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2012年10月14日

『放哉評伝』

『放哉評伝』
      村上 譲  春陽堂 放哉文庫 840円+税
尾崎放哉は、自由律の俳人として名前を留めている。種田山頭火が著名であるが、この人々の句の世界は深いのか、それとも感性の発露のようなものか、今日まで理解が及ばない世界であるが、自然の中に生かされている人間の正直な気持ちを表現しているのだろうということは、想像できる。
尾崎放哉は、鳥取県の士族の出身で、一高から東京帝国大学の法科を卒業した秀才である。中学時代から、俳句や短歌に興味を持ち、一高時代には1年先輩に荻原井泉水がいた。彼は「層雲」という俳誌を主幹し、尾崎放哉も参加することになる。
彼の同窓には、小宮山隆、安部能成や華厳の滝に身を投げ「厳頭之感」を遺言とした藤村操がいた。夏目漱石の英語の授業も受けている。
 卒業後は、東洋生命という今日の朝日生命の前身となる会社に務めている。38歳で退職しているが中間管理職に昇進している。なぜ、辞めたかは酒のせいらしい。飲むと人格が変わるような飲み方だった。その後41歳で亡くなるまで、京都に一燈園を頼ったり、神戸の須磨や若狭の寺男となり、最後は、小豆島の庵で咽頭結核を病み死んだ。妻とは離縁したわけではないが、別居生活となった。一人の生活を望んだのである。その間に、多くの秀作が生まれた。冒頭に書いたように、今だにその句に共感できなくとも、このように生きざるを得なかった人間がいたということは理解できた。人は社会の中で一人では生きていけないが、最後は一人だという、そこにあえて身を置き句を詠んだ。自由律の句は、これからも作らないと思うが、句として否定もしない。一句だけ彼の句を揚げておく。

肉がやせて来る太い骨である
一人寂しく死んだ彼もまめに師匠や友人に手紙を書いた。その書簡残っていてこちらは実に面白い。赤裸々なのである。ユーモアもある。


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Posted by okina-ogi at 16:37│Comments(0)書評
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