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2013年04月22日

『春の雲』後藤静香生地、竹田市への旅

後藤静香生地、竹田市への旅
 後藤静香(ごとうせいこう)は、明治十七年に大分県竹田市の近く大野郡中井田村(現在は大野町)に生まれた。後藤家は代々庄屋として広い土地を所有していた。静香の父親成美(なるみ)は、岡藩の禄二〇〇石の武家から養子にきた人である。後藤静香は、東京高等師範を卒業後、長崎高等女学校などに赴任し、蓮沼門三の創設した修養団の運動に参加した後、社会教育団体希望社を創設した。昭和の初期には、社友百万人を超えたともいわれる全国的組織に発展し、その中から多くの有為の人材が生まれた。静香の思想は、青年時代に影響を受けたキリスト教の素地の上に、静香独自の感性により、孔子や洪自誠の『菜根譚』の思想もとりいれながら、静香自身の言葉で綴られた、『権威』によって表わされている。詩とも言えず、教訓集とも言えない文章であるが、不思議と人を引き付けるものがある。静香自身は、思想家という以上に実践家であった。それ以上に人格的な魅力に富んだ人物であった。社会教育団体「心の家」は、後藤静香に触れ、かつその思想を深く学び続けている人々の集まりである。会員の高齢化が進み、全国組織から地方組織に移行したが、静香の死後三〇数年継続されていることは特筆できる。
 『春の雲』後藤静香生地、竹田市への旅
 社会教育団体「心の家」の代表理事をされていたのが、弁護士の磯崎良誉氏である。磯崎先生は、明治生まれで九十歳に近い高齢である。
「『新生』(社会福祉法人の広報誌)の増刊で、後藤静香の思想を発行したいのですが、その前に是非後藤静香の生地を訪ねてみたいのです」と話すと、
「春暖かくなったら一緒におともしましょう」
ということになった。静香生地には、昭和三十三年に碑が建てられ、近くにその碑を守るように、宮地公一さんという方が住んでいて、磯崎先生は、こまめに連絡をとって、手紙で何度か旅のスケジュールを書き送ってくださった。高齢の大先生におともしてもらうのは話が全く逆である。自分ひとりでと思っていたのが、意外な展開になってしまった。今度は、こちらが同行者を心配することになったが、その心配は、旅先で杞憂であったことを知らされた。
 磯崎先生は、東京文京区に在住で、羽田空港で待ち合わせすることになった。空港ロビーに小柄な先生が現れた。たった一人、家族の見送りはない。時々榛名山の麓にある別荘に送ることがあるが、何時もひとりである。食料も買って自分で料理して食べる。何事も自分でできることは自分でする。磯崎先生に限らず、後藤静香門下の人にはこういう人が多い。静香の思想とは無関係ではない。後藤静香は、生活についてのこまごまとしたことを述べていて、「住まいの中で一番大事にしたいところは寝室である」という見解には同感である。
 羽田空港から大分空港までは、二時間もかからない。大分空港は、国東半島の一角にあって、大分市まではかなりの距離である。バスで別府駅まで一時間以上かかった。法律の話から、文学、特に短歌、もちろん後藤静香についてと磯崎先生との話に飽きることはなかった。別府駅から竹田駅までのJRの車内もいろいろお話できて、車窓からの風景はあまり記憶に残っていない。
 豊後竹田は、山あいの小さな町だが、市街地をくねるようにして大野川が流れている。観光都市ではあるが、大きなホテルは岩城屋ホテル一軒である。磯崎先生は、静香生誕の地を訪ねる時の常宿としているとのこと。夕暮れにはまだ時間があるので、市内を散策することにした。
「私が案内しましょう」
私とは、米寿を過ぎた弁護士先生のことである。岡城址までいくつもりである。ホテルからは地図で見ると数キロはある。タクシーを頼んで行ったほうがと言いかける前に先生は歩き出してしまった。途中、子供に行き先を確かめたりして先導役に徹している。大分行きを話したとき「私がご案内しましょう」ということが現実になってしまった。明治の人の健脚にただ脱帽、ただ唖然。
 『春の雲』後藤静香生地、竹田市への旅
 「荒城の月」、「花」などの作曲で知られる滝廉太郎は、竹田市の生まれである。生家が記念館として残されている。滝廉太郎の生涯は三〇年に満たないが、不滅の名作を残した。滝家からは建築家も出ている。廉太郎の叔父で、滝大吉という。明治の建築史に名前が出てくる人物である。
 荒城の君旧宅に初音きく
鶯の鳴き方は、春浅くまだ上手くない。やがて、聞き惚れるほどの美声に変わるのも時間の問題である。荒城の君とは廉太郎のことだが、荒城とはこれから訪ねようとしている岡城址のことである。「荒城の月」の作詞は土井晩翠で仙台の人である。伊達政宗がかつて君臨した青葉城をイメージして晩翠は、詞を作ったのかもしれない。二人は、生涯直接顔を合わせることはなかった。
