってきて暮れて行く。
こんな名句があるなら実際に菜の花畑に行って確かめてみるべきだ。
万葉集に
「ひんがしの野にかぎろひの立つ見えてかえりみすれば月かたぶきぬ」
という柿本人麻呂の秀歌がある。
こちらは冬の作品だとされる。
蕪村はこの歌を意識していたと思われる。
  

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2021年12月24日

『蕪村俳句集』より(梨の花)

                  甲斐がねに雪こそかかれ梨の花

甲斐がねは、山梨県の高山、甲斐駒ヶ岳である。
梨の花が咲くころも残雪がある。
白い梨の花と山の雪の白が絵になっている
  

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2021年12月23日

『蕪村俳句集』より(桜)

                 苗代や鞍馬の桜ちりにけり


鞍馬の田植えは早い。
苗代を準備する頃には桜も散り残って、田に散る。
桜の咲き誇る中での田植えとはいかない。
  

Posted by okina-ogi at 08:37Comments(0)書評

2021年12月22日

『蕪村俳句集』より(春の日)

                  うたた寝のさむれば春の日くれたり

春は昼寝がしたくなる。
すっかり眠って、寒さを感じて目覚めた。
日は暮れていた。
今も昔も変わらぬ人間の生理である。
  

Posted by okina-ogi at 09:16Comments(0)書評

2021年12月21日

『蕪村俳句集』より(花)

                 嵯峨へ帰る人はいづこの花に暮し


日が暮れる頃、蕪村は嵯峨野を経った。
嵯峨野に向かう人に会ったが、どこの花の下にたどり着くのだろう。
その頃は日も暮れているだろう。
  

Posted by okina-ogi at 10:25Comments(0)書評

2021年12月20日

『蕪村俳句集』より(いとざくら)

                 ゆき暮て雨もる宿やいとざくら


平家物語にある平忠度の歌を意識している。
「行き暮れて木の下かげを宿せば花やこよひのあるじならまし」
ようやく着いた宿であるが、雨漏りがしているのには落胆した。
ただ、庭先に糸桜が咲いていて心を癒してくれた。
  

Posted by okina-ogi at 18:32Comments(0)書評

2021年12月19日

『蕪村俳句集』より(焼野)

しののめに小雨降り出す焼野哉


しののめは「東雲」と書き、明け方東の空が染まることである。
以前、萩に行った時、焼き物の色が東雲色でなんとも美しいと思った。
現代は、野焼きも条例で出来なくなり、焼野は見られなくなった。
  

Posted by okina-ogi at 19:22Comments(0)書評

2021年12月19日

『蕪村俳句集』より(啼く蛙)

                 日は日くれよ夜は明けよと啼く蛙


夕方になれば啼き、明け方になれば啼く蛙である。
蕪村は、蛙の啼く時間に気をとめた。
蛙は日通し鳴いているわけではない。
  

Posted by okina-ogi at 09:25Comments(0)書評

2021年12月18日

『蕪村俳句集』より(春の風)

                 曙のむらさきの幕や春の風


清少納言の『枕草子』の冒頭の文が作者の念頭にある。
「春は曙。ようよう白くなりゆく。山ぎは少し明かりて、紫だちたる。雲の細くたなびきたる」
夜明けに雲が山にかかり春の風が吹いている。
  

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2021年12月17日

『蕪村俳句集』より(つばめ)

                  大和路の宮もわら屋もつばめ哉


奈良の道を歩いていると、ツバメが多い。
どこに住みかがあると思えば、民家にもお宮にも巣を造っている。
外敵からヒナを守るために人の家に巣を造ることが多い。
  

Posted by okina-ogi at 09:11Comments(0)書評

2021年12月16日

『蕪村俳句集』より(親雀)

                 飛びかはすやたけごころや親雀


子雀のことが心配なのであろう。
危ない目に合わないか、勇みはやる心で飛んでいる。
普段攻撃的でない親雀も「たけごころ」で飛ぶことがある。
これが子えの情である。
  

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2021年12月14日

『蕪村俳句集』より(雉)

                 禿山やなににかくれてきじのこゑ


雉の声が草木の生えていない山の方から聞こえてくる。
姿は見えない。
どこに隠れているのだろう。
  

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2021年12月13日

『蕪村俳句集』より(春の海)

                  春海終日(ひねもす)のたりのたりかな


有名な句である。
春潮は浜にゆるやかに寄せている。
一日中みているわけではないが、こういう句に触れるとこころが癒される。
  

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