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2012年10月14日

河本緑石という詩人と俳人

心に浮かぶ歌・句・そして詩40
尾崎放哉の評伝を読んでいたら、どこかで見た名前の人の詩が載っていた。解説があり、良い詩である。赤ん坊の目を詩にしている。河本緑石、鳥取県の人で、宮沢賢治と交友があった。荻原井泉水の俳誌「層雲」に投稿していた。河本緑石の娘さんは、三朝温泉に古くからの旅館を経営している女将さんで、ある方の紹介で宿泊し、親しくお話をしたことがある。その紀行の抜粋と、その詩を紹介する。

世の中のうそに汚れた私の心
赤ん坊が喰いこんで来る
あの弱々しい視線をもって
私を見つめてゐるではないか
私の心は底から傷みだし
たへがたくをのゝく
私は赤ん坊をしっかり抱かう
あの静な視線に直面して

何も見てゐない赤ん坊の目
しかし、赤ん坊自身を見てゐる目
しかし、万象を見つめてゐる目
なにも見てゐない赤ん坊の目が
不思議にぱっちり開いて
青空のように澄み切って
永劫の自己を求めてゐる
生まれたばかりの赤ん坊の目が

以下は省略するが、詩のタイトルは書いていない。推測すれば「赤ん坊の目」であろうか。
紀行のタイトルは、「美作そして伯耆の国へ」である。

今宵の宿は、野口雨情も泊まったという明治初年から営業している「木屋旅館」である。宮沢賢治のイーハトーブ会員の上島さんと旅館の女将である御船道子さんが玄関先で待っていてくれた。御船さんの父親は、河本緑石といって宮沢賢治の盛岡農学校の同級生なのである。上島さんを通じ、御船さんのことを知り、岡山の友人をまき添いにして今回の旅になったのである。友人は、俳句もやるが、学生時代は童話も書き、今は小説も書く器用な男なのである。きっと喜んでくれるだろうと勝手に思い込んで、上島さんと同宿することになった。
上島さんは、現在76歳、戦後食糧難の時代に、岡山県蒜山高原の開拓村に入村して、直に大地を開拓した人なのである。宮沢賢治を長く尊敬して止まない方なのである。上島さんとは、昭和の社会教育家、後藤静香を尊敬する上島さんの父君とのご縁による。人とのご縁は不思議なつながりを持つものだ。
女将さんが是非案内したいところがあるというので、二時の待ち合わせになっていたのであるが、旅館に荷物を降ろし、そのまま友人の車でその場所に向う。当日は、台風十一号が、朝鮮半島に向っていたのであるが、その影響で鳥取の天候は不安定であった。ときおり激しい雨が降る中、三徳山を目指す。「投入堂」という不思議な名の付く建物を見せてくれるというのである。三朝町は世界遺産として登録したいらしい。その建物は恐ろしく高い山の洞窟の入口のようなところにあって、どうして人間が建てたのか首をひねりたくなる建物なのである。望遠鏡で見たが、建築家も結論が出せないらしい。「投入堂」の名の由来もこのあたりにある。驚くことに平安時代の建物だという。
夜は、貴賓室(?)での女将さんを交えての会食となった。御船さんはよく語って、かつ接待し、野口雨情の歌、岡野貞一の唱歌も歌った。強烈に記憶に焼きついたのは、父親の水死の話である。
「私が四歳の時、昭和八年の夏、父は三十八歳でした。海岸で学校の水泳訓練をしていた時に、配属将校であった友人が潮に流され溺れかかったのを父は助けようとして逆に溺れて亡くなったのです。その時、助けられた軍人さんは、自分は自力で泳ぎ、助けられたのではないと主張したらしいんです。軍人だったから体面が悪いと思ったのでしょうね。そのため父は、しばらくは殉職扱いにならなかったんです。でも、目撃者がいましたからね。結果的には殉職者となったんです」
人間性と言えばそれまでのことだが、配属将校と御船さんの父親では、天と地の差があると思った。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の登場人物、カンパネルラも水死するのであるが、賢治が御船さんの父親の死より二カ月後に亡くなっていることから、そのモデルにしたという指摘もあるが、その真偽よりも、人を助けるために亡くなった父親の死は厳粛なものがある。
木屋旅館の前、道を挟んでカンパネルラ館がある。アザリア会という宮沢賢治、河本緑石ら四人の詩のグループの大きな写真が飾ってあり、賢治の関係書籍や河本緑石の関係の遺品が置かれている。女将さんの藍染の作品も置かれている。美味しいコーヒーも飲む事が出来る。
夜の宴は、なごやかに続いたが、木屋旅館のラドン湯は格別であった。そして、宗教学者で、宮沢賢治と同じ花巻出身の山折哲雄の常宿になっていることも教えてもらった。山折哲雄は、宮沢賢治の研究者でもある。御船さんの父親は、学校の教師であったばかりではなく、絵や詩も書き、自由律の俳句を作った荻原井泉水との交流のあった文人であり、島根の名士であったのであろう。会食の中の話題に登場する人物は、鳥取県の政治家などもいて、身近な知人のような関係に聞こえてくる。古井喜実などという戦前の内務官僚から、政治家に転身し、田中内閣の日中国交正常化に一役かった人物が鳥取県の出身とあらためて知ることになった。
御船さんはイーハトーブの会から表彰を受けることになり、明後日には鳥取空港から花巻に飛び立つという。絶妙なタイミングでお会いできたと思う。部屋に帰り、友人との将棋は一勝一敗のさしわけとなった。決勝の一局をもう一度木屋旅館で対局するという手もあると思った。その時に、岡野貞一の生れた鳥取市に行っても良い。近年童話館ができたらしい。鳥取砂丘、白兎海岸にも足を伸ばせるかもしれない。
                       拙著『浜茄子』より


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Posted by okina-ogi at 19:54│Comments(0)日常・雑感
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