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2012年08月12日

硫黄島玉砕戦の悲劇と教訓

硫黄島玉砕戦の悲劇と教訓
 硫黄島は、小笠原諸島の南端にあり、緯度は、ほぼ台湾と同じで、東京からは約千二百五十㌔の距離にある小さな島である。第二次世界大戦の末期、沖縄と同様に日本本土防衛のための激しい戦いがあった場所として知られている。しかし、その戦闘がどのようなものであったかを知る人は少ない。
 その戦いがあった年から六十一年目になる平成十八年に、アメリカの俳優クリント・イーストウッドが監督になって、日米両者から見た硫黄島の戦いを描いている。「父親たちの星条旗」(アメリカ)と「硫黄島からの手紙」(日本)である。戦闘のシーンが多く、見るのが辛い場面も多いが、反戦の映画になっている。映画の内容に多くは触れないが、国家の争いの中で翻弄され、死んでいった将兵の生き様の中に胸を打つものがある。
 梯久美子という作家が新潮社から『散るぞ悲しき』を出版している。取材記事を得意とする作家らしい労作として、大宅壮一ノンフィクション賞を受章した。司馬遼太郎がそうであったように、関係者の取材や資料から真相を浮き彫りにしていく手法は、読者を納得させる。この人は、テーマが与えられれば、また良い作品を書いてくれるに違いない。副題は、硫黄島総指揮官・栗林忠道である。
 栗林忠道は、硫黄島兵団の長として赴任した当時、陸軍中将であり、戦死後大将になっている。「硫黄島からの手紙」で栗林中将を演じたのが渡辺謙である。映画にも、『散るぞ悲しき』の内容が使われたことが、文芸春秋の二人の対談記事でわかる。辞世の歌が三首残っている。その一首が
 国のため重きつとめを果たし得で
         矢弾つき果て散るぞ悲しき
であり、本のタイトルはこの歌の最後からとったものである。歌の意味は解説をするまでもなく平易であるが、この歌を打電された大本営軍令部は、新聞に報道する時に、「散るぞ口惜し」と変えてしまう。軍人、しかも将官であれば、「悲しい」などいう情緒的で女々しい言葉は許されないという観念が当時は支配的であった。この「悲しい」は、栗林自身のものではなく、多くの島で戦っている兵士の心情を代弁していると作者の梯久美子は捉えているのである。
 思い切って意訳すれば、「国のために、その重き任務を果たすことが出来ないのは、無念ではあるが、内地にいて図上による作戦の指揮をとる大本営諸君は、充分な補給と戦略もなく、本土に暮らす同胞の米軍の空襲から危険を守るために必死に戦っている将兵のことが本当にわかっているのだろうか。最後は銃弾もなく、戦う術もなく死んでいかなければならないと思えばその心はなんとも悲しいというべきほかない」という栗林中将の抗議ともとれる。
 栗林忠道は、明治二十四年に長野県の松代に生れている。松代は真田十万石の城下町で、幕末の先覚者佐久間象山を輩出した地でもある。栗林家は松代藩の郷士で旧家であった。旧制長野中学から、陸軍士官学校に進むが、英語が得意で一時は、新聞記者になろうと考えたこともあった。特筆したいことがある。高位の軍人の子弟は、陸軍幼年学校から士官学校に進み、陸軍大学校を経て海外留学と、いわゆるエリートコースを歩む。留学先の多くが、ドイツ、フランスであった。A級戦犯になった東条英機もそうであった。英米に留学するものは比較的少なかった。
 栗林には、アメリカ留学の体験があった。三六歳の時で、騎兵大尉であった。アメリカの文化に直接触れ、その国力も知り
「アメリカは、日本がもっとも戦ってはいけない国だ」
と考えていた。このあたりは、海軍の山本五十六と通じるものがある。さらに、当時の時代比較で言うのだが、アメリカ人の長所である合理主義と人道主義も肌にあうものがあった。栗林は、家庭を大事にした人で、家事詳細に渡っても良き父親であった。硫黄島に出征する前に修理できなかったお勝手の隙間風を気にしながら、戦いの寸前まで妻や、子供に愛情のこもる手紙を書き続けた人でもあった。そのような栗林が、アメリカ軍の上陸作戦で最大の犠牲を払わせたのかは不思議である。
 硫黄島の総指揮官は、小笠原諸島の父島から指揮をとることが許されていたらしい。前任者がそうであった。栗林は、最初からその気はなかった。ということは、硫黄島が自分の死に場所であることを自覚していたということになる。硫黄島を守る兵士は、約二万一千人で、その先頭に立って戦うためには、現場指揮をとる必要があった。着任すると直ぐに、海岸線での陣地の構築を止めさせた。これには、反対が多かったが、水際作戦は、サイパンなどの戦いで悉く失敗に終っていた。上陸前の艦砲射撃や空爆で壊滅されていたからである。
