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2013年08月12日

『秋の風』(拙著)短編『老人と少年』

短編
  『老人と少年』
 春に先駆けて梅の花が咲き、木々の若芽も膨らんで、芳しい季節になった。庭先の梅原からは、鶯の澄みきった声が聞えてきた。雀の騒がしい声も混じって聞える。
 道端の土手にはタンポポの黄色が目立ち始め、土筆がそこかしこに芽を出している。お地蔵さんの足元には菫の花が遠慮深く咲いている。ひとしきり神妙な鳥の声がした。
「ケーン、ケーン」
雉の声だろうか。
 その方向に目をやると、常緑の杉の林を浮き立たせるような淡い緑の春の山が美しく見えた。空は春の霞がかかっているが、青く晴れて爽やかだ。黒いものが宙に浮いている。何だろう。
 よく見ると、羽をバタバタ忙しそうに動かしている雲雀の姿があった。
 少年はさっきから縁側に腰を掛けてそんな家のまわりの風景を眺めていた。足をブラブラさせ、縁の下を塞ぐ戸板にぶっつけてなにやら歌を唄っている。
「霞か雲か、ほーのぼのーと、野山をかける:::」
あまり巧くはないが、子供らしい可愛い声で唄っている。とても満足げな顔である。
 春の野山の自然と動物達の活気にあふれた姿が、少年には大変気に入っているとみえる。
 障子がスルリと開いて、おばあさんが出てきた。腰を屈めているが、着物を身奇麗に纏った品のある感じの良いおばあさんである。
「いいお天気ねえ。カズちゃんは朝から歌なんか唄ってご機嫌ね」
 少年の名前は和人というのである。少年は振り向いて見上げるように祖母の顔を見て
「オバァちゃん。おはよう」
と健気な挨拶をした。そしてまた同じ風景に目を向けた。すぐに言葉をつないでこんなことを言った。
「僕ね。ここにこうやって一人で座って外を見回しているとき、とっても気分がいいんだよ。なんだかわからないけど楽しくなっちゃうんだ。そうすると自然と歌がでてくるの。おばあちゃんもそんなことない?」
後でおばあさんは微笑みを浮かべて
「そうねえ」
と相槌ともいえない曖昧な返事をした。少年は思惑が逸らされたような気がしたのでもう一度
「ねえ、そんなことない?」
と聞いた。あまり真剣な顔で見られたので
「あるわよ。だって春の自然は綺麗ですもの。カズちゃんの見ている風景、おばあちゃんもとっても好きよ」
そして最後に
「カズちゃんて素直な子なのね」
と言った。少年は一瞬怪訝な表情をしたが、ニコッと笑った。またご機嫌にさきほどの歌を唄い始めた。
「霞か雲か、ほーのぼのーと、野山をかける:::」
二人は一緒に、しばらく同じ春の自然を眺め、小鳥達の囀りや、甘い草花の匂いにしたっていた。少年が尋ねた。
「おばあちゃん。今年も僕ん家(ち)に燕がやってくる?僕楽しみにしてたんだ。ねえ来るよねえ」
おばあさんはちょっと淋しそうな顔をした。
 毎年この家には、春になると燕がやってきて、軒下に巣をつくり、雛を育てて秋になると帰っていく。少年は、燕をとっても大事にしていて、春になると決って燕が来ないか来ないかと家中の者に問いまわすのが常だった。
 去年こんなことがあった。二羽の親燕が泥を丹念に口先だけで積み重ねて作った巣に可愛らしい卵を産んだ。その卵が孵り、口をパクパク開けたやんちゃな子燕に朝食と、ひっきりなしにエサを与えていたが、猫に不意をつかれ、両親とも死んでしまったのだった。
 その時少年は、親燕の代わりになって、トンボや毛虫までとってきてやった。けれども一羽だけ生き残り、他の雛は死んでしまった。少年は涙をこぼして泣いた。それまでは、動物は全部といってよいくらい好きだった少年は、それきり猫だけは嫌いになった。
「猫の奴め。ドロボウ猫め」
と猫を見ると口癖のように恐い顔をした。そして一羽残ったチイ・チイ力なく口をあけて鳴く雛の燕を
「チイちゃん頑張れ、チイちゃん」
と呼んで、とってきた虫を巣の中に運んでいた。しばらくするとチイちゃんは巣から姿を消していた。そのときも少年は
「チイちゃんいなくなっちゃった。死んじゃった」
と目を赤くしていた。そして一人しょんぼりしていた。そんな少年におばあさんはこんな話を聞かせて慰めた。
「カズちゃん。チイちゃんは南の方に帰っていったのよ。でも必ず来年にはここにやってくるわ。燕はね、遠く旅する鳥なのよ。けれどもね。遠い南の暖かいところへ行ってもカズちゃんの家は決して忘れないと思うね。カズちゃんに虫を食べさせてもらったことや、死んだお父さん、お母さん燕が育ててくれた思い出を懐かしく覚えていて、来年はきっとここに二羽してやってくるわよ。だから、おばあちゃんと待っていましょうよ」
少年は
「うん」
と頭を下げたまま力なく答えた。
 そんなことがあったので、少年の突然の質問におばあさんは動揺したのだった。そして、この暗い記憶に淋しい顔をしたのだった。そんなふうにして、おばあさんは、さてどう答えて良いものやらと思案していると、突然少年は南の方の空をさして
「チイちゃんだ!」
と大声を出して叫んだ。電線には、二羽の燕がとまっていた。
 少年は縁側から走り出し、燕とおばあさんの両方が見られる庭の真中で、二度三度と飛び跳ねた。顔は喜びではちきれそうな笑い顔でいっぱいだ。おばあさんも嬉しくなって手を叩き、腰が真直ぐになるくらいに万歳をして見せた。―完―

 この短編は、昭和五十二年の六月に新生会の老人施設に就職したときに書いたものである。童話にはなっていないが、賢治が童話を書いたほぼ同じ年齢の創作だということで紀行文の後に載せてみた。賢治に比較するのはどうかと思うが、稚拙さが目立ち、しかも平板的である。ただ、不思議なことに、登場する少年とチイちゃんと呼ばれた燕は、我が子の名前になっている、長男は和人、長女は千恵子である。


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Posted by okina-ogi at 10:46│Comments(0)旅行記
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