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2013年07月13日

『福祉を廻る識者の声』63(田中 司)

未来を覗き見る恵み              田中 司
 人間には四人の祖父母がいる。しかし、生まれた時、僕の祖父母は四人ともいなかった。妻のエイミィも同じであった。そこで我々は、祖父母というものを知らないで育ったのであるが、我々の四人の子ども達は、元気な祖父母四人に囲まれて育った。
 幼い時の祖父母の有無は、老人に対する感覚を大きく変える様な気がする。僕は、老人に対しては「近寄りがたい威厳」を感じるのであるが、我が家の子ども達は、全く逆で、老人に「かわいらしさ」を感じているらしい。孫をかわいいと思う気持の反映かもしれない。彼等は良く「おばあちゃまってかわいらしい、何々だって」等と言っていた。
 彼等の四人の祖父母の内、最初に亡くなったのはエイミィの母である。一九七八年、喘息の発作で、六八歳で亡くなってしまった。急な事でショックであった。
 次が、ずっと後になるが、エイミィの父、一九九六年、九一歳、老衰による静かな死であった。晩年視力が弱ってしまったが、頭脳の明晰さは衰えず、孫達の進路の相談にも乗ったりしていた。
 一九九七年、僕の母が亡くなった。晩年はアルツハイマー症で、全く自分を表現できなかったが、わずかな反応を整理すると、状況はかなり良く理解していた様に思える。
 母の入院後、父が脳梗塞で倒れた。今年で三年目になるが、半身不随でまだしゃべれない。対話は「イエス」「ノー」だけの一方通行だが、かなりの事を解っているらしい。
 そこで僕は考えた。父に対して、僕は、何を望んでいるのだろう。健康になって退院する事ではない。もはやそれは望めない。しかし、長生きはして欲しい。いったい、父の生きる目的は何なのだろう。
 そんな時、ふと思いついた。父は残された感覚で未来を見ているのだ。神は、父に、未来を覗き見る恵みを賜って下さったのだ。以後、見舞いに行くのが楽になった。


 田中 司(たなかつかさ)。一九四三年東京生まれ。立教大学文学研究科組織神学修士課程修了。立教小学校校長。立教大学文学部講師。                   (平成十一年・春号)


カンゾー先生               (平成十一年・春号)
 「楢山節考」や「うなぎ」などの作品で有名な今村昌平監督の新作「カンゾー先生」が昨年東映系で上映された。カンゾーは肝臓の意味で、タイトルは、映画をご覧になればわかる。昭和二十年、終戦の年、瀬戸内(岡山県日比)が舞台となり、町医者(開業医)の診察風景が描かれている。
 本誌冬号と春号と連続して、〝往診の時代〟を体験されている土岐正、土岐文英先生に回想文を書いていただいた。両先生とも八十歳を越える高齢ながら現役で活躍されている。
やがて施行される介護保険制度は、地域福祉、地域医療への比重がますます高まる時代の幕開けでもある。時代背景の違いはあるが、当時の回想に貴重なヒントがあるかもしれない。「開業医は足だ。片足折れなば片足にて走らん::」町者の父の遺訓である。四月、在宅介護支援センターがスタートした。(翁)


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Posted by okina-ogi at 07:15│Comments(0)日常・雑感
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