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2013年06月27日

『福祉を廻る識者の声』46(藤本敏夫)

刑務所体験は幸か不幸か            藤本敏夫
 二十五年前、学生運動は過激であった。運動の前線に位置していた僕は三年八カ月の実刑判決で、栃木県の黒羽刑務所に収容された。
 世間的な常識に沿えば、刑務所に収容されたということは恥ずべきことであり、本人にとっても一日も早く忘れ去るべき忌わしい出来事なのだろうが、僕にとってこの収容生活はとても大切な価値ある体験であった。まず何より健康になった。
 起床は毎朝六時半で夜七時には就寝可という素晴らしさだ。生活はあくまでも規則正しく、三度の食事も定刻に配食される。食事の内容も完全な健康食で、麦飯と野菜を中心とした簡素な副食。勿論、酒、煙草は駄目でショートケーキや大福が鱈腹食べられる訳がない。更に与えられた仕事は「構内清掃衛生夫土工」という役名の肉体労働であったから、これで健康にならない方がおかしい。
 お蔭様で出所時は五十四キロの軽量ながら、五体の隅々まで気力溢れるしなやかな体に仕上がった。そして、体力だけではなく、「固定観念」をはずし、物事を決めつけて見ない柔らかな思考性、前頭葉の柔軟さの素晴らしさを教わった。刑務所で「つっぱってる」と疲れるし、第一無駄だ。
 今までにない別の角度から見れば、懲役者達の立場や過去が、そして今の心が理解できる気がするし、その気持との関係で自分がほのかに見えてきたりもする。確かに刑務所生活は辛くはあったが自己能力の啓発を導く原点回帰の経験であった。
 プラスとマイナスは表裏一体であり、見る立場でそれはどちらにでも表現される。本来、プラスとマイナスとはそういう関係のものだと思う。マイナスはマイナスのみで終わることはない。マイナスをプラスにするものは、万物の生々化育の中で自らも変化しているという「流れ」の自覚であろうと思われる。生命とは流れであって固定ではない。「流れ」の立場より見れば、今の不幸は必ずや幸福に転化する。刑務所に入ったらそのことがよく分かる。

 藤本敏夫(ふじもととしお)。一九四四年生まれ。同志社大中退。一九六八年全学連委員長。七一年下獄。出所後、大地を守る会会長を経て「自然王国」代表。          (平成六年・秋号)


刑務所体験                 (平成六年・秋号)
一九六〇年代は、学生運動が盛んで、若者が政治に深く関心を寄せた時代であった。日本経済の高度成長時代と重なり、物質的繁栄とは逆に、「人間疎外」ということばがよく使われた。藤本敏夫さんは、そんな時代の学生運動のリーダーである。
歌手の加藤登紀子さんとの獄中結婚は有名で、政治犯として四年近くの刑務所生活を経験した。昨年、榛名湖畔で藤本さんの講演を聴き、その夜〝ゆうすげ元湯〟の一室でお会いしたとき、お酒が入った勢いも手伝って、「ひとり寝の子守唄は獄中の藤本さんのことを想って加藤さんは作られたんでしょうね」と尋ねられたら「それは女房に聞いてくれ」と苦笑混じりの答えが返ってきた。
 結核体験を見事に生かして、榛名荘と新生会の事業を発展させた原理事長のように、藤本さんは刑務所体験をマイナス体験にしなかった。
 「全てのことあい働きて益となる」(翁)


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