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2013年04月15日

『群馬のキリスト者たち』

『群馬のキリスト者たち』 山下智子編著 聖公会出版 1800円+税
 『群馬のキリスト者たち』

 4月12日の山下氏の講演の後購入。著者がサインしてくれた。名前の他に「平和愛好の聖徒」の文字を書き入れた。その聖徒とは、新島襄、内村鑑三、湯浅治郎、柏木義円、深澤利重、不破唯次郎、周再賜、山村暮鳥、コンウォール・リーである。新島襄、内村鑑三は、上毛カルタに取り上げられている人物。明治、大正期の代表的なキリスト者である。「平和の使い新島襄」と「心の灯台内村鑑三」は、逆であっても良いのではというコメントがあったが、言われてみればそうである。良心を強調したのは新島襄であり、内村鑑三は、非戦論で知られているからである。しかし、このように上毛カルタに表現された背景には須田清基という牧師の願いがあった。柏木義円から洗礼を受け、良心的兵役拒否をした人である。
  写真がたくさん載っていて、明治、大正、昭和の群馬でのキリスト教の歩みを知ることができる。「平和愛好の聖徒」のうち湯浅治郎、柏木義円、周再賜に関心を寄せた。3人に共通するのは、地に足が着いているという表現が適当かわからないが、そんな感じがした。湯浅治郎についてだけ紹介すると、新島襄の死後、同志社は、財政的な危機があった。湯浅は、国会議員をやめ、無給で同志社の運営に関わった。その間、稼業は息子に譲り、息子の仕送りと株とで過ごしたという。つまり、息子にただ家督を譲ったのではなく、買い取らせたのである。妻の甥にあたる蘇峰には援助もしている。高い理想をかかげ、それを実現させる情熱を形に、継続させる資質が湯浅治郎にはあった。山本覚馬という存在もそうであるように、同志社は、新島だけの功績というわけではない。しかし、こうした人材を引き付ける新島襄の人そのものは、かけがえのないものであったことは否定できない。


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Posted by okina-ogi at 12:07│Comments(0)書評
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