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2013年06月21日

『福祉を廻る識者の声』39(川渕直樹)

作品という織物                川渕直樹
昨秋からジョージが丘ホールに拙作の深鉢花器が置かれている。この度本誌から原稿の依頼があったのもこのご縁からかと思う。となると、作家自身が自作について何がしか語るのが義務というものだ。しかし、これが存外むつかしい。
自分というものを当の本人が一番よく知っているかというと、案外そうでもない。作家が自作を最も理解していると考えるのも大変な錯誤だ。私のように土をいじりながら形が私に訪れるのを待ち受けるような態度で仕事をしている者にとってはなおさらである。現われた作品を目前にして、はじめてこれが欲している形なのだと気付く。何処からその形がやって来たのか、何故それを欲したのか、理由はどうにでもつけられるが、本当の根拠など何処を尋ねても見当たらない。その形が私を訪れ、それを私が欲していると直観しただけのことだ。
作品に作家の考えや表現されているとするのも幻想にすぎぬ。あったにせよ、作品の存在とは無関係だ。何百年の時間尺度で考えれば当然のことだ。昔祈りながら刻まれた仏像が、今では美術品である。貴人の便器が水差しとなって茶席に登る。場所が変わるだけで同様な事態が起こる。タイヤの溝のデッサンがアラビア文字でアラーと読める。アラーの民が怒り出す。誰かがそれに意味を見出すのでない限り、形は単なるささやかな事実にすぎない。
私は私でしかありえないが、私が私だと思っている自己は私以外でありうる。私もまた形同様、いまそこにそのようにある事実にすぎない。形という事実が何処からか訪れるのを待ち受けるとは、すなわちそれを忘れることであり、訪れ来た形を是としている私という事実が、他ならぬ私なのである。私は形と同時に私を、あるいは私と同時に形を見出す。訪れ来た形という事実、それを是とする私という事実、その事実の織りなす織物が作家にとっての作品に他ならない。

川渕直樹(かわぶちなおき)。一九四六年奈良県生まれ。和光大学芸術学科卒。作陶家。京都府在住。南蛮風焼締陶を焼く。                           (平成五年・冬号)


経済至上主義                (平成五年・冬号)
 少し日本経済の雲行きがおかしい。ほとんどの企業が不景気だといっている。実際大半の企業が赤字や減益となっている。その結果、求人が減り、就職戦線は〝買い手市場〟へと移った。福祉系の大学でも一般企業へ就職する学生が多かったが、希望がかなわず、福祉に進む人も出てくるだろうという大学就職課の話。
 日本の農業も〝米の自由化〟の黒船に開国を迫られたり、後継者が育たず苦難な時代が続いている。昼休み、新生会の周辺を散歩していたら、梅を剪定する老人がいた。見事な技術と感心して、聞けば梅の木の所有者ではない。
 昔、北アフリカの地中海の沿岸にカルタゴという通商国家があった。経済至上主義がために滅亡したともいえるが、福祉(心)や農業(自然)を忘れる国の基盤は弱い。(翁)


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