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2012年10月30日

もう一つの五稜郭(2012年10月)

 
 


 幕末、函館戦争の幕軍の拠点なった五稜郭が、日本にもう一つ存在することを、最近知った。しかも、群馬県の隣県である長野県の佐久市にある。灯台もと暗しに近い。職場の山岳愛好家のグループで、八ヶ岳の麓の清里に近い、飯盛山登山の話がもちあがり、その途中立ち寄ろうということになった。
 
 この日は、朝から雨になった。山登りは中止になった。佐久のパーキングエリアで作戦会議。「もう一つの五稜郭」に直行することに決した。佐久市臼田を目指す。地域医療で有名な、佐久総合病院に近い。規模は、函館より小さいが、堀がめぐらされ、石垣も見事に積まれている。石垣の上には桜が植えられていて、季節が春だったら花見の場所にもなるであろうことが容易に想像できた。
 
 大手門の入口近くに、彫刻がある。大給恒(おぎゅうゆずる)という人。この城を築城した人物である。城内を見学した後、資料館に立ち寄って分かったのだが、なかなかの人物なのである。松平乗謨(のりかた)という殿様で、愛知三河の徳川家と先祖を同じにする。「もう一つの五稜郭」の城主であり、城の名は、龍岡城という。
 資料館で購入した、『大給恒と赤十字』北野進著からどのような人物か概略を紹介する。一八三九年に江戸に生まれている。父親は、三河奥殿藩の藩主であったが、小藩であった。若い時から、学問を良くし、幕末には珍しくフランス語を学んだことが、幕府の中でその才能を認められることになった。函館の五稜郭もそうだが、城の様式は、フランスの城を元にしている。約三年半の工事に、四万両の費用がかかった。城としては、日本最後の城ということになるらしい。
 
 この城は、戦いのために使用されることはなく、今日では小学校の敷地になっている。田口小学校という鉄筋の建物が、現在建っている。校庭も広く、歴史的にも意味ある場所で学べる生徒は仕合わせである。大給恒は、江戸幕府の老中、陸軍総裁の要職を務めただけではなく、明治維新後は、枢密顧問官となり、伯爵になっている。殿様だったから、そのような身分になったということではなく、日本赤十字を佐野常民とともに設立した功績と、賞勲局総裁になった功労による。フランスの勲章を研究し、今日の叙勲に使用される勲章は彼の図案が元になっていると北野進氏の著書に書かれている。その後、小諸の懐古園で新そばを食べ、海野宿も訪ねることもできた。


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