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2013年04月14日

湯浅家の人々

  
湯浅家の人々

 安中市は、新島襄とゆかりのある町である。新島襄が安中藩士だったからである。新島襄の伝道により、キリスト教信者となる人々が多く出て、今も安中教会を拠点に信仰生活を送っている。とりわけ、熱心な信者として、新島襄の同志社の基礎作りに貢献した人物がいる。湯浅治郎という。実業家であり、政治家であった人で、その末裔が今も安中市に有田屋という醤油醸造業を営んでいる。湯浅治郎は子だくさんで、二人の妻に10数人の子供をもうけている。最初の妻の中に湯浅一郎という画家がいる。次男の湯浅三郎が有田屋を継いだ。後妻の子に湯浅八郎がいる。母親は、徳富蘇峰、蘆花の姉である。同志社大学の総長、国際キリスト教大学の初代総長となった人である。
 湯浅八郎氏とは、最晩年にお会いし、講演を聴くことができた。90歳近かったが細身で小柄な体から信じられない程の情熱と理想がほとばしる話に感動した記憶が残っている。その模様を記事にしたものがあるが、どこかにしまい忘れている。見つかったら、御紹介したいと考えている。
 先に紹介した有田屋の3代目の当主は、湯浅正次さんと言って安中市長をされていた。平成2年に市長室で取材をさせていただいた。穏和な方で、心良く取材に応じてくれた。「八重の桜」が放映されている今日、湯浅家の人々が脳裏に浮かんできた。
 取材記事の一部から、湯浅家と安中市を垣間見ていただきたい。

「首長に聴く」    安中市 湯浅正次市長  平成元年12月
 近隣市町村の首長を訪ねるのも今回が最後。12月25日クリスマスの日、湯浅安中市長に聴いた。
 湯浅市政になって久しい。湯浅家といえば、名門である。明治の政治家湯浅治郎は、湯浅市長の祖父にあたり、国際キリスト教大学初代総長の湯浅八郎、画家の湯浅一郎はおじになる。自身も醤油醸造の老舗有田屋の当主である。そうした血筋の良さと、新島襄が安中に蒔いたキリスト教に深い理解を持つクリスチャンとしての人格に、市民の信望が厚い。
 安中市は、人口約4万6千人。中山道の杉並木で名高いように、古くから宿場町であったが、江戸時代は城下町でもあった。徳川末期に、藩主板倉勝明が出て、おおいに文武を振興したために、明治に入り文教の町となる基礎が築かれた。新島学園は、キリスト教主義による教育を進めている。湯浅市長は、良き理解者と聞く。安中教会は、大正期に建てられたが、海老名弾正や柏木義円といった人たちが熱心に伝道を行った。また文化人としては大手拓次が有名である。現在では、画壇では小林良曹氏、北村真氏、俳壇では堀口星眠氏といった人々の名が聞こえてくる。・・・・・・・以下略


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Posted by okina-ogi at 06:40│Comments(0)日常・雑感
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