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2013年05月26日

『福祉を廻る識者の声』7(前原勝樹)

頭の若さが寿命の根源             前原勝樹
 この上欄の題字「新生」は、約五十年前私が書いたものである。私は既に八十歳を超えているが、理事長原正男君にはじめて巡り合った時は私が三十歳、原君は二十代の青年であった。
 私が結核専門医として開業し、自然療法即ち大気安静栄養で肺病は治る、と旗をあげた時、仲間の医者や県の役人から反撃を受けた。その時勇敢にも援軍として現れたのが、実に青年原正男君であった。君曰く「僕は自然療法で肺病を治した体験者である。先生一緒に戦いましょう」と申し出たのである。
 私は勇気百倍して自然療法の普及やその実験場である療養所の開設に挺身した。そしてその機関紙として生まれたのが、実にこの「新生」である。
 そこで原君の案内で北関東一帯へ実地指導にのり出し、先ず私が桐生ヶ丘療養所をつくり、ついで原君が榛名荘を創立したのである。私は兵隊にとられるまで毎月一、二回榛名荘に往診し、帰りはいつも終列車になった。
 終戦後榛名荘も私の桐生ヶ丘療養所も大いに繁昌したが、ストマイの発見等で患者は激減し、お互いに危機に瀕した。私は精神病院に転向を企てて失敗したが、原君は老人ホームに着眼して今日の大榛名荘の基を作り、民間福祉施設として天下に名を派するに至った。
 思うに原君は、信念と努力の人であり、当時不治の病とされた結核を医者と決別し、独自で治したその信念、これが同君に不屈不動の根性を与えたのである。
 私はその後ロータリーやユネスコという民間国際団体に専念し、いずれも最高の役職まで昇ったが、既に八十歳を超えたので、残念ながら下り坂になっている。しかし、原君と一緒に当時の医学界に反逆して自然療法を唱えた、その反骨はまだ残っている。
 寿命は肉体には関係なく精神にありと信じている。それに他人(ヒト)に遭うことが、その精神の若返り方の最たるものと信じ、日本中、世界中をわたり歩いている。
 
前原勝樹(まえはらかつき)。前原医院院長。              (昭和五十九年・秋号)


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