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2012年10月18日

103歳の作家(?)

老人ホームに居ながらにして執筆をしている人がいる。今日が103歳の誕生日である。明治42年10月18日の生まれである。陸奥新報に『銀の鎖』を連載している。既に連載の回数は100回を超えた。完結するのはまだ先で、いずれは出版ということにもなるかもしれない。原稿料もあるだろうから立派である。それよりも、この年にして、新聞に掲載される文書を書けるということがすごい。この人を拙著『白萩』と『侘助』に紹介したことがある。太宰治ゆかりの人で、生年も同じである。

「仲秋の津軽」から抜粋
近年、太宰の作品を読むようになったのは、20年来の知己である吉澤みつさんの影響が大きい。今年10月で100歳になられるが、太宰と同じ年であり、太宰とも少なからずご縁があり、太宰の死後も「桜桃忌」に参列し、太宰ゆかりの人々とも親交を続けてこられている。太宰に係る著述も書かれ、数少ない生き証人の一人である。100歳を前にして『ふたりだけの桜桃忌』という好著を出版された。吉澤さんは、弘前市に近い黒石市の出身である。著書の出版にあたり、取材の記者に語った
「昔若かった人も、今若い盛りの人も、これから生まれる人も、惻隠(そくいん)という優しさを持った太宰の深い思いを知ってほしい」
という太宰への鎮魂の想いと、太宰、吉澤さんを育てた津軽地方の風土に惹かれたのが、今回の旅の動機になっている。

「我もまた城崎にて」から抜粋
今年は、太宰治の生誕百年の年である。『二人だけの桜桃忌』の著者、吉澤みつさんは、太宰と同年の明治42年の生まれである。十月の誕生日が来れば、満百歳になる。ユーモアもあり、記憶力、思考力は衰えていない。吉澤さんのご主人が、太宰の最初の妻、小山初代の叔父にあたる。吉澤さんは、太宰に会ったのはただ一度だけである。玉川上水に山崎富栄に入水した一カ月ほど前のことで、文人の集まりの後、自宅に寄るようにという主人の託けのためだった。そのとき、今回は都合がつかないと断っているが、揉み手をして申し訳なさそうにしている太宰の姿が印象的だったと随想に書いている。
 太宰は、志賀直哉に対して反感を持っていたらしい。紀行風の小説『津軽』の中で、名ざしにはしなかったが、中央文壇の重鎮らしき作家は、志賀直哉とみて間違いないというのが文芸評論家達の定説となっている。志賀直哉も何かの座談会で、こちらは名指しで批判した。その内容は詳しく知らない。その後太宰も『如是我聞』で反論したが、決着や和解ということはなく、太宰は他界してしまう。
 『二人だけの桜桃忌』の著者、吉澤さんにこのあたりのことを話すと、志賀直哉は、太宰の品行を認められなかったのだろうという。しかし、太宰は書くことが好きだったし、晩年は、体を蝕まれ、命を削るようにして生きた作家だったと認めてあげたいともいう。また、何人もの女性と関係したことに触れると
 「女性にもてるのよ。相手が好きになってしまう。女たらしということではないのよ。だから、太宰は幸せ者です。美知子夫人は賢婦でした」
と言った。百歳の方の証言だから重く受け止めたい。


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