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2013年01月22日

曽野綾子さんのこと


 今から27年程前の話になる。曽野綾子さんの夫は、三浦朱門で、文化庁の長官になった作家である。昭和61年頃、朱門さんの母親が、私の勤務している特養に一年程入居されたことがある。ほとんど、日曜日のたびに夫妻は面会にこられ、自作の文庫本などいただき、お話する機会があった。著名人だという、意識はお二人から感じたことはない。いままで、関心がなかった両氏の本を読みたいと思うようになったのは、人柄と人間性が好きになったからである。
 作家という職業の人は、自伝的なものは、出さないと思っていたら曽野さんは80歳を機に出版した。タイトルがふるっている。『この世に恋して』曽野さんらしい書名だと思った。当時、お会いした時は、50歳を少し超えられた年齢だったことになる。白内障の手術をして、近眼が治ったと喜んでおられたことを思い出す。法人の広報誌に原稿を送ってくださった。また、編集後記に曽野さんのことを書かせていただいた。

フラワー・ポットの秋
 今、姑がお世話になっている「憩の園」の部屋のヴェランダに小さなフラワー・ポットがあって、私は最初から気になっていた。実は数年前から、私は花作りが好きになっていて、ワープロやコンピューターの入った書斎の窓辺で、蘭やベゴニアをかなりうまく育てている。だから、私は榛名の気候に合わせた花を植えて、植物の面倒見のいい姑に任せて帰ろうと思っていたのであった。
 しかし、姑はこのフラワー・ポットに関して大変優しかった。彼女は私のように、フラワー・ポットを掘っくり返して自分の好きな花を植えようなどと企まず、前その部屋に住んでいらした方が残された花を育てることに決めたらしい。
 私は東京から、乾燥した牛糞に化学肥料を少量混ぜたものを持って行って、時々ポットの土に混ぜるために置いて行った。しかし姑のやり方はもっと原始的だった。昔からそうだったが、食事に残したものを、こまめにちょこちょこと土に埋めて置くのである。堆肥というものは、ほんとうは発酵させてから埋めなければならないのだろうが、姑のは生ゴミに近いのだから、大丈夫だろうか、と心配したこともあったが、それが流儀なのだから、その通りにやるのがいいと思う。
 植物を育てることは、人間にとって自然な営みなのだと思う。私は土いじりと無縁な生活をしてきたが、数年前、眼の病気をして読み書きができなくなった時から畑に出るようになった。戦争を知っている世代だから、初めは野菜を作って満足していたが、だんだんと果樹や花まで植えて、畑仕事のいろはを覚えたのである。
 幼い子をみることと、植物を育てることは、老年には特に必要だと思う。姑の丹誠の甲斐あってかどうか前の方がお植えになった黄菊が、秋ひとしきり私たちの眼を楽しませてくれた。
曽野綾子(そのあやこ) 昭和6年東京生まれ。聖心女子大卒。作家

編集後記
眼は心の窓                   (昭和六十一年・春号)
 巻頭言は、作家の曽野綾子さんにお願いした。氏は、近年白内障の手術を受けられた。失明の窮地から一転、近視までも回復され、今はとても爽やかに物を見る眼をお持ちでいらっしゃる。眼は、作家にとって命ほどに大切なもの。氏は、この回復された眼を〝贈られた眼〟と感謝し、創作への意欲を燃やされている。三浦家では、ワープロが人気とみえて、原稿は夫君朱門氏と同様に愛用のそれの文字(?)で頂戴した。
理事長は、十年先を見て事業をするとよくいう。これは先見性という眼であろう。新マリヤ館の工事が始まり、恵泉園移築のための設計も終わり、工事開始を待つばかりとなった。これらの事業も、先を見る眼で構想されている。
また、〝眼は心の窓〟である。それゆえ、心は気高く、また慈しみ深くありたい。潤いをもたらす仕事はここから生れる。
(翁)=当時の私のペンネーム


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