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2012年06月28日

樋口一葉と江口きちのこと

樋口一葉は、5千円札にも採用されている明治の女流作家ですが、江口きちは、群馬県川場村出身の歌人で、女性啄木という人もあります。童謡詩人金子みすずと同様に若くして世を去りました。「薄幸の女流作家、その心性の清さ」の続きとして掲載しました。

薄幸の女流作家、その心性の清さ(2)

この日、金子みすずだけに会うのも、惜しいと考えて、樋口一葉女史を訪問したくなった。こちらは展示会を見に行ったわけではない。台東区に樋口一葉記念館がある。上野から北千住方面行きの地下鉄日比谷線の三の輪駅からほど近い場所にある。
樋口一葉は、生涯十五回住まいを変えている。全てが東京であるが、十四回目の場所がこの地であった。ここで雑貨商を営んだ。近くには吉原遊郭があった。この町に暮らす人々の生き様を深く観察し、家長として母や妹の暮らしを支え、貧しい中に必死に生きた自分を投影させながら小説を書いた人である。
「奇跡の十四カ月」という期間に、今日樋口一葉の代表作と言われている作品は書かれたのである。みな短編小説になっているが、奇跡という意味には、短い期間というだけではなく、結核を患いながらの執筆であったからである。そして、わずか二十四歳の人生であった。
キリストの生涯を連想した。聖書には、キリストが宣教を始めたのは、およそ三十歳のときであったとしるされている。それから、数年後に十字架にかけられるのだが、福音書の記者は、その間の経緯に多くのページをさいている。そして、その間の空間的、時間的凝縮度の高さは、後の人類への贈り物になっている。誕生のいきさつの記述や少年期のエピソードは、十字架へ向かうイエスの悲壮な晩年の歩みを、称えるための添え物のように感じる。大胆な言い方をすれば、この「奇跡の数年間」は、イスラエルの民族の歴史の結晶のように思うのである。釈尊のような解脱したとされる宗教者も、個人だけの資質にのみに生まれるのではないと考えて見たくなった。ただ、個人史の中に、「奇跡の時間」を準備してきた蓄積を無視はできない。キリストが、聡明で多くの知識を学んでいたことも事実であり、樋口一葉の成績は、首席になるほどで、多くの書物を図書館に通い読み耽ることがあった。良き種のことを考えれば良い。
「奇跡の十四カ月」に書かれた代表作は『にごりえ』、『十三夜』、『たけくらべ』、『おおつごもり』などであるが、新潮文庫を買って読んでみたが、文語体でかなり平成人には難解である。『たけくらべ』は、映画などで大方の雰囲気とあらすじは覚えていたが、二、三度読み返してはみた。
『十三夜』は、樋口一葉の時代にありそうな話で、大衆の共感を得たかもしれない。生活のための結婚は、女性に耐え忍ぶ心を強要し、反対に心の自由を奪ったことになる。
一葉は、結婚はしなかったが、借金で身を売るぎりぎりの生活をした。幸か不幸か結核が彼女の命を奪った。
 新渡戸稲造に代わり樋口一葉が、新しい五千円札の顔となったのは、お金に困っていた彼女には皮肉な出来事である。樋口一葉記念館には、福井日銀総裁から記念館の館長に番号の少ない新札が寄贈されている写真と、現物が展示されていた。
 一葉の小説の題名が独特である。『たけくらべ』は「背比べ」のことだと思うし、『おおつごもり』は「大晦日」のことである。『十三夜』もよくわかる。『にごりえ』が良くわからない。「濁り江」ということばはあるが、果たしてその意味なのであろうか。
 薄幸の女流文学者というタイトルが良かったかどうか。年若くして死んだからと言って不仕合わせとも言えない。さらにみすずの心性は清らかと言えるように思うが、一葉の場合は、理知的で生きるための借金を親しい人間以外にもする逞しさがあった。ただ、森鴎外が彼女の小説を絶賛したのはなぜかと考えてみたい。川端康成
のような女流作家好きというわけでもないだろう。
樋口一葉同様、若き女手により家人を支え、真摯に短い生涯を終えた女流歌人がいた。「昭和の女啄木」と呼んだ人もいる。群馬県武尊山の麓、川場村の江口きちである。父親は、博打好きで妻子を置き去りに放浪し、母親は、きちが成人する前に脳溢血で死んだ。幼い妹と、五歳の時に脳膜炎により重い障害持った兄が残された。しばらくすると、廃人同様になって父親が帰ってきた。
 きちは、母親の家業を継いだが、商売向きな性格ではなかった。それでも、妹が尋常小学校を卒業し、美容師の奉公ができるまで家計を支え、河井酔茗という歌人を師として歌を詠み続けていた。しかし、二十六歳の時、生活苦から逃れるように、白装束に身を整え、不自由な兄の行く末も心配し、枕を並べて服毒死したのである。昭和十三年十二月二日のことである。古い校舎を残し歴史民族資料館にしたその一画に、江口きちの遺品が展示されている。
 辞世になった歌は

 睡(ね)たらひて夜は明けにけりうつそみに聴きをさめなる雀鳴き初む

 おおいなるこの寂けさや天地の時刻あやまたず夜は明けにけり

「貧乏は罪悪である」と言った友人がいるが、お金の苦労は決して心のゆとりを生まない。しかし、精神的に貧困になるということにはならない。死の間際にも、天地の摂理を聴き分けられた、若くして逝った江口きちの最後も悲しく惜しい。


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