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2012年12月18日

米長邦雄さんの思い出

 日本将棋連盟の会長で、元名人の米長邦雄さんが亡くなった。69歳だった。長く前立腺癌を患っていたらしい。棋界にとって大きな存在であったことは、言うまでもない。こちらは、一米長フアンだが、一度くらいはお話しできる機会があればと思っていた。講演も数回聴き、テレビの将棋の解説など拝見しながら、人間性、その個性的な人生観に敬服していた。

 米長さんの棋力が、最高潮であったのは、30代だと思うが、王将戦、棋王戦、棋聖戦など数々のビックタイトルを獲得したが、名人戦に挑戦しても名人位を手にすることができなかった。とりわけ、中原誠名人が立ちはだかり、その悲願を実現できなかった。名人戦の最後の挑戦は、50歳の頃で、対戦相手も宿敵中原誠であった。結果は、4連勝だった。次の名人戦では、羽生善治に敗れ、世代交代を印象づけた。千代の富士が貴乃花に敗れ引退したような戦いでもあった。

 米長さんについては、若手棋士であった頃、数学者の岡潔に関心が強く、講演会を聴きに行ったらしい。しかし何かの手違いで、岡潔は講演会場に来られず、主催者は、困って、その時会場にいた米長さんに臨時の講師になってもらったという話で、毎年のように岡潔忌である春雨忌に参列しているが、誰からとなく米長さんのその話が出るので、なおさら米長さんを身近に感じるようになった。

 個人的に米長さんと、最接近したのは、前橋で開催された将棋の大会に出場して準優勝したことがあった。おかげで一万円以上する米長さんの署名入りの将棋の駒を賞品としていただいた。優勝者は、米長さんと2枚落ちの対局のプレゼントがあった。当時2、3段の棋力があったと思うので、勝てる可能性があったと思うと心残りとなった。

 この時、最初に講演があり、坂田三吉の話になり、あまりにも将棋に熱中し、貧しい暮らしに耐えられなくなった女房の小春が川に飛び込もうとする話だった。三吉のとった行動は?ひきとめようともせず、成行を冷静に見ていたというのである。三吉曰く「飛び込んだ時には、助ける」将棋は、忍耐が大切だというのである。賞品の駒入れの桐の箱にも「忍耐」と書いてあった。
 今年、正月の四日に、高崎駅に近いヤマダ電機の会場で、米長さんの講演があった。仕事の関係で行けなかったが、前日会場に行ったら米長さんの扇子があり、「惜福」と書いてあったものを買った。人生、勝利の女神がほほえんでくれる生き方の一つが「惜福」である。ご冥福をお祈りします。


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