 海岸線から一歩退き、地下壕を堀り、上陸前の攻撃に耐え戦う方針をとった。〝バンザイ突撃〟を禁じた。最後はゲリラ戦でも良いから、一日でも長く戦い続けることを守備隊に命じたのである。その結果、アメリカ軍が五日で陥落できると考えていたのが三六日になった。しかも、アメリカの死傷者は日本を上回った。
 硫黄島には、川はなく食糧はもちろん水の確保が最大の問題であった。雨水をドラム缶などにためて飲料にしたのだが、アメリカ側からすれば多く見積もっても守備する兵隊の数は、一万三千人が限界だろうと予想していた。堅固な陣地の構築、生活物資の確保と抑制、無謀な戦い方の禁止、いずれは死ぬと分っていても無駄死にならないようにすること。このような、戦闘方針が周知徹底されたために、信じられないほどの戦闘結果に繋がったと考えられる。
 しかし、いかに指揮官の命令があっても困難を将兵がともにできるわけではない。映画にも映し出されていたが、栗林は、現場を隈なく歩き、多くの将兵に声をかけ励ました。また、高官だけが許される特別メニューは拒否した。一般の兵士と同じものを食べた。そうしなければ、兵士の実情が分らないと思ったからである。給仕するものが、
「これは決まりですから困ります」
と訴えると
「空でいいから器だけ出しておけよ」
と笑って応える場面があった。水も一日水筒に一杯と決めていた。
 こういうリーダーでなければ、部下は心底命令に服するものではないからである。
 戦争は国家間の紛争の解決の手段にしてはいけないことは、長い歴史の中で学んでいる。けれども、近年になってもアフガニスタンやイラクで戦争が行なわれている。フセイン大統領も裁判で死刑になったのは、つい最近の話である。北朝鮮は、核を保有したとして諸外国から放棄を迫られているが拒否し続けている。そして、北朝鮮の多くの人が言論統制と餓えに苦しんでいると伝えられている。有事への緊張が増しているが、戦争によって犠牲をとなるのはいつも権力から遠い人々である。
 戦争とまではいかなくとも、硫黄島のような状況、つまり生贄のような状況は平和な社会の中でも起こりうるのである。企業における無謀な事業展開、一部の人による独断経営によって倒産に至ることも大げさに言えば「硫黄島の悲劇」になる。
国と国との覇権争いの中に死んで行った、栗林中将始めとする将兵に
「硫黄島を死守せよ」
との権力の衣を着た大本営の参謀的な精神構造になんとも言えない嫌悪感を持った。
栗林中将は、最後は残された四〇〇人に余りの部下と最後の攻撃をして戦死したと伝えられている。その時肩書きを外していたので遺体が発見されなかったともいう。
最後の訓示の言葉は
「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」
であった。
 長い引用になるが、梯久美子の『散るぞ悲しき』の中から抜粋する。こちらは、的確で取材記者らしい冷静な文章になっている。
 「硫黄島に渡ってからの栗林の軌跡を辿っていくと、軍の中枢にいて戦争指導を行なった者たちと、第一線で生死を賭して戦った将兵たちとでは、〝軍人〟という言葉でひとくくりにするのがためらわれるほどの違いがあることが改めて見えてくる。安全な場所で、戦地の実情を知ろうともせぬまま地図上に線を引き、「ここを死守せよ」と言い放った大本営の参謀たち。その命を受け、栗林は孤立無援の戦場に赴いたのである。平成六年二月、初めて硫黄島の土を踏んだ天皇はこう詠った。
  精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき
 見捨てられた島で、それでも何とかして任務を全うしようと、懸命に戦った栗林以下二万余の将兵たち。彼らは、その一人一人がまさに〝精魂込め戦いし人〟であった。
 この御製は、決別電報に添えられた栗林の辞世と同じ「悲しき」という語で結ばれている。大本営が「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し」と改変したあの歌である。
 これは決して偶然ではあるまい。四十九年の歳月を越え、新しい時代の天皇は栗林の絶唱を受け止めたのである。死んでいく兵士たちを、栗林が「悲しき」と詠った、その同じ硫黄島の地で」。
 栗林の生地、松代にある皆神山には本土決戦に備えた巨大な地下壕が掘られた。大本営や政府、天皇の御座所を移すために。これが実現し、戦争が続行されていたらば、日本民族は致命的な結果になっていたかも知れない。昭和天皇の聖断によって終戦となったことに、天界の栗林は安堵したことであろう。

          拙著『浜茄子』より


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