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2013年07月03日

『福祉を廻る識者の声』52(嶋田啓一郎)

老いのわが部屋               嶋田啓一郎
 今年八十六歳、心臓病や肺炎など色々の病気を患って、天上に召される日の近いのを心に期するこの頃、わが身の老いを慰める部屋構えを整えて、その日を静かに待つ想いです。部屋の入口の金属のタブレットには、愛誦の英詩。
Christ is the Head of this house the Unseen Guest at every meal.
Silent Listener at every conversation.
 (キリストはこの家の主人/食事ごとの見えざるまろうど/凡ての語らいの無言の聴き手)
 キリストがわが家、而して私自身を支配し給うこの大安心が、常住座臥、生死苦悩の身を支えています。仏教徒が念仏三昧の生活に法悦の境地を体験されているように、私は聖書の「もはやわれに生くる非ず、キリストわがうちにありて生くるなり」(ガラテア人への手紙Ⅱ20)を心に念じつつ、死への不安を克服しているのです。
 壁に掲げる短冊に、私の学生時代に歌を習った宮崎白蓮夫人の「大自然の力のまえに人の子は何を想わむただ祈るべき」の一首。生命激動の瞬間、パウロの祈りに似た安らぎを実感するのです。
 キリストのゲッセマネの祷りの彫刻に並んで、ヘレン・ケラーがサリバン夫人と手話の大型写真を掲げています。三重苦のケラーのいとも和やかな表情は、緑内障と難聴に苦労する私には、格別の励ましの意味をもっています。
 キリスト者としての私の居間が、仏像や金文字の般若心経の額を置くのは、似つかわしくないと評されるかも知れませぬが、無量寿の象徴としてこれを贈られた仏教学の友人の友情をこの上なく大切にしたいのです。
 社会福祉学の研究に携わった長い生涯ですが、これらの文章や彫刻は、四六時、簡潔、
明澄、かつ荘厳にわが身を慰め励まし、老いの境遇に底知れぬ平安を体験するよすがとなっていることを思う齢のこの頃であります。
 
嶋田啓一郎(しまだけいいちろう)。一九三五年同志社大学文学部卒。同志社大学名誉教授。厚生省中央福祉審議会委員。京都府向日市在住。                  (平成八年・春号)


エリート                  (平成八年・春号)
〝住専〟問題で官僚、とりわけ大蔵省に国民の批判が向けられている。また、住専の大口出資者であり〝母体行〟を代表とする銀行の責任が問われている。大蔵省、銀行は資本主義社会を機能させる中枢である。大蔵官僚、銀行員はエリート。いわゆる頭の良い人である。
国民の勤労努力の結果生み出された〝公金〟を国民の生活向上のために運用するのがこの人達の役目であろう。税金を徴収し、預金を集めてその運用の失敗を税金で処理しよとは何事かと国民が怒るのは当然である。
一つの提案をしたい。天下りや関連会社のへの再就職という慣習はやめて、社会福祉法人へ役員として〝故郷に錦を飾る〟ことです。監事などは適任でしょう。ただし、役員は原則無報酬、借入金の保証人にもなっていただきます。もちろん、高額な退職金もございません。(翁)


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Posted by okina-ogi at 07:27│Comments(0)日常・雑感
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