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2012年07月23日

晩秋の京都、奈良(2011年10月)

晩秋の京都、奈良
 十月二十九日(土)から、奈良国立博物館で正倉院展が開催されている。年に一度の開催だが、期間が短く、遠方であり実物を鑑賞するのは今回が初めてである。第六十三回となっていて、お目当ては、黄熱香(おうじゅくこう)、別名蘭奢侍(らんじゃたい)という香木である。織田信長が、切り取ったという話は有名である。展示されたものを見ると、切り取られた部分がわかるように名入りの付せんが貼ってある。信長は、少し多めで、すぐ近い場所に足利義政の切り取りか所がある。驚いたのは、明治天皇が切り取られたか所も付せんが貼ってある。蘭奢侍という三文字の中には、東大寺の文字が隠されているという解説があった。なるほど、よく見るとそうである。お寺では、香は欠かせない。ちなみに香は嗅ぐのではなく聴くのだという。香道というものがある所以である。
 正倉院には、聖武天皇、光明皇后のゆかりの品が多く収蔵されている。天平時代の一級品ということだけでなく、長く良く保存されているところにかけがえのない価値がある。文化というものは、形を伝えることにも意味がある。染物も展示されていたが、少し色褪せてはいるが、当時は、美しい色だったことが容易に想像される。
 奈良公園は、人出で溢れている。鹿の存在も忘れてしまいそうである。博物館を出る時、二時半を過ぎていた。三時に近鉄西大寺駅で待ち合わせをしている人がいる。久しく年賀状のやりとりだけしかしていなかったが、いつも貴重な文献などを送ってもらい、感謝の気持ちを会って表したいと思っていた。博物館から近鉄奈良駅までは以外に距離がある。途中、興福寺も修復中であったが、友人と西大寺で待ち合わせたのは、平成の修復が終わった唐招提寺を一緒に見ようと決めたからである。
 唐招提寺は、唐から日本に渡ってきた鑑真の創設した寺である。鑑真と寺のことは、以前触れたので詳細は述べない。律宗の寺である。阪神大震災の後、修復中の建物を見て以来、ほぼ十年ぶりに寺を訪ねた。修復中、金堂にあった仏像は、東京国立博物館で展示され、じっくり見ることができた。鑑真の像も東京美術館で見ることができた。今回見たかったのは、山門を入ったところから正面に見える金堂の姿である。長い年月創建当時の趣を残す寺の風格は何ともいえず荘厳である。支える柱の丸身も以前のままだ。
 おおてらのまろきはしらのつきかけに
つちにふみつつものをこそおもえ    会津八一
 屋根瓦が、どことなく新しくなった感じがある。目を凝らして見ると、甍も以前とは変わっているように見えた。しかし、全体の金堂の姿は、以前見た記憶と違和感がない。唐招提寺の境内には、宝物館があって奈良時代に寺にかけられた額が置かれている。考謙天皇(749~758)の筆と伝えられている。国宝である。その他にも、重要文化財となっている仏像があって、間近かに見ることができる。多くの彫刻家や、唐招提寺に鑑真和上の渡来を襖絵に描いた東山魁夷を魅了した如来形立像(トルソー)も展示されている。この像は、首から上がないが、体のしなやかさになんともいえない美しさがある。今回、初めて目にすることができたのが金堂の屋根に取り付けられていた鴟尾(しび)である。正門から見た金堂の左側にあったのが、天平時代のもので、右側が鎌倉時代のものであったが、二つとも取り外され、宝物館に今回収蔵されることになった。国宝である。
 鑑真和上の像が安置されている御影堂よりさらに右奥に行くと、開山御廟がある。鑑真和上のお墓である。今は、咲いてはいないが、故郷揚州のケイ花が植えられている。以前この花を見たことがある。白い花だった記憶がある。池があって白鷺が一羽いた。鑑真和上には白のイメージがある。入滅から一二〇〇年の月日が立っている。合掌。
 友人とは、久しぶりの再会となった。話は尽きなかったが、いつも思うのは、真摯な生き方には脱帽している。西大寺で夕食を共にして別れることになったが、奈良に在住しているので、ゆっくり家に泊まってもらい、奈良をご案内しますというご配慮もいただいた。今夜は、京都の恩師の家に泊めていただくことになっている。師の家は、京都市左京区一乗寺にあり、国際会館から最終バスに乗ることになり、先生には大変ご迷惑をかけることになった。奈良の友人とは、時間ができれば、万葉の時代を思い浮かべながら、大和三山あたりをゆっくり一緒にまわってみたいとも思う。最近、万葉集は、日本人の心のふるさとという気が強くしている。
 大和は国のまほろば、たたなづく青垣山こもれる、やまとしうるわし 
日本武尊
 大和には群山あれど とりよろふ天の香具山登り立ち 国見をすれば
 国原は煙立ち立つ 海原は鷗立ち立つ うまし国ぞ蜻蛉島 大和の国は
                              舒明天皇
友人との再会を願い、次の歌がふと脳裏を過った。
 別け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな     一休宗純
 一夜明けると、階下から美味しそうなコーヒーの香りがしてきた。今日は、大学時代の恩師の家に同窓生が集合することになっている。遠方だという事で、先生の家に前泊となった。一人は、九州の福岡からの来訪であるが、大阪の友人宅に泊まり、二人で十一時頃到着する予定になっている。もう一人は、大阪の池田市から来る。朝食は、奥様と先生が共同作業でもてなしてくださった。いつものとおり、コーヒーは先生の役目で、何度も泊めていただいているので、すっかり慣れてしまった。前回は、奥様が不在だったのでお会いできなかったが、久しぶりに快活な声を聴くことができた。奥様も、心理学の大学の先生であった。
 「オギワラさんはタイジンやなあ」
昨夜、夜遅く先生にお会いした時
 「あんたフトッタなあ。わしも煙草やめて十キロも肥えたワ」
どちらかというと先生は、痩せておられたので今が丁度よいという感じである。奥様のタイジンを漢字にすると大人という意味にとりたいが、体つきの変化に影響したことは否定できない。食後、同級生の集合時間に二時間ほど時間があるので周囲を散策することにした。散歩の理由が充分納得していただけるのである。
 恩師の家から歩いて一分のところに、宮本武蔵と吉岡一門との決闘で知られる一乗寺下がり松のゆかりの松がある。当時の松は、八大神社に祀られている。この神社には宮本武蔵の像もある。隣が詩仙堂である。時間があるので、曼朱院を目指す。距離はかなりあるが、歩いて行けない距離ではない。九時を過ぎていたので開門している。紅葉には早かったが、庭園は美しい。三千院同様、皇室ゆかりの寺で、比叡山延暦寺との関係も深い。さらにその先が修学院離宮であるが、ここは予約して抽選に当たらなければ見られない。途中、雲母坂の標識が目に入る。ここを登れば比叡山延暦寺にたどり着くことができるがその時間はない。街に下り丁度一周するようにして先生宅に戻る。良い運動ができた。友人たちも訪ねてきて、近くの湯豆腐の店に奥様も同席して食事会となった。「恩師を囲む会」は話に花が開いた感じである。先生ご夫妻は、我々が還暦になることに驚いている。月日の経つのは早いものである。この企画をしたのは、大阪の友人だが、時間もとれるようになるので、数年に一度は関西で「先生を囲む会」ができれば良いと言って別れた。後日、先生からは、楽しい時間が持てたと感謝のお手紙をいただいた。最初のゼミの生徒として、特別に気を留めてくださっていることが嬉しい。次は、有馬温泉に一泊して歓談するのも良いと思った。


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