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2012年08月14日

「戦争と平和」を考える-3

戦陣訓
 硫黄島の戦い、沖縄戦、終戦における聖断について書き、先の大戦のとりわけ敗戦にいたる昭和二十年に思いを馳せた。時は既に六十二年を経過している。個人史からしたら、生前のことであって記憶にある時代ではない。
硫黄島は、現在東京都に属しているが、在日米軍と自衛隊の共同基地となっており、遺族やその関係者の慰霊祭や、取材などの目的で許可されなければ、民間人の渡島は許されていない。「硫黄島の戦い」は、映像の世界からの感想に過ぎない。ただ、指揮官であった栗林中将の生地は訪ねる事ができた。「沖縄戦」は、友人の案内で戦跡めぐりができた。「終戦における聖断」は、終戦内閣の総理大臣であった鈴木貫太郎の記念館を訪ねることができた。資料や書物を読むだけで物を書く気にはなれない。せめて、時間を共有できないならば空間を共有したいと思うのが歴史好きの人間の習性である。
芭蕉を始めとして、好きな作家である司馬遼太郎、城山三郎、塩野七生などは、自分の身を現地に運んでいる。特に、塩野七生は、地中海に展開する歴史に関心が強く、イタリヤに定住して、『ローマ人の物語』を十五年かけて書き上げた。膨大な資料を調べたのであろうが、ローマ帝国の多くの遺跡を訪ねている。ローマに住んでいるので、当時のローマ帝国の国境までは、飛行機で一時間で行ける距離なのだという。
想いを寄せる地に行くことは、「兵どもが夢のあと」であって、ただ山河があるだけかもしれないが、風に吹かれ、空気を吸うだけでも大いに意味があると思っている。テーマをもって旅に出ると紀行文が書けるのに似ている。共有できない時間を、現地の人々の肉声で埋める幸運に出会えることもあるかも知れない。
「戦陣訓」については、説明が要る。昭和十六年に兵士に対する戦場における心得を述べたものである。中国大陸の戦闘の中で、軍規が乱れているのを憂慮して陸軍省から出されている。その推進役になったのが、戦後A級戦犯として絞首刑になった東条英機である。文章の校正にあたっては、島崎藤村や土井晩翠の手が加わっている。教育勅語もそうだが、「戦陣訓」も今や悪しき戦前の遺物のように忘れ去られている。
戦場では、人と人が殺しあうという異常な状況の中で、古くから人がしてはいけないこととして戒律で示されている行為が、個人の衝動でなされることがある。「殺す」、「焼く」、「犯す」、「盗む」だという。「戦陣訓」では、本訓其の三の第一に〝戦陣の戒〟というのがあって、その八に「戦陣苟(いやしく)も酒色に心奪はれ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし」
最もな道理が書かれている。しかし、「戦陣訓」は、悲劇を生む。
 それは、後世に指摘されるところであって、「戦陣訓」の其の二の第八は、〝名を惜しむ〝では「恥を知るものは強し。常に郷党家門の面目を思い、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」となっていて、とりわけ、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」の部分が、多くの島々での守備隊の玉砕や、沖縄戦の集団自決を生んだとされているからである。
 硫黄島の指揮官は、玉砕する思想はなかったが、降伏するという考えはなかった。最後まで戦えということは、死ねという命令に近い。アメリカに駐在武官として、合理主義的な思想を身につけていた栗林中将なら、「徒手空拳」で戦う状況になれば、自ら責任をとることはあっても、白旗を立て降伏しても良かった。それは、多くの遺族の心情であると思う。しかし、そうはならないのである。栗林も日本人の心を持った人であった。しかも、職業軍人であり、将官でもあったからである。
『菊と刀』でクール・ベネディクトは、日本は恥の文化だと言っている。さらに、親類縁者に迷惑をかけることは辛く、「非国民」と呼ばれる時代であった。「村八分」という言葉があるように、仲間外れにされることを戦前の日本人は恐れた。それなら、死んだ方がましだという選択は、生命体には苦痛には違いないが、「戦陣訓」を刷り込まれた兵隊には可能だったのである。
 沖縄の集団自決が、日本軍の命令であったかどうかは、大江健三郎と曽野綾子の取材では、見解が異なっているが、「戦陣訓」の影響は、あったのだろうと思う。「戦陣訓」全体を見て、気がつくことは、「天皇陛下」、「皇国」、「皇軍」という言葉がやたらに多い。
陸軍という組織は、上司の命令は、天皇陛下の命令だという。「戦陣訓」に最も学んだことは、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」の言葉では、なかった。
天皇を利用し、恥を利用し、志願したわけではない兵隊に死を強要した「組織」あるいは「思想」である。迷惑したのは天皇であり、それ以上に苦しんだのは国民である。この構図は、一般社会、組織、人間関係の中でよくあるかたちである。〝虎の衣を借るきつね〟という諺があるが、本来は、日本人が最も嫌うものでもあるのだが、戦時中は〝虎の衣を借るきつね〟に苦しめられた。感情的に言うと「卑怯」という言葉になる。「戦陣」にはなく、遠くから、指揮する大本営という組織も、きつねの巣窟に見えてこないでもない。
ローマ帝国の時代は、武力による征服と、建築や土木に人々を使役し、一部の特権階級が人生を謳歌した暗黒の時代だと思っていたが、塩野七生『ローマ人の物語』を読み、考えを新たにしてみようという気持になった。長い、ローマ帝国の歴史の中には、醜い出来事も多いが、法治国家の発明は、人の世が多くの人々と暮らす限り、ローマ人が人類に与えた一つの英知かもしれない。宗教だけで世界が平和になるとも思えない。ローマは、ギリシャと同様多神教であった。他の民族の宗教を認めるが、法律を守ることだけは求めた。西ローマ帝国が滅び、キリスト教がヨーロッパを席巻するが、中世のヨーロッパは、逆に暗黒の時代のように見えてくるから不思議だ。
戦前の日本軍は、徴兵制度によってできていた。ローマは基本的には志願制であった。そして給料もそれなり支払われ、除隊すれば市民権も与えられた。兵隊は、皇帝に忠誠を誓うが、皇帝は前線に立った。その皇帝はローマ市民から選ばれた者である。国を守るのは、皇帝も、兵士も使命感による。「戦陣訓」のようなものが必要であったかは、ともかく、軍規は良く守られていたらしい。イタリヤに行って見たくなった。
 
     拙著『浜茄子』より


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