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2012年12月27日

高梁という町(2012年12月)



 年の瀬の連休を利用して岡山の友人を訪ねることにした。学生時代の友人で、俳句と将棋が共通の趣味である。二年に一度くらいの間隔で会っているので、同窓会のように昔語りということもなく、近況を話す程度の仲になっている。駅まで、彼の友人のIさんが迎えに来てくれた。店を予約してくれていて御馳走になった。Iさんのおかげで彼もお酒が飲めて再会に話がはずんだ。
「わざわざ、遠方からいらっしゃいました」
と友人に代わって丁重な挨拶をいただいた。
「将棋友達で、年上ということもあり、認知症がないかという心配もあり、ときたま訪ねて確認することにしてます」
彼は、笑って酒を飲んでいる。
 冗談にも、少し言い過ぎだったのか、翌日の対戦は、五連敗。タイトル戦なら四連敗したところで終了である。昔、升田幸三が、大山康晴に王将戦で四連勝したことがあった。ルールで勝者が香車を引いて指すことになっていた。
「わしの方は、ホームじゃけん。お前は、アウェイだから仕方ない」
と慰めとも言えない一言だったが、五局とも完敗に近く返す言葉がなかった。

 帰路、友人の車で高梁市に案内してもらった。前回、訪問した時は、雪が降って実現しなかった。津山にある彼の家から高速道路を使うと、一時間半くらいで行けるので、帰宅する日に案内してくれることになった。高梁から、岡山空港まで一時間で行けるので、都合が良いというのである。
この日は、寒波到来で日本海側は、雪になっていたようだが、岡山県の内陸部から、瀬戸内海側は、すっきりと晴れていた。岡山県は、昔、美作国、備中国、備前国に分かれていた。津山は美作で、高梁は、備中であった。高梁は、古くからの城下町で、戦国時代に、備中高松城という山城が築かれ、現代もその形を留めている。城は、案内してもらえなかったが、市の歴史資料館で模型を見ることができた。
今回の高梁行きの目的は、新島襄の特別企画展が開催されているとの情報を得たからである。それも、二四日が最終日となっている。来年のNHKの大河ドラマは「八重の桜」である。新島夫人である新島八重を主人公にしたドラマである。そうした意識もあって、無理なお願いには違いないのだが、友人の好意に甘えることにしたのである。
幕末、高梁は、備中高松藩が統治し、藩主は、板倉勝静(かつきよ)であった。桑名藩主の子として生まれ、板倉氏の養子になった人物だから、寛政の改革で知られる楽翁こと松平定信の末裔ということになる。幕末、寺社奉行や老中などの要職につき、最後まで徳川家への忠義を貫いた。勝海舟とも親しく、時代が時代でなければ、名君とも言われても不思議ではない人物だったらしい。事実、儒者山田方谷を抜擢して、藩政の改革をやりとげている。上州、安中藩の板倉氏は、分家筋にあたり、藩士であった新島襄と高梁との接点ができる。
新島襄は、安中藩士であったが、江戸で生まれたために上州安中で過ごしたことは、ほとんどなかった。江戸の屋敷で籠の鳥のような生活をしていたという人もある。その新島襄が、藩の手配した船で高梁を訪れたことがあった。海外渡航を決行する前のことである。よほど、この経験が新鮮だったのであろう。新島の好奇心は、海外まで飛躍する。高梁滞在の様子が企画展で見られるかと思ったのである。けれども、企画展というのは誤報だったようで、歴史資料館には、新島襄から新島八重に対する長文の手紙が一点展示されていただけであった。近くには、留岡幸助、福西志計子といったキリスト教に影響を受け、社会福祉や、女子教育に身を投じた高梁出身の人物の資料も展示されていた。家に帰って調べてみると、新島襄は、帰国後、明治一三年に高梁を訪れ伝道をしている。今日、明治二七年に建てられたキリスト教会の建物が残っている。
歴史資料館の多くのスペースをとって展示されていたのは、戦国時代に築城された備中松山城の城主の変遷と山田方谷の紹介であった。茶人でもあり、庭園設計の名人であった小堀遠州の名前があった。山田方谷については、郷土資料館にも銅像があり、高梁の偉人という扱いになっている。司馬遼太郎が、越後長岡の家老であった、河井継之助を主人公として書いた『峠』で山田方谷に触れている。この人物の偉さを今は理解できていない。いずれ、その偉さが実感できたら、河井継之助のように、再度、高梁を訪ねてみようと思う。
国道四八四号線は、市街地に入る時、急峻な山の斜度を考え、近代的な道路設計により渦巻くような形の道路になっている。運転手も大変だが、帰路車も悲鳴を上げた。空港までなんとか走行できたが、帰宅して友人に連絡したら「入院」となったらしい。友人にも愛車にも大変世話になってしまった。坂道を昇りながら振り返った高梁市街の風景は、しっかりと脳裏に刻まれた。



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