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2012年12月27日

無常ということ

 こんなタイトルで小林秀雄が文章を書いている。古くから、日本の先人たちは無常感を持つ人が多かった。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」や「行く川の水は絶えずして、しかももとの水にはあらず。・・・」など昔習った、古典の一節は思いだしても無常ということを実感することはなかった。
 少し遅かったかもしれないが、五十近くから旅を意識し、紀行を書くようになった。拙著をさしあげた方から「昭和の芭蕉さん」などと言われたこともあったが、識(心の層)深さが違う。仏教の唯識に晩年関心を持った数学者の岡潔は、「芭蕉は14識」といっていたが、こちらは、9識も越えられないでいる。時間空間を超え、私心を捨て去るような生き方はできていない。
 岡潔は「物質はない」とも言っている。素粒子論をあげて説明している。自然科学を知り、物質的な恩恵を享受している現代人には、「物質はない」とは思えない。しかし、そう思わないと「消えざるもの」がわからない。「消えざるもの」とは「情」という、心の働きである。「心が響き合う」ということが何よりも尊い。無常が分からなければ、「情」の大切さも分からない。
 「無常」ということは、「無情」ということではない。常に同じ状態にないということだから、何も寂しいということでもない。一人旅をしても、寂しくはならない。心は、過去にも未来にも動いて留まることがない。旅先で出会う見知らぬ人と言葉を交わすと、懐かしささえ感じることがある。
 家族との団欒、母親の体内のように安心していられる教会のような場所も良いが、一人旅に身を置いて人生を考えてみるのも良いのでないだろうか。誰にも薦めるということはできないが、人生そのものが「李白」、「芭蕉」に言わせれば「逆旅」なのだから。


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