2012年10月10日
岡潔博士と中谷治宇二郎の友情
心に浮かぶ歌・句・そして詩35
物理学者であり、随筆家でもあった中谷宇吉郎の弟に、中谷治宇二郎という人がいた。考古学者であったが、昭和11年に亡くなっている。数学者岡潔と無二の親友だったことはあまり知られていないが、若い時は文学を志したこともあり、秀句が残っている。
漣の渡る湖明けきらぬ
戸を開くわづかに花のありかまで
子等遊べ主なき庭のはだん杏
繊細で、情愛の深い、優しい人だったことが句に滲み出ている。
由布院での療養の日々の句も写生句であるが、自然の営みに中谷治宇二郎の心が溶け込むような感じがする。
落葉して日毎に風の通いけり
雪雲の危うきかたや渡り鳥
幼子一人渡り鳥見る秋の原
次の句は、由布院で療養する中谷治宇二郎を岡潔が見舞いに訪れ、その別れを詠んだ句である。「岡」と「丘」をかけている。
サイレンの丘越えていく別れかな
物理学者であり、随筆家でもあった中谷宇吉郎の弟に、中谷治宇二郎という人がいた。考古学者であったが、昭和11年に亡くなっている。数学者岡潔と無二の親友だったことはあまり知られていないが、若い時は文学を志したこともあり、秀句が残っている。
漣の渡る湖明けきらぬ
戸を開くわづかに花のありかまで
子等遊べ主なき庭のはだん杏
繊細で、情愛の深い、優しい人だったことが句に滲み出ている。
由布院での療養の日々の句も写生句であるが、自然の営みに中谷治宇二郎の心が溶け込むような感じがする。
落葉して日毎に風の通いけり
雪雲の危うきかたや渡り鳥
幼子一人渡り鳥見る秋の原
次の句は、由布院で療養する中谷治宇二郎を岡潔が見舞いに訪れ、その別れを詠んだ句である。「岡」と「丘」をかけている。
サイレンの丘越えていく別れかな
Posted by okina-ogi at 07:55│Comments(0)
│日常・雑感