 『春の雲』後藤静香生地、竹田市への旅
 岡城址は典型的な山城である。歴史は古く一一八五年に緒方三郎惟栄(これよし)という人物が源義経を迎えるために築城したという伝承があるほどに歴史は古い。その後中川氏によって明治まで城郭を維持してきたが、明治政府の方針で明治四年にとり壊された。滝廉太郎の見た岡城は既に廃墟、まさに荒城であった。廃藩置県、版籍奉還によって武士の社会は崩壊した。武士社会の象徴である城も内乱の元だとして解体したのだろうが、文化的遺産と考えれば誠に損失ではあった、城内には、桜が多く植えられていたが、まだ開花には早かった。竹田市内から岡城址までは山道で、城址公園の受付からはかなり急な石段であった。明治の人は、もちろん同行した。二の丸があったところに滝廉太郎の像があり、記念写真を撮る。高い石垣の下は地獄谷、清水谷の深い谷になっている。反対側は、白滝川が断崖の下を流れている。まさに、外敵からは難攻不落の城を想わせる。
 糸桜偲ぶ横笛山城に
帰路、広瀬神社の前を通る。石段が高い。時間的にも遅くなっていたし、この階段を上りましょうとは言えない。明治の軍神広瀬中佐を祀っている。広瀬中佐は竹田の出身である。戦死する前に、故郷を訪れ講演している。後藤静香十七歳の時にあたる明治三十五年のことで、もしかすると軍神の肉声を聞いているのかもしれない。
 岩城屋ホテルからタクシーで大野町に向かう。地理的には、竹田市から別府方面に十数キロ戻ることになる。運転手に行き先を告げてあるが、行けども行けども山の道という感じで少し不安になった頃、宮地さんのバイクが目に留まった。宮地さんの案内で「権威の碑」のある後藤静香の生地を踏むことができた。杉山が迫り、竹薮も近い。立派な石碑に後藤静香の権威の一節、「民族の素質」が刻まれていた。桜が少し咲いていて、昨日より鶯が上手に鳴いた。遠来の客をもてなしてくれたのだろう。
 後藤家の墓地にも行く。大変な山道で雑木林の奥にあった。墓石は有田焼の陶器が表面を覆い、紺色の見事な墓だった。墓石も多く後藤家が庄屋として長く続いてきたことを物語っていた。磯崎先生は、静香の生地の近くに小さな池がないかとしきりに宮地さんに尋ねていた。磯崎先生は、「心の家」の代表理事ばかりでなく機関紙「希望だより」を発行していた。旅から帰りしばらくして、新たに東京近辺の静香ゆかりの人たちの集まり、東京清交会の代表になり、機関紙「波紋」を創刊した。静香が幼いときに見た原風景を見ようと思ったのである。ここまで想いを深め、想像力をもたねば恩師の思想に近づけないものかと敬服した。私を高齢にもかかわらず、九州まで案内してくださったのも、身をもって後藤静香の思想を伝えようとされたのだとしか思えない。このことは、ご本人には聞けない。謙虚な先生のことだから、笑って
 「そんなことはありませんよ」
と答えるに違いない。
  宮地公一さん宅で、大野町で特別養護老人ホーム偕生園を運営している山中博文理事長に会う。郷土の生んだ偉人後藤静香を敬愛する一人で、隣町の緒方町の町長は、山中さんの息子さんである。かつて日本一若い町長とマスコミに取り上げられたことがあったらしい。アイデアマンで、町の真ん中を川が流れていて、規模は小さいながらナイアガラの滝を想わせる場所がある。その場所に物産展やイベント広場を作り、その周囲の土地に一面チューリップを植えて観光客を集めている。町長さんには会えなかった。
 
 『春の雲』後藤静香生地、竹田市への旅山中さんの友人で、故人となったが吉田嗣義という特別養護老人ホーム任運荘を運営し、「オムツ随時交換」で全国的に名を知られ、毎日社会福祉顕彰を受章した人がいた。下村湖人に学び、後藤静香門下で日本点字図書館の専務理事をしていた加藤善徳(故人)と親交があった人物である。良寛さんを尊敬した人で任運荘の名の由来は「任運騰々」からとった。老人福祉事業界では論客で著名な人だった。宮地さんに遺稿「任運騰々」をいただいたが、こんなところで吉田氏のことを聞くとは思わなかった。この旅では、宮地さんと山中さんに大変お世話になってしまった。お昼をごちそうになったり、駅まで送ってもらったり、老人施設も案内してもらった。
 その日の夕方、別府港から関西汽船の大型フェリーに乗って大阪港まで行く。一等室で夕食つきでしかも交通費も含まれていることを考えると安いものである。これも磯崎先生のアドバイスによる。時間があれば船も良い。


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