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2012年11月26日

仕事について考える

仕事について考える
 生涯現役ということが理想だが、肉体と精神の衰えは必ず来る。どこで、現役を離れ、労働という場を去るかは、客観的な基準が必要だというのが、社会の常識になっている。定年退職年齢とか、年金開始受給年齢というのが目安になるが、実際はその人にとって、仕事ができる能力が心身ともにあるかということである。

政治家にも出処進退は自分で決めるということが良く言われる。もちろん選挙民から当選させてもらう審判があることが前提である。企業という組織で考えれば、自明なことがある。働くとは「傍を楽にすることである」という名言を教えてくれた人がいた。まさにそのとおりであって、いつまでも職場に固守することも、職場の士気を落とすことになる。鈴木大拙の言葉は、至言である。
 
「一人は米を食べる人、いま一人は米を作る人、食べる人は抽象的になり易く、作る人はいつも具体の事実に即して生きる。霊性は具体の事実にその糧を求めるのである。浄白衣では鍬はもてぬ、衣冠束帯では大地に寝起きするに適せぬ。鍬を持たず大地に寝起きせぬ人たちは、どうしても大地を知るものではない。大地を具体的に認得することができぬ。知っていると口でも言い、心でもそう思っているであろうが、それは抽象的で観念しかない。大地をそれが与えてくれる恵みの果実の上でのみ知っている人々は、まだ大地に親しまぬ人々である。大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めることである。ただ鍬の上げ下げでは、大地はその秘密を打ち明けてくれぬ。大地は言挙げせぬが、それに働きかける人が、その誠を尽くし、私心を離れて、みずからも大地になることができると、大地はその人を己がふところに抱き上げてくれる。大地はごまかしを嫌う。農夫の敦厚純朴は実に大地の気を受けているからである。古典の解釈にのみに没頭している人は、大地の恵みと米の味わいとを観念的に知っているだけである。絶対愛の霊性的直覚はかくの如き観念性の下地からは芽生えはせぬ」

 文化を生みだす労働とは耕すことができる人である。それが、できなくなったら、逍遙として日々を生きればよい。出処進退は、自ら判断することである。肩書きでは、人は、本来食べられない。


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