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2013年05月20日

『夏の海』(拙著)旅路の涯(後記に変えて)

旅路の涯(後記に変えて)
紀行としての文ではない。過日見た夢を書き留めたいと思って綴っている。しばらくの間心に留まっていて、なんとも不思議な夢であった。
旅に病んで夢は枯野を駆け巡る
芭蕉の辞世の句である。芭蕉の終焉の地は、今日の大阪市の御堂筋のあたりである。齢五十ほどの生涯であった。旅を人生としてきた芭蕉にふさわしい句である。
 奥の細道紀行の同伴者は弟子の曾良であった。奥の細道は紀行文として傑出している。行く先々で名句が綴られ、その凝縮された精神性の高さは、今日にあっても追従を許さない。現代に伝えられている奥の細道は「曾良本」などの写本で、芭蕉自筆のものは残っていないとされてきた。ところが、近年になって、自筆と思われるものが発見され、岩波書店から出版された。
 和紙が貼り付けられ校正されていることがわかる。句にしても芭蕉は、推敲を重ねている。草書体の文字は、几帳面に書かれている。書は人を表わすというが、芭蕉の人物の一面が伝わってくるようである。
 旅の終わりに近い金沢の地で、芭蕉は曾良と別れる。那谷寺に立ち寄り
  石山の石より白し秋の風
の句を残した後、温泉につかり、曾良が腹痛を起こしたため、伊勢の長島をめざして芭蕉との同行を断念することになる。
 このときの曾良の句は、師に劣るものではない。
  ゆきゆきてたふれ伏共萩の原
旅に死すとも後悔はない。萩の花に迎えられて人生の終わりを迎えることは嬉しい。曾良は、師と同行した旅を、おそらく我が人生最大の至福の時間であったことを表現したのであろう。
 「行き行きてまた行き行く」そんな漢詩があった。芭蕉も漢詩に素養があった。曾良にもその影響があったのであろうか。
 
 夢の描写前に、心理学について触れる。
 夢を心理学の研究の題材とした人物がいる。フロイトである。オーストリアの人でユダヤ人である。精神分析学派に属し、ユングやアドラーという人々も彼に影響を受けている。彼らは無意識の世界に関心を寄せた。夢は無意識の世界と深いつながりをもっていると考えた。
 臨床という言葉がある。これは別に心理学の用語ではないが、臨床心理学という分野がある。心を患っている人と向き合ったところに研究の場がある。フロイトも多くのクライエントに接してきた。そうした経験の中で、彼らが意識していない感情(無意識)の中に心的病根があることを確信するようになったのである。心理学史では、二人称の心理学と呼んでいる。
 心理学史に最初に登場するのは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスである。彼の著書に『デマニア』がある。私が私の心を考えるということで、一人称の心理学と呼んでいる。
 三人称の心理学は、自然科学に影響を受けたドイツの心理学者であるブントが始めた実験心理学の流れである。ロシアのパブロフや、アメリカのワトソンらの行動心理学もこの流れの中にある。心も科学できるものであれば誰にでも説明できるものでなければならない。ある刺激にはある反応が生じる。そのように説明しようとしたが、人間の場合それほど単純なものではない。長い人生の中で人は、その人独自の記憶を無意識の中に押しやっていることがある。夢というものはそういうことと無関係でないというのである。
 
夢の話に戻る。
峠に向けて、一人の老人が杖をつきつつ歩いて行く。道の傍らには薄があって、夕陽を受けて秋風に揺れている。
日は暮れてゆき、あたりはすっかり暗くなった。それでも老人は一歩一歩峠をめざし登っていく。切りとおしの山道で、両側には崖が迫っている。この先に、宿屋があるかは定かではない。少し山道の傾斜が緩やかになったとき、谷を抜け視野が広がる。
そこには、さきほどの暗闇の世界から一転して眩いばかりの光景が開けていた。遠山がある。それは驚くほどに高峰であり、山肌には白く雪をたたえていて陽に照らされている。しかし、遠方にありながら、地球上にはありえないほどの高山であり、眼前に迫って圧倒される。
不思議なことに、昼の風景のようであるが、やはり夜である。というよりは、大気の無い月世界に立った人が見るような風景に似ている。
高山の背後の空は暗く、星が澄んで輝いている。そして、その輝く星の中を月のような天体が横に移動していく。そのとき、夢見る人は畏れに近い気分のうちに目覚めた。

果たしてこの夢は何を意味しているのだろうか。数週間も残像現象のように消え去らないでいる。いくつか思い当たることがある。
映画「モーセの十戒」で見たシナイ山のこと。薬師寺にある平山郁夫画伯の描いたパミール高原(画題は須弥山であった)のこと。長野県で見た穂高の山並みのことなど。山岳信仰というのがあるが、人々の高山に対する畏敬の念がわかるような気がした。
かつて建造物であったが、ウイーン市街で見たステファン大寺院の天に届けというばかりの姿も思い浮かべている。凍てつくような寒い朝、どんより曇った日に見たゴシック建築の教会にも畏れというものを感じたことがある。
ただ、過日見たこの夢の老人はまさしく芭蕉翁ではなかったかと思うのである。横に動く月を見たとき
月ぞ導べこなたにいらせ旅の宿
この道や行く人もなく秋の風
の句がすぐに浮かんだ。
そして、老人(芭蕉)の行く先には、囲炉裏のある宿が灯りをともして存在していたであろうことを、夢の先のこととして疑わない。
人はやはりおおいなるものの中に抱かれて生きているとしか思えないのである。この夢はそのことを暗示していたのではなかろうか。

   『夏の海』  2002年12月発行(非売品)


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