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2012年08月11日

『夜と霧』

『夜と霧』
 精神医学者、フランクルの著作である。フランクルは、一九〇五年、ウイーンで生まれ、精神分析学の大家、フロイトやアドラーに師事した。しかし、第二次大戦中、ヒトラー政権によるユダヤ人狩りに合い、アウシュビッツの収容所に家族とともに送られ、彼だけが生き残った。その状況を、心理学者の目で著述したのが『夜と霧』である。八月八日早朝五時半から、再放送だったが、BS3(NHK)で、『夜と霧』を題材にした番組を見た。ロンドンオリンピックを見る人が多い中、どれほどの人がこの番組を見たか分からないが、実に重いテーマを指摘していた。
 この本は遠い昔読んだ記憶があり、書棚を捜したら、出てきた。すっかり古本になっている。みすず書房から出版されたもので、霜山徳爾訳とある。改訂版一九七二年のものである。霜山徳爾は東京大学文学部卒の心理学者である。当時、心理学の学生であった私は、この本を手にしたが、あまりにも過酷な状況が書かれていて最後まで読めなかった記憶が残っている。四〇年ぶりにページを開くと最後まで、ペンの書き込みが残っていた。読了していたのかもしれない。
 テレビで、解説者がアパシーという言葉を使っていた。人は、肉体的にも、精神的にも絶望的な状況に置かれ続けると、無関心、無感動になっていくというのである。そうすると、生きる意欲はなくなり、衰弱し死んでいく。そうでなくとも、収容所での労働は、厳しく食事も十分でなく病死、餓死していった。ソ連が、日本の将兵をシベリヤに抑留したが、アウシュビッツの収容は、ユダヤ人を根絶やしにする目的があり、ただ殺された人も多かった。
 戦争という特殊な状況でなければ、このような狂気ともいえる行為は出現しないのであろうが、心理学者であるフランクルは、人間とは何かを人間性を維持し続けた心理学者の目を通して記録と思索を残したのである。絶望の中でも人は、光をみることができるという。それは、希望と祈りだという。信仰とは言わなくても、心の中に生まれる人間としての善意があるのだという。そして、最後は、その善意によって判断する力が残っているのだという。
 いじめ、仲間はずれということが今社会問題化している。そういう状況は作らないことにこしたことはないが、最後は自分で生き抜く。その時他者をどれだけ思いやれるか。愛の反対は、憎しみでもなく、「無関心・無感動」だからである。


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