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2013年03月18日

二つの天満宮(2013年3月)

 赤間神宮で開催された、三月一日夕刻からの岡潔三五年祭の翌日とその翌日と二つの天満宮を訪ねることになった。二つの天満宮とは、防府天満宮と太宰府天満宮である。この二つの天満宮に京都の北野天満宮を加え、三大天満宮と言っている。末社は、全国に一万二千あると言われている。菅原道真を祭っていることは、説明を要しないが、その前に、下関にある赤間神宮について触れたいと思う。
 赤間神宮は、安徳天皇、平家の武者ゆかりの神社である。神社の目の前が壇ノ浦である。明治以前、阿弥陀寺であったが、赤間宮という神社になった。その二代目の宮司が、白石正一郎である。幕末の下関の商人であったが、国学を学び、勤王思想の人で、多くの幕末の志士を援助した。最たるものは、高杉晋作の創設した奇兵隊への資金援助である。築きあげてきた財産のほとんど公に費やし、自身は明治政府に出仕することもなく、政商ともならずこの神社の宮司として六九歳の人生を終えている。明治一三年のことである。時が経つうちに名前も忘れられていたが、白石正一郎を顕彰する気運が起こり、その人となりを世に広めたのは、司馬遼太郎である。かつては、白石邸までは、船で出入りができたというが、今日では幹線道路が走り、屋敷跡に碑が残っているだけである。
防府天満宮に案内してくれたのは、昨夜の岡潔の三五年祭を主宰した青田禰宜で、赤間神宮に奉職したことのある一木さんが出迎え約二時間近く案内してくださった。防府天満宮には、一度訪ねたことがあったが、拝殿をお参りしただけだった。
春風楼という建物があって、防府市街を一望できる。この場所に五重の塔を建てる計画があったが、資金が集まらず竣工には至らなかった。基礎は、五重の塔の物になっている。拝殿の後ろには天神山があり、その麓には多くの梅が植えられ、白梅、紅梅、さまざまな色の花をつけていた。天満宮には梅がふさわしい。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」
最後は、広々とした和室でお茶をいただき、防府天満宮の祭事のアルバムを見せていただき説明を受けた。とりわけ、十一月に開催される裸坊祭は勇壮で、重い御綱代(あおじろ)をかつぎ、階段を上り降りするので、怪我人が絶えないという。
防府天満宮の創建は九〇四年とされる。最も古い天神様である。そのあたりのことを一木さんが話してくれた。道真は、大宰府に流される途中、この地に立ち寄っている。親せき筋にあたる土師氏が所領だったからである。道真はこの地から離れたくなかったが、九州が左遷として決められていた。防府は、京の都と陸続きであり、九州に渡ってしまえば、二度と都には帰れないと思った。死んだら霊となってこの地に戻ってくると言い残してこの地を去ったという。
 防府天満宮には、松崎天神縁起絵巻が保存されており、第六巻に菅原道真の霊験が描かれている。重要文化財である。防府天満宮は、松崎天満宮とも言った。宮内にある歴史館には、幕末の長州藩士が紹介されているが、楫取素彦の名を目にした。初代の群馬県知事である。吉田松陰の妹と結婚し、幕末の政争を生き抜き、今も群馬県民から慕われる人物で、男爵ともなり明治天皇の信任も厚かった。防府の人だったのである。八六歳の長命であった。
 
もうひとりの人物は、長州藩士ではないが、野村望東尼である。歌人であり、高杉晋作の看とりをした人である。彼女の終焉の地は防府だったのである。夫を亡くし、剃髪して尼となっても、維新の思想を捨てなかった女性である。天満宮の敷地内に、像と歌碑があった。福岡の人で、望東尼が庵としていた平尾山荘を訪ねたことがあった。
 あずさゆみ引く数ならぬ身ながらも
         思いいる矢はただに一筋
 太宰府訪問はこれで何度目になるのだろうか。三月三日は、日曜日となった。この日の福岡は、人人という感じである。福岡ヤフードームではWBC(ワールド・ベイスボール・クラシック)の試合があり、そのためか、市内に宿がとれなかった。朝、下関を経ち、博多駅に着くと、行列ができている。野球の当日券を求めて並んでいるのかと思ったら、宝くじの売り出しのようだ。
西鉄の天神駅で友人と待ち合わせして、太宰府に向かう。天神駅といい、昨日は、防府天満宮を訪ね、これから、太宰府天満宮を訪ねるとなれば、まるで菅原道真のおっかけである。十一時から「曲水の宴」の受付に間に合うようにと思っていたが、隣接する九州国立博物館で「ボストン美術展」が開催されており、そちらを優先することにした。「曲水の宴」は、王義之の蘭亭の宴の余韻もあり、今回は見てみたいと思っていたのだが、東京開催を見逃してしまった「ボストン美術展」をじっくり見ようということになった。友人の希望も一致している。
幕末から明治と移る中、廃仏毀釈という不幸な歴史があって、多くの仏像、仏画、日本画、絵巻などが海外に流失した。フェノロサ、岡倉天心が価値ある物を、ボストン美術館に所蔵させたことは、日本人にとって感謝すべきことと考えて良い。一部の蒐集家により、所有されれば、今回のように里がえりして、平成の日本人に鑑賞する機会ができなかった。
この企画展の中でメインとなっている作品は、どれも一級品であり人それぞれ違っていて良いのだが、曽我蕭白の作品群としたい。江戸時代の画家であるが、個性的で日本でしばらく見られないと思えば、多くの鑑賞の時間を彼の絵に割かざるを得なかった。
九州国立博物館からエスカレータで太宰府天満宮に降り立つことができる。近代と古代を結ぶトンネルのようで、発想が良い。梅が満開である。防府よりこちらの方が一足早い春という感じである。「曲水の宴」を横目に見て天満宮は通り過ぎるだけになった。
蘭亭序 小川は清く 梅の花
理屈っぽい句になった。曲水の宴を詠んだつもりである。
 天神様は、まだまだ日本人に愛されていると思った。日本人は悲運な人への同情心が強い。遠いご先祖を担当するのが神道、近いご先祖を担当するのが仏教と言った僧侶がいた。日本の神々は言葉で表現しにくいが、社殿の前では身を清め、ぬかずく気持ちで参拝したい。拝礼は問題ないが、柏手が上手くいかない。今回は直接、友人の神主さんから御教示いただき、様になる音が出るようになった。


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